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【妄言】チベット騒乱―中国は対話を拒むな【和文/朝日社説】

http://www.asahi.com/paper/editorial20080319.html#syasetu2

 多くの人たちが死傷した中国チベット自治区ラサの騒乱は治安部隊に鎮圧され、街は厳重な監視下に置かれた。一方で、僧侶や住民の抗議行動は四川省など周辺に広がり、死者が出たとの情報もある。北京の大学でも抗議行動があった。

 インドに亡命しているチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は中国当局を非難し、国際機関による調査を呼びかけた。だが、中国当局はダライ・ラマと全面対決の構えである。流血の事態がさらに続くのではないかと心配だ。

 この間、北京で開かれていた国会にあたる全国人民代表大会は、国家や政府、軍の新たな指導者や予算を決めて閉幕した。胡錦濤国家主席、温家宝首相は続投し、2人を補佐する国家副主席と副首相に、次世代のリーダーと目される習近平氏と李克強氏があてられた。

 中国当局は、新体制でチベット騒乱に臨む。閉幕後の記者会見で、温首相は「ダライ・ラマ一派が北京五輪の破壊を狙ったものだ」と述べた。さらに「独立を求めず、平和的対話を求めている、というダライ一派の言葉が偽りであることを示すものだ」と語り、対話を拒む姿勢を示した。

 だが、今回の騒乱の背景には、チベットの信仰の自由と少数民族の自治、漢民族との経済的な格差などの複雑な問題がある。対話を拒んで力だけで押さえ込もうとしても、それは不可能だろう。

 今回の事件を聞いて、世界の人々の頭をよぎったのは、89年の天安門事件と80年のモスクワ五輪だろう。天安門事件では学生らの民主化運動を武力で鎮圧し、国際社会の非難を受けた。モスクワ五輪は、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して多くの国がボイコットした。

 中国がさらに手荒な方法を取れば、北京五輪をボイコットしようという国が出てくるかもしれない。それは中国にとっても、世界にとっても不幸なことだ。

 いま必要なのは、平和的な解決に向けて事件の真相解明と真剣な対話をすることである。

 犠牲者数だけをとっても、中国当局とチベット亡命政府の主張に大きな差がある。騒乱後、外国人が閉め出されたため、現地の状況はわからない。ほぼ平常に戻っていると言うのならば、国際的な調査団を受け入れてはどうか。

 双方による対話は02年から水面下で続けられてきたが、行き詰まっている。ダライ・ラマ側が「高度な自治」を求めているのに対し、中国当局は「ダライ・ラマは中国からの独立を捨てていない」と疑っているからだ。

 だが、相手を疑っているだけでは対話は進みようがない。少なくとも、自治権をこれまで以上に拡大することなしには、チベット民族の不満を解消することはできまい。

 いかに対話にはずみをつけるか。難しい問題だからこそ、新しい指導者たちに柔らかな発想を求めたい。


 世が世ならなら「暴支膺懲」と書いたところ。戦後の朝日としては、精一杯の中国批判といってよいだろう。
 とはいえ、中国批判のフリをしながら、「北京オリンピック成功」「チベットはあくまでも自治」と全体では中共のスタンスを擁護し、問題解決の方法として「対話」しか持ち出さない平和ボケっぷり、所詮は朝日。
 しかもその「対話」でさえ、中共が一方的に拒否して進展が止まっているにも係らず、双方に原因があるかのように相対化している。
 奥歯にものの挟まったような、胃にもたれるような読後感を受ける。


 私見を述べると

>中国がさらに手荒な方法を取れば、北京五輪をボイコットしようという国が出てくるかもしれない。それは中国にとっても、世界にとっても不幸なことだ。
→中国にとっては面子がつぶれ不幸かもしれないが、世界にとって不幸だとはとても考えられない。

>少なくとも、自治権をこれまで以上に拡大することなしには、チベット民族の不満を解消することはできまい。
→何度も書くが、チベットのみに関していえば投下した権益を回収し、独立させればすむ話。

 再読して気がついたが、この似非中国批判社説では「人道」「人権」が一言も使われていない。朝日新聞としては、日本に在住する外国人の人権擁護には熱心なのに、中国の少数民族の人権はどうでもいいようだ。

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