新旧の書籍および映画の批評,作品解説.
―Ohne Hast, aber ohne Rast.
Augustrait





[提供:キネマ旬報社]
 医員見習として小石川養生所へ住み込んだ保本登は,出世を夢みて,長崎に遊学したその志が,古びて,貧乏の匂いがたちこめるこの養生所で,ついえていくのを,不満やるかたない思いで,過していた.赤っぽいひげが荒々しく生えた所長新出去定が精悍で厳しい面持で,「お前は今日からここに詰める」といった一言で,登の運命が決まった.人の心を見抜くような赤ひげの目に反撥する登はこの養生所の禁をすべて破って,養生所を出されることを頼みとしていた….

 1722年から幕末まで130年続いた小石川養生所は,江戸小石川伝通院で開業していた医師・小川笙船が目安箱に投書したことから実現した医療施設である.その要望は「治療を受けられない貧しい病人の治療を行う施設を作ってほしい」というものだった.小川の訴状を見た徳川吉宗は,腹心である町奉行・大岡忠相に設置の検討を求め,大岡は建設と維持費の捻出,入所者の決定などを解決するため小川と面談を重ねた.そして,建設費の金210両+銀12匁と毎月の運営費は幕府の財政から捻出すること,医療は患者に無料で提供されること,収容人数を40名とすること,運営は小川をはじめとして7名の医師が担当し,そこに与力,同心らが加わることで合意し,小石川養生所は1722年12月21日,石川御薬園内に設置されたのであった.

 江戸の政治の歪みが貧困を招き,貧困が病気を助長している.その連鎖を断ち切るには結局,政治が応えるしかないという信念をもつ「赤ひげ」こと新出去定(三船敏郎)は,施術から資金運営まで一手に担う.天保の頃の養生所の内部は不衛生,仁術であるべき医療も腐敗していたと伝わっている.黒澤映画の最後のモノクロ作品,これを最後に黒澤は三船敏郎と訣別し,さらに東映との専属契約も解除した.黒澤ヒューマニズムの頂点とされる本作だが,黒澤映画の黄金期の最後を飾る作品になってしまった.養生所の門をくぐった医員見習いの保本登(加山雄三)は,医師として生きる気構えをもっていない.赤ひげの理想が医療の価値観として尊敬され,名医というよりは良医の象徴とされることは,養生所を訪れ収容される困窮の民衆への接遇で判じることである.

 和蘭陀医学を学んだ身としては,幕府の桔梗の間に詰める番医を目指すのが本懐であっただろう.しかし保本は,去定の医療をめぐる政治のまやかしを看破する慧眼,民衆からは診療代を徴すことなく,暖衣飽食の大名や豪商からは高額の金子を要求する姿勢から,泥臭い医の現場に聖人は求められないことを学んでいく.黒澤の意識したフョードル・ドストエフスキー(Фёдор Миха́йлович Достое́вский)の『虐げられた人々』,その一部を模した挿話は説教臭いが,享保時代の医学徒の営みを描くことで,「映画を創る人々の情熱と誠実」を再燃させようという黒澤の志は見事.完成までに18ヶ月,撮影日数120日.

 黒澤は製作費のために抵当に入れた自宅を売却している.また観客がこの映画から「生命力」を感じ取ることができなければ意味がない,とスタッフに檄を飛ばし,クランクインの際には《第9》を大音響で浴びせた豪快さも,語り草となっている.加山は,本作以前には役者としての方向性に迷いが強く,黒澤と三船との仕事で俳優を続けていく感触を得たという.その後のキャリアを見ると,加山は少なくとも俳優としてはまるで成長していない.以後,器用な芸人の出で立ちであるように思えるが,確かに本作に限定すれば力の入った好演である.演技を耕す誠意は,この一作で燃え尽きてしまったということだろう.したがって,平凡な役者に力量以上の成果を発煙させるほどの度量が,本作には認められるのである.

七人の侍 [Blu-ray]
東宝

++++++++++++++++++++++++++++++
原題: 赤ひげ
監督: 黒澤明

製作: 田中友幸 菊島隆三
原作: 山本周五郎『赤ひげ診療譚』
脚本: 井手雅人 小国英雄 菊島隆三 黒澤明
撮影: 中井朝一 斎藤孝雄
美術: 村木与四郎
音楽: 佐藤勝
監督助手: 森谷司郎 松江陽一 出目昌伸 大森健次郎
記録: 野上照代
擬闘: 久世竜
照明: 森弘充
出演: 三船敏郎 加山雄三 山崎努 団令子 桑野みゆき
  • 185分/日本/1965年
    (C) 1965 東宝




  • « 前ページ