ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

インド旅行記「親戚巡礼」 17

2006年06月09日 | インド旅行記
『ヤング・ジェネレーション』

 早いものでマカーニー家を去る日がやってきた。一緒にヴィサカパトナムに行ったタッブーが、私の西瓜好きを教えたのか、前の日のデザートは西瓜で、勧められるままにバクバク食べてしまった。10日間なんてあっという間。ところがスシールが深刻な顔で言う。

 「とーこ姉さん、チケット取れなかったんだ」
 「またまた…。きのう取れたって言ってたじゃない」
 「キャンセルしちゃった。ほら…」
 と、スシールの差し出す乗車券にはCancelledのスタンプが押してある。
 「え~!?」
 「だから、今日もここに泊まるしかないね」

 あわててよく見ると、日付が今日じゃない。本当はきのう出発する予定で、プネー以降の電車もそれに合わせて予約していたのだが、きのうの予約が取れなかったので、全て予約を取り直したのだ。

 「もう、おどかして!ベーラン(チャパティーを伸ばす麺棒)でぶつわよ!」
 と、笑いながらスシールの耳を引っぱる。

 スシールは家長ブラトさんの唯一の息子で、次期家長候補だ。彼の世代の従兄弟達は、家業の車のパーツ屋と継ぐ気はなく、それぞれコンピュータ・エンジニアになったり、コンピュータ関係の学校に行っているが、スシールは跡継ぎとして働き始めた。

 「ごめんごめん。プネーでもムンバイでも、みんなプラットホームに迎えにくるように連絡してあるからね。じゃ、とーこ姉さんが乗る電車の車両、シートナンバー、到着駅と到着ホームを言ってみて。プネーとムンバイの連絡先は?番号はちゃんと合っているね?」

 おお、なんという念の入れ方!こんなしっかりものの弟がいたら、どんなに便利で心強いだろう。駅までスシールと、お嫁さんのジャルバーラーが見送ってくれた。
 ジャルバーラーは1年ちょっと前にグジャラート州のアーナンドから嫁いできた。ジャルバーラーの家はジョイント・ファミリーではなく、日本のような核家族だ。アーナンドではグジャラーティー語が公用語なので、ヒンディーが苦手。マカーニー家ではグジャラーティーで通用するが、ドゥルグのあたりでは、ヒンディー語とチャッティースガリー語という土地のことばが使われているので、しょっちゅう家族に「ヒンディー語で話すように」と言われていた。マカーニー家の人たちが言うには、「ジャルバラーはとーこよりヒンディー語を話さない」のだそうだ。

 でも私にとっては、『本場のグジャラーティー語が習える』格好の先生だったので、ジャルバラーにくっついて、グジャラーティー文字の綴り方や挨拶などを教えてもらっていた。ジャルバラーは料理もうまいので、台所でもなんだかんだと教えてもらった。
 核家族育ちのせいもあって、ジョイント・ファミリーの中でも、ちょっと浮いた存在だったジャルバラーは、
 「とーこ姉さん、好きよ!」としょっちゅう抱きついてきた。

 「Ilove youは日本語でどういうの?」と聞かれ、
 「女同士ならスキだけど、異性に言うならアイシテイマスかな」
 と、何度も教えたのに、最後まで「アイスクリーム」と言っていた(^^;)。

 プネー行きの電車は、間際に、予定していたプラットホームではなく、別のホームから出発されることになった。スシールは、私の重いスーツケースを細い身体で引きずって、あわてて階段を上り下りしてくれる。

 「とーこ姉さん、これがインドなの。こんなことがしょっちゅうあるから、駅の放送に気を付けてね」
 とジャルバーラーは言うが、今の放送はヒンディー語だけだったなぁ。聞き取れるだろうか。


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