人には多くの道を選ぶことが出来る。
ただ、人はその道を選ぶことでどうなるかなんて分からない。
フランスの学者が人の人生はサイコロと同じだと言います。
サイを振ってもどんな目が出るか分からない。
でもサイを振るかどうかは自分で決められる。
それは自分で道を選べるが、どんな目が出るかが分からないということ。
私はこの彼の言葉が凄く好きです。
私は2004からイギリスに来て英語の勉強をしています。
本当は語学留学だけをしたかったけど、父の大学院入学を条件というおまけつき。
私はその条件をのみ、イギリスへ来ました。
全く英語が出来なかったので毎日が苦労の連続。
でも友達が沢山でき、大変ながらも充実な日々。楽しかった。
2006年に大学院に入学。
ここまで一気に走り続けたような気がします。
入学が出来ると分かった時は嬉しかった。それが目標だったのだから。
でも入学して直ぐに気づきました。
大学院入学の後は?
目標だった大学院入学は果たせた。でもそれからは?
普通なら勿論卒業を目指す。
でも気づいてしまった。
大学院入学した時には・・・・何も残っていなかった。
かつていた大勢の友達は自国に帰っていた。
楽しいことなど何もなくなっていた。
大学院での生徒は働いている人ばかり、だから友達もできない。
・・・・・何もかもがなくなっていた。
残ったものはあり得ないくらい難しい勉強。
中の悪い少数のクラスメイト。
孤独感。
始めの第一セミスターは頑張ってみた。
結果。レポートはパスした。
しかし、それまでにストレスなどによって、入院が5回。
胃に穴が空いたり、体調を悪くしたり色々。
ふと思う。
そこまでして卒業を目指す価値があるのだろうか。
心配して両親も大学を辞めていいと言う。
自分も前のように楽しく英語を勉強したい。
・・・・でも
それでいいのだろうか?
続けるべき?
辞めるべき?
自分としてはトイックを勉強したい。
でも、本当にそれでいいのか。
自分でやると決めたこと。
今まで途中で投げ出したことがない。
でも今回ばかりは分からない。
いや、もう分かっている。
・・・・・でも分からない。
今までは入学という道が一本だけだった。
でも今は多くの道が目の前に広がっている。
大学を続けること。
大学を辞めて新しいことを始めること。
一体私はどのような道にサイコロを振ればいいのだろう。
分からない。
果たして私の選んできた道は正しかったのだろうか?
そんなことは誰にも分からない。
そして例え間違っていたとしても、変えられない。
でも疑問が残る。
自分は正しかったのか。
今の自分にはそれすらも分からない。
でも今は昔の楽しかった日々ばかりを思い出す。
あの暑かった夏の日から秋、冬、春と友達と過ごしたことを。
そして桜が舞い、風に吹かれる頃に
新しい友人が出来、今の大切な人とも出会った。
懐かしく、楽しかった過去。
今はまだ自分が正しい道を選んだのかは分からない。
でも、またもう少し経てば、私はサイコロを振るのだろう。
少しでも自分にとって良い道になるように。
今、こうしている間にもサイコロは振られている。
沢山の目が出続けている。
いつかは自分にとって正しい目が出ることを私は祈る。