★東奥日報「岩木山・花の山旅」のこと★
昨日は「オクエゾサイシン(奥蝦夷細辛)」という花の紹介だった。このシリーズで花種を選んだ時、当然、紙面にはカラー写真が掲載されるということを念頭に置いている。そして、それを受けた文章にも、その「色彩」が登場する。コメントには「淡い臙脂色の小袖」とある。
なぜ、このようなことを書いているかというと、昨日の「岩木山・花の山旅」はカラー写真でなく、「モノクロ写真」だったのである。それを見た時、私はハンマーで頭をガツンと殴られた気分になった。
その文章の抜粋を紹介しよう。
「…ふと光沢のある葉が眼についた。数歩行って振り返って見たら、その葉がちょうど眼の高さにあった。背丈が10cmほどの葉柄の根元には枯れ葉に頬杖をついているような臙脂色の小花が見えている。オクエゾサイシンである。これは花の付き方や咲き方が他の花と違っていておもしろい。違っていることは変なことではない。これが個性であろう。葉も花も何とみずみずしいことだろう。」
「モノクロ」写真だとこの文章に表出されている「光沢も色具合もみずみずしさ」も、さらに「これらが総合的に醸し出す描画性」も出ないのである。「せっかく、東奥日報社の配慮でこのような機会を与えてもらった」のにと考えると、返すがえすも残念でならない。
昨日、担当のS記者から「お詫び」の電話があり、今日からは「カラー写真」になるとのことだった。今日は「ヤマシャクヤク」である。
☆今日で、毎日欠かさず200回目☆
今日でブログを書き始めて200回目になる。ということは200日毎日欠かさず書いてきたということである。
書いてきてあらために気づいたことがある。それは何かしらの行動があると、確実に「書ける」ということである。つまり、最低でもその行動自体を文章化すればいいのである。ただし、この「ブログ」は「岩木山を考える会事務局長」という肩書きで書いているわけだから、書く内容はまず「岩木山を考える会」のことに限定される。
少しその幅を広げても岩木山のこと、自然保護のことなどに制約されるということだ。その縛りがないならば、もっと書きやすいのであろう。
毎日、岩木山を考える会のことだけ、岩木山のことだけ、自然保護のことだけに生きているわけではない。だから、この制約はちょっぴり辛い。
というわけで、この200回のうちで2回ほど「コンピュータ」に関係することを書いたことがある。このジャンルまで広げていいのであれば、書く内容の幅はもっと広がるだろう。いつか書いたと思うが、Windowsマシンはすべて「組み立て」たもので、それぞれのパーツの特性や、OSもVistaあり、x64 Editionありとそれぞれの違いやら特性について書くことは容易だ。
この「組み立て」を(仰々しく)、少なくとも私にはそう思われるが「自作」と呼んでいる。しかし、かつてアマチュア無線の受信機を自作したり、パーツを手作りしたときのことと比較すれば、コンピュータの自作と呼ばれている行為は「組み立て」と呼ぶのに相応しい。
どうしても、「組み立て」できないコンピュータもある。それはApple社のMacである。手を加えても、せいぜいメモリを付加したり、ビデオカードを交換したりする程度だ。CPUの交換すらままならない。現在Mac Proを使っているが、これはOSのすばらしさ、ソフト面での優秀性、アメリカ的でない(粗雑でない)丁寧で整然としたまるで職人技を思わせるハード構成と静音性などに惹かれているからである。つまり、書くことはたくさんある。だから、もうすでに書いているわけだ。
ところで、この「goo ブログ」の作成・編集画面で、「新しい記事を投稿します。」の下欄にある「※記事編集中に別の画面(他のメニュー/プレビュー画面からのテキスト・画像リンクなど)にジャンプすると記事の内容が失われます。」には閉口している。
原稿を書き終えて「投稿」をクリックすると「ログイン」画面にジャンプして、その瞬間に、書いた原稿が消去されてしまうのである。
「ご注意ください。」との指示はあるが、これは私の意志や手違いでの「ジャンプ」ではない。この200回の、200日の中で、すでに5回も経験した。字数にすると10.000字を越える量である。
実は昨日も「2581字」の文章を書き終えて、「投稿」をクリック、「ログイン」画面が出て、「あー、それまでよ」となった。悔しいの一語に尽きる。
この「goo ブログ」は無料で開設できる。無料とはいえ、これはひどくはないか。無料にはこのようなリスクがつきものなのだろうか。何とかして貰えないだろうか。「投稿」クリックが恐怖の一瞬であり、疲れが倍加する。
昨日は「オクエゾサイシン(奥蝦夷細辛)」という花の紹介だった。このシリーズで花種を選んだ時、当然、紙面にはカラー写真が掲載されるということを念頭に置いている。そして、それを受けた文章にも、その「色彩」が登場する。コメントには「淡い臙脂色の小袖」とある。
なぜ、このようなことを書いているかというと、昨日の「岩木山・花の山旅」はカラー写真でなく、「モノクロ写真」だったのである。それを見た時、私はハンマーで頭をガツンと殴られた気分になった。
その文章の抜粋を紹介しよう。
「…ふと光沢のある葉が眼についた。数歩行って振り返って見たら、その葉がちょうど眼の高さにあった。背丈が10cmほどの葉柄の根元には枯れ葉に頬杖をついているような臙脂色の小花が見えている。オクエゾサイシンである。これは花の付き方や咲き方が他の花と違っていておもしろい。違っていることは変なことではない。これが個性であろう。葉も花も何とみずみずしいことだろう。」
「モノクロ」写真だとこの文章に表出されている「光沢も色具合もみずみずしさ」も、さらに「これらが総合的に醸し出す描画性」も出ないのである。「せっかく、東奥日報社の配慮でこのような機会を与えてもらった」のにと考えると、返すがえすも残念でならない。
昨日、担当のS記者から「お詫び」の電話があり、今日からは「カラー写真」になるとのことだった。今日は「ヤマシャクヤク」である。
☆今日で、毎日欠かさず200回目☆
今日でブログを書き始めて200回目になる。ということは200日毎日欠かさず書いてきたということである。
書いてきてあらために気づいたことがある。それは何かしらの行動があると、確実に「書ける」ということである。つまり、最低でもその行動自体を文章化すればいいのである。ただし、この「ブログ」は「岩木山を考える会事務局長」という肩書きで書いているわけだから、書く内容はまず「岩木山を考える会」のことに限定される。
少しその幅を広げても岩木山のこと、自然保護のことなどに制約されるということだ。その縛りがないならば、もっと書きやすいのであろう。
毎日、岩木山を考える会のことだけ、岩木山のことだけ、自然保護のことだけに生きているわけではない。だから、この制約はちょっぴり辛い。
というわけで、この200回のうちで2回ほど「コンピュータ」に関係することを書いたことがある。このジャンルまで広げていいのであれば、書く内容の幅はもっと広がるだろう。いつか書いたと思うが、Windowsマシンはすべて「組み立て」たもので、それぞれのパーツの特性や、OSもVistaあり、x64 Editionありとそれぞれの違いやら特性について書くことは容易だ。
この「組み立て」を(仰々しく)、少なくとも私にはそう思われるが「自作」と呼んでいる。しかし、かつてアマチュア無線の受信機を自作したり、パーツを手作りしたときのことと比較すれば、コンピュータの自作と呼ばれている行為は「組み立て」と呼ぶのに相応しい。
どうしても、「組み立て」できないコンピュータもある。それはApple社のMacである。手を加えても、せいぜいメモリを付加したり、ビデオカードを交換したりする程度だ。CPUの交換すらままならない。現在Mac Proを使っているが、これはOSのすばらしさ、ソフト面での優秀性、アメリカ的でない(粗雑でない)丁寧で整然としたまるで職人技を思わせるハード構成と静音性などに惹かれているからである。つまり、書くことはたくさんある。だから、もうすでに書いているわけだ。
ところで、この「goo ブログ」の作成・編集画面で、「新しい記事を投稿します。」の下欄にある「※記事編集中に別の画面(他のメニュー/プレビュー画面からのテキスト・画像リンクなど)にジャンプすると記事の内容が失われます。」には閉口している。
原稿を書き終えて「投稿」をクリックすると「ログイン」画面にジャンプして、その瞬間に、書いた原稿が消去されてしまうのである。
「ご注意ください。」との指示はあるが、これは私の意志や手違いでの「ジャンプ」ではない。この200回の、200日の中で、すでに5回も経験した。字数にすると10.000字を越える量である。
実は昨日も「2581字」の文章を書き終えて、「投稿」をクリック、「ログイン」画面が出て、「あー、それまでよ」となった。悔しいの一語に尽きる。
この「goo ブログ」は無料で開設できる。無料とはいえ、これはひどくはないか。無料にはこのようなリスクがつきものなのだろうか。何とかして貰えないだろうか。「投稿」クリックが恐怖の一瞬であり、疲れが倍加する。