阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

高校3年生の人生の岐路

2013年07月24日 | 楠康夫 理事長
高校3年生は、大人の世界に入る大切な準備期間になります。

大学か?
就職か?
自分の人生どう生きるか?
まずはやりたいことをやろう?
何となく、次に進もう?

動機はどうあれ、私が結果的に一番大切にしてきたのは、組織が変わると人が変わる、そこに出会いがある。そこに新しい事が起きる、そこで知り合った人、先生、指導者、先輩、同級生、後輩、組織に関わる人など・・・

それはそれは、面白くなっていきますよ。

もちろん厳しくもなっていきますが・・・・

それも人生楽しんでいくためにも・・・

高校生から大人の世界に入っていく頃に出会う人たちには影響を受けますから、大切にして欲しいと思います。


前にもブログに書いたことがありますが、

私は、高校生の時の最高実績は、北関東大会5000m13位です。

当時、インターハイにいけないと大学で、本格的に陸上競技はできないなと、諦め賭けていました。

青山学院大学から、夏合宿の誘いの文章が届いたのもその頃でした。もし、そこに行っていたら、

《青学KUSU》が誕生したかもしれませんが・・・

悩んでいました。香取先生に相談して、中京大?しかし、私は体育、水泳が苦手、体操は苦手ですから、厳しいですよね~~~と親も反対

駒澤大学、そして、箱根駅伝、そして、実業団、そんな夢物語を真剣に考えていました。

そんな時、当時、龍ヶ崎一高の野球部監督でもあった、持丸修一先生(その後、藤代高→常総学院→専大松戸と監督を歴任されている)が、

突然、私に『何だ、楠、駒澤に行きたいんだって』と

隣り合わせて、野球部のグランド、陸上部の200mのトラックがありました。

試験の時も関係なく、練習をこなし、真面目にコツコツ競技に取り組んでいる私の姿を見てくれていたようでした。

よし、俺に任せろ、

そして、当時の駒澤大学野球部の太田監督を通して、陸上部の森本監督に話がいって、推薦が決まりました。

香取先生が、持丸先生に相談してくれていました。

あの当時の私の力は、何処にでもいる選手レベルでした。

ただ、真面目にコツコツ、責任感ありだけは、人一倍ありました。

また、そんな性格なら、競技がダメなら、マネージャー・・・

そんな、私のことを野球部の監督が、陸上部の私のために動いてくれた、その気持ちに感動し、感謝したものでした。

もちろん、今も感謝の気持ちは、忘れていません。

香取先生、持丸先生にも

もし、私が違う道をその時に仕方なく選択したのなら、きっと今の私はいなかったと思います。

=阿見アスリートクラブの誕生もなかったと思います。

そう思うと、人生は、しっかりした思いで、相談して、最終的には自分の判断で動いて、後悔しない。私はそう思っています。

そんな、人生の岐路の高校3年生、

いつ考えるか?いつやるか?

今でしょう。

聞いたことがあるフレーズですが、

その通り、しっかり真剣に考えましょう。

その事が将来、君たちの力になるのです。







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