厚皮饅頭

答えはいつも椰子の実の中

そうじてそうじ?

2012-04-17 05:42:41 | Weblog
マイケルサンデルと鷲田清一って何か全然遠うように思ってたけど、そうねぇ、どちらも哲学なんですな。鷲田さんの言う「考え方を考える」のが哲学なのだとしたら、ボクの趣味は「哲学」と言えるのかも?自分の中では岸田秀と鷲田清一も近しい野田けれど、岸田とマイケルでは大分遠い感じする。ディベートってもっとすべきだと思うなあ(なーんて書いてる本人が最も打たれ弱いか?(´;ω;`))日常のもっと井戸端でスーパーマーケットの片隅で道端でブログでもフェースブックででも。町内の会合じゃ腸内の想いは皆腹の中に逸物隠し持ってて(それも巨大のを)その場をシャンシャン耐風で収めてそのくせ皆がそれをお持ち帰りしてこれはピザぢゃないので割り引かれずに(巨大な)イチモツを翌朝まで持ち越すから朝の排便は海の苦しみ性の歓びの唄。実際、こんなこと言い表すのでもdebateなんちゅう敵製語使わんならんのわ愛国主義者のボクとしては情けね...ぇ!「もっと適正語使おう、おーっ!」そんな重い想い昔から...抱き続けているせいか(単なる目立ちたがり?)草野球チームで「新しいユニフォーム作ろう」って話し出たとき一人反対してヒンシュク買ったし、同じメンバーで飲みに行ったときは、二次会外野で一人タクシーで帰っていやがられましたっけか。もっとディベートしようぜ!(今はダゼって言ったほうがナウい?)シャンシャン大会じゃなくってさー。本音と建前って結局どちらが正しいじゃなくてどちらも正しいのでは内界?自由も平等も山林に存す・・・みたいにさー。それは実体験から感じ取った引っ掻き傷・・・みたいな・・・親の嫁姑戦争見てて「同じ哲踏まない象」って思ってたけど踏んだ。ぐにょ。それはね。僕ちゃんがさ考えるのはね本音も建前も自分中でそれは顔で笑って心で泣いたりまたはその逆であったり自由と平等が両立しなくても両立させようとするものであり、それは自分が一番大事なのが「自由」で、にも拘わらず他人の立場に立ってる振りするのが「平等」であるみたいなね。そんな。考えてみたらそういう二律背反を支持するみたいな立ち位置は高校時代からそうだったなあ。同級生でドストエフスキーファンが居て、そいつのそんな意見に同調してたもの。ドストエフスキーっていえばその頃の女友達に「罪と罰」借りて結構分厚い本で結局読まずに居た。で、結婚を機に返却出来た。うーん、若しかしたら此れ返さなかったから、「返せよ」って言う天の意思が我々を引き合わして閉まったのか?/(-_-)\嗚呼、返しとけば良かったなぁ~。カアア(何故かここで烏の啼き声を申そう)

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