ティーンに捧げる宝物

放浪詩人あもんがティーンに捧げることのは

フィクションって何なんだ!

2007-12-09 08:22:57 | こんにちは
『何もしなかった一日』三澤祐一
僕の本棚の奥に大事に保管している詩集です
この詩集は東京芸術大学博士課程まで進み
27歳の若さで病没された三澤祐一さんの遺稿集です
彼は病気であることを他人には告げず
ひたすらにことばと絵を残し続けました
ことばと絵を見ていると彼の苦痛が伝わってきて
“いのち”というもの形について考えさせられます
この詩集のあとがきに彼の家族のメッセージが綴られています

人が人として生きる時、数多くの方々に巡りあい、触発され、感化され、励まされ、助けられて、一人前の社会人としての骨格を形成していくものと考えます。その途上にあった祐一は、巡りあい、語り合う喜びを体験する中で“いのちの灯”を全うして逝きました。『力が尽きて、倒れたところが、ゴールだと思えばいい』…そんな言葉を遺して

十年前ぐらいにこの本と出会い何回か読んでいます
いまも読み返したところですが
改めて『生き抜く』ことの大切さを教えてもらった気がします
この詩集はノンフィクションです
間違いなくノンフィクションです
もし詩がフィクションならこの詩集はなになのでしょう
詩ということばを辞書で調べてみたら
心に浮かんだ感情を一定のリズムのある文体で表したもの となっています
確かに彼のことばには一定のリズムは無いかもしれない
だったらこの本はエッセイ集なのか?

今考えついた あもん持論はこうなりました
詩とは書き手のノンフィクションが読み手にとってフィクションになる文
つまりひとつのことばによってあらゆる感じ方があって
正解はひとつではない文である

自分でもちょっとむず痒い持論ですが
これからも考え続けていきたいものです

ということで今回はノンフィクションにこだわった詩です
今年の夏、山に囲まれた道路を車で走っていたら
世界が暗闇になりそうな雷雲に遭遇しました
そこで綴った詩です
それでは『逃走』をどうぞ

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