オスカルが生涯にただ一度、フェルゼンのために着たオダリスク風ドレス。首から胸元までしっかり布で覆われ、当時流行していたロココスタイルとは全く趣が違う。オダリスク風ドレスって、いつ頃流行ったのだろう?18世紀のフランス貴族に、好まれたスタイルだろうか?
ロココの女王で、当時のファッションリーダーでもあったアントワネットの肖像画。
豊かな胸元を強調して見せ、腰をコルセットでギュッと絞り、左右にスカートが広がるスタイルは、他の貴婦人の肖像画にもよく見られる。たとえばポンパドール夫人。あの時代、バストにボリュームがない女性はどうしていたのか?寄せて上げて、どうにか誤魔化していたのか?
けれどオスカルの着たオダリスク風ドレスは、これらとは全く異なるデザイン。そもそもオダリスクとは何なのか、意味を調べたところ「イスラムの君主のハーレムに仕える女奴隷、あるいは寵姫のこと」とある。だとしたら露出度が高く、体のラインが出るようなデザインを選ぶと思うのだが、その逆なのが面白い。
このドレス、どちらかというと鹿鳴館で貴婦人らが着用したバッスル・スタイルに似て見える。けれどバッスル・スタイルのほうが、ロココスタイルより時代があとだろうか?調べてみるとそうではないことがわかった。(以下引用)
バッスル(bustle)とは、スカートの後ろを膨らませてヒップラインを誇張する為に使われた腰当てで、ワイヤーなどの芯に布を張り、ウェスト部分に紐やベルトで固定したもの。バッスルスタイルとは、ヒップや腰上部にバッスルを入れて膨らませたドレススタイルのこと。現在では、スカートを束ねて膨らませたり、布地を背中でギャザーにしてリボンなどの形にまとめウェストに付けるスタイルも含まれる。バッスルとは英語で活気や賑わいの意味がある。
ヒップを大きく膨らませることでウエストを細く見せる効果があり、腰の丸みを誇張しながら裾へ曲線美を描くシルエットは女性らしさを強調することができる。また、長いトレーンをたくしあげて、動きやすさを出すのにも使われる。
バッスルはフランス語ではキュ・ド・パリ、もしくはトゥルニュール。バッスルスタイルは、17~19世紀末にくり返し見られたが、特に1870~1890年に流行した。日本でも「鹿鳴館(ろくめいかん)スタイル」として知られている。最近クラシックドレスの人気復活にともない、バッスルスタイルのドレスも注目を集めるようになっている。
17~19世紀末に繰り返し見られたとあるから、オスカルの生きた時代のフランスでも、普及していた可能性は高い。ちなみにバッスル・スタイルのドレスってこんな感じ。スカーレット・オハラも着ていたかな?
上のドレスは明治時代に作られた純日本製で、鍋島藩の奥方が着用した。
今でもこんなウェディング・ドレスがある。
オスカルが大きく胸元を開け、バストを強調したドレスを着たら、凛々しい近衛連隊長のイメージが崩れ、生々しい女性の面が露出し、ファンが引いてしまうかも?そう考えた池田先生が、敢えてオスカルに肌を見せないデザインのドレスを着せたのかもしれない。チラリズムというか、あまりすべてを見せてしまうと神秘性が失われるし、オスカルファンはあの時点で、フェルゼンに対し生身のオンナを強調する姿は、見たくなかったかもしれない。
読んでくださり、ありがとうございます。
手元にある、ベルばらリキッドアイライナーの台紙を見ると、やはりこのドレスは薄いピンクでした。
鹿鳴館のドレス。明治の社交界の女性たちは、着物の後にこれですから着こなしが大変だったでしょう。
ブロンドの髪のオスカルには、青系のドレスが似合う気がします。アニばらは薄いブルーでしたね。ブロンドの髪、白人の肌ですと、ピンク色のドレスはあまり映えないのではないでしょうか?
鹿鳴館時代の女性は、明治政府の期待を背負っての洋装。芸者あがりの人が多かったとはいえ、戸惑いも多かったでしょうね。
このオダリスク風ドレスはオスカルに似合っていましたよね。ロザリーがジャルジェ家に引き取られたばかりの頃、ばあやがオスカルのために取っていたドレスを着せられるシーンがありましたが、膨らんだ裾にリボンが付いている代物。とてもオスカル向きではありません。
オスカルは「父上には内緒だぞ」と釘を刺していましたが、将軍はこの時館に不在だったのやら。もし将軍が彼女のドレス姿を目にしたら…と空想してしまいます。まず美しさに目を見張り、その後で「さては好きな男ができたな。一体誰だ?」と厳しく問い詰めたことでしょう。
オスカルが体のラインや胸元を強調したり、露出度の高いドレスを着たら、どうでしょう?彼女はスタイルがいいから、何を着ても似合うでしょうが、オスカルファンは複雑な気持ちになるのでは?アンドレ以外の男性に、生身の女性の色気をぷんぷんさせるのは、ちょっと---と感じるのでは?
将軍にも愛娘のドレス姿を、ひとめ見せたかった気もします。父親として複雑な想いに駆られるかもしれませんが。どんなに厳しくオスカルを問い詰めても、絶対に彼女は想い人の名を口にしないでしょう。
まだ見たばかりなので、そのような心境になれず混乱しています。原作と違うシーンやこれからはアンドレに付き従う等の場面はともかく、オスカルとアンドレの死に方には違和感があり、原作よりも悲しい最後だと思いました。いい年をして、つい涙を流してしまいましたね。
アンドレは流れ弾に当たっての死だし、オスカルの落命はバスティーユ陥落1時間前。そしてオスカルの最後の言葉はアデュウの一言だけ。原作通りの台詞では長すぎてアニメになりませんが、燃え尽きた最後という印象でした。原作の安らかな死とは少し違うようで、痛まし過ぎる。
ロザリーがアントワネットにオスカルの話を聞かせていたというのは良かったと思います。おそらく原作でも、アントワネットは謀反人となったオスカルを恨んではいなかったと私は想像しています。王妃の形見が、オスカルのために化粧紙で作られた白バラというのも哀しい。
>おそらく原作でも、アントワネットは謀反人となったオスカルを恨んではいなかったと私は想像しています。
私もmugiさまとまったく同じ考えです。2人の間には固い信頼関係があり、それはたとえオスカルが市民の側についたとしても、変わらなかったと思います。