私たちは制限の多いこの世界で社会生活を営むに当たり、日々やらなければならないことを無意識にこなして1日を消化しています。
日々やりたくないことまでもやらなければいけないので、自分が本当は何をやりたいのかを見失い、分からなくなってしまうものです。これを自己喪失といいます。
あれもこれも、あっちもこっちも次から次へと忙しすぎて、またやってきたことすべてが、良いとか悪いとか評価の対象になる。
人は知らず知らずのうちに、その評価という固定観念を自分で植え付けながら年を重ねていくものです。自己喪失したまま年を重ねると、自分の心の声は聞こえないままなのです。
そして次第に自分の評価に自分が耐えられなくなる。そうやって競争社会に生きる人々は、自分を追い詰め追い込んでていきます。
競争ができる人は、そのまま更に頑張ることができるけれど、競争ができない人にとっては、肉体のみならず精神を病む環境が次第に整ってきます。
過労やイジメによる自殺などはそのような例に当てはまるのではないでしょうか。
過労死もイジメも奴隷競争社会の中では、弱い立場の負け組であったり、またそれぞれのカルマの精算も関わっているようです。
この制限の多い次元世界で、健全なる精神をキープしながら生きていくためには、時には、ありのままでいいんだよ…という『心のための処方箋』が必要です。
私たちは大人も子供も社会の奴隷でいる必要はないのです。
あなたが社会において、精神的・経済的奴隷であることを教えてくれる人はいません。
気づくのはあなたの自由意志による直感なのです。あなたが精神的奴隷であることに気づき、この社会システムを知ることで、あなたは奴隷ではなくなっていきます。
そうすると、あなたの子供もまわりも奴隷ままではなくなります。必要な時にどうやったらその状況を抜けられるかを教えてあげることができるからです。
そして人は誰しも、人生の目的を達成するために、ここは踏ん張り時だ…という時があります。その時に、なぜここで踏ん張らなければならないかを教えてあげましょう。見失っていた自分を発見するチャンスです。
そうです。いつも頑張っている必要はないのです。必要な時に踏ん張ること(自己愛)が重要なのです。
人類をいつまでも奴隷のままにしていたい、惰性や怠慢・利己主義という腐敗したエネルギーは、テレビや新聞のニュースでも確認できるように、次第に淘汰されていきます。
私たちの一人一人の人生の最大なる目的は、喪失した自己のままではなく、真の自己を発見することです。
次元上昇している地球のスピリチュアルな側面は、進化という…ただその目的に向かって進んでいるのです。
あるがままで