お寺さんの「今月の言葉」がはりだされる、ガラス戸付きの掲示板がムラに何箇所かあるの。そこに、「悲しみを知らない喜びは欺満になる。喜びを知らない悲しみは卑屈になる。」ってあった。
桜のことから、なかなか前に進めない日を過ごしている。ありがたいのは忙しいこと。ズブズブと沼に沈む前に、引っ張りあげてくれる自分のやるべき役割があること。ここから学んで生かせる未来があること。
心のどこかが泣き続けている時間を短くするには、あの出来事を受け入れて、許さなくちゃいけないのだけど、行ったり来たり。仕方ないか。
桜のことから、なかなか前に進めない日を過ごしている。ありがたいのは忙しいこと。ズブズブと沼に沈む前に、引っ張りあげてくれる自分のやるべき役割があること。ここから学んで生かせる未来があること。
心のどこかが泣き続けている時間を短くするには、あの出来事を受け入れて、許さなくちゃいけないのだけど、行ったり来たり。仕方ないか。
それで喪失感が単純に埋められるとは思わないけど、
三四郎くんは嬉しいかも。
誕生日に植えてあげられると良いけど、
植えるには季節の条件があるから、そうもいかないね。
2本植えて、三四郎桜と このは桜に
できたら良いね。
そういうのとは違うけど、うちの町では
桜の苗木を町民が川沿いに植えて、
それぞれに子どもの名前をつけたよ。
うちの桜も2本あるよ♪
そうね、植えられたらいいけど、
家の土地は、とりあえず、
むずかしそうだな、今は。
時期は調べてみよう。いつかのために。
ありがとう。
そうそう!
このはがおなかにいることが分かったときに見つけた
モミジの赤ちゃんを桜の根元から移植したのが
今、このはの背丈くらいになっているのを
守らなくちゃ!!
説明書きをつけなくちゃ!!
工事が始まる前の年、水路の底のヘドロ採りのため森の中に建設重機が乱暴に入って樹木を傷つけていたのを目撃した私は、村の新年総会の席で、「この村の森は、中津市内の中でも数少ない貴重な緑だから、あの林の木を切ったり傷つけてはいけない」と訴えた。すると、村の区長を勤めた長老が、すかさず、「百姓しているものには、田畑に日陰ができるのは好ましくない」と言ったのです。
そのとき私は思いました。このような人たちには、神様がバチを与えるという恐ろしい物語を聞かせなければ、していいことと悪いことの区別ができない、幼児と同じなのだな、と。
樹木は私たちよりはるかに長い歴史を生きている。そして、究極的には、私たちは、地上の緑が不可欠なのですよね。
おもちゃフェスタはにぎわっていますか?
あ、こっちは、今回は幸い、たいしたことなかった~。
まだ雨が降ってるけど。
忙しい中、パソコンのモニターは、まだ直らないんでしょう?
この書き込みも、まだ見ることはできないのかな?
おもちゃフェスタの報告と写真、楽しみにしているよ~。
長い歴史の間、その樹達に守られてきたことに気付いて欲しいです!