消滅から守るべきアイデンティティ
スタンスとして、政治的なテーマを選び取りながら、政治色を前面に押し出さずコメディタッチのドラマに仕上げていることが、まず評価に値する。製作の背景を、プロデューサーのシュテファン・アルント(Stefan Arndt;1961- )は、新人脚本家の持ち込んだ5ページの資料から‘この資料を題材にすれば、自分たちがいわんとすることを完璧に表現でき、ストーリーに関わるほど、ベルリンの壁崩壊を背景とした映画を作るのに、10年という歳月が必要だった’*1
また監督のヴォルフガング・ベッカー(Wolfgang Becker;1954- )は、‘「ベルリンの壁崩壊」と「家族」という両者を併せ持つストーリーの中で、ドイツ史の重要な一章であるベルリンの壁崩壊を巧みに、伝えつつ、あくまで家族のつながりを描きたかった’*1
と、それぞれ以上のように語っている。
注;以下、作品細部に関する言及 が含まれています。
§人々の生活に密接する動的経済
コカコーラ、バーガーキング、過激なポルノ、驚くほどのレパートリーの新製品・・・。これらを可能にしたのは、西から東へ流入してきた資本主義、そこからグローバリゼーションは加速する。それが国民にとって本当に幸福なことだったのかどうかを、新たな生活の波に揉まれながら、習慣化しようと奮闘する市民の姿はユーモラスかつ切実である。
(C) X-Filme Creative Pool, WDR, arte 2003
ドイツは現在ではアメリカ合衆国、日本に次ぐGDPを誇る経済大国だが、長期間の分裂を原因として東西の経済格差、統一後の失業率の上昇(東ドイツでは17.2%を記録)、社会保障関連費などの増大によって、経済成長の締め付けとなっている点などが多く指摘されている。
かつて東欧の優等生といわれた東ドイツ経済とその製品も、統一後に通貨為替率1:1の同率交換となってからは、西欧の製品と比肩するだけの質を維持することができなかった。ばかりか、分断時代は経済格差3倍だったにもかかわらず、統一後の為替を同率にしてしまった歪みから、東ドイツの資金需要を無視することができなくなり、深刻な不況と経済的衰退を招いてしまった。西ドイツの1000億マルク以上の対外赤字は、その後も尾を引き、10年以上にもわたり失速することになった。
東西ドイツの経済格差は依然大きく、旧東ドイツ地域に対する大規模な経済支援が統一後から現在まで継続されており、その累積額はドイツのGDPの約30%に及んでいる。
簡単ではあるが、これがドイツ「統一」による経済的変遷とその甚大な影響である。このような巨大な波に飲み込まれた旧東ドイツの人々の生活の転換は、まさにコペルニクス的転回といってもよい。
(C) X-Filme Creative Pool, WDR, arte 2003
§英雄の姿に投影した国家
主人公アレックスは、宇宙飛行士を夢見ながら、現在はテレビ修理を生業としていた。統一後はテレビの修理店が閉鎖され、衛星放送のアンテナを売り込むセールスマンとなる。昏睡から醒めた母の理想を壊さぬよう、息子である彼が奔走せねばならない動機は映画の冒頭で提示されるが、ある時、憧れの宇宙飛行士が乗り合わせたタクシー運転手になっていることに、アレックスは驚く。
宇宙開発は、ソ連をはじめとする社会主義国家の最優先国策として掲げられていたものであるから、アレックスが初めて憧れたヒーローが宇宙飛行士であったのは至極当然である。その宇宙飛行士の凋落に社会主義の終焉をなぞらえることができるが、意外なことに宇宙飛行士が不本意な様子で仕事に従事しているわけではない。むしろ穏やかな生活に安堵しているかのような表情を見せるのである。
ラストシーン、宇宙飛行士に依頼して母のために茶番ともいえる芝居を打ってもらうのだが、実はその必要はもうなかった。全てを知った上で、母はアレックスの苦心と思いやりを受け入れ、静かに息を引き取るのである。
アレックスが献身的に母を看護することについて、面白い見解がある。
‘沢木耕太郎氏が『暮らしの手帖』8号でこの映画をとりあげ、次のような疑問を呈している。『実は、アレックスがどうしてここまで母親に献身的に看護するのか、よくわからない。家族としての義務感からなのか、自分のデモ参加によって発作が引き起こされたという自責の念からなのか、父に去られた母が心神喪失状態になったときにも一生懸命話しかけていたように常に変わらぬ母への愛情があるからなのか、もともとそうした自己犠牲的な性格を持っているのか』’*2
なるほど、と思うのは、映画でアレックスの献身的な看護の理由は明確に語られていないことを指摘している点である。しかし、ここに述べられていることはすべて共通したところに根ざしているのではないのか。ベッカーが製作の動機で考えていたように、家族のあり方を描き、母と息子のつながりを人間的に描写することで、人々が拠って立つ体制とその崩壊前後の動乱期を生き抜く人々の絆や揺らぐことない精神性を、この親子に託したかったのではないだろうか。
アレックスのきょうだいの冷淡な態度や、恋人のドライな現実主義的思考、義理の兄との東西に根ざす文化の相容れなさも盛り込むことで、美しいだけの家族愛に終わらせないようにしていると評価できるが、あまり奥深さを感じさせるものではない。しかし、愛する家族のアイデンティティが危機に瀕しているその時、全てを擲って全力で守ろうとする姿に、義務感、自責の念、自己犠牲、どれもビビッドに表象する意味づけにはなりえない。
ともあれ、宇宙飛行士の劇的な変節と母の危篤が、青年アレックスの信じていた常識を激しく揺さぶり、彼が情熱をかけたのは旧態依然としたシステムの保護と維持であった。これは1つの防衛とみなすべきだろう。しかしそれも長く続くものではない。母の死を看取ることにより、アレックスの中で本来的な意味での愛国主義の消滅が去来したのである。そこから歩き出す彼の姿は、ドイツという国家の殻を破った変革と行く末を暗示的に感じさせる。
(C) X-Filme Creative Pool, WDR, arte 2003
§おまけ
蛇足になるが、アレックスの友人デニスが実にいい味を出している。衛星放送アンテナのセールスマンの同僚なのだが、東ドイツ風ニュースの撮影、キャスターまで演じ上げる。スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick;1928-1999)に憧れる彼には、未来の映画監督を夢見る通り、ユーモア溢れる映画監督になってほしいと思う。素晴らしく魅力的な脇役である。主人公の幸運は、恵まれた人間関係にも由来すると感じさせた。
(C) X-Filme Creative Pool, WDR, arte 2003
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Title:GOOD BYE, LENIN!
Director:Wolfgang Becker
Cast:
Daniel Brühl
Katrin Saß
Chulpan Khamatova
Maria Simon
Florian Lukas
▽121分 / ドイツ / 2003年
(C) X-Filme Creative Pool, WDR, arte 2003
*1 グッバイ、レーニン!-PRODUCTION NOTE-
*2 『グッバイ、レーニン!』 - Heterosophia