以前のブログにも書きましたが、双極性障害の対人関係療法では第5の問題領域として、健康な自己の喪失の悲哀があります。
今回は、俺が、この問題にどう対処したか、書きたいと思います。
この問題の最終目標は、双極性障害という病気を受け入れ、一生つき合っていく覚悟をすることだと思っています。
水島先生の本にも記載されていますが、双極性障害だけが受け入れがたい病気ではありません。
例えば、癌と診断されたときでも、すぐに受け入れるのは難しいと思います。
癌の場合、受け入れずに次のステップに進まないと、病状が次第に悪化するため、受け入れざるをえないという側面があります。
一方、双極性障害は、受け入れずに、否認し続けるという事態になりやすいと思います。
否認し続けていても、必ずしもさらに悪化するという訳でないし、気分の波で一時的に良くなることもありますから。
実際、俺も、主治医に双極性障害と診断されたとき、うつ状態であったこともあり、リーマスを飲むのを拒否し、無理を言って抗うつ薬を処方してもらいました。すぐには受け入れられませんでした。
そして、うつ状態が改善しないこともあり、とりあえずリーマスを飲むことに。しかし、リーマスが合わずに、デパケンRに。そして、病状が一旦は良くなり復職。数ヵ月後にはうつ状態が酷くなり、テグレトールに。少し改善したものの、その後、酷いうつ状態に。
双極性障害と診断される前、うつ病と診断されて以降、何度か休職と復職を繰り返していて、デパケンRを飲んでいた頃には、病気になる前の自分にはもう戻れないということを受け入れないと仕方ないと思うようになっていました。それでも、軽躁でたまに気分が良くなり、もしかしたら自分は完治するかもと思っていました。
テグレトールを飲む時点では、自分は双極性障害という病気で、受け入れるしか無いと頭では理解するものの、うまく付き合う方法が分からないでいました。頭で分かっていても、行動が伴わないという感じでした。
そして、ちょうど一年前くらい、昨年の10月に酷いうつ状態になり、前の病院の主治医に、相談しました。もうこれ以上、休職と復職を繰り返すのは困る。酷いうつ状態になるのも、なんとかして欲しい、と。
そうしたら、主治医は、入院して、電気けいれん療法をしてみるのがいいかもしれない、と提案してくれました。
薬では安定して良くならないことを勘案して、電気けいれん療法をする決断をしました。この頃のことも、以前のブログに書いたと思います。
電気けいれん療法をするために、テグレトールを止めなければなりません。テグレトールは急に止めることができず、少しずつ減薬していくので、入院してから、時間がたっぷりありました。
そこで、いろんなことを考えました。本も読みました。たびたび気分が落ち込んで、病院の先生とも話しました。入院している、様々な症状の患者さんを見ました。
自分の症状より大変な方もいっぱい居て、精神疾患の病気の恐ろしさを実感しました。
俺も、そのような患者さんと同じ病棟に入院していて、健康な人とは違うんだということを実感しました。もうバリバリ仕事をしていた頃の自分じゃないんだと実感し、それを噛み締め、誰にも邪魔されずに悲しむ時間も、たっぷりありました。
世の中には、「あきらめるな!」と書いている本がいっぱいあります。
「あきらめるのは、まだ早い。いまからでも間に合います」というキャッチフレーズなど。
でも、あきらめないで得るものもあるかもしれないが、あきらめて得るものもあるんだ、と書いてある本がありました。
その本を読んだ時、双極性障害は、お酒を飲んではしゃいだり、何かに熱中してがんばりすぎたり、その他にもいろいろな行動を、あきらめなければならないけど、あきらめることで安定した気分で安定した生活が得られるのかも、と思ったのです。
そして、電気けいれん療法に関しても、退院後も、継続して維持の為の電気けいれん療法をすることになりました。そのたびに、入院しなければなりません。このことも社会生活を送る上で、制限になります。
それでも退院する頃には、様々な行動の制限があるのは仕方ないと思えるようになりました。一生、双極性障害と付き合っていこう、と。
俺は、入院している期間に十分時間があり、悲しむことができ、健康だった自分に別れを告げ、双極性障害である自分を受け入れられたんだと思います。入院中、医師や看護士や仲良くしてくれた入院患者の方々のおかげもあると思っています。
さらに、水島先生の「対人関係療法でなおす双極性障害」を再読して、入院して経験したことが、健康な自己の喪失の悲哀だったんだと認識しました。そして、無理せず、マイペースでできることをやっていこう、と今まで以上に強く思いました。
いまできることは、復職する為の準備として、デイケアに毎日行くこと。復職できるのは、いつになるか分かりませんが、心身の健康を第一にがんばっています。
そして、もし復職できたとしても(現在もそうですが)、今までの自分とは違うということを念頭において、できることとあきらめた方が良いことを判断しながら、やっていこうと考えています。
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今回は、俺が、この問題にどう対処したか、書きたいと思います。
この問題の最終目標は、双極性障害という病気を受け入れ、一生つき合っていく覚悟をすることだと思っています。
水島先生の本にも記載されていますが、双極性障害だけが受け入れがたい病気ではありません。
例えば、癌と診断されたときでも、すぐに受け入れるのは難しいと思います。
癌の場合、受け入れずに次のステップに進まないと、病状が次第に悪化するため、受け入れざるをえないという側面があります。
一方、双極性障害は、受け入れずに、否認し続けるという事態になりやすいと思います。
否認し続けていても、必ずしもさらに悪化するという訳でないし、気分の波で一時的に良くなることもありますから。
実際、俺も、主治医に双極性障害と診断されたとき、うつ状態であったこともあり、リーマスを飲むのを拒否し、無理を言って抗うつ薬を処方してもらいました。すぐには受け入れられませんでした。
そして、うつ状態が改善しないこともあり、とりあえずリーマスを飲むことに。しかし、リーマスが合わずに、デパケンRに。そして、病状が一旦は良くなり復職。数ヵ月後にはうつ状態が酷くなり、テグレトールに。少し改善したものの、その後、酷いうつ状態に。
双極性障害と診断される前、うつ病と診断されて以降、何度か休職と復職を繰り返していて、デパケンRを飲んでいた頃には、病気になる前の自分にはもう戻れないということを受け入れないと仕方ないと思うようになっていました。それでも、軽躁でたまに気分が良くなり、もしかしたら自分は完治するかもと思っていました。
テグレトールを飲む時点では、自分は双極性障害という病気で、受け入れるしか無いと頭では理解するものの、うまく付き合う方法が分からないでいました。頭で分かっていても、行動が伴わないという感じでした。
そして、ちょうど一年前くらい、昨年の10月に酷いうつ状態になり、前の病院の主治医に、相談しました。もうこれ以上、休職と復職を繰り返すのは困る。酷いうつ状態になるのも、なんとかして欲しい、と。
そうしたら、主治医は、入院して、電気けいれん療法をしてみるのがいいかもしれない、と提案してくれました。
薬では安定して良くならないことを勘案して、電気けいれん療法をする決断をしました。この頃のことも、以前のブログに書いたと思います。
電気けいれん療法をするために、テグレトールを止めなければなりません。テグレトールは急に止めることができず、少しずつ減薬していくので、入院してから、時間がたっぷりありました。
そこで、いろんなことを考えました。本も読みました。たびたび気分が落ち込んで、病院の先生とも話しました。入院している、様々な症状の患者さんを見ました。
自分の症状より大変な方もいっぱい居て、精神疾患の病気の恐ろしさを実感しました。
俺も、そのような患者さんと同じ病棟に入院していて、健康な人とは違うんだということを実感しました。もうバリバリ仕事をしていた頃の自分じゃないんだと実感し、それを噛み締め、誰にも邪魔されずに悲しむ時間も、たっぷりありました。
世の中には、「あきらめるな!」と書いている本がいっぱいあります。
「あきらめるのは、まだ早い。いまからでも間に合います」というキャッチフレーズなど。
でも、あきらめないで得るものもあるかもしれないが、あきらめて得るものもあるんだ、と書いてある本がありました。
その本を読んだ時、双極性障害は、お酒を飲んではしゃいだり、何かに熱中してがんばりすぎたり、その他にもいろいろな行動を、あきらめなければならないけど、あきらめることで安定した気分で安定した生活が得られるのかも、と思ったのです。
そして、電気けいれん療法に関しても、退院後も、継続して維持の為の電気けいれん療法をすることになりました。そのたびに、入院しなければなりません。このことも社会生活を送る上で、制限になります。
それでも退院する頃には、様々な行動の制限があるのは仕方ないと思えるようになりました。一生、双極性障害と付き合っていこう、と。
俺は、入院している期間に十分時間があり、悲しむことができ、健康だった自分に別れを告げ、双極性障害である自分を受け入れられたんだと思います。入院中、医師や看護士や仲良くしてくれた入院患者の方々のおかげもあると思っています。
さらに、水島先生の「対人関係療法でなおす双極性障害」を再読して、入院して経験したことが、健康な自己の喪失の悲哀だったんだと認識しました。そして、無理せず、マイペースでできることをやっていこう、と今まで以上に強く思いました。
いまできることは、復職する為の準備として、デイケアに毎日行くこと。復職できるのは、いつになるか分かりませんが、心身の健康を第一にがんばっています。
そして、もし復職できたとしても(現在もそうですが)、今までの自分とは違うということを念頭において、できることとあきらめた方が良いことを判断しながら、やっていこうと考えています。
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僕も、期間は違いますが、だいたい同じような経過を経て、現在に至っています。
30年ほど前に発症したときはうつ状態と診断されたのですが、倒れては復帰することを繰り返した末、20年ほど前に社会からドロップアウトしてしまいました。
その頃はきわめて病状が重く、電気ショック療法も何度か受けたことがあります。
3年ちょっと前に病状が急変、心身の調子がすこぶるよくなって「治った」と大喜びしたのですが、それは躁転でした。
自覚のないままに、数々の問題行動を起こして、最終的には長期入院することになりました。
そこで初めて自分が双極性障害であることに気づいて、「もう生きていたくない」と絶望したものです。
それでも、いい治療を受けたおかげで、現在はかなり落ち着き、リハビリ生活を送っています。
あまり希望が見えなくても、なんとか生きていこうという気持ちになれたのは、自分の病気を受け入れて、それとつき合いながら生きていく覚悟ができたからだと思います。
水島先生の「対人関係療法でなおす双極性障害」はとてもいい本みたいですね。
機会があったら、ぜひ読んでみようと思います。
これからも、どうかよろしくおつき合いくださいね。
目から鱗が落ちる言葉でした。
私も躁鬱病で休職中です。
復職に対する不安でいっぱいでしたが、心が少し楽になりました。
どうも、有難うございます。
森のクマさんも、覚悟ができるまで大変な経験をされたのですね。貴重な経験談を書いてくださり、ありがとうございました。
こちらこそ、よろしくお願いします。
お互い、焦らず、着実に、復職に向けて進んでいけると良いですね。