水谷 修
Osamu Mizutani
1956年横浜生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。
教師生活のほとんどを少年の非行・薬物問題に捧げ、
「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを行いながら、若者の更生に尽力。
また各種メディアの出演や、日本各地での講演を通して、
少年非行の実態を広く社会に訴え続けている。
第17回東京弁護士会人権賞受賞。
主な著書に『夜回り先生』(サンクチュアリ出版)
『さらば、哀しみの青春』(高文研)
『さよならが、いえなくて』(日本評論社)など。
●なくなった財布
高校の教員時代。高校2年を受け持っていたらしい。
教室で、1人の生徒の財布(@ヴィトン)がなくなった。
2万数千円もするその財布。
中にはバイトの給料2万数千円が入っていた。
生徒Aが1人で職員室に、やってきた。
「私、誰が盗ったか知っています。
Bさんが、財布を触っているのを見ました」@その生徒
「そうか。だけど、ただ触っただけかもしれない。
その後、戻したかもしれないから、
そのことは黙っておいてくれ。」@先生
Bの家は貧しかった。
生活保護を受けながら、
B本人もバイトをしていたが
それでも、おっつかない状況。
学費を滞納することもあった。
水谷先生自身も、個人的に
かなり援助したそうだ。
その後、学級会。
「みんな知っているかもしれんが、
この教室で財布がなくなった。
誰が悪いと思う?」@先生
「盗んだ人っ」@生徒達
「それは違う。
俺はこのクラスの担任だ。
そういうことを教えるのも俺の仕事だ。
この教室の入り口になんて書いているか知ってるか、
管理者・水谷修って書いてあるんだ。
だから、この教室内で起こったことは
すべて俺に責任があるんだよ。」@先生
先生はそういいながら、
財布を取られた生徒に
茶色い封筒を渡した。
「俺が悪いから、おれが責任をとるよ。
5万円はいってるから、
これで、この話をチャラにしてくれないか」@先生
そのとき、上記の生徒Aが立ち上がった。
「私、誰が盗ったか知ってます。
Bさんがその財布を触ってました。」
号泣しだすB。
「ちょっとまってくれ。
それは触っただけかもしれない。
Bはそんなことをするやつじゃない。
ちょっとBと話をさせてくれ」@先生
Bと2人で教室を出た。
わんわん泣きつづけているB。
「おい、もう泣くな。
おまえは触っただけだろ。
おまえはやってないよ。
そんな子じゃないのしってるから、先生は。
だからもう泣くな」@先生。
そして、それから、2年が過ぎた。
卒業式の日。
財布の話なんか忘れていた先生のところに
Bが歩み寄ってきた。
「先生、これ」@B
茶色い封筒を手渡すB。
中を見ると、ボロボロの千円札が50枚入っていた。
あれから、二年間、
貧しい、苦しい生活の中で、
千円ずつためたお金。
生徒は泣いていた。
「先生、ほんとは知ってたんでしょ?」@B
何も言わず、抱きしめる先生。
そして
「おまえ、卒業だな。
そしたらこれ、卒業祝いにやるから、
好きなものをかいなさい。
でも、ヴィトンの財布は死んでも買うなよ。
はははははっ」@先生
●アイちゃんの話
アイちゃんの母親から、連絡があった。
まだ、中学生だった。
「娘が、シンナーや覚せい剤をやっています。
先生、助けてください」
駆けつけた先生。
アイちゃん宅で、まっていると、
シンナーの臭いプンプンで帰ってきた。
そっから、いろいろな話がはじまった。
先生とコミュニケーションをとっていくうちに
こころをひらきだした。
が、
「わたし、ぞうきんだから。。」
興味本位から、暴走族の集会へ参加したのが始まりだった。
集会後、1人のメンバー宅へ。
そこで、7人の男に姦された。
そして、その後その仲間からも
好きなように犯されつづけた。
シンナー、覚せい剤などを手に入れるため、
愛ちゃんに売春をさせる暴走族。
連中の間では、
中学生は妊娠しない
という、あやまったデマがあったため、
コンドームをせずにやっていた。
ぞうきんってのはこういう意味。
また、アイちゃんもシンナー、覚せい剤に浸かっていた。
シンナーの乱用が3カ月。
覚せい剤の使用が5回。
まずはからだの状態を調べよう
ってことになった。
アイちゃんの脳をCTスキャンで調べた。
その結果は愕然とする物。
脳が6ミリも溶けていた。
平均で言えば、
約80歳の脳。
15歳にして、一生80歳の脳みそで
生きていかなくてはならない。
再生しない。
悲しすぎる現実だ。
その後更正し、高校に入ったアイちゃん。
やはり、HIVウイルスのことが気がかりだった。
検査に行った。
陽性反応が出た。
自暴自棄になったアイちゃん。
が、HIVウイルスにも種類があるようで、
現在の医学でも、
節度ある生活をしていたら
寿命まで生きられるものだった。
が、そんなことには耳をかさなかった。
「私をこんな目に遭わせた大人に復讐してやる」
家出した。
道行く車を止めて
「好きにしていいから、○○まで私を連れて行って」
くりかえした。
途中先生の所に何度か電話があった。
「今、浜松にいるんだ。
○十人の大人に復讐してやったよ」
「移された男が何を最初にするか知っているか。
男は女を金で買い、それを移してまわるんだ。
同じことが繰り返されるだけだ。
頼むからやめてくれ」
先生の説得に、戻ってきたアイちゃん。
検査の結果、
3種類のHIVウイルスが発見された。
最初の一種類は対応できたが、
後の2種類は今の医学ではどうにもならないものだった。
発病し、病院に入った。
「出来るだけ楽に死なせてあげたいので、
明日モルヒネを投与します」@主治医
連絡を受けて、先生は駆けつけた。
50キロあった体重が、
20キロ代前半まで落ち込んでいた。
ガリガリなんてもんじゃない。
体中にあざのようなものができた。
最後はアイちゃんが大好きだった
高校の制服を着て、最後を迎えたい、と、
制服を着ていたが、
痩せ干せっていたため、ブカブカだった。
それを母親や看護婦さんが縫ってからだに合わせ、
顔には看護婦さんが化粧をしてくれていた。
斑点をかくすため、
体のあちこちにファンデーションで塗っていた。
とにかく泣いた。
頭をさすっては泣き、
抱きしめては泣いた。
「先生、今後も講演をつづけるでしょ?
そしたら、私ことを絶対に話して。
私のことを聞いて、
1人でも薬物から逃れられたり、
1人でも体を売ったりするのを
やめる人がいてくれたら、私うれしい。
私が生まれてきた意味を見つけられる」@アイちゃん
そして、モルヒネ投与の時間が来た。
「アイちゃん、そろそろお休みしよっか。」@主治医
「うん。」@アイちゃん
しかし。
モルヒネ使用可能期間の二ヶ月で死ねなかった。
それ以上投与すると、殺人罪になる。
その後は、モルヒネの禁断症状で、のた打ち回った。
血管の中を虫が這うような感じらしい。
苦しくてもだえる体を両親が抑えようとすると、
股関節がはずれてしまい、その痛みでまたもだえる。
だから上半身を押さえると、
今度は腕の関節がはずれ、
そうやって体中の間接がはずれていまい、
最後には体中を布でミイラのように縛られて地獄のような
苦痛を受けながら、数週間後に息を引き取った。
その時に、父親がボソッと言った。
「よかったなぁ、お前やっと楽になれたなぁ」
自分の娘が、死んで
「よかったなぁ」
という父親の心境。
悲しすぎる。
アイちゃんがモルヒネを投与される前に言った言葉どおり、
先生はこの話を繰り返しているそうです。
Osamu Mizutani
1956年横浜生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。
教師生活のほとんどを少年の非行・薬物問題に捧げ、
「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを行いながら、若者の更生に尽力。
また各種メディアの出演や、日本各地での講演を通して、
少年非行の実態を広く社会に訴え続けている。
第17回東京弁護士会人権賞受賞。
主な著書に『夜回り先生』(サンクチュアリ出版)
『さらば、哀しみの青春』(高文研)
『さよならが、いえなくて』(日本評論社)など。
●なくなった財布
高校の教員時代。高校2年を受け持っていたらしい。
教室で、1人の生徒の財布(@ヴィトン)がなくなった。
2万数千円もするその財布。
中にはバイトの給料2万数千円が入っていた。
生徒Aが1人で職員室に、やってきた。
「私、誰が盗ったか知っています。
Bさんが、財布を触っているのを見ました」@その生徒
「そうか。だけど、ただ触っただけかもしれない。
その後、戻したかもしれないから、
そのことは黙っておいてくれ。」@先生
Bの家は貧しかった。
生活保護を受けながら、
B本人もバイトをしていたが
それでも、おっつかない状況。
学費を滞納することもあった。
水谷先生自身も、個人的に
かなり援助したそうだ。
その後、学級会。
「みんな知っているかもしれんが、
この教室で財布がなくなった。
誰が悪いと思う?」@先生
「盗んだ人っ」@生徒達
「それは違う。
俺はこのクラスの担任だ。
そういうことを教えるのも俺の仕事だ。
この教室の入り口になんて書いているか知ってるか、
管理者・水谷修って書いてあるんだ。
だから、この教室内で起こったことは
すべて俺に責任があるんだよ。」@先生
先生はそういいながら、
財布を取られた生徒に
茶色い封筒を渡した。
「俺が悪いから、おれが責任をとるよ。
5万円はいってるから、
これで、この話をチャラにしてくれないか」@先生
そのとき、上記の生徒Aが立ち上がった。
「私、誰が盗ったか知ってます。
Bさんがその財布を触ってました。」
号泣しだすB。
「ちょっとまってくれ。
それは触っただけかもしれない。
Bはそんなことをするやつじゃない。
ちょっとBと話をさせてくれ」@先生
Bと2人で教室を出た。
わんわん泣きつづけているB。
「おい、もう泣くな。
おまえは触っただけだろ。
おまえはやってないよ。
そんな子じゃないのしってるから、先生は。
だからもう泣くな」@先生。
そして、それから、2年が過ぎた。
卒業式の日。
財布の話なんか忘れていた先生のところに
Bが歩み寄ってきた。
「先生、これ」@B
茶色い封筒を手渡すB。
中を見ると、ボロボロの千円札が50枚入っていた。
あれから、二年間、
貧しい、苦しい生活の中で、
千円ずつためたお金。
生徒は泣いていた。
「先生、ほんとは知ってたんでしょ?」@B
何も言わず、抱きしめる先生。
そして
「おまえ、卒業だな。
そしたらこれ、卒業祝いにやるから、
好きなものをかいなさい。
でも、ヴィトンの財布は死んでも買うなよ。
はははははっ」@先生
●アイちゃんの話
アイちゃんの母親から、連絡があった。
まだ、中学生だった。
「娘が、シンナーや覚せい剤をやっています。
先生、助けてください」
駆けつけた先生。
アイちゃん宅で、まっていると、
シンナーの臭いプンプンで帰ってきた。
そっから、いろいろな話がはじまった。
先生とコミュニケーションをとっていくうちに
こころをひらきだした。
が、
「わたし、ぞうきんだから。。」
興味本位から、暴走族の集会へ参加したのが始まりだった。
集会後、1人のメンバー宅へ。
そこで、7人の男に姦された。
そして、その後その仲間からも
好きなように犯されつづけた。
シンナー、覚せい剤などを手に入れるため、
愛ちゃんに売春をさせる暴走族。
連中の間では、
中学生は妊娠しない
という、あやまったデマがあったため、
コンドームをせずにやっていた。
ぞうきんってのはこういう意味。
また、アイちゃんもシンナー、覚せい剤に浸かっていた。
シンナーの乱用が3カ月。
覚せい剤の使用が5回。
まずはからだの状態を調べよう
ってことになった。
アイちゃんの脳をCTスキャンで調べた。
その結果は愕然とする物。
脳が6ミリも溶けていた。
平均で言えば、
約80歳の脳。
15歳にして、一生80歳の脳みそで
生きていかなくてはならない。
再生しない。
悲しすぎる現実だ。
その後更正し、高校に入ったアイちゃん。
やはり、HIVウイルスのことが気がかりだった。
検査に行った。
陽性反応が出た。
自暴自棄になったアイちゃん。
が、HIVウイルスにも種類があるようで、
現在の医学でも、
節度ある生活をしていたら
寿命まで生きられるものだった。
が、そんなことには耳をかさなかった。
「私をこんな目に遭わせた大人に復讐してやる」
家出した。
道行く車を止めて
「好きにしていいから、○○まで私を連れて行って」
くりかえした。
途中先生の所に何度か電話があった。
「今、浜松にいるんだ。
○十人の大人に復讐してやったよ」
「移された男が何を最初にするか知っているか。
男は女を金で買い、それを移してまわるんだ。
同じことが繰り返されるだけだ。
頼むからやめてくれ」
先生の説得に、戻ってきたアイちゃん。
検査の結果、
3種類のHIVウイルスが発見された。
最初の一種類は対応できたが、
後の2種類は今の医学ではどうにもならないものだった。
発病し、病院に入った。
「出来るだけ楽に死なせてあげたいので、
明日モルヒネを投与します」@主治医
連絡を受けて、先生は駆けつけた。
50キロあった体重が、
20キロ代前半まで落ち込んでいた。
ガリガリなんてもんじゃない。
体中にあざのようなものができた。
最後はアイちゃんが大好きだった
高校の制服を着て、最後を迎えたい、と、
制服を着ていたが、
痩せ干せっていたため、ブカブカだった。
それを母親や看護婦さんが縫ってからだに合わせ、
顔には看護婦さんが化粧をしてくれていた。
斑点をかくすため、
体のあちこちにファンデーションで塗っていた。
とにかく泣いた。
頭をさすっては泣き、
抱きしめては泣いた。
「先生、今後も講演をつづけるでしょ?
そしたら、私ことを絶対に話して。
私のことを聞いて、
1人でも薬物から逃れられたり、
1人でも体を売ったりするのを
やめる人がいてくれたら、私うれしい。
私が生まれてきた意味を見つけられる」@アイちゃん
そして、モルヒネ投与の時間が来た。
「アイちゃん、そろそろお休みしよっか。」@主治医
「うん。」@アイちゃん
しかし。
モルヒネ使用可能期間の二ヶ月で死ねなかった。
それ以上投与すると、殺人罪になる。
その後は、モルヒネの禁断症状で、のた打ち回った。
血管の中を虫が這うような感じらしい。
苦しくてもだえる体を両親が抑えようとすると、
股関節がはずれてしまい、その痛みでまたもだえる。
だから上半身を押さえると、
今度は腕の関節がはずれ、
そうやって体中の間接がはずれていまい、
最後には体中を布でミイラのように縛られて地獄のような
苦痛を受けながら、数週間後に息を引き取った。
その時に、父親がボソッと言った。
「よかったなぁ、お前やっと楽になれたなぁ」
自分の娘が、死んで
「よかったなぁ」
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