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浅知恵ブログ

浅知恵というホームページでの過去ログと、日々のぼやきなんかを適当にアップしていきたいと思う今日この頃です。

ビリーズブートキャンプ。

2007-09-18 | 物語的なもの
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【前回までのあらすじ】

3泊4日の楽しいキャンプになるはずだった…。

大学の卒業記念に、ビリーは仲の良い友達5人組でブート湖にキャンプにやってきた。

ブート湖は、ゴツゴツいた岩場が特徴で、水深も深く危険なので、地元の人間はまったく近寄らない湖だった。過去には、遊びに来ていた小学生が溺れるという事故があって以来、湖周辺は立入禁止区域になっていた。

彼らは貸し切り状態で遊べるそんなブート湖が好きだった。「立入禁止」という立て札は、いつも彼らにある種の探索心を起こさせるのだった。どこかワクワクする。いつものように彼らはボート遊びや、釣りなどありとあらゆるアウトドアを満喫していった。


「チンコの大きさ比べしよ~ぜ!一番小さいヤツは罰として今夜の夕食作ることな。」

テンションMAXで様々な遊びをプロデュースするビリーは、メンバーの中心的存在だ。「チンコの大きさ比べ」などといった提案をしたのは、特に理由はない。しいて言うのなら、ある種のアウトドア的な開放感が同時に下半身まで開放的にさせたのかもしれない。

ただ、ビリー自身、自分はそれほど小さくはないだろう、といった漠然とした思いはあった。恋人のナタリーにはいつもヒィヒィ言わせているし、もう堪忍やでぇ…と言うまで鬼の腰振りをやめることはなかった。

ただ少しだけ…。少しだけ5人の中で、自分のチンコの大きさはいったいどのくらいのポジションに位置しているのかを知りたかったことは否定はしない。

少なくとも、ガリガリで色白で身長が150センチしかないもやしっ子のテリーには負けないだろう、とビリーはふんでいた。幼い頃に父親を亡くし、朝から夜中まで働きに出ている母親の代わりに、下2人の弟の面倒をみてきたテリーの手料理が実はウマいということはすでにみんなが知っている事実だった。

ビリーの心の中では、今夜の夕食当番はすでにテリーに決まっていたし、またどこかでそうなる事を視野に入れた感のあるチンコ比べでもあった。


                    □


「さて…と。じゃあカレーを作ろうか」

ビリーはそうつぶやくと、持ってきた食材の中から、じゃがいもとニンジン、玉ねぎなどを取り出した。肉は何にしよう。豚バラ肉でいいか。その前にアレだ、水汲んでこないとな。

「イトコの子供が泣くんだよ。僕のを見て…ね。」

後ろの方から楽しげな4人の話し声が聞こえてくる。自慢げに話すその声はチンコビガーチャンプ・テリーだ。

それにしてもだ。ビリーは思う。テリーのチンコがそんなに大きいとは夢にも思わなかった。どう見ても重量バランスがおかしい。パンツの中に完全に収まっていないし、何よりあれではまっすぐに歩けないはずだ。

トントントントントン… トントントントントン…

ニンジンを切りながらビリーはテリーの股間にだらしなくぶら下がっていた巨大なものに思いを馳せる。あの大きさ…。馬並み、という表現だけではまるで足りない。パンツから出した時、「ボロン…」ってこぼれる音が聞こえたくらい。

ビリーのモノがこのニンジンくらいだとすると、テリーのはまるでモンゴルに帰る前の朝青龍だ。そもそもの格が違うという感じだ。育ちすぎの大根よりも確実に大きい。

あんなのを受け入れ可能な女性は果たしているのだろうか…。裂ける。四次元ポケットでも標準装備している女性でもない限りアレの格納は無理だと思われる。どちらにしても、あんなサモアの怪人みたいなチンコを入れるなんて事自体がとても正気の沙汰とは思えない。

ジュウ…ジュウ…ジュウ

ニンニクをたっぷりと入れ、バターで肉と野菜をいためる。ニンニクのこげたニオイと、バターの香りがうまく調和して、なんともおいしそうなニオイが周りを包みこみ、ビリーの胃を刺激する。腹ペコのビリーにはなかなか辛い作業になった。

それにしても…テリーのチンコがあんな奇跡的な大きさなんてな。ありゃ神のイタズラか何かか。そりゃイトコの子は泣くわな。ビリー自身、見た時は泣きそうになった。今夜は巨大なチンコに押しつぶされる夢でも見てしまいそうだ。

テリーのことはちょっとした誤算だったとしても、自分のモノが同年代の友達と比べてあんなにダントツで情けないのは大誤算だった。ナタリーがヒィヒィ言うのは俺を気遣っての演技だと知った。それは真実の愛なのか。


とにかく、小ささは他を寄せ付けずにダントツでトップクラス。パンツを下げたその時からみんな大爆笑。皆の笑いがおさまるまでに実に50分を要した。テリーなんて、笑い過ぎて腹筋の筋肉がよじ切れて、最後苦しんでいたもの。誰が言いだしたのか、あだ名はミクロマンに決定した。



一時間後。

5人は各自思い思いの場所に座り、黙々とビリーの作ったカレーを食べだした。料理が不得意なビリーらしく、その味はあまり褒められたものではなかったが、幸いにして今の5人は腹ペコな腕白ボウズであり、味覚オンチでもあった。

異変が起こったのは3口目を口に運んだ時だった。

「うっ…うぐぐぐ…グハッ!」

持っていたカレーを地面に落とし、突然テリーがうめき出した。体はぶるぶると震え、顔は見る見る青くなっていった。額には玉のような汗がにじみ、血とカレーの混ざり合ったようなモノを嘔吐した。

そのまま地面に突っ伏したまま小刻みに震えていたテリーはやがてピクリとも身動きしなくなった。その間、時間にして3分くらいはあったかもしれない。けれど、その異常事態を見守る彼らにはそれは駆け寄る暇もないくらいに一瞬の出来事だった。

「き…救急車を…」

誰かが言った。いや、言ったのはビリー本人だったかもしれないし、誰も言わなかったのかもしれない。何もわからず、考える事ができず、ただその場にたたずんでいた。想像もしていなかった事態に頭がついてこなかった。まるで時間が止まったかのように辺り一面はシンと静まりかえり、同時に金縛りにかかったかのような重苦しい空気がその場を支配した。

テリーの容体はすでに救急車を必要としないことは誰の目にも明らかだった…。そう、彼はたった今、死んだのだ。

状況から見て、カレーの中に何らかの毒物が入っていたのは間違いない。そしてそのカレーを作ったのはビリーただ一人だった。



「ビリー…まさかお前…」

マイケルは震える声で言った。決して友達を疑いたくはなかったが、カレーを作ったのもビリー、皆の皿によそったのもビリーだ。その間、誰もカレーに触れていないし、近くによってもいない。そうなると、マイケルが思わずつぶやいた一言は至極当然といえた。



「カリだ。これは青酸カリだ。間違いない!みんな動くな!警察が来るまでは証拠保全だ」

薬物にはまったく微塵もこれっぽっちも詳しくはないが、殺人事件モノの二時間ドラマにはめっぽう詳しい一面を見せるルイスが自身の見解を述べ、指示を出した。青酸カリが出てきたことに根拠は全くなさそうだったが、一同には否定するだけの理由もまた見つからなかった。



「動機はカリの太さで負けたからか…。カリだけに青酸カリで借りを返したというわけだ…。」

常に冷静沈着なウイルソンが何気につぶやいた。一瞬涼しい風が吹きぬけ、辺りはさらに静寂に包まれた…



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【ビリーズブートキャンプ 第679話】


「俺じゃない!俺はやってはいないんだ!」

パトカーに乗せられ、両脇を抑えられながらビリーは叫び続けた。自分は何もやっていない。思いあたる事と言えば、友達よりもチンコが小さいことだけだ。あと少しだけ皮かぶってること。ミクロマンというあだ名だということ…。

「まあまあ、話は署で聞くから。」

年齢不詳の警察官は気のせいか不敵で残酷な笑みを浮かべた。その目はビリーを完全に疑っていた。

「俺じゃないんだ……」

もう一度ビリーは力なく言った。その声はサイレンの音にかき消され空気中に消えた。


つづく(続きません)


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次世代イチローを考える。

2007-08-18 | 考えるシリーズ
日本人として最も成功し活躍している人は誰だろう、と考えた時にイチローの名前が浮かぶ人も多いのではないだろうか。

浅知恵が日本人女性と、歌舞伎町のそれらしい男性を対象に行ったアンケートでは、チチロー(イチローの父)は無理だけども、イチローにだったらざっくばらんに愛撫されてもいい、と想っている日本人は、全体の9割を占める、という結果が出たが、実際にはアンケートは行っていない。

それほどまでに最近のイチローの活躍はめざましい、と言わざるを得ない。日本人のメジャー進出のきっかけ、道を作ったのはおそらく野茂だろうと思うけど、その後その道幅を広くして舗装し、夜道でも安心なように街灯を設置し、さらには24時間のコンビニやガソリンスタンドを建て、後続の日本人のためにメジャーへの道を走りやすくしたのは間違いなくイチローなのだ。

日本人はもちろん、目の肥えたメジャーの観客、そして時には対戦相手のファンまでもがイチローの活躍に酔いしれる。そしてイチロー本人もそうした観客の声援や期待に応えるかのように華麗で鮮やかなプレーを見せる。

アメリカンリーグ新人王にはじまり、MVP、首位打者、最多安打に盗塁王など、イチローがこれまでに獲得した賞は数知れず、2004年には年間262本のヒットを打ち、シーズン最多安打記録を実に84年ぶりに更新した。これは大偉業である。そして日本人は体も小さいし、力も弱いからメジャーじゃ通用しない、という通説を根底から覆すことになった。



それほどまでに活躍するメジャーの、いやもはや世界のトップスターのイチローで、一見すると未来は光と祝福に包まれているかのように思えるイチローではあるが、実は不安がないわけではない。いや、むしろ不安だらけといっても過言ではない。

これは、中途半端な能力の選手では考えられないような類のものなのだけど、イチローのように超一流であるがゆえに、順調に活躍しているからこそ感じてしまう不安である。

【活躍慣れ】

イチローの打率は、3割以上が当たり前、出塁したら盗塁は当たり前、深い内野ゴロなら内安打は当たり前、と世間的には思われている。

だが、これは一つ一つの記録を見てみるとそこらの選手では到底できないようなハイレベルのものばかりだ。イチローがやると簡単そうに見えているが、よく考えてみると難しいことに気付くはずだ。野球の頂点でもあるメジャーリーグにおいて、常に3割以上の打率をキープするのがどれほどすごいことか。

つまり、あまりにもイチローが安定して活躍しているために、それを見ている者達(メジャーの観客、ファン、日本人など)は、それが当たり前のように錯覚してしまう現象が今起きている。

すでに一部の人は、イチローが活躍するのに飽きつつある。


毎年のようにイチローが黙々と淡々と、まるで精密機械のようにヒットを量産し、攻守にわたって活躍するため、その凄さ、その素晴らしさ、が薄れてきている。まるで水面にたらした一滴のカルピスのように、イチローの活躍は我々の意識の中で急速に溶け広がり、そして確実に薄まっていく。

このままではいけないと思う。日本人として誇りに思うべき存在のイチロー、そしてストイックなまでに陰で練習に打ち込み、人前でその血のにじむような努力は決して見せずに自分を追い込んできたイチロー…。

俺は想像の中でイチローをよく知っているから言えるのだけど、イチローは天才なんかじゃない。努力の人なのだ。メジャーでのイチローの活躍は、彼自身が野球というスポーツに人生を懸けて本気で取り組んできた証なのだ。

その鈴木一朗の人生がいま、飽きられようとしている。まあ!なんとなんということでしょう!なんだか泣けてくる。思わず泣けてくる。


そこで今回は、年々飽きられ、やがてヘソのゴマ以下の扱いになってしまうであろうイチローのために、次の時代を担うイチロー、即ち次世代イチローを考えてみました。この際だからはっきり言わせてもらうけども、これで間違いなくイチロー人気は安泰です。



1、出先で気軽にインターネット。球場のアクセスポイント、イチロー。

近年、B5ノートなどの小型軽量モバイルパソコンの急激な普及により、ビジネスマンを中心にパソコンを持ち歩く人が多くなっている。パソコンは使い方によって無限の可能性を秘めているが、利用者の要望として最も多いのはモバイル環境でのインターネット接続だ。

そこで、イチロー内部に無線LANのアクセスポイントを設置する。これにより、イチローの半径500メートル以内はホットスポット化され、イチロー本人の強い希望もあり、無料のスポットとしてのサービスが提供される。

これにより、球場でマリナーズの応援をしながらにして、自分宛のメールをチェックしたり、部長の気まぐれで急に決まった会議などの必要書類を作成し部長に送信する、などといったことが容易にできてしまう。

無料でネットやり放題の環境を求めて試合のチケットを買いあさる人も急増するため、試合の観戦チケットはいつも完売という喜ばしい事態も予想される。

さらに、これもイチローの強い希望により、マリナーズの対戦相手のチームのファンにもホットスポットが無料提供される。ただし、イチローが守備についていない攻撃時には、電波強度の問題で外野席では若干速度が低下する。

イチローのこれまで築きあげてきたサクセスストーリーに、新たにアクセスストーリーが加わることになる。



2、変幻自在のホワイトシャワー、乳ロー。(ちちろー)

この説明をする前に、まず次の物語を読んでほしい。

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「お客様の中にどなたかミルクをお持ちの方はいらっしゃいませんか?」

そんなに都合よくいるはずがない…。絶望的な感情を押し殺しながらも、キャビンアテンダントのヨウコは機内にアナウンスする。入社3年目。これまでにこなしたフライト回数は百数十回を越え、最近ようやく仕事に慣れてきたばかりだ。

ヨウコのななめ後方には、不安そうに客席を見つめる女性の姿があった。女性の腕の中には、生後三ヶ月くらいと思われる赤子が泣いている。状況からみて、赤子が泣いている理由は誰の目にも明らかだった。

場所は海上3万5000フィートの上空。時刻は午後3時。ボーイング744便は、順調にホノルル空港への航路を飛行していた。ただひとつ、子供が泣いていることを除けば。


母親が、手荷物の中に入れていたはずのミルクが哺乳瓶ごと無くなっていたのに気付いたのは少し前のこと。

どうして無いの?ねぇどうして…。母親はパニックに陥った。苛立ちと絶望がいり混じったような複雑な感情が彼女を支配し、何も考えられなくなる。もう何度も確認したはずの手荷物の中をまた確認してしまう。だがそこにあるべきものは、やはりない。

母親の焦りが伝わったかのように、それまでスヤスヤと寝息をたてていた赤子が突然泣きだした。予定しているミルクの時間まであとわずか。


「僕でよければ…。」

客席の後ろの方から声がした。皆がいっせいに振り向く。そこにいたのはたまたま機内に居合わせたイチローだった。

「僕でよければ…。」

皆に言い聞かせるようにもう一度イチローが言う。客のほとんどが、あのイチローだと気がついて機内が歓声につつまれる。しかし、彼がミルクを持っていそうな気配はどこにもない。大半の客はそう思い始めたのか、歓声で沸いていた機内が少しずつどよめきにかわる。

イチローはざわめく機内を片手を挙げて制すと、おもむろにTシャツをめくり上げ、親指と人差し指で時には強く、時にはやさしく、つまむように自らの乳首(右)を愛でた。一瞬静まりかえる機内…。誰もが息をのみ事の成り行きを見守っていた。

次の瞬間、まるでシャワーのように数筋の白い液体がイチローの乳首(右)から飛び出した。白い筋はゆるやかな放物線を描きながら多方面に飛び散り、イチローの乳首(右)周辺に白い霧の幕と小さな虹をつくる。

「最近ね、出るんですよ」

言いながらイチローは不敵な笑みを浮かべる。静まりかえっていた機内に再び大歓声が沸き起こり、赤子の母親は、いや、正確には母親になってまだ二ヵ月半の女性は、深いため息とともに安堵の表情を浮かべた。き…奇跡やで…。誰かがそうつぶやいた。


「(ジュースがわりに)たまに飲んでます」

その後マスコミの前でイチローが何気に言ったこの一言がその年の流行語大賞に選ばれた。

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性別の壁を超越し、母乳まで出る。ただ野球がウマいだけではもの足りない。次世代イチローは不可能をも可能にする。もはやスーパースターに死角なし。それがイチロークォリティ。



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佑ちゃん、その後。

2007-07-24 | 物語的なもの
今にして思えば、あの騒ぎは何だったのだろう。

甲子園の時に汗をふくためにたまたま使っていた青いハンケチーフ。それがたまたま甲子園の話題作りで使われ、たまたまマスコミで取り上げられ、自分が優勝候補筆頭校のエースであったことも手伝い、一気にブレイクした。

対戦校と様々な死闘を繰り広げ、数々の奇跡的なドラマを残して優勝。いつの頃からか、また誰が言い出したのかはわからないけど、「ハンケチ王子」と呼ばれ、ファンが殺到した。

マスコミは連日のように騒ぎたて、どこに行っても自分のファンで埋め尽くされ、何をしてても取材の日々。数ヶ月前までは考えられもしなかった生活…。

自分でも出来過ぎだなと思った。まるで毎日が夢の中を歩いているような、地に足がついていないようなそんな感じだった。これが本当に現実なんだ、と自分自身を納得させるのに半年の時間を要した。

青いハンケチーフは、一時期、ネットオークションで1万円を超えるほどの高値で取引され、それもまたお茶の間の話題となった。製造を中止していたハンケチメーカーも、あまりの人気のため、急遽、製造を再開するほどだった。

日本全国民が完全にハンケチ王子に沸いていたあの頃、ハンケチ王子がテレビに映らない日はなかった。

もっとも、ブームが去った今となってはそれも忘れてしまいたい過去の一つではある。


                   □


すぐに収まるかと思っていた「ハンケチ王子」フィーバーは、プロ入りを断り、系列の大学に進学してからも続いた。続いたというよりも、さらに加速したと言った方が適切かもしれない。

事あるごとにマスコミが大学に取材に訪れ、以前よりもファンの層も増えた。練習試合時などの時には、大学としては前代未聞でもある整理券を配るほどに人が殺到した。

苦手だった笑顔を作ることにも慣れてきた頃、東京六大学野球でも無敗で優勝した。


「自分がいるこの4年間は、この大学の黄金時代を築きます!」

新宿の街をなかば貸切状態にして行われた優勝パレードで調子に乗ってこんなことも言った。気分はまるで芸能人だった。自分はもともとこういう星の元に生まれてきたんだ、自分はスターなんだ。今の自分にできないことなど何もない、本気でそう思い始めたのもこの頃だった。

今にして思えば、この頃が一番黄金時代だったのかもしれない。


                   □


世間的にはクリーンで爽やかなイメージだったけど、実際は女はとっかえひっかえだった。いいなと思った女は必ず自分のものにしたし、声をかけるだけで女は皆ついてきた。

もともと何事にも凝る性格だったのもあって、体位にも神経質な一面を見せた。最初はノーマルの基本形。それに飽きるとノーマルの発展型。さらには変形型。そしてアブノーマルな体位へ。常に研究し、そして進化していった。

アクロバティックな体位にも何度も挑戦した。心のどこかで、「夜のテンコー」と呼ばれたかったという気持ちがあったことは否定しない。

今やすっかりトレードマークになった青いハンケチーフは、時には目隠ししたり、時には縛ったり、時には隣の部屋に声が漏れるのを防いだり、また時には自らパンツの中に入れて過激なモッコリを演出したりと夜には別の大活躍を見せた。



「佑貴、逆立ちだけはやめておけ。」

俺がアクロバティックな体位を研究していると聞いた野球部の先輩がこう忠告してくれた。なんでも、ピッチャーは肩が命だから、野球以外で肩を酷使せず、なるべく休ませてやれ、ということらしい。

今ならあの時の先輩が忠告してくれたことがよくわかる。そして、どうしてあの時、先輩の忠告を聞かなかったのだろう、と後悔する。けど、あの時の俺には、先輩の忠告はヒガミにしか聞こえなかったんだ…。


                   □


肩にピリッとした痛みが走ったのは、先輩から忠告された逆立ちでの体位を試してる時だった。それは肩に少量の電気が流れたようなシビレに似た感覚で、最初は気のせいかと思った。

「もう少し、もう少しでこの体位を体得できる…」

今にも体位をモノに出来そうな感じがしていて、その時の俺はこの逆立ちだけはやめられなかった。肩の痛みは、痛みと呼べるほどのものではなく、実際に、その後しばらくはなんともなかった。


次に痛みを感じたのはさらに半年後。今度は野球の練習中に肩にピリッと電気がきた。半年前、逆立ちしていた時と同じ痛みだ。それからは時々、ピリピリとしたかすかな痛みがくるようになった。すぐに治るだろう、とタカをくくり病院にも行かなかった。

一週間後、今度ははっきりとわかる痛みがあった。

グキッ!っと肩に鈍い音がした時、逆立ちからブリッジへと移行するオリジナル体位、「ハンケチスペシャル」の真っ最中だった。それは今まで感じた事のないような、まるで肩の関節が丸ごと無くなったかと思うほどの強烈な痛みだった。

「イタタタタタタ……うぐぐ…」

あまりの激痛のため、体を1ミリも動かす事ができず、当時の彼女と結合したまま救急車を呼んだ。

青いハンケチで自らの王子を隠し、彼女とガッチリと連結したまま運ばれた救急車の中で、必死に笑いを堪えながら目をそらす救急隊員を見て俺は悟った。ああ人生終わったなと。幸せの青いハンケチは地に落ちましたな、と。

救急車を共にした彼女とは以来会ってない。


                   □


これまでに何人ものプロ野球選手を現役の場に復帰させてきたスポーツ医学の権威でもあるドクターはレントゲンを見ながらため息をついた。

「この肩じゃあもう投げることはできないだろう…」

ドクターは続けてこうも言った。

「残念だが、野球はあきらめるしかない…な」



にわかに信じがたい話だった。そんなはずはない、と思った。

俺はスターだ。あの夏、甲子園を沸かせた伝説のエースだ。高貴な顔に似合わず気迫溢れるピッチング、華奢な体から想像もできないような伸びのある球に、縦に落ちる高速スライダー。

なみいる強豪校の強力打線をきっちりと抑え込み、勝てば勝つほど連投が続く甲子園をたった一人で投げきった奇跡の豪腕、強靭な精神力をかねそろえた稀代のエース。

そして、飛び散る汗を青いハンケチーフでふく甲子園の貴公子、そう……俺はハンケチ王子だ!!


気がついた時には俺はドクターに飛びかかっていたんだ。胸倉をつかみ、持ち上げようとした時にまた肩に鈍い痛みが走った。

「いつっ!」

強烈な痛みで俺はその場にうずくまった。


「こらこら。無理をしてはいかん。確かに、野球はもう二度とできないとさっきワシは言ったが、野球以外のスポーツに関しては否定はしておらんぞ」

ドクターはニヤリとしながら続けた。


「他にもできるスポーツはある。…例えばそう………ゲートボールとか…な。」


「ゲートボール…!?」


ハンケチ王子の目に希望の光が宿るのをドクターは見逃さなかった。

そして次の瞬間、ドクターは確信するのだった。コイツはいずれゲートボール界のトップまで登りつめるに違いない、と。


ハンケチ王子の人生の第二幕がいま、幕を開けた…。


つづく(続きません)



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これからののど自慢にはポロリ(乳)が必要。

2007-07-09 | その他
日本において、古来より日曜日の昼間の時間というものは、NHKの「のど自慢」である。古き良き日本人は、日曜日ののど自慢を何よりも楽しみにして生きてきたし、それを見るために生きている人も少なくない。

むしろ、のど自慢を見る事が生きがいになっており、のど自慢が見れるからこそ、こんな世知辛い世の中にでもしがみついていられる人もいるのではないだろうか。のど自慢は昔からお茶の間に温かい笑い(幸せ)を運んできた。

ここで、のど自慢の重要性を物語る貴重な意見を二つほど紹介したい。



北海道在住のヨネさん(71)

「アタシャね、のど自慢があるからこそ、憎き息子の嫁のネチネチとした嫌がらせにだってたえ忍ぶことができるんだよ。あの鬼嫁め。大事な大事な一人息子をアタシから奪っていったドロボウ猫め。ヤツ(息子の嫁)は、毎晩のように寿司の出前をとり、愛犬チワワには、超高級ドックフードを買ってくるくせに、アタシのご飯は今日もなかった。鬼嫁はニヤニヤしながらこんなことを言う。」


『あ~らごめんなさい。お義母さんは食べないかと思って…』


「ムきぃぃぃぃ口惜しい。天国のアナタ。ヨネはつろうございます。できることなら早くアナタのもとへ逝きたい…。それでもアタシャね、こんなこと言ったらアレだけども、のど自慢があるから頑張れるんだよ、のど自慢があるからね、息子の嫁の再三の嫌がらせにだって耐えていけるのよ。のど自慢があるから…」
(言いながらヨネは大粒の涙をこぼし、言葉を詰まらせた…)




都内在住の光江さん(52)は赤裸々に語る。

「主人がいまだに毎晩体を求めてくるんです。正直言って、アタシ体的にはもう全然そういうのダメで、ドン・キホーテで安売りしてたイチゴのローションつけて頑張ってはいるんですけどね、もう痛くて痛くて…。それでも主人は毎晩毎晩まるで野に放たれたケモノのようにアタシの体をむさぼり続けるの。

アナタ…お金あげるからお願いだから風俗に行って…。

前に主人にそうお願いしたこともありました。けどまったく聞いてくれなかった。主人も不器用な人なんです。主人とはお見合い結婚で、新婚旅行で行った熱海の旅館で初めて結ばれました。

あの時はお互い初めてで、どうしていいのかわからずに暗闇の中、お互いの肌の感触を確かめあいました。フフ、主人ったら焦って入れる穴を間違えちゃって…。今ではわざと間違えますけどね。

以来、主人は30年間アタシ一筋ですので、他の女性の体を求める勇気がないらしくて…。昨夜もギンギラギンにさりげなく猛り狂った主人のイノシシにアタシの体はメチャクチャにされ…。

けどね、痛いけど、辛いけど、精神的に壊れそうだけど…、アタシ頑張れるんです。だって少し頑張れば、日曜が来て、そしてのど自慢が入るんですもの。だからアタシ、頑張れるんです!」
(そう言う光江の目はキラキラと輝いていた)



こういった貴重な意見を聞いていると、のど自慢というものが、もはや日本人にとってなくてはならない生活の一部である、ということを改めて再認識させられますよね。まったく身も心も引き締まる思いです。

つまり、のど自慢がなければ、日本はそういった高齢の世代から徐々に崩壊の一途をたどると考えられるわけで、逆に言えば、のど自慢が日本の平和や、ひいては治安や秩序、和の心などを陰で24時間サポートしている、とも考えられるのだ。


のど自慢の視聴率は、今も昔も変わらず安定した数字で推移しており、一部専門家の間では、これだけ不祥事が続くNHKの受信料の未納がなんとか今の水準を保っていられるのも、ひとえにのど自慢があるから、とさえ言われている。

のど自慢はすでに我々の生活の一部として、さりげなく日常に溶け込んでいるのだ。


「カンカンカ~ン!カカカカカカン!」

少し間の抜けたオープニングの鐘の音が鳴り響く。おなじみのメロディにのせて、本日の出場者が入場してくる。お楽しみのゲストは五木ひろしと瀬川瑛子だ。全国のお父さんの鼻息も荒くなり、期待と興奮が徐々に高まってくる…。さぁさぁ皆の者!日頃鍛えたのどを自慢しあうがいい!宴、今、開幕。


しかし、ここで一つの問題があることに気付く。のど自慢が抱える深刻な問題…、それは前記した、二人のケースにも当てはまるし、なにより客席を見ていると一目瞭然でわかる。



客席の高齢化。

現段階で、のど自慢のもっとも重大な問題は高齢化であると考えられる。その証拠に、のど自慢を楽しみにしているというか、もはや生活の一部とまで考える生粋の「のど自慢フリーク」は、50歳以上がそのほとんどで、若い世代にのど自慢を愛する人はほぼ存在しない、というのが悲しいかな現状なのだ。

客席を見てもはっきりとわかるように、客席の年齢の割合は、50歳以上が8割、残り2割のうちの半数は出場者の応援で駆けつけた若者や子供、残りの半数は、年寄りについて来た孫といった割合である。


ここで今、のど自慢を楽しみに見ている世代が50歳以上、日本人の平均寿命を80歳と仮定した時、のど自慢に残された時間は多くても30年という計算式が成り立ってしまう。

つまり、現段階でのど自慢を楽しく見ている世代は、少なくとも残り30年でいなくなることになり、30年後ののど自慢の視聴率は、今のまま推移すると、ほぼゼロに近いものになると予想される。

のど自慢を存続させるためには、現代のお年寄りに変わる新しい若手世代が、引き継いでのど自慢を見なければならない、盛り上げなくてはならない、会場に足を運ばなければならない、という図式になる。

今の若い世代でのど自慢を愛している人はほとんどいない、というのは先にも書いた通りゆるぎもない事実である。これではもはや日曜日の国民行事とも言えるのど自慢の存続自体があやしくなってくる。

若い世代にも、のど自慢のよさが伝わればいいのだけど、今のままでは難しいものがある。そこで、少しでも興味を持ってもらうために、冒頭で書いたポロリ(乳)が必要になってくることは間違いない。

過去の歴史を紐解いてみてもわかるように、【ポロリもあるかもよ】的なサブタイトルをつけた番組は、視聴率がうなぎのぼりに急上昇することは間違いない。


のど自慢でありながら、毎週、巨乳な一般人の女の子が多数登場。歌と歌の合い間に、水着で騎馬戦を繰り広げる。

当然ながら、そこにはまことに不確定ではあるけども、ポロリ(乳)の可能性が同居する。巨乳の女の子どうしの真剣な戦いなものだから、可能性はあくまでも未知数だが、かなりの高確率でポロリ(乳)が発生することは否定しない。


次世代ののど自慢を支えるとされている比較的若いお父さん世代(30歳後半~40歳代)は、働き盛りであると同時にポロリ(乳)に弱い半面を併せ持っている。

特に、性欲を余すことなく残しつつも、女性との絡みがほとんどなくなってくる40代の中年世代には、このポロリ(乳)の刺激は麻薬のように体に浸透していく。一度見てしまうともう止められなくなる。水系のモンスターにサンダーが効果テキメンなように、30~40代にはポロリが効く。ガツンと効く。

今まで難しくて見向きもしなかったDVDなどのディスクを利用した録画方法を急に覚えるようになる。テレビ録画できるパソコンやDVDレコーダーが爆発的に売れ、家電業界も便乗して盛り上がり、経済が発展し、世の中が好景気に沸くかもしれない。


ただ、毎回ポロリ(乳)があるわけではなく、たまに驚くほど全くないときもある。しかし、それが逆に世の中の中年達に良い刺激をあたえ、期待という炎を燃え上がらせることになる。

一家の大黒柱である、中年のお父さんがのど自慢を見るようになれば、テレビが一台しかない家庭は必然的に日曜日は、のど自慢を見ることになる。小学生の男の子は、父と一緒に乳を見ることになる。

これらがすべてよい循環となって世間に浸透する。やがて世代が変わってものど自慢は時代にあわせてその形態を少しずつ変え生き残っていくだろう。


そしてそれがすべての日本人を幸せにしていくのです。



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万引きGメンについて考える。

2007-06-15 | 考えるシリーズ

万引きの手口は次々に巧妙になっていく昨今において、すでに現職の万引きGメンの力だけではどうしようもない事態に発展してきている。

一昔前であれば、スーパーなどで年寄りが1200円の中トロ刺身と甘エビのパックなんかをサクッと手持ちのバッグに入れ、何食わぬ顔で安物の買い物をして店を後にする、といったいわゆる一つの【ベタな万引き】が世間の流行だった。


しかし、現代ではどうだろうか。


万引き犯は複数で連携するようになったり、走りながら万引きGメンを翻弄する確信犯的な万引き犯もいたりするのです。さらにはまだ幼い子供をダシに使い、店員が子供に気をとられているうちに万引きをしたり、または子供に万引きをさせたり、という悪質な手口も実際にあるのです。


手口は年々凶悪化の一途をたどり、最近では、万引きGメンがいるということを既に想定してスーパーに来店し、あえて万引きしているように見せかけ、Gメンの誤認を理由に店側に金銭を要求する、といった極悪な犯罪まであるのです。


まったくなんということだろうか!

これには開いた口が塞がらない。あまりにも塞がらないので病院に行ったほどです。実に嘆かわしい事態です。これじゃおちおちスーパーを経営できやしない。

そこで今日は、恐ろしくて夜はスーパーを経営できない!という経営者の方々のために、不肖わたくし、さとが万引きGメンの今後あるべき姿について考えてみました。これを読んでいる経営者の方は是非参考にして下さい。



1、マンツーマンGメン。

やはり年々巧妙になってくる万引きを防ぐためには、一店につきGメン2~3人では少なすぎる。

ただでさえも最近のスーパーは一昔前のスーパーと違い、とにかく広いのだ。そんな広い店舗で、万引きGメンが2~3人くらいではどうしても死角ができてしまうのは当然ではないだろうか。

そこで、客一人につき一人の万引きGメンが対応するマンツーマンGメンだ。

スーパーの入り口には、買い物カゴとカートがまとめて置いてあるゾーンがあるが、そこにGメンも待機する、ざっと150人くらい。

待機しているGメンは、客が来店すると、その客の斜め後方45度の位置につき、あまり目立たないようについてゆく。Gメンは、客が万引きしないように注意深く見張りながらも、客のカゴを持つ事を忘れない。まあ召使のようなスタンスだと思ってもらって間違いない。


「豆腐はどこかしら?」

「その角を右に曲がって三番目の棚です」

不意のマダムの問いかけにも即座に対応。店内を熟知しているGメンだからこそできる芸当だ。マンツーマンGメンは店内の案内役(ナビゲーション)も積極的に引き受ける。森でいうところの「森の番人」のようなものだと思ってくれて間違いない。

さらには買い物をしながら、主婦達の今日の夕飯メニューから家庭内の悩み事、または最近すっかりご無沙汰な夜の性生活まで幅広く親身になって相談にのることもある。希望者にはオーラの色も見てくれる。




2、通せんぼGメン。

万引きを防ぐためにはやはり防犯カメラの導入が欠かせない。常にカメラが見張っているという事実は、万引きそのものを抑止する効果も発揮する。しかし、防犯カメラはどうしても設置場所や配線の問題、設置台数、コストの面でどうしても限界がある。

そこで、防犯カメラの死角にあたるすべての部分に通せんぼGメンが仁王立ちするのだ。カメラの死角部分には、完全通せんぼの形で行かせない。当然そこに陳列している商品を買うことはできなくなるが、万引きを防ぐためにはこれも仕方がない。大事の前の小事というわけだ。

「あそこにあるお醤油を買いたいのですが…」

「我慢してください」

不意に話しかけてくるお年寄りにも即座に対応。通せんぼGメンに死角なし。




3、万引き斡旋(あっせん)Gメン。

店内をくまなく歩き回り、あやしい客を特定するところまでは通常の万引きGメンと同じだが、あやしい客を特定してからが万引き斡旋Gメンの腕の見せどころだ。

「あっ、いいですねそれ。どうぞどうぞ、手にとって見てください。重いでしょ。なんだったらカバンに入れちゃってくれてもぜんぜん構いませんよ。そのまま店を出れば多分バレませんから。ここね、アタシ知ってるんですけど、けっこう警備薄いんですよ」


万引き斡旋Gメンはさらに続ける。


「それにね、スーパーには、あらかじめ万引きと破損についての予算が別で組まれているので、多少の万引きであれば、想定内の出来事ということでそれほど気にもとめられないんですよ。店長も言ってました。スーパーには万引きはツキモノだって。ですから、どうぞお気になさらずに…」



発想の転換。あやしい客に、逆に万引きを勧めるのだ。これこそ人間の心理を逆手にとった究極のGメンだ。

普通の人間であれば、例え万引きしようとして店に来ていたとしても、それをとがめることなく逆に勧められると非常にやりづらいものだ。

万引きとは通常、個人、または志を同じとするグループ内で行われる闇の行為であり、第三者から明るく見守られると非常にやりづらい。

さらに人間は、会ったばかりの他人をそう簡単に信用することはできない動物なので、いきなりそう言われてもハイそうですか、などとカバンに入れることなどできない。まずはこの人は何者か、などと疑ってしまう。

ごくたまに、「ではお言葉に甘えて…」などと、本気でカバンに入れてしまう張飛のような豪胆な性格のマダムもいるでしょう。

しかし、万引き斡旋Gメンの目の前で商品をカバンに入れる事になるので、誤認の可能性は皆無だ。自信をもって店外で声をかけられるという100%確実な万引きGメンだ。

ちなみに無用の混乱を抑えるため、店外では斡旋したGメンとは別のGメンが対応する。



いかがでしょうか。スーパー経営者のみなさん。これらの案を参考にして、または導入するなど検討していただいて、是非、万引きの撲滅につとめていただきたい。


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一度は言ってみたい一言を考える。

2007-05-19 | 考えるシリーズ
「この試合、俺は必ずホームランを打つ。だから君も頑張れ!」


人間として生まれてきたからには、誰でも一度は言ってみたい一言がある。俺の場合、この冒頭の言葉がそれにあたるわけで、この言葉に強く憧れを抱かずにはいられない。この気持ち…もはや辛抱たまらないのです。

誰でも簡単に言えるかといえば決してそうではなく、この言葉を言うにはそれなりの人生を歩んでなければならないわけで、すでに俺にはその資格はないのです。


ここで例えばこんな話を妄想する。そして俺は妄想の登場人物に感情移入する。


*****************************************

太郎は生まれつき心臓が弱かった。太郎が生まれた時、医者は太郎の両親に言った。「このままでは10歳まで生きられない」と。

それから太郎の心臓に負担をかけない生活が始まった。まず基本的なことで走ることは厳禁。どんな時でもゆっくりマイペースで歩き、どんなことにも心を乱さないように家族ぐるみで気を使う毎日。

心臓の負担を考えると、太郎は友達と遊ぶこともできず、普通の子供のように走り回ることすら出来ない生活を余儀なくされた。心拍の上がるようなものは全て禁止で、緊張することもできず、興奮することすら許されず、太郎は感情を意図的にコントロールすることで心臓への負担を最低限にし、今日まで生きてきた。

そんな太郎だが、唯一の楽しみがあった。それはテレビのプロ野球観戦。父親の影響で、野球を見るようになり、テレビの中を所狭しと走り回るたくましいプロ野球選手に強い思いを馳せた。

医者はプロ野球観戦も興奮することで心臓に負担をかけるので良くないと指摘した。しかし、太郎の両親は幼い太郎に、せめて生きる希望を与えてたい、夢を持ってほしいという想いから、極度に興奮しないことを条件に野球観戦だけは許していた。




「もういつ心臓が止まってもおかしくない状態です…」

太郎が12歳になった時、担当医はそういった。それを聞いて両親はその場で泣き崩れた。ああ太郎…太郎…たろう…。

「一つだけ太郎君を助ける手があります…」

担当医は心臓移植を勧める。それを聞いた両親はワラをもつかむ勢いで太郎の心臓移植を決意する。事実、太郎が助かるにはそれしか方法がなかった。

しかし、適合する心臓のドナーはそう簡単には見つからない。太郎は病院に入院し、安静にしながら来る日も来る日も祈るような想いでドナー提供者を待ち続けるのだった。


                     □


「今日も沈城選手出ないのかな?」

昔から太郎には気になる選手がいた。それは日本生ハムの沈城外野手。物心ついた時からテレビの野球中継しか見たことのない太郎の人生は、大好きな沈城選手との歴史でもあった。

太郎は沈城選手の活躍を見ることで生きる希望を得てきた。沈城選手が大活躍する、そして日本生ハムが勝利する…。太郎がまだ五歳だった頃、日本生ハムは、三年連続日本一という偉業を成し遂げたことがある。絶好調だったチームの中心にいつも彼はいた。

ヒーローインタビューの壇上に上がる沈城選手はいつも輝いていた。カメラのフラッシュのせいではない。沈城には天性のスター性があった。万年最下位で、選手にやる気も活気も無かった日本生ハムに野球をすることの楽しさを肌で示し、ついにはチームを優勝するレベルにまで引き上げた。

自分達が楽しめる野球。そしてファンを楽しませる野球。それが日本生ハムの、いや沈城自身の野球理念でもあった。そして野球を心から楽しむ沈城選手に、太郎は自分自身を重ね合わせることで元気をもらってきた。




そんな絶好調だった沈城選手のバットから快音が消えたのはいつのことだっただろうか。チームが三年連続三度目の日本一を成し遂げた後、それまで溜め込んでいた三年分の疲れが一気に噴き出したかのように打たなくなった。打てなくなった。

テレビやスポーツ新聞などでは様々な憶測が流された。引退説、持病の腰痛説、または芸能界入り説。しかし、当の沈城は何も語らず、ただ黙々と現役を続けた。淡々と試合を消化してきた。しかし、すでに35歳になる体は若い頃のように軽やかには動かなかった。

打率は下がる一方で、それに追従するかのようにチームの成績も下降線をたどっていった。


引退時期を逃した選手…


いつの頃からか、巷で沈城選手がそうささやかれ始め、やがてスターティングメンバーから沈城の名前が消える日が多くなっていった。

テレビから沈城選手の姿が消えても、太郎は沈城選手を求め続けてきた。太郎にとって沈城選手は、もはや自分以上の存在だったのだ。例え活躍ができなくても、太郎にとっては今も昔も沈城選手は沈城選手なのだ。

太郎は沈城選手に手紙を書いた。読んでくれるとは思っていない。けれど精一杯自分の気持ちを書いた。がんばってください。いつまでも応援しています…と。


                     □


ユニフォームを脱ぎながら沈城は考えていた。

今年で40歳、もう若くない。すでに同期の選手達では現役はいない。野球解説者になった者、バラエティタレントになった者、焼肉屋をオープンさせた者、監督、コーチになった者。みんな第二の人生を歩んでいる。

昔のように豪快なスイングなんてできない。腰痛は毎年悪化の一途をたどり、以前クロスプレーで激しく顔面を強打したことで右目の視野が狭くなった。監督や選手達には内緒にしているが、いまや右目はほとんど見えていない。

そんな絶望的な中、毎年引退をささやかれ、現在までズルズルと選手生活を続けてきた。けどもう限界だ。今日の試合でつくづくわかった。

九回裏、ツーアウト満塁、一打サヨナラの場面での代打。最高の舞台だと思った。こんなチャンスはもうめぐってこないだろう。

バッターボックスに向かってゆっくりと歩きながら沈城は思っていた。この最高の舞台で打てないようであれば引退しよう…。この大事な場面で自分を指名してくれた監督の期待に応えられないようであれば引退するしかない。

結果は三球三振。球が見えない。やみくもに振ったバットはむなしく空を切った。相手投手のガッツポーズを見ながらその場で座り込む。野次が飛ぶ。座りながらバックスタンドを眺めた。あんなに遠かったっけ。そうか、遠い…な。うん、引退しよう。




「そういえば、沈城にファンレターきてたぞ。こりゃ子供の字だな。」

着替えを終えた沈城に、不意にコーチが手紙を持ってきた。昔は毎日ダンボール一箱分ものファンレターをもらっていた。今ではファンレターが届くこと自体が珍しい。こんな自分でもまだ応援してくれる少年がいるのか…。引退を決意した自分に届いたファンレター。沈城は少し複雑な表情で手紙を開いた。


                     □


太郎は病室でうつむいていた。手術は今日の夕方に決定した。探していた太郎の心臓のドナーが見つかったのだ。

手術の成功率は50%。助かる確率は半分しかない。

怖い。手術が怖い。もう二度と目覚めないかもしれない。ドナーは生きる希望でありながら、危険な賭けでもあった。しかし手術しなければどちらにしても長く生きられない。

人生初の大手術に怯え、太郎はすっかり正気を失っていた。怖い。怖い。今にも泣きだしそうな目で虚空をみつめ太郎は手術の無言の恐怖にうち震えていた。

コンコン

ノックの音がする。まだ手術には早い。誰だろう。

「失礼するよ」

ドアを開けて入ってきたのはなんと太郎の憧れの選手、日本生ハムの沈城外野手であった。


*****************************************


とまあこんな話があったとして、病室に入ってくる沈城選手を見て、太郎は大興奮なわけですよ。それこそ大事な心臓移植手術を前に心臓終わらす気かってくらいに大大大・・・大興奮なわけです。ダメ!心臓止まってしまう。

太郎の手紙で逆に勇気付けられた沈城は、引退はもう少し先延ばしにして最後にもうひと踏ん張りしようと、試合前に球場を少し抜け出して太郎に会いに来たのです。

ちょうど太郎の手術予定時間と沈城の試合が重なるこの日、沈城は久しぶりにスターティングメンバーに名前を連ねていた。沈城はここで太郎に男と男の約束をする。


「この試合、俺は必ずホームランを打つ。だから君も頑張れ!」

ここで冒頭のこの言葉が炸裂するわけです。ああ、なんてすばらしい響きなんだろう。結果はどうあれ、言った時点で人生の勝ち組ですよね。言ったもん勝ち。


ちなみに太郎の心臓の手術は大成功でした。その後元気に生きてます。

沈城は結局南極、全打席三球三振。見事にカスリもしない散々な結果ではあったが、せめてファンを楽しませようと、ゴジラのかぶりモノで最終回の守備についたが、それが逆にファンの心を逆撫でしてしまい、スタンドから生卵をぶつけられて、球場全体を敵に回して罵声の中、去って行きましたとさ。


それでも勝ち組なわけです。



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健康診断へ行く。

2007-05-08 | 日常生活

毎年俺は、ただでさえ酸っぱい口をさらに酸っぱくし狂って言い続けているのですけど、四月と言えば「健康診断」なんですよって事。誰がなんと言おうと「健康診断」以外思い当たらない。

健康番組の視聴率が好調なように、健康に気を使うという事はもはや国民の最大の関心事でもあるのです。ウソだと思うなら人通りの多い交差点のど真ん中で「健康!健康!健康!わーーー!!」とか叫んでみるといい。

世界の中心で健康を叫ぶ。おそらく道行くほとんどの人が振りかえると思います。少し好奇の目をしてアナタのことを見ているのはきっと気のせいだと思います。国民の健康に対する関心はとにかくそれくらい凄まじいということです。

国はいい加減「健康診断記念日」というものを作るべき時期にきています。ただ残念なことに、お偉いさんはその辺の事情があまりわかっていらっしゃらないのかな。なんせ我々庶民とはどこか感覚がズレているものですからね。


春の陽気に包まれながら、そっと診察に身をゆだねる。視力、聴力、身長、体重などデフォルトな測定をへて、尿検査、血液検査、レントゲン、心電図など流れに逆らわず移行する。最後は経験豊富な内科医じきじきの診察と対話。心が躍りますよね。まさに日本の心。和心ここに極まれり。

まあ、俺は物心ついた時から背中にある出っ張った骨のことをずっと「健康骨」だとばかり思っていたほどの健康マニアなものですから、とにかくこの健康診断が楽しみでならない。健康診断の前の日の夜なんて、もう目なんて血走ってますからね。

尿検査で淡白が出るといけないので、3日以上前からオナニーを厳禁とし、血液検査のために前日の夜9時以降は水以外いっさい口にしないため、健康診断の前の日の夜は空腹と興奮で夜も満足に寝られやしない。そういう意味で目とか血走ってる。

だがそれがいい。その苦しみこそが健康診断の醍醐味でもあるし、苦しみを乗り越えたその先にあるもの、自らの肉体の限界を追及していく過程の中で生まれるどこか尊いような感覚、それこそが健康診断にの臨む者のステータスを高めてくれる。もはや健康診断とは、単純に健康を診断するためだけの場ではないということだ。



まあそんなわけで、俺は鼻息も荒く病院へと出かけたのです。

「それじゃさとさん。コレお願いします」

丸々と太った看護師に手渡される検尿用の紙コップ。受付を済ませて待合室の席に座る間もなくいきなりですからね。心の準備も何もあったものじゃない。

どうやら彼女が今回の健康診断の担当看護師らしいのだけど、どっちかといえば彼女の健康の方が気がかりだ。ハフハフいいながら額とか汗ばんでたし。それにしてもいきなり尿検査なんてハードすぎる。

なにしろまだ病院について3分と経っていないのに、いきなり目盛のついた安っぽい紙コップ渡してきて「尿を採ってこい!」ですからね。上から目線にもほどがあるというものです。がっかりですよ。俺としてもさすがに失望を隠せなかった。

俺がウルトラマンならまだまだ地球で活動できる時間帯ですよこれは。それなのに、休む間もあたえずにギブミー小便ですからね。どんだけ飢えてんだ。せっかちなスカトラーでもこんな理不尽な要求してこないですよ。

まあ俺だってこんなことは言いたかないですけどね、病院に来る直前にうっかり会社のトイレで小便してきちゃってますからね。とてもじゃないけど出る気がしないのですよ。

真の看護師であれば、俺のオロオロと焦った目を見た時点に、尿が既出であることに気が付いて「今日はやめときましょう」なんて暖かい言葉のひとつくらいかけてもよさそうなものですがね。オロオロする俺に彼女は言いました。

「あっ…トイレね、そこの角曲がったとこですから」

気付くどころか、あくまでも俺の尿を欲する看護師。残念ながら彼女が無能であることはもはや言うまでもないだろう。そこまでして俺の尿が欲しいのか。そのハングリー精神はタイのキックボクサーに通じるものがある。

まあなんだかんだいって、俺も頼まれると嫌とは言えない性格ではあるし、彼女のあまりの押しの強さにやられましてね、とりあえずトイレに行って出すだけ出してみました。

10分くらい粘って搾りに搾った結果、わずか5滴。ドモホルンリンクルか。俺が尿検査する側の人間だったなら間違いなく怒り狂うと思う。この尿の量は人生ナメてるとしか言いようがない。

まあ結果はどうあれ、俺だって俺なりにやるだけのことはやったと自負している。あとは検査をする側の腕のみせどころだろう。


一番辛かった尿検査を終えた俺は、まさに水を得た魚のように病院内を軽やかに行き来し、順調にその他の診察を終えました。最後はお待ちかね、内科医の診察です。

「ええと、気になる症状はありますか?」

「いえ。特にありません。」

「じゃ聴診器当てますのでちょっと胸見せてください」



ここで毎回俺は思うのだけど、聴診器ってなんだかエロいですよね。あのピトピトと吸い付く感じとか特に。微妙なひんやり感とかも、ワザとやってるとしか思えない。

俺の性感帯を知り尽くしているかのようにピンポイントで聴診器を当てながら胸の鼓動を聞く医師。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が荒々しくなるのが自分でもわかる。落ち着こうと思えば思うほど、まるでその意に逆らうかのようにヒートアップする俺の心の臓。

「すいません。ゆっくりと深呼吸してください」

この医者。知ってか知らずか、俺の性感帯を余すとこなく順繰り責めておいてコレですからね。逆ギレに近いものがある。まったく内科医というものは恐ろしい人種ですわ。

「じゃそこに横になって下さい」

道具を使って俺の性感帯を弄ぶことに飽きたのか、今度は自らの手で俺を辱めようと身を乗り出す内科医。そこから先は何気に地獄でした。

わき腹をグイグイ押されたかと思ったら、次は腹の中心くらいのところを指で押してくる医師。その時のくすぐったさといったらもうこの世のものとは思えない。

「ウヒョヒョヒョ…」

エビのように身をよじって逃げる俺に、医師は言い放った。「ちょっとわからないので力入れないで下さい」と。


「じゃ力入れさせないで下さい」


せめてもの抵抗。遅咲きのレジスタンス。初めて医師に抵抗を見せた31歳の春、またひとつ大人になった。



「まあ…大丈夫ですね…」

反抗された医師、ちょっぴりやる気なくして妥協した。少し言いすぎたと反省した31歳の春、またひとつ大人になった。



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常識と非常識を考える。

2007-04-24 | 考えるシリーズ
ウチには嫁っていうかなんていうか鬼がいます。

まあ鬼がいますっていうのもなんだか人聞きが悪い気がするしみなさまに俺の人格を疑われるとアレなんで訂正しますが、鬼が一匹います。


この鬼は俺に対して事あるごとに怒ってます。 噴火してます。

だらしないだの、朝起きないだの、臭いだの、臭いだの、臭いだの、加齢臭が臭いだの、彼女が怒る要因は実に様々です。

他にもよく怒られることがあって、鬼が言うには、俺は世間一般に言われるところの常識というものを知らないそうです。


「そんなの常識でしょ! このワニ野郎!」


なんて語尾にこう言われて辱めを受ける事もたまにあり、その度に夜な夜な加齢臭で臭いたつマクラを濡らすのです。

そこで、今回の日記は常識とそれに相対する非常識ということについて少し考えてみようかと思います。題して「常識と非常識の狭間」です。


あくまでもこれは浅知恵的な考察であり、世間一般で言われるようなモノとは少しズレているかもしれませんが、その辺はサクッと大目に見て下さい。それではどうぞ。



******************************************

常識をとことん突き詰めていくと実は非常識だったりします。

逆に非常識だと思っていることが、実際は常識だったといった事も世の中には十分あり得る話です。

よく「そんなの非常識だ。」 といった嘆きに近い意見を聞くことがありますが、何をもって非常識と言うのでしょうか。


世間の大人な方々は、我先にと常識という言葉を使いますが実際のところ常識とは一見決まっているようで実は何も決まっていないような浮付いたモノのように思えるのです。

なぜなら、常識と言うものが、その時代の流行やニーズによって微妙に変化する可能性があるからです。さらに付け加えると、個人の考え、育ち、周りの環境などによっても常識は変化します。


物心ついた時から、便座に座って小便をする事を教えられた男の子は、立ち小便をすることが出来ないそうです。 その子にとって、小便は座ってするのが常識であり、立ってするのは非常識にあたるのです。

逆に小便は立ってするものだと言われて育った俺は、座って小便をするなんてとても出来ません。 俺にとってみれば、ウンコ以外の時に便座に座るのは非常識ということになります。


ウンコつながりでもう一つ例を上げます。


ウンコをする時、どこでしますか?

便器でウンコをすることを常識と捉えるならば、野外でウンコすることは非常識だという考えに至ります。

ですが、ウンコがしたくてしたくてもう辛抱たまらないのに、近くにトイレが無い状況の中、山の中を彷徨っている。

そして片手にはなぜか箱ティッシュを持っている・・とくれば、その時、その人、その状況を考えるなら、その時限定で、野外放出も常識の範囲内であると思えるのです。玉裏でも蚊に食われてしまえばいいんじゃないかな。


もう少し掘り下げて考えてみます。


ここに性格の違うA君・B君・C君・D君といった四人の過激なオナニストがいます。 彼らが四人でオナニーについて激論を交わすと仮定します。


A君は熱く言い放ちました。

「オナニーは左手でするべきだ。利き腕じゃない手ですることにより、まるで女性にでもしてもらっているような錯覚を楽しむことが出来る。」


すかさずB君は唾を飛ばして反論します。

「いや、オナニーは手先が器用な利き腕でやるべきだ。そのほうが微妙な力加減がやりやすく、それでいて動きの変化を付け易い。」


それを受けてC君も激を飛ばします。

「アイヤー、二人ともそれ古いアルよ。今時のオナニーはローション使うアルよ。これ常識ネ。ぬるぬるいい感じヨ。」


それを先程から押し黙るようにして聞いていたD君は、ついにその重い口を開き、三人に向かってこう切り出しました。


「オナニーって壁で擦るものじゃないの?」



C君だけ一昔前の中国人みたいなキャラ設定ですが、彼も日本人です。 変化を付けたかっただけで、意味はありません。


ここで注目してほしいのですが、この四人の言ってることはそれぞれ違う意見ですが、彼らにとってみればこれはそれぞれが常識だと言うことです。

D君の視点でものを考えるなら、A君、B君、C君の論争は全く別次元の考えだということになるのです。

逆に、A君、B君、C君サイドから物事を考えるとD君はなんとも非常識だということになります。ここで一つ問題が生じます。


どちらが一般的常識ですか?


この場合に世間一般では、A君、B君、C君の意見の根っこにある部分、つまり 「オナニーは手でするもの」 という共通の意見が常識となるのです。

こうなると、D君式オナニーはとっても非常識になるのです。「このワニ野郎!」 と言われるのです。

A君、B君、C君、D君をこの世の中の様々な事柄に対する縮図だと考えれば、一般的な常識というものは、結局のところ多数決により決まるものなんだという結論に達するのです。

そんな多数決ごときで、常識・非常識なんて差別的な枠を作るから俺が鬼に怒られるのですよ。 非常識でもいいじゃないですか。個性があっていいじゃないですか。

それでも、非常識って罵られるとなんか人間でないような気さえします。そこで俺は気付いたのです! いやむしろ気付かされたのです。


そうか。 呼び方が悪いのだ。


と。そこで俺は考えました。知恵熱で部屋の温度が1度あがるくらいに思案を巡らせました。 こう言うのを熟考っていうのかな。

常識・非常識にとって替わる新たな言葉が無いものか・・と1分程もだえ苦しみ、壁とかカリカリと爪で掻き毟りながら考えました。


これからは浅知恵的にこう呼ぶことにします。


・ 常識   ・・・ 多数派オナニー猿
・ 非常識  ・・・ 希少価値のあるオナニー猿


これは希少価値という語句を挟むことにより、なんだか逆に価値の高いものだと錯覚した挙句、なにやら守ってあげたくすらなる母性本能をもくすぐるといった究極の言葉です。

これでD君も母性本能をくすぐられたマダムあたりから守られることでしょう。 そして喜ぶことでしょう。 D君の喜び、それ即ち俺の喜びでもあるのです。


さっそくこれを使用して、冒頭の文章を入れ換えてみましょう。


「そんなの希少価値のあるオナニー猿でしょ! このワニ野郎!」



なんだか逆にショックです。



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むかしむかしの犬の話。

2007-04-16 | その他
我が家に犬がやってきたのは、確か俺が小学校2年くらいの時だったと思う。この犬は、親戚から譲り受けてきた2歳のオスの雑種で、名前をゴロといった。

この時期の子供というものは、たいてい何か動物を飼いたがるものだ。当時の俺も同じで、犬を飼いたい、と両親に駄々をこねた。母親は、汚いからという理由で猛反対した。親父も反対だった。俺に世話できるはずがない…これが主な理由だった。

反対する両親を子供独自のゴネパワーで押し切り、「俺がすべての面倒をみる」という固い約束のもと、しぶしぶ了承を得ることに成功した。

残念ながら、その固い約束が守られることはなかった。献身的に面倒をみたのはせいぜい三ヶ月くらいなもので、その後ゴロの世話は、家族の分担になることとなった。けど、いつの間にかゴロは家族全員から愛されるようになっていた。最初は猛反対だった母親が一番可愛がっていたように思う。


今にして思うとゴロはまったくおとなしい犬だった。犬らしさがまるでないという形容がピッタリで、ほとんど吠えたのをみた事がない。とにかく温和で、どこか臆病で、誰にでもよくなついた。近づくとワンワン吠えて狂ったように走りまわる友達の家の犬を見て、犬にもそれぞれ性格があることを知った。

散歩に行く時だけゴロは犬の片鱗を見せた。リードを見た瞬間からとにかく興奮して大喜びで走り回り、リードに繋ぎかえるのに苦労したものだ。実家は田舎だったもので、面倒な時は時々リードなしで散歩することもあった。

実際ゴロは臆病な性格なので、リードなしでも全く問題なかった。歩いている俺のそばを片時も離れようとしない。普通の犬なら色々なところに興味を示し、どこか遠くのほうまで行ってしまいそうなものだけど、ゴロはせいぜい俺の半径5m以内をウロウロするばかりだった。そして何度も俺の姿を確認して安心する。

一度だけ、ゴロがよそ見をしているうちに、付近にあった車庫の陰に隠れた事がある。少しして車庫の陰からソッと様子をうかがうと、そこには本気で焦るゴロの姿があった。キョロキョロと注意深く辺りを見回し、明らかに挙動不審になってた。犬なんだから飼い主くらい匂いでわかりそうなものなのに、その辺の能力はあまり無いらしかった。

ゴロは泳ぐことも上手ではなかった。当時は、「名犬ラッシー」というテレビドラマが大ブームで、その影響もあってか、犬は普通に泳げるものだと思っていた。テレビの中のラッシーはとても頭がよく、飼い主のピンチの時にはよく川とかを泳いで渡ったりしていたのだ。

ラッシーのようになってほしかった俺は、嫌がるゴロをよく近所の公園のプールに連れて行った。プールといったら聞こえはいいけど、実際にはヒザ上くらい深さで、雨水混じりの水が溜まっているだけの簡易プールだった。

俺は水に入ることに激しく抵抗するゴロを無理矢理水の中に投げ入れた。時には自らヒザまくりして入り、水の中からゴロを引っ張ったりした。ゴロはもてる力を最大限に発揮して抵抗する。俺も子供ながらに最大限の力を発揮して引っ張り続ける。そして強引に水の中に引きずり込む。子供と犬の全力の綱引きは連日繰り返された。

水の中でごぼごぼと溺れそうになりながら暴れるゴロをみて、俺は「泳げ!泳げ!」と叫び続けた。どんな熱血だ。まったくもって迷惑な話である。そんなこと言われて喜びそうなのは、たい焼き君くらいなものだ。当然ゴロは苦しそうに叫びをあげる。

トンボの羽をむしるように、アリの巣を爆竹で破壊するように、子供の頃は時としてこういった残酷な事を平気でするものだ。これは残酷というよりも純粋に興味があるというレベルの思考で、まったく計算のないストレートな感情だ。

当時の俺も決して残酷だと思っていなかった。とにかく名犬ラッシーのように泳げるようになってほしい…純粋にその一念しかない。

かつて名犬ラッシーがそうであったように、火の不始末からボヤがあったとして、それをいち早く見つけて川を渡って知らせに来てほしかった。ちなみに実家のそばには川はないし、ボヤを知らせられても小学2年の体には消火にあたる力も行動力もない。


結局ゴロが泳げることはなかった。多分少しずつ水に慣らして、徐々にゆっくりやれば泳げるようになったのだろうと思う。当時子供だった俺はまったくバカで浅はかで、このような考えなど微塵も持っていなかった。一週間くらいで泳げるようになるハズ、という根拠の無い自信はもろくも崩れ去った。

そうこうしているうちに、俺の中でラッシーブームは去り、ゴロも普通に地上を歩けるようになった。


                   □


ゴロが死んだのは、俺が高校2年になった秋ぐちのころだったと思う。

ある肌寒い日の朝、前日まで何事もなかったように生きていたゴロは突然死んでいた。死ぬ一週間くらい前から、なんとなく元気はなかったけど、特に目立った異常は見られなかった。

死因はわからなかった。いつも臆病で温和だったゴロの死に顔は、決して穏やかなものではなかった。クサリを激しく噛みながら絶命していたその姿は壮絶で、夜の闇の中、ひとり孤独にもがき苦しみながら死んでいったことを雄弁に物語っていた。

どういった経緯でゴロがクサリを噛んでいたのかはわからない。けれど、俺にはこの痛み、苦しみから逃れようとしてクサリを噛み切ろうとしたように見えた。牙をむき出しにしてクサリに喰いついているその顔は、やさしかったゴロが最初で最後に見せた野性の顔だった。



ゴロがいなくなってからもしばらくは小屋は残したままだった。なんとなく片付ける機会を失ってしまい、一ヶ月くらいそのまま置いてあった。今にもその小屋からゴロが出てきそうな気がして何度も通るたびに見たけど二度とゴロが出てくることはなかった。

やがて小屋も撤去され、小屋を中心にクサリの円周上に10年間ゴロが何度も往復してつけた歩き溝だけが残された。その溝だけがゴロが生きていたことをいつまでも証明していた。


以来、実家で犬を飼うことはなかった…。もう一匹犬を飼おうか、と俺は言ったけど、母親は10年前とは違う理由でかぶりを振った。

もうこの悲しみを味わいたくないから…。

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ゴロが死んでもう十数年。どうして今になってこの話を書こうと思ったのかはわからない。ただなんとなく書きたくなった。今までゴロのことを思い出したことはあまりない。今回ゴロと過ごした日々を思い出しながら書くにあたってじんわりと涙が出た。

あの時は不思議と涙は出なかったのに。


犬ほど飼い主の存在を喜んでくれる動物はいないと思う。猫も好きだけど、やはり俺は犬が好きだ。

「あのぉ…犬を飼いたいんだけど…」

そう提案した俺の意見に、嫁は光の速さで反対してきた。嫁は犬が嫌いなのだ。



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信号機のしくみ

2007-04-05 | その他
道路を歩いていて必ず目にするものといえば皆さんはいったい何を思い浮かべるでしょうか。

電柱、看板、広告、ボロボロの軍手(片方だけ)、犬のフン、または使用済みのコンドームなど、人それぞれで答えは異なるとは思うのだけど、誰でも共通して目に入るものと言えば、第一には信号機があげられると思います。

信号機の歴史は非常に古く、日本で最初の信号機は1930年に立てられました。以来、信号機は日本の高度経済や車の飛躍的な普及を支え、全国における道路の発展とともに少しずつその数を増やしてきたのです。


車両用信号機、歩行者用信号機、補助信号灯など、信号機の種類や形は数多くあるけども、この当たり前のようにある信号があるからこそ、それに付随して交通ルールが徹底され、我々は安心して暮らすことができるのです。


では、もし信号機が全くなければどうなるのか。


もしこの世に信号機というものが存在しなければ、交差点では誰もが車を止めることもなく全開で突っ込んでいくことになるので、事故の絶えないバイオレンスな世界になることは容易に想像がつきます。そうなると、ちょっと車でスーパーへ買い物へ行く、というだけでも命懸けの出発ということになるのです。


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ある日、いつものように台所で煮物を作っていた主婦、久美子はみりんが無い事に気がつく。ちなみに久美子は夕食の準備で手が離せない。

「あらやだ。アタシとしたことが…みりんが足りないわ。アナタぁ~ちょっとそこのスーパーでみりん買ってきてくださいな!」

どこにでもある日常の風景。「ん、ああ…」 居間の長椅子で寝そべって新聞を読んでいたマコトは、気のない返事とともに重い腰をうかせるのだった。近所とはいえ、直線距離にして5Kmはある。

歩いて行くには少し遠いので、マコトは車でみりんを買いに出かけることにした。そしてそのまま帰らぬ人になる…。交差点で出会い頭の衝突。2台の車はどちらもブレーキ痕がなく、全開で全壊したことが確認できた。

泣き崩れる久美子。アタシがみりんを頼まなければ…いや、アタシがみりんの管理をしてさえいれば…。悔やんでも悔やみきれない現実。久美子は後の人生を後悔を背負い生きていくことになる。


そして10年後……


マコトの10回目の命日。マコトの墓参りに来た久美子の隣にはタケシがいた。

タケシはマコトの大学時代からの親友で、マコトの死後、悲しむ久美子をずっとそばで支えてきた。どんなに悲しい時でも、すぐ隣で見守り、やさしく励ましてくれるタケシに、久美子は次第に心を開いていく。

マコトが死んでから、久美子とタケシはこの日は何があっても二人で連絡を取り合い、毎年欠かさずに墓参り来ていた。

いつものように線香をあげて、墓にみりんをかけた。マコトの大好きだったカントリーマァムをそっと置き、手を合わせて目を瞑る久美子にタケシが言う。

「僕じゃダメかな?」

「……?」

「いや…マコトの代わりは僕じゃダメかな?」

「でも…アタシ…。みりんが…」

「みりんなら家にくさるほどある。だから…」

タケシの実家は代々続く有名な蔵元で、みりんの醸造も手がけていた。

「久美子のことが好きなんだ。いや、マコトと結婚する前からずっと好きだった…。あれからもう10年。マコトも許してくれるよな?」

久美子の頬が赤く染まったのは、夕日のせいだけではなさそうだった。

沈みゆく太陽がやわらかに墓の前の二人を包みこんだ。徐々に長くなるふたつのシルエットがひとつに重なり、やがてゆっくりと倒れていった。

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これは信号機がこの世に存在しなかったために起こったひとつの悲しい物語である。あまり大々的に報道されないだけで、実はこういった話は全国で無数に存在するのです。

信号機がないというだけで、これほどまでに日常が死と隣り合わせになるものなのだ。まったくもって恐ろしいことです。改めて信号機の重要性と、人の命の重さ・尊さ、みりんの重要さがわかると思います。


命を守る上で最も重要なこの信号機ですけど、俺が察するに、皆さんは交通ルールをあまり守らない無法者だと思うので、普段から信号機をあまり意識はしていないでしょう。加えて、信号機の仕組みがどうなっているのかも知らないと思います。

これは、ド・シロウトの皆さんであれば当然のことで、信号は青が進め、黄色が警告(止まれ)、赤が停止であることは知っていても、それがどこでコントロールされているものなのかまでは知らないと思います。


こう言ったらまあアレなんだけども、俺は信号機に関しては比較的詳しい一面を持つものだから、今日はド・シロウトの皆さんだけに特別に信号機について、裏でどのようなコントロールがされているのかをお教えしたいと思います。

ここから先は、信号業界ではタブーとされている話になるので、ここで読んだと言わないで下さいね。お願いします。


青、黄、赤、と車両用の信号には三色の色があり、交互に点灯していくということは、いくら交通ルールを守らない半端者の皆さんでも知ってることと思います。

一方が青ならその横の道は赤、といった具合に事故が起こらないように交互に信号が変わるので、一般的にはすべてコンピュータで信号が自動制御されていると考えられがちですが、実は違います。



信号は人間の手作業で変えられてます。


大雑把に時間を数えながら、青、黄、赤と手元にあるコントローラーのボタンを押していきます。決して時計を使わず、カンだけで信号を変えていきます。この辺りは、熟練した職人ならではの技です。

この話をする前に、信号士という資格の話をしなければなりません。信号士とは、別名「信号職人」と呼ばれ、文字通り信号を手作業で変える職人のことで、国家資格です。

信号機のある交差点には必ずこの信号士が1人配置されており、信号を自由自在にコントロールしているのです。


信号士を目指す人は、中学を卒業する同時に、信号士養成学校(通称、信学)へと進学することになります。ごく一般の学生が、楽しい高校生活を送る3年間もの間、信学では厳しい指導の日々が続きます。

信学では、青と黄色を混ぜたら黄緑になること、青と赤を混ぜたら紫になることなど、黄色と赤を混ぜたら橙になること、など色の三原色についてみっちりと頭に叩き込まれます。

その後、青、黄、赤の配列の猛勉強。色の見分け方、停電時の対処、または赤い果物の暗記など、徹底的に叩き込まれます。人の命を左右する職業なだけに、授業内容は過酷を極め、少しの妥協も許されません。成績の悪い生徒は、次々と切り捨てられていきます。

卒業する頃には、入学当初500人はいた生徒が、50人くらいにまで激減しています。入学当初はどこか甘えたような面構えだった生徒達も、次第に信号という自らの使命の重要さに気がつき、立派な信号マンの顔になっていくのです。

そして晴れて卒業の時を迎えます。しかし、卒業したからといってすぐに信号が始められるわけではありません。

卒業した生徒は、それぞれ思い入れのある近所の信号機に弟子入りします。そこで3年間、先人達より信号の操作を学びながら歩行者信号を点滅させるなどの手伝いをします。

最終的には、3年間の実務経験を証明する書類一式と、師匠でもある信号機の書いた紹介状を全国信号協会に提出することで信号士という資格が与えられ、信号機の空きのある地方へと配属されるのです。

皆さんが普段、何気に目にしている信号機。その中には血の滲むような訓練に絶え、それでもなお諦めずに技術を磨いてきた職人達が今日も不幸な事故から皆さんを守っているのです。




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