たった一言がもとで炎上といわれる状態が巻き起こったりしているが、
それを目にするたびに「なぜだ?」と思うことがあったりする。
口にはしないだけで、実は同じことを思ってる人間は多数いるのではないかと
そんな風に感じるのだが、やはりそれを表に出してはいけないのだろう。
ある男の話を書こう。
その男を仮に鈴木とする。
鈴木は周囲から羨ましがられるほどあたたかい家庭を築いていた。
年の離れた若く美人な妻と、妻に似たかわいい娘。
鈴木と妻は仕事を介して知り合い、一目惚れした鈴木の猛烈なアプローチで
結婚へとこぎつけた。
ふたりはまだ世に出ていない物書きだったのだが、結婚後に妻の方に小さな仕事が舞い込み、
いつしか大手から話がきた。
結婚後は生活のため、東京を離れ地方都市に転居していたのだが、妻に
「東京へ出て、再度本格的に仕事をしないか」という誘いがあった。
妻は、この小さなしあわせを壊したくないとそれを断った。
鈴木もそれに安堵していたのだが、その数年後ちょっとした口論で
鈴木は言ってはならないことを口にしてしまったのだった。
「こんなちっぽけな暮らしの何がおもしろいんだ。
お前に持ち上がった仕事の話を聞いた時、俺だったら全て捨てて
東京にいってたさ」
家庭とチャンスを天秤にかけた時、妻が捨てたキャリアの方が
鈴木にとっては重たいという発言だった。
「しまった!」
そう思っても時すでに遅しだ。口から出たものは引っ込められるはずもない。
この言葉に対して鈴木は謝罪をしたものの、妻の中では大きなしこりとなり
妻は物書きの仕事を本格的に再開させ、
「私もあなたと同じ価値観になりましたので、離婚させて頂きく思います。
このつまらない生活にピリオドを打って、羽ばたかせて頂きます。」
そう三行半を突きつけ、妻は娘と共に出て行った。
言ってはいけない一言だった。
例えそれが本心であってもだ。
本心であったなら尚更隠し通しておくべきだった。
男の本心なんぞより、女の覚悟は重たい。
炎上はぽろりと出た本心の中に火種があるものなのだろう。
その後に謝罪をしたところで、それを真に受け止める人間などきっといない。
言わぬが仏。