読書の森

藤雪夫.桂子 『獅子座』



終戦後間もない昭和27年、美貌の戦争未亡人が失踪した。
8歳と6歳の娘を育てる為、一日中ミシン踏みの内職をして、働き続ける優しい母だった。

夫の所有していた三鷹の土地が売れるという話に、彼女が飛びついたのは無理もない。
やっと娘たちにも楽な思いをさせてやれる、彼女は生き返る気持ちになった。
娘たちの好きな物を土産を買ってくると約束して、いそいそと出かけたのである。
木枯らしの吹くクリスマスイブの事だった。
そして、それっきり、母親は帰って来なかった。

この物語は、30年後の東京が舞台である。
あれから娘たちは孤児院に預けられた。
遺された長女美佐緒は、世の中の冷たい泥水を浴びても、必死に妹を護り、母親の消息を求めていた。

その頃ある金融業者が謎の死を遂げる。
そこから起きる連続殺人。
熱血であるが、心が優しすぎて繊細な刑事菊地はその事件を追う内に、山中で美佐緒の母親の白骨死体を発見した。
菊地は遺品を確認しに来た美佐緒に一目で惹かれてしまう。

事件の真相は何か、
二人はそれぞれ探求する内に、知りたくない真実を知ってしまうのだった。

30年前の殺人事件を糊塗する為に起きた殺人の動機はあまりにも哀しいものだった。
二人は相手を気遣うあまりに、物語は悲劇的な結末を迎える。

トリックもよく工夫されたミステリーである。
しかし、今読むとトリック自体はさほど目新しいものでもない。

この物語の魅力は、一貫して流れるモノクロの名画でも見る様な哀愁である。
昭和59年に上梓された物語が未だ文庫として図書館の蔵書である事、それが取りも直さず魅力が褪せない本だという事だ。



1984年、藤雪夫は娘桂子の助けを借りて、この本一冊を世に出して間もなく亡くなった。

実は、この本自体が30年の時を経て、削除加筆訂正をして世に出たものである。
当時推理小説家として活躍していた鮎川哲也の推薦を受け、見事に30年の想いを果たしたのである。

元々藤氏は電気工学の研究者であり、30代からその傍で好きな小説を書いていた。
鮎川哲也との親交がその頃あったのである。

江戸川乱歩賞の制定される以前、1955年に江戸川乱歩が選んだ、いわゆる第0回江戸川乱歩賞に藤雪夫も鮎川哲也も応募した。
そして、鮎川哲也が『黒いトランク』で一席に、藤雪夫が『獅子座』で次席となった。

この後鮎川哲也は流行作家となって、推理小説界の一人者となる。
一方、次席である故に『獅子座』は世に出なかった。
その後雪夫は作品に恵まれず、本業の研究に戻ってしまうのである。

退職後彼は再び構想を練り、文才に恵まれた娘と協同して物語を作った。
出版された本の評判は高い。
その最中に藤雪夫は惜しくも急逝するのだ。
言わば、この本は藤雪夫という優れた文才と感性を持った人間の命を込めた一冊なのである。



私はこの本が初版の時、興味を持って購入した。
謂れのある作品と当時から評判が高かった事と、戦後間もない時代への郷愁から買った。
実はその時さほどの感慨が湧かなかった。
ただ、戦前生まれの藤雪夫が醸し出す、古きき良き時代の香りを嗅いだだけである。

引っ越しが重なった時、他の単行本と同じくこの本を手放してしまったのを、後悔する事になる。
会えなくなってからその価値が分かる懐かしい友人の様な本である。

後日図書館で何度か借りる事になった。

最近訪れた図書館で文庫で見つけた時、この本への想いを残す為ブログにしようと思った。

ここに私の好きな恋が描かれている。
物語の中の恋は悲恋に限ると私は思う。



ただし、私の読み方は邪道である。
このミステリーに描かれたトリックやアリバイ作りは非常に頭脳的であり、優れている。
専門家やミステリーファンはそこに一番惹かれたと言う人が多い。

電気工学が専門の藤雪夫に閃いたのは、最初はこの巧緻なトリック(科学的である)だったのかも知れない。

娘の桂子さんも後にミステリー作家となり、ロマンチックミステリーを残している。
彼女の手によって、女性らしい細やかな感情の動きがこの物語に出たのかも知れない。

それでも、あっと驚くプロットは藤雪夫が最初から意図していたものではないか。
というのは、刑事にしては情のあり過ぎる菊地の人物像は最初から考えていたからだ。
鮎川哲也が作品の出来る推移を記憶していた。

ともあれ幻のミステリーのネーミングが魅力的なこの物語で、古き良き時代は充分に味わえると思う。

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