珍盤奇盤のある風景

日本音楽史の暗闇を彩った奇蹟の名曲たち

23曲目 喜びの飛行(Happy Flight)

2012-01-06 12:44:38 | 珍盤奇盤
「箱根駅伝」―不可能に挑んだ男たち
原島 由美子
ヴィレッジブックス

「箱根の山登り」を完全生中継するという壮大な
ミッションに挑んだ伝説のテレビチームの物語。
箱根駅伝オタは必読。本項とおおいに関係があります(笑)




箱根駅伝は巨大になりすぎたのかもしれない



……突然、スポーツニッポンの金子逹仁コラムのような、よくわからない
始まりになってしまったが、今回取り上げる曲は、つい先日行なわれ、
歴代4位の高視聴率を記録した「箱根駅伝」にまつわる一曲である。



特段、「珍盤奇盤」というわけではない。
これまで紹介してきた曲たちにように「手に入りにくい」とか
「廃盤である」というようなものでもない。


ただし、書かずにはいられない。


箱根駅伝中継といえば「日本テレビ」である。
毎年、インターネット内では、
「瀬古うるさい」
「上重アナはカミカミすぎないか?」
「瀬古黙れ」
「ブ、ブレーキは? こ、ことしはブレーキないの?」
「ああ、あったよ。●区の□大だ」
「瀬古もうしゃべらなくていい」
「大東文化は出てないの?」
「瀬古は早稲田の応援団か」
「法政もいないじゃん」
「1号車の解説は瀬古じゃなくて谷口浩美(もしくは金哲彦)にしろ」
「いや増田明美で」
「解説はオヅラさん…いやいや…やっぱだめだ。ヤツは」
「徳さんはいた?」
「オツオリって亡くなったんだよなあ」

などといったさまざまなコメントであふれるが、
なんだかんだいって、生中継はありがたいものである。



さて、今年(2012年)の箱根駅伝は「第88回」であったわけだが、
ちょっとさかのぼること3年前より「テーマ曲」が変わっている。
理由は「85回記念」だったからだ(細かな他要因もあったが)。
新聞でも取り上げられたし、もちろん本放送の中でも、
たくさん流れているので、ご存じの方も多いだろう。


問題は、先代(いや初代)のテーマ曲である。
愛好家には、今回取り上げるオープニング曲だけでなく、
エンディング曲についても思い入れのある方が多いが、
そのエンディング曲については別の機会に取り上げたい。


例のごとく、大百科事典ことウィキペディアの引用から始めよう。


第84回(2008年)までのオープニングテーマには、
映画『ネバーエンディング・ストーリー』のサウンドトラックに収録されている
『喜びの飛行』(クラウス・ドルディンガー作曲)が使用されていた。
提供クレジット表示中には、時間短縮されたバージョンが使われた。
初期のスタッフである平谷修三がディレクターに推薦したとされる。




冒頭に紹介した本からも引用したい。初回の放送(1987年)では、
現在と少々オープニングテーマ挿入のスタイルが異なっている。
1987年1月2日。午前8時、大手町をスタートしてすぐである


小川(光明アナ:当時の日テレスポーツアナウンサーのエース格)が
明るく盛り上げた後、映画『ネバーエンディング・ストーリー』の挿入曲
「喜びの飛行(Happy Flight)」が流れた。主人公の少年アトレイユが
幸運を呼ぶという白い竜ファルコンに乗って空を飛ぶシーンで使われた、
のびやかな楽曲だ。実はこの曲を田中(晃氏:初代中継ディレクター。現在は
スカパー・コミュニケーションズ取締役)に推薦したのは、平谷だった。平谷は
「これから何かいいことが起こる」という雰囲気のあるこの曲のファンだったのだ。



「喜びの飛行(Happy Flight)」。なんて素晴らしいタイトルなんだろう。
誰もが一度は聴いたことがあるであろうこの曲。さあどうぞ。








というわけでそれから20年以上、「喜びの飛行=箱根駅伝」という
イメージが出来上がるほど、この曲はファンに浸透したかに思われた。
ところが、前述のように、2代目の「例の曲」に変わることになる。
すると…




箱根駅伝のテーマ曲が前の方が良かった件

1:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 19:49:25 downup
あの曲を聞くと「ああ、今年も箱根なんだな・」って思ってたのにな。
まあ俺は青森の高卒だが

5:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 20:09:59 downup
2チャンとmixiの人とかが抗議したら相当な人数になるかな

11:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 20:43:22 downup
完全同意。
あの新春の澄み切った空にバッチリのテーマ曲だったのに・・

23:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 22:01:33 downup
箱根気分に浸りたくて昔のOP何度も見てしまった・・・。
やっぱりあの曲がないと箱根じゃない。

92:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/04(日) 16:37:08 downup
箱根は黙って、喜びの飛行だ!





1年後、またもや同じようなスレが現れる。




箱根駅伝のテーマソングを戻して

1 :喜びの飛行:2009/12/30(水) 18:20:24
今年もボチボチやりますか。

30 :ゼッケン774さん@ラストコール:2009/12/31(木) 20:00:33
喜びの飛行の壮快なかんじな。富士山麓の息吹を感じるわ。

100 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/01/05(火) 22:57:07
箱根は曲はまってたからね
変える必要はなかったな

106 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/01/06(水) 02:01:52
やっぱり、っていうか絶対「喜びの飛行」がいい。
これ聴かないとお正月じゃない。
この曲じゃないと箱根駅伝じゃない。
まだお正月も箱根駅伝も始まってない気分です。

151 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/01/09(土) 09:59:42
曲がかわってもいいような曲であれば大事件にはならない。
箱根駅伝の場合は大事件だ。






映像そのままに、本来流れている2代目(現在のテーマ曲)の曲を
「喜びの飛行」に差し替えて、編集を施したMAD動画まで現れる始末。











結論。


完 全 同 意 。 曲 を 戻 せ よ 日 テ レ ち ん。



おまけ。
「現在の箱根駅伝中継を観ながらつぶやいてる、初代箱根駅伝中継スタッフ田中氏」をまとめたもの。曲には触れてないものの興味深い。


ネバー・エンディング・ストーリー
サントラ
EMIミュージック・ジャパン

「カジャ・グーグー」のボーカルだったリマールが歌う主題歌は、いちおう80年代の名曲、
ということになっている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

22曲目 「福岡市ゴジラ」

2012-01-05 10:56:54 | 珍盤奇盤
ゴジラ音楽と緊急地震速報~あの警報チャイムに込められた福祉工学のメッセージ~
クリエーター情報なし
ヤマハミュージックメディア


例のごとく、この本と本項とは何の関係もありません



日本が世界に誇る映像コンテンツに『ゴジラ』がある。

初の公開日は1954年11月3日。日本ではその後、
2004年までに28作ものゴジラ関連作品が制作されている。

そして、伊福部昭氏によるそのテーマ曲もおなじみだろう。
まずは、その曲を一聴して頂きたい。




さて、このゴジラのテーマ。お聴き頂くとすぐにわかるとおり
歌詞のない「インスト」である。
ところが「そこに歌詞を付けてみたらどうなるか」という、
きわめて実験的な試み(あそび)を行なったグループが存在した。


まず、グループ名は


「少年刑事ケンイチくんと青島博士とカクテル長官」

である。あえて、このグループ名にはツッコミを入れないほうがいいだろう。
作詞は3名の方が共同でしているらしい。

そして、タイトルは


「福岡市ゴジラ」


なぜ、「福岡市」なのかは、今となっては
タイトルを付けた本人しかわかるまい。居住地だったのか、
出身地なのか、はたまた、ただの思いつきか。

歌詞のほうは至って明快である。潔い、とも言えよう。
誰でも歌える。そしてすぐ覚えられる。

歌詞を記したい。



ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラとゴジラとゴジラ


モスラ モスラ モスラとメカモスラ

ラドン ラドン ラドンとメカラドン

ヘドラ ヘドラ ヘドラとメカヘドラ

モゲラ モゲラ モゲラとメカモゲラとモゲラとモゲラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ


(間奏)


サザエ サザエ サザエとメカサザエ

カツオ カツオ カツオとメカカツオ

ワカメ ワカメ ワカメとメカワカメ

イクラ イクラ イクラとメカイクラとイクラとイクラ

ハイジ ハイジ ハイジとメカハイジ

クララ クララ クララとメカクララ

ペータ ペータ ペータとメカペータ

オンジ オンジ オンジとメカオンジとオンジとオンジ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ




とりあえず、歌詞の中でゴジラとウルトラ怪獣とサザエさんと
アルプスの少女ハイジがごちゃ混ぜになっていることはわかる。
「3字 3字 9字」という単調なワードとリズムの積み重ねは、
聴けば聴くほどに、脳内に混乱が生じるという麻薬的なものだ。


では、この特異な曲が生まれた背景について記そう。

この曲は、25年以上前にNHK-FMにて放送されていた坂本龍一氏の
ラジオ番組『サウンド・ストリート』内で募集されていた
「素人がデモテープを送ると、オンエアの上、教授自身が批評をしてくれる」
コーナーに投稿されたものである。つまりはアマチュアによる曲だ。


そして、「それ以上の情報がない曲」である。


ただし、このコーナーを編集したアルバムがある。
その名も『DEMO TAPE‐1』。プロデュースは、坂本龍一&矢野顕子。
のちに離婚することになるが、当時の業界における大物夫婦が制作している。
こうしたアルバムの常であるというか…当然のごとく廃盤だ。


DEMO TAPE‐1
佐々木朋子,テイ・トウワ,三村美智子,岡本清郎,野村達士,坂本龍一
ミディ



最後に、「福岡市ゴジラ」というタイトルについて、
もう一度、考察してみたい。そのテーマは、

「福岡市にゴジラは来ているのか」

である。


ゴジラは、確かに日本各地に出没し、
そのつどその地のシンボル的な建物をぶっこわした。
福岡市にはいつ来たのか、いやそもそも来ているのか。
来ているなら何をぶっ壊したのか。
この疑問が解ければ、「福岡市ゴジラ」というタイトルの謎も
おのずと解けるのでは…そう考えたのだ。


さまざまな文献を読みあさったが、ヒントとなるものが皆無だったので、
結局たどり着いたのはウィキペディアであった。


まず、「ゴジラは福岡に来ているのか?」いう疑問だが、
結論から言うと「来ている」。

つぎに「いつ来たのか?」。

じつは、この疑問に答えてしまうと、先述した
「この疑問が解ければ、「福岡市ゴジラ」というタイトルの謎も
おのずと解けるのでは…」
という一文が根底から覆されることに(たった今)気づいた。


『DEMO TAPE‐1』がリリースされたのは1986年。CD化は1991年。


そして、福岡にゴジラが初上陸したのは「1994年」であった。
両者に相関関係がまるでないことが、ここで立証されてしまったのだ。

なので、ここでタイトルについて解明することは潔く放棄し、
該当作品について記すことで筆を置きたい。ネタ元は(書くまでもないが)
すべてウィキペディアである。


● ゴジラ福岡来訪記録
『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年12月10日公開)。
ゴジラシリーズの第21作である。観客動員数は340万人。
配給収入は16億5千万円。キャッチコピーは「破壊神降臨」。
ゴジラがやや人類の味方寄りに描かれており、このシリーズで
唯一ゴジラがヒーロー的に扱われているのが特徴。
主要襲撃地点は鹿児島、熊本、別府、福岡。
当作品はゴジラ九州初上陸ということでも話題になった。
また札幌、山形、神戸などはスペースゴジラの餌食となった。



ゴジラvsスペースゴジラ [DVD]
橋爪淳,小高恵美,柄本明
東宝ビデオ


福岡における襲撃物は(観ていないため)不明。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21曲目 ザ・レンジャーズ「赤く赤くハートが」その②

2011-12-29 16:12:09 | 珍盤奇盤
さて、こうしてデビューした「ザ・レンジャーズ」だが、
じつは元々のバンドの名は「ザ・レインジャーズ」だった。
当時、演歌専門レーベルのような立ち位置にあった
クラウンレコード期待の新人バンドとしてデビューしたものの、
デビュー曲『星空の恋人』がまったく売れず、
2枚目のシングルより改名したのである(改名の真相は後述)。


やけっぱちというか、捨て鉢というか、
つまりは起死回生を狙った2枚目のシングル。
それが『赤く赤くハートが』だ。

この曲の魅力を端的に記した素晴らしいレビューが存在する。
自分の知る限り、この世に数多あるライナーノーツのなかでも
傑作といえるものだ。こちらもこのサイトより引用させていただきたい。



元々は平穏なワルツのつもりで作ったが、メンバーが反発して無理矢理ロック的に
作り変えたため時空に捻じれが生じ奇跡的に現れたGS屈指の名曲

混乱を極める痙攣ボーカル、地獄の底から追ってくるコーラス、
実は失敗している演奏(実際オーバーダビングしたらしい。)と
何一つ成功をしていない負のエネルギーを一身に背負い永遠の輝きを獲得した
奇跡の大怪曲。アメリカでも認められたモンドの極み。




下線部に注目して頂きたい。
まさに、時空に捻れが生じたのである。奇跡的に。

そして本物の「奇跡」が誕生した。

もう、能書きは十分だろう。さあ、聴いていただきたい。






とても凄いことに、この曲は「小ヒット」を飛ばしたという。
ギターソロもうねりを感じさせ、なぜか心地よさまで覚える。


では、「問題の」ボーカリスト宮城ひろしについて迫ってみたい。
おわかり頂けたとおり「痙攣しながら歌っている」としか思えない、
非常に個性的な歌唱法を持ったセクシー(エクスタシー)ボーカリストである。
「地獄谷で録音されたのでは?」という疑問を持たざるを得ない
地を這うようなコーラスと絡み合いながら、歌声が炸裂する。

この手のボーカルは「下手」というか、微妙に音程がおかしくなることが
多いものだが、宮城ひろし、上手い。あえぎ声が若干邪魔ではあるが。


そして、この曲は語り継がれるべき世紀の傑作?となった。
「あの時代には早すぎた(歌唱法が)」
「いや、時代を追い越し、一周してしまったあげく、
 結局、追いつけなかっただけだ(歌唱法が)」
……リリースから45年が経とうとする今、思うのはこういうことである。
だからこそ、正当な評価が与えられるべきであろう(歌唱法に)。


ただし、GS屈指の名演であることは断言できる。


コンプリート・トラックス
ザ・レンジャーズ
日本クラウン



最後に「改名の真相」について。

名付け親であるディレクターが「このつづりはもしかして…
レインジャーズではなくレンジャーズでは?」と気付いたのが発端とのこと。
宮城ひろしご本人がこの曲を取り上げた某ブログのコメント欄に登場し、
語っておられた。「さもありなん」という理由なのだが…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21曲目 ザ・レンジャーズ「赤く赤くハートが」その①

2011-12-29 15:52:04 | 珍盤奇盤
ザ・レンジャーズ・コンプリート・シングルズ*赤く赤くハートが
ザ・レンジャーズ
Pヴァインレコード

日本ロック史上、最大最高の狂乱ボーカリストによる
衝撃の歌声が思う存分、いや、涙が出るほど味わえる一枚


今をさかのぼること20年前、それまで廃盤状態が続いていた
GS(グループ・サウンズ)シーンにキラ星のごとく登場した
レコード会社5社(ビクター、テイチク、ポリドール、
日本フォノグラム、クラウン。のちにキング、コロムビア、
ソニーも加わる)による共同プロジェクト。
それが『カルトGSコレクション』である。

それは、B・C級GS作品を徹底的に集めた、当時としては
とんでもなく画期的なコンピレーションシリーズであった。
それまで(リアルタイムで発売されたレコードを除いて)、
海外発の海賊盤でしか聴くことができなかった作品に
スポットライトがあてられたのである。
このシリーズ、思いのほか(?)ヒットし、10年ほど前は
中古盤屋において、法外ともいえる値がついていた。

さて、今回取り上げるのは、この『カルトGSコレクション』内に
収録された一曲である。愛好家には、もはや「伝説的」としか言えない
曲の誕生秘話と合わせ、非常に有名な曲だ。



曲を生み出した怪物バンドの名は「ザ・レンジャーズ」。
“世界最古のパンク・バンド”という異名を持つ。
そしてその「GS史上最大の怪曲(←あまり聞き慣れない表現ではあるが)」
のタイトルは『赤く赤くハートが』だ。

まず曲の簡単なプロフィールを記しておこう。
リリースされたのは1967年11月10日。
作詞は山口あかり、作曲は荒井靖夫。


当時はGSブームが本格化したころで、各レコード会社が競うように
新人バンドを発掘…というより「乱造」し、矢継ぎ早にデビューさせていた。
この「乱造」については、「ブームの終焉を早めた」という論評もあり、
評価が分かれるところだが、ここでは「奇跡の一曲を生み出した」という
「功」のほうを取りたい。いや、そう取るしかない。



続いて、バンドのプロフィールである。これについては、
B級・C級GSに関する有名サイトがあるので参照頂きたい。
マニアにはたまらない情報が網羅されており、非常に有用なサイトである。
一部を引用させていただく。


ザ・レンジャースは、元ルビーズの水木譲二からクラウンが
GSをデビューさせたがっているということを聞いた古賀民也
(ベンチャーズの代理メンバーとしてステージに立ったことのある)が
これに応え、42年6月にもともとの古賀のバンド・ブルーナイツ
(女性ドラマーだった。同名のムードコーラスグループとは別。)
の4人に事務所が用意したボーカル、オルガンを加え結成された。
マネージャーには水木が収まった。
このボーカルというのが問題の宮城ひろしでもともとは
「次郎物語」の兄役などで知られる子役だった。タップの名人でもある。
ちなみにオルガンのほうは武蔵野音大生だった。
ともかくこうして演奏力とアイドル性を兼ね備えたバンドとして出発し、
高松で一ヶ月ほど演奏修行した。42年10月、クラウンPW品番の
第一号タレントとしてクーガーズやサムライズ、バッキングをつけた
泉アキらとともにデビューした。



長い引用になってしまったこと、お許し願いたい。

文中に「問題の宮城ひろし」という一読ではよくわからない一節があるが、
「何が、どう問題なのか」は、ひと言では語れない。


次回につらつら綴っていきたい。



カルトGSコレクション(2) クラウン編
日本クラウン
日本クラウン


高値ですよ(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20曲目 アロージャズ オーケストラ・アローラテン グループ「六本木24時間」

2011-08-18 12:15:07 | 珍盤奇盤

画像と曲は100パーセント無関係です




「ジャズ」という音楽に対し、ふだん皆さんはどのように接しているだろうか。
「オシャレなバーでかかっているアレでしょ」
「オシャレなカフェでかかっているアレだろう」
……そう、とにかくオシャレなお店でかかっている音楽。
それがジャズである。


ジャズの発祥と発展については、こんなブログを読んだところで、
何も有益な情報は得られないと思うので、例のごとく各自調べていただきたい。

さて、このジャズ。演奏するのはもちろんのこと、
聴くほうにも多少の知識を要することはおわかりであろう。
いわゆる「スタンダード」と呼ばれる名曲たちをはじめとした
星の数ほど存在している曲を、これまた
星の数ほどいるミュージシャンが、脈々と受け継いでいく。
演奏するミュージシャンによる即興のアレンジが、
スタンダードに新たな命を吹き込んでいく……。
これまでも、そしてこれからも不変であり、
未来のジャズミュージシャンたちが、さらなる灯を灯していく。

――とつらつらと書いてきたが、とにかく、
「ジャズ」とひと言で言っても、さまざまな楽器による
さまざまなアレンジがあり、とても知識が追いついていかないのだ。
かといってジャズのうんちくを語れたとしても、
「オシャンティーなバーでモテるか」と聞かれれば、
「断じて否」というしかないところが哀しいところではある。



で、この曲である。


ひと言で言うと「謎にまみれた曲」である。
いや、曲と言っていいものか。
これを書いている現在でも小首を傾げざるを得ない。


まず、曲の情報がほとんどつかめない。

ためしに「六本木 24時間」と検索をかけてみても、
出てくるのは六本木の「24時間駐車場」「24時間営業の飲食店」
「24時間営業のオシャレバー」ばかりである。


となると、手がかりは「曲」そのものに頼るしかない。


この「曲」は、ある1人の男の独白から始まる。
この「ある1人の男」とは、別にフランク・シナトラでも、
ビング・クロスビーでも、はたまたフランク永井でもない。
ただのバタ臭いおっさんである。以下は、その独白を
子細漏らさずにそのまま書き起こしてみたものだ。


「次は皆で大騒ぎをやりましょう。もちろんツイストです」
(※唐突に始まるが、なぜ「もちろんツイスト」なのかは不明)

「音を出すことができる人は、世界中のどんな人でも、この演奏に
参加できる権利を持っています。音と言えば、グラスを叩いたり、
机を叩いたり……あっ……彼女のお尻は叩いちゃいけませんよ」
(※本当に「そのまま」を書き起こしています)

「メトロノームのカチカチという音がきっかけです。僕は声と
電気オルガンをやります。あっ……もう曲が始まりました……
題して「六本木24時間」」

こうしてメトロノームのカチカチという音とともに曲が始まる。
最初はウッドベースによる渋いベースラインが入り、さまざまな
ジャジー(←おぼえたて)な楽器が重なりあっていく寸法だ。



が、



このオーケストラが曲者なのだ。

音程という概念のないトロンボーン

キテレツなトランペット

(たぶん)指一本で奏でられるピアノ

グルーヴ感とはほど遠い単調なリズム隊

もはや楽器ではない「何か」による奇音たち

時を追うごとにヘタクソになるオーケストラ


このへんはぜひ聞いて頂くしか……うまく伝えられないのだが、
「適当にもほどがある」のだ。そして、このまま延々と
即興演奏が続いていく。ジャズっぽさは「楽器」以外、
みじんも感じられない。ただし即興演奏であることはいうまでもない。


そして、「いいかげん飽きた…」そんな声が
今にも聞こえてきそうになる次の瞬間。
冒頭で登場した「おっさん」が戻ってくるのだ。


「…この演奏のなかから、ツイストとは別のリズムが感ぜられます。
……ニューリズムです。……それっ、聞こえるでしょう? 
でも今はツイストです。この演奏はまだまだ延々と続きますが、
レコードが終わりになってきたので、この辺りで終わります。
この続きは次のニューリズムのレコードでお聞きください(フェードアウト)」






?????????????????????????????




23分ぐらいから




曲を聴いていたら余計何が何やらわからなくなってきたので、
最後の手がかりを示しておこう。
この曲を演奏しているとされる

「アロージャズ オーケストラ・アローラテン グループ」

の身の上である。

この「アロージャズ」。検索してみると、
なんだかとんでもない結果が出てきた。


略歴は以下の通りである。


1958年、若きピアニスト・北野タダオをリーダーとして、
当時、大阪キタの最高級のナイトクラブ「クラブ アロー」の専属バンド
「北野タダオ&アロー ジャズ オーケストラ(AJO)」として結成。
その高い実力は、たちまち自他共に認めるNo.1バンドとして周知される。

「クラブ アロー」閉店後もその名前のまま演奏活動を継続、
1992年にはその音楽的求心力と知識を基に「AJOミュージックスクール」を設立、
2004年には、その3000曲に及ぶ蔵書楽譜の演奏する目的のため、
自主運営によるライブハウス「ライブ スポット アロー(LSA)」をオープン、
AJOのみならずメンバー個々の演奏活動の場として、また関西ポピュラー音楽界の
情報発信拠点としても注目を集めている。
また1995年より、自身の音楽的向上心を結実させる目的の下、年間5~6回に及ぶ
「定期演奏会」を大阪・京都・神戸・東京・名古屋で開催、
その開催数は延べ86回(2009年末現在)に及ぶ。
2008年6月、創設者の北野タダオ(Pf.)の引退に伴い、新リーダー・宗清洋(Tb.)の下、
バンド名を「アロー ジャズ オーケストラ(AJO)」と改め、関西ジャズ界の雄として、
より一層のグレードアップを目指し、鋭意活動を続けている。





………これは……同一人物(?)……なの……か? 



で、謎のおっさんは「若きピアニスト・北野タダオ」その人なのか?


調べれば調べるほど頭が痛くなってくる曲。
追跡調査は気が向いたらしたいと思う。


聴く価値があるかどうかはわからないが、聴いてもとくに
損も得もしない。ジャズ……なのだろう…けれ…どもねえ……。


この曲、ちゃんとCDになっている。
おそらく廃盤なので、
大手チェーン(例:WAVEなど)
もしくは、
大きなお店(例:HMV渋谷店など)
で探していただきたい。
なければ中古盤を漁ればもしかして見つかるかもしれない。

東京ビートニクスVol.1
クリエーター情報なし
株式会社テイチクエンタテインメント


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19曲目 「ジョックロック」

2011-08-03 11:25:20 | 珍盤奇盤

曲の効果をわかりやすく表した一例


「魔曲」と呼ばれる曲がある。

なにがどう「魔曲」なのか。
まずは、曲を聴いて頂きたい。

ジョックロック 智弁和歌山高校



夏の風物詩「甲子園」。
正確な時期は諸説(2000年夏が有力か)あるのだが、
和歌山県のとある私立高校が、甲子園での応援において、
それまでの高校野球ファンが一度も聴いたことがなかった
曲を演奏しはじめた。それがこの「ジョックロック」である。

この曲が高校野球ファンにたいして、
いかなる印象を与えているのか。
わかりやすいやりとりを某巨大掲示板から抽出してみよう。


6 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/03(木) 17:41:05 ID:S+BUfkmzO
八回裏のジョックロックは神
40 :名無しさん@実況は実況板で:2009/09/07(月) 23:23:13 ID:QlLwLyTUO
着メロをジョックロックにした
80 :名無しさん@実況は実況板で:2009/10/04(日) 13:32:00 ID:0x15FmW4O
ジョックロックを聞かないと甲子園は盛り上がらない
90 :名無しさん@実況は実況板で:2009/10/14(水) 21:42:25 ID:1Bv8M8kIO
ジョックロックを披露宴の入場曲に使用したよ
140 :名無しさん@実況は実況板で:2010/02/24(水) 19:42:57 ID:ZTYRHrqp0
智弁の応援を聞きに行くだけで甲子園へ行った価値がある


「八回裏のジョックロックは神」
これが意味するものは何か。ジョックロックの効果とは…

第90回全国高校野球大会より 智弁和歌山11点攻撃


2008年夏の甲子園 智弁和歌山 ジョックロック



まだまだある。



智弁和歌山 ジョックロック伝説再び 対 PL学園(2010秋季近畿大会)


智弁和歌山-札幌第一09 7回表その1



そう、智弁和歌山がこの曲を使用して応援するとき、
なぜかビッグイニングが生まれる。だから「魔曲」なのだ。



さて、具体的に曲のデータを探っていきたい。



まず、作曲はRob Rowberry (Groveland Road Productions)
という人らしい。こちらのサイトには誕生秘話が書かれている。

 楽譜にすら作曲者の名前がない謎の曲。
外国のサイトを駆けずり回って見つけることができたのが
Blink-182というグループ名と、それがどうやら
NHLなど野球以外のスポーツで用いられている可能性があるということだけでした。
ローベリーという人物との関わりも不明です。
しかし曲自体は名曲で、00年夏の優勝はこの曲の力だと言っても
過言ではないくらい強烈にアルプスとグラウンドを一体化させる、
言わば魔性の曲です。そしてその真の効果は8回に表れます。
快進撃の原動力となったミラクルエイトと呼ばれる怪現象の裏で、
実はいつもこの曲が流れていたのです。
01年夏、和歌山大会で初戦敗退したのも
この曲を用いなかったからではないかとさえ思います。





最後のほうはいくぶん「ふーん。へーえ」という感じなのだが、
確かにこの曲には、何かの力が働いているのかもしれない。



さて、ここまで真面目に書いてきたわけだが、
ここからが本題になる。

「甲子園には魔物が棲んでいる」
これまた、よく聞く言い回しだ。
魔物についてはこのサイトにくわしい。


このサイトにあるとおりじつは「マモノ」
というものは実在しており(うそです)、
数々の迷・珍プレーを生み出したあげく、
最終的に球児の青春の涙を導いてくれる、
少々スパイシーで、ウイットに富んでいるステキな何かだ。



そのマモノが演出したであろう試合は、
上記の動画サイトで堪能して頂いたかとおもうが、
そのなかでも、ある1試合に焦点を当ててみたい。

世の高校野球ファンにはおなじみであろう、
「伝説の迷試合」である(良い意味で、ですよ)。


全体的な流れは、ここを見てほしい。


少しでも「野球」というものを見たことがある方なら、

「8回と9回が、なんかおかしい」

ということにお気づきになるはずだ。

帝京・前田三夫、智弁・高嶋仁。両名将が死力と知力を尽くした勝負。
それは、おかしなおかしな、いや、とんでもない試合だったのだ。
智弁和歌山の攻撃時に鳴り響く「魔曲」とともにお楽しみ頂きたい。


06夏 智弁和歌山vs帝京 8回~    1


06夏 智弁和歌山vs帝京 8回~    2


06夏 智弁和歌山vs帝京 8回~    3


06夏 智弁和歌山vs帝京 8回~    4



幸いにも、当時の様子を記したまとめページが残っている。

この試合の「熱」を少しでも感じられるだろう。てか、2度と見れないわwwこんな試合。

この智弁和歌山高校。当たり前のように今年の夏の甲子園にも出場する。


はたして、マモノは今年も暴れまくるのだろうか。


ブラバン!甲子園2
クリエーター情報なし
UNIVERSAL MUSIC K.K(P)(M)
ここに入ってますが、オリジナルではありませんよ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

18曲目 舟木一夫「ROCK'N ROLLふるさと」

2011-08-01 21:03:07 | 珍盤奇盤

特選集/想春
クリエーター情報なし
コロムビアミュージックエンタテインメント
画像がありません…が、この曲入ってます。



ROCK’N ROLL、ロックンロール――あぁ、なんて煌びやかで、
心が湧きあがる言葉なんだろうか。(←棒読み)

サラッと斜めに読んだだけで、何となくわかったような気がする
ことでおなじみのWikipediaには、以下のようにその起源が記されている。


ロックンロール(Rock and Roll, Rock ’n Roll)は、1950年代半ばに現れた
アメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。語源については「rock(揺らす)と
roll(転がす)で、音楽的な躍動感に由来する」とも説明されるが、
本来はアメリカ英語の黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味。公には、
DJのアラン・フリードが定着させた言葉である。



50年代から60年代にかけて、日本にもロックンロールがやってきた。
どのように広がっていったかは、このブログなんかよりも
はるかに詳細に述べられているサイトが多くあると思うので、適当に調べてほしい。


さて、アメリカ発のロックンロールは、日本に上陸したあと、誠に奇怪な経緯を
たどっていく。もちろん本流はあったのだが、支流のまた支流、最終的には
下水道方面にまで派生していくのだ。日本人の性(さが)、とでもいうべきか、
「な~んか「ロックンロール」って付けとけば、レコード買ってくれんじゃね?」
という、なんとも緩やかで、とっても素晴らしい時代……そんな時代に
産み落とされた1枚のレコード。それが「ROCK'N ROLL ふるさと」である。


注:上記の音楽評論には、ところどころ、筆者の妄想が入っています。


まずは、音源を聴いて頂きたい。

http://www.youtube.com/watch?v=-79GIjA9dGs
(限定公開のもよう…)


音源のタイトルにもあった通り、この曲は舟木一夫氏が歌っている。
『高校三年生』『銭形平次』など、さまざまな大ヒット曲を放っている彼。
ご想像の通り、ふるさとである愛知県一宮市萩原町を歌ったものだ。
作詞作曲も舟木一夫(クレジットは上田成幸名義)である。


次に歌詞を冷静に見ていこう。

まず1番だ。



春の風ふわり 蝶の羽ひらり 花の影ゆらり 昼寝の雲とろり

迷い子のオタマジャクシ そろり・・・そろりヒバリのラブシーン

ピィロロ ピィロロピィロロ ピィロロ

俺のふるさと愛知県 濃尾平野のド真ン中

学校サボってれんげの畑 ハモニカ ピップッポー

(間奏はロックンロールなのにハーモニカ。いや、よく言えばブルースハープ)



この曲を初めて聴いたDJの赤坂泰彦は、
「ロックンロールなのに、英語が「ラブシーン」しかない」
と絶句したそうだが(していないかもしれないが)、
ハモニカピップッポーから、ハーモニカの叙情あふれるリードへと
続く流れは、おそらくワンテイクで録られたものであろう。


さて2番。1番は非常に牧歌的(良く言えば)なのだが、
2番に入ると、とてもわかりやすく雲行きが妖しくなってくる。


俺のふるさと愛知県 一宮からのりかえて

単線電車で十二・三分 その名も萩原町

駅の正面右折して 徒歩で六分つきあたり

これこそオギャアとこの俺様が お生まれになった長屋

春はつくしのおひたし 夏はキュウリの丸かじり

秋空トンビも 年末(くれ)には夜逃げ

ふるさと Rock'n Roll

俺のふるさと愛知県 濃尾平野のド真ン中

恋しさちらほら 想い出きらり

ふるさと Rock'n Roll

ふるさと Rock'n Roll

ふるさと Rock'n Roll



そうこうしてたどりついた場所はこのへん↓だ(たぶん)。






萩原町では舟木一夫の生家が観光名所のひとつだそうである。

―――世界中にあるロックンロールの曲のなかで、
ここまでふるさとを「克明に」歌った曲があるだろうか(きっとあるが)。

ロバートジョンソンの「My Sweet Home Cicago」も
この曲の前ではかすんでしまう(いや、かすまない)。

さあ、ふるさとを歌おう。叫ぼう。

舟木一夫のようなバリトンで。


燃えよドラゴンズ!′99/燃えよドラゴンズ!′99 韓国三銃士/ロックンロールふるさと
クリエーター情報なし
コロムビアミュージックエンタテインメント(株)
このCDにもなぜか入っている。製作者の意図は不明。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新再開しま・・・すか?

2011-08-01 17:18:08 | 珍盤奇盤
5年半ぶりの更新です。再開に理由はないのですが……。
ふと……思い立って……という感じでしょうか。

動画サイトが充実したことで、かつてはなかなか手に入らず、
テレビやラジオで見聴きすることなど、
まずありえなかった曲が聴ける時代になりました。

そんな中で、このブログが奇妙奇天烈な
暗黒世界に迷い込んでしまった
(あえて言わせていただきますが)奇特な皆さんへの
ちょっとした灯りとガイドになることができれば、
これに勝る喜びはありません。

…なんて殊勝なことを書きましたが、
相も変わらず不定期更新です。
3か月に一度訪れてくだされば新しい記事はあるでしょうが、
3日に一度来ていただいても、貴重な時間の無駄ですので……
あしからず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

17曲目 坂田おさむ 「ママの結婚」

2006-01-30 19:22:12 | 珍盤奇盤
ママの結婚
坂田おさむ, 坂田修, 萩田光雄, 安斎直宗
コロムビアミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る


さて、いきなりえらくかわいいジャケット写真が登場してきてしまった。
貼った自分自身、困惑気味なのだが、ひとつひとつその「むず痒さみたいなもの」
を解消していきたいと思う。

まず、この曲のプロフィールについて。
タイトルを見れば一目瞭然だが「ママの結婚の歌」である。
もちろん、「ママの結婚の歌」なので、当然娘がいる。
その娘が「ママの結婚を祝福するという歌」だ。
書いているうちに何がなんだかわからなくなってしまったので、以下に
歌詞を転載したいと思う。
シチュエーションは歌詞を読めば、理解できるはずだ。


ママの結婚  作詞・作曲/坂田おさむ


ママ おめでとう

素直な気持ちで言える

二人 暮らしてきた日々

ママ ありがとう



あの頃の私 すべてに心閉ざし

飛べない翼 抱きしめながら

あなたを傷つけてきた

私だけのために ずっと生きてきた人よ

これから自分のため 幸せになる番です



♪ママ 世界一 素敵な花嫁よ

胸を張って言えるのは あなたの娘だから♪



ママ おめでとう

素直な気持ちで言える

二人 暮らしてきた日々

ママ ありがとう



二人だけの アルバム

「ごめんね」とつぶやくけど

足りないものなんか なにもないの

あなたは抱きしめてくれた

私だけのために ずっと生きてきた人よ

これから自分のため 幸せになる番です



♪繰り返し♪



ひとつだけ我儘(わがまま) 聞いてねお願いよ

私 忘れないパパのこと

そっとしまっておくの

私だけのために ずっと生きてきた人よ

これから自分のため 幸せになる番です



♪2回繰り返し♪



ママ おめでとう

ママ おめでとう


…とまあ、なかなかに感動的なうたである。


2002年6月に発表されたこの曲。NHK『みんなのうた』で流れ、
『およげたいやきくん』の20分の1くらいの反響を呼び、
二回も再放送(この番組における“再放送”の定義は不明だが)された。


CD発売後も、口コミで「良曲」として、その地位を確かなものにしていく。
そしてそして「BEST OF みんなのうた」では見事一位を獲得したのである。
はたまた、昨年末の紅白の濁りに濁った目玉企画「スキウタ」にも
(圏外ながら)ノミネートされているのだ(まあ、こんなことはやっていたようだけど)。
今後、この曲がどのように一人歩きしていくのか非常に楽しみである。


メロディーの優しさ、サビの盛り上がり、「うたのおにいさん」こと
坂田おさむおにいさんの声もとっても暖かい。アニメーションとのシンクロ加減も
すばらしいのである〈ベタボメすぎて自分でも気持ちが悪いが)。
世の奥様方が無条件に感涙するのもうなずけるというものだ(うそですが)。


ところで、なぜ、お父さんがいなくなったのかは、
おそらく複雑な事情があるのであろう、歌詞にはあまり触れられていない。
「死別」とするのが、この場合いちばん当てはまる考え方かと思うが、
ドロドロの夫婦喧嘩の末…というのも、昨今の離婚事情を考えると
ないとも言い切れない(曲の世界観と夢を確実に壊しているが)。


コトの真相を知っているのは「おさむおにいさん」だけなのである。


ママの結婚―nhkみんなのうた NHKみんなのうた 付属資料:コンパクトディスク(1枚)

アスコム

このアイテムの詳細を見る
絵本まで出てるし……しかも売れてるんだとさ、これが。


こどものうたベスト
石原慎一, ロボコン, 速水けんたろう, ManaKana, 東京放送児童合唱団, mojo, ひまわりキッズ, 坂田おさむ
コロムビアミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る
「おさむおにいさん」も参加。個人的にはManaKanaだけでも買う価値あり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16曲目 オマリー「オマリーの六甲おろし」

2005-11-16 21:07:38 | 珍盤奇盤
六甲おろし
唐渡吉則, 佐藤惣之助, 田丸良, 山口洋子
コロムビアミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る
正調六甲おろし。こちらを先に聞かないと、オマリーの歌が聞き取れない。


1994年5月25日にポリスターから発売されたCD。
正式タイトルは「オマリーのダイナミックイングリッシュ」。
何がダイナミックなのかは依然として不明。当然のごとく廃盤である。


阪神タイガースの応援歌といえば「六甲おろし」
「六甲おろし」といえば阪神タイガースである。
この歌の歴史や問題(!)についてはここに詳しいが、
ととにもかくにも日本で一番有名な野球応援歌と言ってしまっていいだろう。
ちなみに正式名称は「阪神タイガースの歌。」なのだが、そんなことはもはや
どうでもよくなっているらしい。


一番の歌詞はこんな感じ。
歌いたい方は一緒にどうぞ。


六甲颪(おろし)に 颯爽(さっそう)と
蒼天翔ける 日輪の
青春の覇気 美(うるわ)しく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神タイガース
フレ フレフレフレ

Dashing swiftly through the wind
blowin' from Mt Rokko
Like the big sun soaring
in the clear blue sky
Mighty spirit of the youth
shows the victor's grace
The name that shines in glory
"Hanshin Tigers"
Oh! Oh! Oh! Oh! Hanshin Tigers
Hooray, Hurray, Hurrah, Hurrah!


これを当時の優良助っ人外国人、“ヘルメット飛ばし”でおなじみの
トーマス・オマリーがカバーしたのだ。
一番日本語、二番英訳で歌われた「六甲おろし」のもつ
パワーはとても力強い。つまりは「音程」という概念が消し飛んでいるのである。


また、この曲はフジテレビ系バラエティ『LOVE LOVE あいしてる』でも本人により熱唱された。
収録スタジオにいた全ての人間が彼の情熱的な歌声に対し、
スタンディングオベーションを行なったことはあまりにも有名なエピソードである。


ちなみにこのCDは下記のような構成である。


1.オープニング
2.“オマリーのヒッティング・マーチ”
3.オール阪神タイガース選手何でもベスト3パート1
4.ダイナミック・イングリッシュ・レッスン・スペシャル・ヴァージョン
 ・レッスン1~レッスン3
5.「オマリーの私を甲子園に連れてって」テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボー ル・ゲーム
6.角・唐渡の甲子園漫才「野球は楽し!」
7.オール阪神タイガース選手何でもベスト3パート2
8.「オマリーの六甲おろし」(阪神タイガースの歌)
9.エンディング 〈「架空実況中継」コーナー〉
10.1994年○月○日阪神タイガース優勝決定の瞬間 〈おまけコーナー〉
11.オマリーの六甲おろし(オリジナル・カラオケ)
12.ダイナミック・イングリッシュ・アラカルト
13.オマリーの私を甲子園に連れてって(オリジナル・カラオケ)


ダイナミック・イングリッシュにオマリーとともに出演する高井美紀アナはこの人
こんな名盤に関われるとは(おそらく)とても運の強い女性なのだろう。
10曲目として収録されている「架空実況中継」を担当した、城野昭アナは、
あの江夏の21球のテレビ中継アナウンサーとして有名(定年退職されたらしい様子)
しかし、当時の阪神タイガースの強さを表しているようで物悲しいことこの上ない。
甲子園漫才にいたっては、もはやコメントを書く気力もなくさせる出来である。


また、メジャーリーグの球場でおなじみの一曲、
「テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボール・ゲーム(私を野球場へ連れてって)」も
オマリーはカバーしているが、
こちらも失笑せざるをえない良曲に仕上がっている。


この阪神ファンによる阪神ファンのためのCD発売のせいか、
オマリーの解雇後、タイガースがまるで呪われたかのように
面白助っ人外国人詐欺に連続して見舞われたことは記憶に新しい。


当時の阪神の強さはここに詳しいので、参考までにどうぞ。


六甲おろし~Yellow Girls Version~
YELLOW GIRLS
コロムビアミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る
分裂前のイエローキャブ軍団による便乗商法のお手本。聴き所は特になし。


六甲おろし オーケストラversion
ジャパン・ビルドーゾ・オーケストラ, 道上洋三, 大友直人, 佐藤惣之助, 菊池幸夫, カラオケ, 大島ミチル, 千住明
コロムビアミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る
謎の一枚。クラシックアレンジにした勇気は買いたいが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする