C'est la vie.

人生ままならぬもの。成り行き任せか、C’est la vieか。電子のカオスの中で思いが遂げられたらと思う今日この頃。

核兵器の訓練でダンゴムシのポース?

2017-10-07 00:04:58 | Weblog

 北朝鮮のミサイル発射が相次ぐ中、学校や地域でミサイルに備えた防災訓練が行われているニュースがよく流れている。正座した姿勢で上半身を前に倒し、両腕で頭を抱え込む「ダンゴムシのポーズ」を子供たちにさせている。地震の防災訓練であれば、それでもよかろう。しかし、北朝鮮のミサイル問題は核開発と密接に結びついており、もし危機があるとすれば、それは通常兵器ではなく核兵器に対する訓練でないとおかしい。とすれば、広島、長崎という人類で唯一の各被害を受けた日本人なのに、核兵器のことをあまりにも知らない、悲しい訓練に見えてしまう。

爆風は防いでも、放射線は飛んでくる

 イラクやシリア、アフガニスタンなど中東で連日のように伝えられる戦闘のように通常兵器(シリアでは化学兵器が使われたようだが)である限り、ダンゴムシのポーズは有効だろう。体表面積を小さくして、爆発によるさまざまな飛来物を避けることは意味があるといえる。しかし、核兵器はまったく別物だ。爆発や爆風は同じように避けられるかもしれない。だが、一緒に飛んでくる放射線はどう避けるのか。もちろん、避ける方法などはありはしない。全身を高エネルギーの中性子線やガンマ線が突き抜け、細胞のDNAをずたずたに切り裂いていく。また炭素や水素など体を形作る元素は放射線によって分裂し、人間の体そのものが放射能となってしまう。厚い壁の中にいて、放射線を避けられたとしても、核爆発で舞い上がった物質は、人間の体同様、放射化されており、いわゆるフォールアウトとなって、ありとあらゆる場所を汚染する。事故直後の福島原発の中に何の防備もせずに入るようなものだ。

被爆者の世話をするだけで新たな被爆者に

 広島、長崎の原爆被害は爆発直下にいる人が強烈な高温により一瞬にして消えたり、爆風と熱線によって大やけどをして亡くなったりなど、爆発の大きさを強調する物が目立つ。確かでそうであるけど、問題なのはその後なのだ。私の知り合いの家族は被爆当時、小学生から中学生ぐらいのきょうだいが7人ぐらいいたが、70歳を超えるぐらいまでに全員ががんで死んでしまった。中には被爆もしておらず、被爆直後の広島にも入ってない人もいた。しかし、その人は広島市郊外に運ばれてきたけが人の看護をしていた。先ほど書いたように、けが人そのものが放射線を出していた。それを浴びた仲間の何人かが、間もなく白血病のような症状を起こし死んでしまったという。

竹槍でB29と変わらない

 結局、ダンゴムシのポーズは核爆発の前には何の役にも立たないのだ。東西冷戦の頃、核兵器の被害を恐れた米国やロシアはシシェルターをつくり、モスクワなどの地下鉄は核シェルターも兼ねているので恐ろしい深さにある。そうした物を何も持たず、ダンゴムシのポーズで対応しようとする日本人。竹槍でB29と戦おうとしたころと何も変わっていないようだ。

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