Alglory Web Travel Diary

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小泉語録とカエサル語録

2006-09-21 23:55:48 | 歴史
まだまだ、ローマ帝国と現代ネタリンクは続きます。これは嬉しいことです。

特に、アクセスが先週に比べて急増しました。
有名良質Blogにトラックバックやらコメントを書かせていただいたことが大きな要因だと思いますが、いずれにしてもたまらなく嬉しいことです。この場でお礼をもしあげます。で、今後ともよろしく引き合いの程お願い致します。

今回のエントリーのイスンピレーションはここからです。
雪斎の随想録(小泉ーカエサル 安倍ーオクタヴィアヌス)

ここでは雪斎殿と違った観点から少し見てみたいと思います。
それは、言葉です。
まず、政治家が言葉というものを生業としているのならば、そこにある発言というのが政治家の資質というものを捉えることができると思います。
で 今回のエントリータイトルで2人の人物の言葉には共通点があると思います。
では、その共通点とは、まずどちらも恐らく、一冊の語録ができるくらいの沢山の発言を残しています。(カエサルは文章が多いですが・・・)ただ、発言数だけなら他にも沢山の人物を挙げることができますが、過去の大多数の人物と比べて一線を画すとすれば、シンプル且つ非抽象的に努めたということがいえます。実はこのシンプル且つ非抽象的というのが、大きな意味をもちます。

では、それの実例を2人の言葉の数珠繋ぎ読んでいきましょう。

まず、カエサルが発言や自ら書く文章に対して望んだスタンス。
「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」

で、上記を連想させる言葉はこの2つが代表事例でしょう。
小泉首相
「痛みに耐えてよくがんばった!感動したっ!おめでとう!」
カエサル、ポントスの王、ファルナケスを破った時
「Veni, Vidi, Vici (来た、見た、勝った)」

次は小泉首相にとってのルビコンといえる、郵政解散の時
「郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」
カエサルはルビコン越えの時
「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅。進もう、神々の待つところへ、我々を侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた」

事象としての歴史上のターニングポイントという点でも同じですが、敵と味方の二元論をはっきりさせたという点でも良く似ていると思います。

で、もう1つカエサルの言葉から。
「人間なら誰にでも、現実の全てが見えるわけでもない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない。」
カエサルは急進的に、見たくない現実を見せようとして、暗殺されました。

小泉首相は急進的な改革者を演じ、見たくない現実を見せようとする行為を演じ、その嗅覚で「ブルートゥスの剣」からは避けることができました。
そういう意味では、小泉首相の末期は「オクタヴィアヌス的の始まり」といえるのかもしれません。

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