昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

日本はどんなによい国か 幕末~明治に来た外国人が見た日本4

2015-09-16 01:33:56 | 日本の素晴らしさ
十九世紀半ば、日本の地を始めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうあろうとも
この国民はたしかに満足しており、幸福であるという印象だった。
オールコックは「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」といい、ペリーは「人々は幸福で満足そう」と言っている。
もっともっとこの種の記述がある。

1860年に来日したプロシャのオイレンブルク使節団
「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいかもしれない」

水道設計で来日のイギリス人ヘンリー・S・パーマー(伊香保温泉の湯治客を見て)
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えずしゃべり続け、笑いこけている」

オズボーン江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとして出会わなかった」
オイレンブルク使節団のベルク
「彼らは話し合う時冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである」

イギリスの大学教授ディクソン
「上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。西洋の都会の群集によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆から赤子にいたるまで、彼ら群集はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中に悲哀など存在しないかと思われてくる」

東京外大でロシア語を教えたメーチニコフは来日当初「のべつまくなしに冗談をとばしては笑い転げる我が人足たち」に見とれずにおられなかったそうである。

まだまだこの種の記述はあるのだがきりがないので、最後にリンダウ (プロシア人商人として来日。後に駐日スイス領事) の長崎近郊農村での体験だ。
「私はいつも農夫たちの素晴らしい歓迎を受けた事を決して忘れないであろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、ただちに男の子、女の子があわてて火鉢を持ってきてくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に座るようにすすめ、母親は丁寧に挨拶してお茶を出してくれる。
・・・・・もっとも大胆な者は私の服の生地を手でさわり、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪にさわって、笑いながら恥ずかしそうに逃げ出してゆくこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると「大変ありがとう」と、皆揃って何度も繰り返して礼を言う。そして躓いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、全く驚いた次第だ。

私が遠ざかって行くと、道のはずれまで見送ってくれて、殆ど見えなくなっても「さよなら、またみょうにち」と私に叫んでいる、あの友情の籠もった声が聞こえるのであった」
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