参禅体験、ずっとまえからやってみたかったのです。
本で読んだり、自己流で坐ったりしてきましたが、体験に勝るものは無し。
そこで、ついに行ってまいりました!
秩父にある、臨済宗のお寺、
子どもの頃、キャンプやお寺めぐりのハイキングでずいぶん訪れていた秩父。
でも、こんなお寺があるとは、まったく知りませんでした。
それもそのはず……
西武秩父駅から急な山道を送迎バスで揺られること小一時間、
なんだか、ふた山くらい越えた気がします。
標高800メートル。
周囲5キロメートル四方に民家はなく、視界に入るのは緑の山々と空のみ。
ざあざあと聞こえてくる渓流の音からして、谷底はかなり深そうです。
梅雨どきなので、あっというまにガスがかかってきて、まさに深山幽谷。
鳥たちのさえずりがすばらしく、この時期でもウグイスが鳴いていましたよ。
今回この大陽寺に泊まることにしたのは、参禅や写経を体験できるはもちろんのこと、ヨガのプログラムも組まれていたからです。
寺ヨガも前から体験したいことの1つでした。
↑ こちらは本堂。宿坊を兼ねています。
お寺の開山は鎌倉時代(1313年)にさかのぼりますが、本堂は江戸時代の建築だそうですから、十分に古いですね。
その昔、女人禁制の寺が多い中で、珍しく女性の参拝者を受け入れていたことから、「東国の女人高野」とも称されていたそうです。
ただし、厳しい環境ゆえに、閉じていた時期もあり、今の住職でまだ26代目。
古い記録(武蔵風土記?)によれば、寺としてではなく、女性たちが身を寄せて集団生活を送る場所として機能していた時代もあるそうです。
そんな歴史を感じさせる場所に寝泊まりできるなんて、感慨深い。
まず体験したのは写経。
私は般若心経は音から覚えたので、字となると記憶が怪しいのですが、ともかく、できるだけ丁寧になぞろうと思いました。
ものすごく時間がかかりました。
「書く」という作業にこれほど没入したのは、小学生のときの習字以来かもしれません。
知っているはずの字でさえ、じーっと見ていたら、あれ、まるで初めて見たかのように書き順が分らない。
不思議、不思議。
完成品は持ち帰りました。たたみじわがついてしまいましたが、これも記念てことで。書き終えたら、そのままお寺に納めている人もいました。
石段を登ると、天狗のお面が飾ってあるお堂があり、ここで住職が読経してくださいました。
木魚じゃなくて、大きな和太鼓を叩くいての読経が、すごい迫力。密教みたい?
そして崖の上にそびえる坐禅堂。
堂内は広々としていました。
廊下や縁側にも坐るスペースがあるので、さっそく思い思いの場所で坐禅を組む人たち。
時間を忘れるとはこのことでしょうか。
悔しいけれど(?)いつもより、断然、集中できるみたい。
(ホントかい?)
ふだんも自宅で瞑想していると、ときおり手足が消えてなくなったような感覚が生まれてきますが、その感覚が訪れるのが早かったような気が。
自分と世界の境目がなくなっていくような感覚。
いや、でも、「ない」という感覚が「ある」のだから、やっぱりないわけではないのか……うーん、何だろう、これは……。
……な~んてことを、ほら、この心は、感じているじゃないか、考えているじゃないか。
だから、気づくたびに手放していく……。
さて、私は、ほんの一瞬でも「空」に近づけたのでしょうか。
2日目の坐禅は住職の説明から始まりました。
脚を組むときの体重のかけ方、法界定印(ヨガで言うところのムドラーですね)の形、警策の受け方など。
ちなみに、大陽寺の法界定印は左手の親指を右手で握り、左手の四本指を上からかぶせます。
ほう、こういう形もあるんですね。
組んだ手と丹田とのあいだで気のやり取りをすることを意識しながら、坐りました。
しかし、
正直、ワタクシ、この日の集中はイマイチだったかも。
途中から、警策に興味津々(人間だもの~♫)
ちゃんとタイミングよく合掌(警策を受けます、という合図)できるかなぁとか考えたりして……おお、来るぞ、来るぞ……来たッ。
礼。
ビシ、ビシ、ビシッ。
思っていたより、乾いた強い衝撃……、い、イタい……
おもしろいことに、人によって音が違うのですね。
坐禅堂では、
新月ヨガとシンギングボールのセッションもありました。
インストラクターは西荻窪のマリカというスタジオの代表者をしている先生で、ヨガとルーシーダットンを教えているそうです。
久々に、とても心地よいフローを味わい、ああ、もう、なんというぜいたくでしょう。
シンギングボールの生演奏はやはりいいですね。
うわん、うわん、と倍音が身に染みる。頭蓋骨に共鳴する。
低い音は、まるで人間の声みたいに聞こえます。
O-----m
横になっていたら、すぐに胃が温かくなってきました。
体内の水分に反応しているのでしょう。
便通にも良いそうで、お腹に乗せてもらっている人もいました。
そして食事の時間。
禅寺なのだから、食事も禅修行=無言で音を立てずに食べる……のかなと思ったら、
懐かしの合宿所スタイル?
知らない人どうしで、おしゃべりや情報交換。
山形や仙台から来た人、はるばるアメリカから来た人、総勢30人くらいいたでしょうか。
2日間のプログラムは基本的に自由参加でした。
住職ご自身の気さくな人柄がその辺にも表れているのでしょう。
気が向かなければ、ごろんと寝ていても、ぼんやり山を眺めていても、散歩に出かけてもよし(遭難しない程度にですが)。
携帯はいまどき珍しく圏外です。
煩わされません。
また行きたい。
次は、行事の組まれていない平日がいいかもしれない。
そして、写メもやめよう……。
日常の喧騒から離れて自分と向き合う時間を、さらにぎゅっと濃縮できるように。
いや、いや、日常にいても、それができるようにしなければならないのだ……。
そんなことを改めて思った2日間でした。
追記) そういえば、文化放送の記者さんが取材に来ていました。
7月5日(水)8:20amから、大陽寺のこと、放送予定だそうです。
かずこ