2000年1月、11名の年長から小4を教える事でクラブをスタートして、12年。
干支で言うと一回りしました。
12年か・・・・
その時も、今も、ただ一生懸命やっているので、あまり、大変だとか、苦しかったとか、感じていません。
もちろん、これからも。
それは、私のスタンスです。
世代間育成という言葉が、やっと、世の中に出ていくようになりました。
システムとしては、今は23歳になる相沢君を筆頭に、22歳、21歳、20歳、19歳の5世代の子供達が、親たちと共に創ってきました。
そして、2011年にやっと、マスコミで認め取り上げてくれるようになりました。
月刊陸上競技マガジン、陸上競技、
寺田的での取材記事として・・・
その中で、一番嬉しかったのは、新しい道で進んでいる。
ヨーロッパ型の日本流スポーツクラブの創造というのが、阿見アスリートクラブのやっていることなのです。
周りからみても、全く違う道を進んでいると・・・
日本でも、このような形のクラブは少ないと・・・
もちろん、まだまだ、これからですが・・・
クラブの中で言い続けたことが、会員以外の皆さんからも評価されるようになりました。
地域に根ざしたクラブを目指しています。
いつかは、その愛されたクラブから世界チャンピオンを輩出したい。
それも、大きな夢でもあり、目標でもあります。
サッカーのJリーグ、それぞれのチームの色があり、選手もサポーターも関係者も皆、同じ物を着て応援しています。
鹿島アントラーズ、浦和レッズ、柏レイソルというと色で、わかりますよね。
世界のクラブも・・・・
それは、そのクラブに携わることによって、
誇りを、安らぎを。
元気を、勇気を。
夢、希望を、目標を
生き甲斐に繋がり、
応援、支援していきたい。と・・・
陸上競技のクラブでもあっても良いんじゃないのかな・・・
そう思ってきました。
また、それをやらなければ、いけないのだと。
世代間育成システム元年、そう位置づけて、これからの12年、阿見アスリートクラブブランド造りをしていきたいと思います。
私の41歳から53歳までの12年は、世代間育成システムの構築でしたが、それを更にあらゆる形で発展させていき、
これからの54歳~66歳の12年は、阿見アスリートクラブブランド造りをやっていきたい。
それが、私の次の夢、目標です。
私は、方向性を示し、スタッフと会員の皆様共に、作り上げていきたいと思います。
どうかよろしくお願い致します。
干支で言うと一回りしました。
12年か・・・・
その時も、今も、ただ一生懸命やっているので、あまり、大変だとか、苦しかったとか、感じていません。
もちろん、これからも。
それは、私のスタンスです。
世代間育成という言葉が、やっと、世の中に出ていくようになりました。
システムとしては、今は23歳になる相沢君を筆頭に、22歳、21歳、20歳、19歳の5世代の子供達が、親たちと共に創ってきました。
そして、2011年にやっと、マスコミで認め取り上げてくれるようになりました。
月刊陸上競技マガジン、陸上競技、
寺田的での取材記事として・・・
その中で、一番嬉しかったのは、新しい道で進んでいる。
ヨーロッパ型の日本流スポーツクラブの創造というのが、阿見アスリートクラブのやっていることなのです。
周りからみても、全く違う道を進んでいると・・・
日本でも、このような形のクラブは少ないと・・・
もちろん、まだまだ、これからですが・・・
クラブの中で言い続けたことが、会員以外の皆さんからも評価されるようになりました。
地域に根ざしたクラブを目指しています。
いつかは、その愛されたクラブから世界チャンピオンを輩出したい。
それも、大きな夢でもあり、目標でもあります。
サッカーのJリーグ、それぞれのチームの色があり、選手もサポーターも関係者も皆、同じ物を着て応援しています。
鹿島アントラーズ、浦和レッズ、柏レイソルというと色で、わかりますよね。
世界のクラブも・・・・
それは、そのクラブに携わることによって、
誇りを、安らぎを。
元気を、勇気を。
夢、希望を、目標を
生き甲斐に繋がり、
応援、支援していきたい。と・・・
陸上競技のクラブでもあっても良いんじゃないのかな・・・
そう思ってきました。
また、それをやらなければ、いけないのだと。
世代間育成システム元年、そう位置づけて、これからの12年、阿見アスリートクラブブランド造りをしていきたいと思います。
私の41歳から53歳までの12年は、世代間育成システムの構築でしたが、それを更にあらゆる形で発展させていき、
これからの54歳~66歳の12年は、阿見アスリートクラブブランド造りをやっていきたい。
それが、私の次の夢、目標です。
私は、方向性を示し、スタッフと会員の皆様共に、作り上げていきたいと思います。
どうかよろしくお願い致します。