こんにちは。昨夜は千年ゼミお疲れさまでした。
杉野グループ議事録係のよしだです。
昨夜のゼミは、25名程度の方が集まりました。
6-7名のグループをつくり、互いに自己紹介をしながら
里山でのくらしについて、自らの思いを伝えました。
あっという間の時間でしたね。
さて、杉野グループでの言葉の軌跡を以下のように綴ってみました。
(よろしければ、上の議事録写真をご覧下さい。)
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●里山と都会における「くらし」「稼ぎ」「仕事」の比較
1. くらし
* 里山 ⇒ 徐々に都会のくらしに近づいている
o 以前は、結いの力が強かった。
+ 冠婚葬祭は、集落総出で行なった。
+ 「醤油切らしたら、隣へ駆け込む」(そのくらい、隣近所との連携がある)
→ 煩わしさもあり?しかし、これがあるから孤立する事がなかった。
o 現在は、結いの力が弱まっている。
+ 冠婚葬祭は業者へ依頼。
+ 「醤油切らしたら、車で15分のコンビニへ」
o 豊富な自然と共生する。
+ 精神的安定が得られる。
* 都会 ⇒ 人間らしさの失われた生活
o 便利な生活
+ 徒歩圏内にコンビニ、地下鉄、バス停
+ 映画館などの娯楽施設が充実
o 疎遠な近所
+ 隣近所と顔をあわせない
2. 稼ぎ
* 里山 ⇒ 稼ぎを得にくい
o 農林業への従事
+ 一家の生計を立てるには、厳しい現状
+ 特に子どもへの教育資金の準備に不安
o 豊田市街の会社や工場へ勤める
+ 集落のコミュニティにはあまり参加しなくなる
* 都会 ⇒ 稼ぎは得やすい
o 安定した収入
+ 都会には就業機会が多数存在している
o 疲弊
+ 経済成長がないと維持できない構造
+ 拘束された日々、プレッシャー、鬱
3. 仕事
* 里山 ⇒ 非常に多忙
o 自分の土地の管理(山、畑)
+ 間伐や田畑の手入れ(朝早くから)
+ 管理しないと、隣近所からのクレームにもつながる?
* 都会 ⇒ 都会での「仕事」とは「稼ぐ」ための手段にすぎない?
o 都会では、仕事=稼ぎ?
+ 土地管理などは、業務委託もあり
●山里に「生きる」ためには?
1. 山里における「くらし」「稼ぎ」「仕事」のバランス
「稼ぎ」には直結しない、山での「仕事」を、どれだけやれるか?
山での「仕事」とは、所属する集落全体の事を考え、となり近所の事を考えて行動すること。
そして、自分の「一生懸命さ」「誠実さ」を、行動で示していくこと。
それらを踏まえた上で、最低限の「稼ぎ」を捻出しながら、山里ならではの自然や生活を満喫する。
精神的に安定した、人間らしい「生き方」をすること。
2. 「ヨソモノ」で行くか、「身内」で行くか。
身寄りのある山里へ入る方が、比較的穏やかに、その集落へ入り込める。
「ヨソモノ」の場合は、骨を埋めるくらいの「覚悟」を持って行く必要があるのではないか?
3.最低限の、生活基盤の確保
「水道」「電話」「電気」「ガス」「インターネット」「車」は、必須な基盤。
これらが整っている場所でないと、いくら覚悟を決めても、やはり住み辛いのでは?
●もっと歩み寄れないのかな?
上述のような覚悟はないけど、山里との気軽な関係を築きたい。それは無理なのか?
→ 山里に住む人、都会に住む人、両方の努力が必要。
気軽に住居を変えるような、都会的な発想は通用しない。
菅田和で行なっているような交流事業を通じ、山里に住む人と都会に住む人とのコミュニケーションを育む機会が大事。
山里に住む人が、環境や知識を提供し、都会の住民が、足しげく通い、労力を提供する。
こうして、徐々に信頼関係を構築することが、良好な関係作りへの一歩ではないか?
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○議事録係よしだの所感
・こうした状況は、全国でも、そして海外でも
メンバーの中に、大阪に住むご両親が、田舎暮らしを望まれている方がいました。
一方、中国からの留学生の方からは、中国でも農山村から人口が流出し、空き地や空家が目立っているという話を頂きました。
私たちが今行なっている議論は、全国全世界において、各地域の個性を見出しながらも、
共通的な課題として注目されていくだろうと思いました。
ところで最後に、すずきさんから「山師」というキーワードが出ました。
山里で、『ここで生きてくぞ』という「覚悟」を掲げながらも、
じゃあ山師になってやろう!くらいの、心のゆとりを持つことが
山で暮らしていくための心構えなのかもしれません。
またお会いしましょう!
凄く分かりやすく纏めてありました。杉野さんのブログもチラッと見ましたが、現金を「稼ぐ」となると、やはり大変ですよね。もっと、身近な里山との交流、田舎暮らしの実現が出来ればなと、日々頭の片隅で考えています。豊森でその答えの糸口がつかめたらなぁ、と、思っています。
吉田です。先日はお疲れさまでした。
杉野さんのブログには、素敵な言葉がいっぱいちりばめられていますよね。
「稼ぐ」=「家族を養う」、
私も、主人の稼ぎがあるから
のんびりした発想でいられるのかも。
教育格差、という言葉が、最近の新聞に掲載されました。所得格差=教育格差、ということです。
「大学・大学院→新卒で大手会社採用されてすごろく上がり!」という発想を、早く崩さなければと思います。私は社会人になってから大学院に入学しました。いろんなパスがあります。学びたい気持ちが芽生えた時、その時こそ、その人にとって最良の「学ぶという充電時期」だと思うのです。それは、必ずしも特定の年齢に限定されないはず。
「学ぶ」ことに自由度のない国は、やっぱり発展しない、と私は思うのです。大学受験のために文系/理系と早々に分けて、詰め込み型学習をひたすら繰り返すことに、どれだけの意味があるのでしょう。
長くなりましたが、つまり言いたかったことは、みんなが同じパスを描こうとするから、特定の教育産業が儲かるシステムが確立し、教育にお金がかかるような社会になってしまったと、私は思っているのです。