買い物に行ったスーパーの本売り場で、タイトルが
気になった本を手に取ってパラパラと読んでみた。
そこには僧侶になった家田荘子さんのインタビューが
載っていた。
家田さんといえば、極妻。
でも、これを知ったのはずいぶん後で、若い頃は
イエローキャブなどのノンフィクションをけっこう読んでいた。
彼女が僧侶になったのは周囲からいろいろ言われて、
煩悩を捨てたかったから。
滝行などをしていて、その関係で僧侶になる道を選んだのだそうだ。
でも、僧侶になっても煩悩は消えず、消えなかったから
どんどん位の高い僧侶になるための修行や勉強を
したのだそうだ。
旦那さんちの親の実家は田舎の地元では名士のお寺。
だからお寺の内情のことはまだ向こうと仲が良かった時に
いろいろ聞いてきたのだけど、とても煩悩のない世界
なんていえない。
どこに所属して、どの人について、どの位になっているかで
本人の立ち位置も、お寺の運営も変わってしまう。
氏子がいないと商売にならないのだから、いかに氏子を増やして
収入を増やせるかはその寺の住職にかかっている。
だからけっこう考えていることは・・・・。
言わないけど、とても煩悩とは切り離せないものだ。
というより、一般の人より煩悩が多いんじゃないかと思う。
出世もしないといけないし、そのための土台も必要。
だから小さい頃から家柄や学歴にこだわり続け、
その結果、旦那さんのような人間に育つ。
向こうの親が私の両親を田舎者の世間知らず、と
言い放ったことを私は決して忘れない。
両親は嫌だったらもう会わなければいいと知らんぷりできるかも
しれないけれど、自分を愛情深く育ててくれた両親を
そこまでこけにされた私は彼らを軽蔑するという言葉では
足りないくらい怒りを感じている。
もはや修復は不可能だろう。
そして、そんな気持ちはあの旦那さんには伝わらない。
私の怒りも、意味が伝達してこない(古い?)って感じで
許さない私に怒りをぶつけてくる。
まったく、しごく、彼らのバカさ加減に呆れている。
結論として、人はどんなことをしても煩悩という欲から
解放されることはない。
家田さんはこんな風に最後を締めくくっていた。
煩悩があるからここまでこれたんじゃないでしょうか。
そう。
何の欲もなかったら人は何もしなくていい。
みんな何かを手に入れたいから、何かをやりとげたいから、
だから、頑張る。
そして、その結果悔しい思いをしたりして、また頑張る。
頑張って頑張って、やっとひとかけらの欲しいものを手にした時、
それは自分にとって格別の幸せに変わる。
それは煩悩あってのものだろう。
私は宗教を信じない。
誰かが私を幸せにしてくれるとは思えないし、お寺の本性も
みているから、なおさら神様の世界が純粋なものだもと思わない。
私が信じるのは、頑張る自分自身だけ。
頑張って生き続ければ、この苦しさに耐えきったならば、
何も成し遂げられなかったとしても、私は天国に行ける気がする。
きっとそんな私のことを見ていてくれる神様の一人もいると思う。
だるいなぁ・・と寝転んでいる私。
でも、これも頑張っているうちなんだよ。
気になった本を手に取ってパラパラと読んでみた。
そこには僧侶になった家田荘子さんのインタビューが
載っていた。
家田さんといえば、極妻。
でも、これを知ったのはずいぶん後で、若い頃は
イエローキャブなどのノンフィクションをけっこう読んでいた。
彼女が僧侶になったのは周囲からいろいろ言われて、
煩悩を捨てたかったから。
滝行などをしていて、その関係で僧侶になる道を選んだのだそうだ。
でも、僧侶になっても煩悩は消えず、消えなかったから
どんどん位の高い僧侶になるための修行や勉強を
したのだそうだ。
旦那さんちの親の実家は田舎の地元では名士のお寺。
だからお寺の内情のことはまだ向こうと仲が良かった時に
いろいろ聞いてきたのだけど、とても煩悩のない世界
なんていえない。
どこに所属して、どの人について、どの位になっているかで
本人の立ち位置も、お寺の運営も変わってしまう。
氏子がいないと商売にならないのだから、いかに氏子を増やして
収入を増やせるかはその寺の住職にかかっている。
だからけっこう考えていることは・・・・。
言わないけど、とても煩悩とは切り離せないものだ。
というより、一般の人より煩悩が多いんじゃないかと思う。
出世もしないといけないし、そのための土台も必要。
だから小さい頃から家柄や学歴にこだわり続け、
その結果、旦那さんのような人間に育つ。
向こうの親が私の両親を田舎者の世間知らず、と
言い放ったことを私は決して忘れない。
両親は嫌だったらもう会わなければいいと知らんぷりできるかも
しれないけれど、自分を愛情深く育ててくれた両親を
そこまでこけにされた私は彼らを軽蔑するという言葉では
足りないくらい怒りを感じている。
もはや修復は不可能だろう。
そして、そんな気持ちはあの旦那さんには伝わらない。
私の怒りも、意味が伝達してこない(古い?)って感じで
許さない私に怒りをぶつけてくる。
まったく、しごく、彼らのバカさ加減に呆れている。
結論として、人はどんなことをしても煩悩という欲から
解放されることはない。
家田さんはこんな風に最後を締めくくっていた。
煩悩があるからここまでこれたんじゃないでしょうか。
そう。
何の欲もなかったら人は何もしなくていい。
みんな何かを手に入れたいから、何かをやりとげたいから、
だから、頑張る。
そして、その結果悔しい思いをしたりして、また頑張る。
頑張って頑張って、やっとひとかけらの欲しいものを手にした時、
それは自分にとって格別の幸せに変わる。
それは煩悩あってのものだろう。
私は宗教を信じない。
誰かが私を幸せにしてくれるとは思えないし、お寺の本性も
みているから、なおさら神様の世界が純粋なものだもと思わない。
私が信じるのは、頑張る自分自身だけ。
頑張って生き続ければ、この苦しさに耐えきったならば、
何も成し遂げられなかったとしても、私は天国に行ける気がする。
きっとそんな私のことを見ていてくれる神様の一人もいると思う。
だるいなぁ・・と寝転んでいる私。
でも、これも頑張っているうちなんだよ。
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