兵藤庄左衛門、批評

芸術、芸能批評

舞台芸能、批評、シェイクスピア

2012-12-27 20:32:33 | 舞台芸能批評
批評、シェイクスピア

・ビデオ『シェイクスピア全集1,2 じゃじゃ馬ならしⅠ,Ⅱ』90年、演出:ジョン・アリソン、出演: カレン・アースティン、フランクリン・シールズ
現代的演出の抱腹絶倒早口しゃべくりナンセンスコメディー。じゃじゃ馬キャタリーナとペトルーチオのキャラのぶつかりあいはおもしろい。解説にあるように戯曲を読んでも今ひとつだろうが、実演すると目が離せなくなる。ペトルーチオのじゃじゃ馬ならしはおもしろいが、最後にじゃじゃ馬キャタリーナが従順になるとちっともおもしろくない。

・ビデオ『シェイクスピア全集3,4,5 ロミオとジュリエットⅠ,Ⅱ,Ⅲ』89年、演出:ウイリアム・ウッドマン、出演:アレックス・ハイド=ホワイト、ブランチェ・ベーカー、ダン・ハミルトン
本シリーズはスタジオ撮影されているが、なるべく当時の劇場の規模に合わせたこじんまりとした舞台設定になっている。その分、制作費が安かろうと思われる。
小田島雄志:訳のテキストが付いているので一部テキストと映像を見比べただけでも、映像の方が簡略で、脇役の数を減らしせりふを少なくし、シンプルで分かりやすく力強い演出になっている。たいていシェイクスピア劇の翻訳を読むと、全文が長く美辞麗句の長詩になっていて、登場人物も多くせりふはやたら多く、本筋から逸脱するようなコミックな場面が随所にちりばめられている。おそらく現代の作家なら半分以下の長さに翻案してしまうだろうことは予想される。こういう長たらしいのはシェイクスピアに限らず、文楽、歌舞伎、古典小説など古典ものに顕著である。昔は時間をゆっくりかけ長い美辞麗句の数々を堪能するのが楽しかったのだろう。さしずめ長編連載漫画がそんな調子だろう。
この演出でも少しはせりふや登場人物をカットしているが、だいぶ原作に忠実な方で、今ではリアル感がない長たらしいせりふでも忠実にたどっていくことが多い。その分シェイクスピアの原作の雰囲気を味わいやすい。パリスの死に方などシェイクスピアの筋立てに納得できない面も少々あるが、よくこれだけの近代的青春像を中世道徳譚から生み出せたものだ。またシェイクスピアの悲劇って血塗られた残酷劇でマーダーでサスペンスみたいなものに思える。本作品の絶品は、フランコ・ゼッフィレリ監督映画とレオナルド・ディカプリオ主演映画、蜷川幸雄演出舞台を挙げておく。
役者の演技はよい。台詞回しが長すぎ現代的感覚ではリアル感がないが、それでもどうにかリアル感を保っている。古典的雰囲気と現代的感覚をなんとかバランスをとりつつまとめている。美辞麗句満載な韻詩の長詩を浪々と語り聞かせるわけですな。

・ビデオ『シェイクスピア全集6,7,8 リチャード二世Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ 』81年、演出:ウィリアム・ウォードマン、出演:デビッド・ブルーニー、ポール・シェナー、ジョン・マクリアム
 一種とらえどころのないリチャード二世の性格の描き方が面白い。ハムレットのように内省的でノーブルで正義感があり、というわけで、なにやらハムレットみたいな性格ね。個人的には好かれながらも、政治権力の渦の中で人身御供にならざるをえないこともある。当時のイギリス人はこういう人物像に共感したということでしょう。

・ビデオ『シェイクスピア全集9,10,11 ウィンザーの陽気な女房Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ 』89年、演出:ジャック・マンニング、出演:グローリア・グラハム、バレリ・シーリー・スナイダー、レオン・チャールス
はちゃめちゃな男たちがおもしろい。けっこうテンポもよくドタバタ騒ぎの連続がいいですな。ラストシーンの全員登場でのこれまでのだましのいきさつを語るところは、説明が長たらしく、せっかくおもしろおかしくテンポよく進んできたのに緩慢になり、気持ちが萎えてくる。

・ビデオ『シェイクスピア全集12,13,14 オセロⅠ,Ⅱ,Ⅲ 』82年、演出:フランクリン・メルトン、出演:ウィリアム・マーシャル、ジェニー・アグター、ロン・ムーディ
悪党イアーゴーは魅力的だ。できればもっとかっこいいといいのだが。デスデモーナは可愛らしい。オセロとデスデモーナが不倫疑惑で言い合う場面がありながら、オセロが疑惑の確信を言わないので、デスデモーナ自身は何を疑われているのか分からない。単純かつ公明正大なオセロは相手を愛しているのなら、具体的に話をする方が合理的に思われるので、納得しにくい場面だ。それにしても四大悲劇みなマーダーで、ホラー・サスペンスといっていい。

・ビデオ『シェイクスピア全集15,16,17 リア王Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ 』89年、演出:アラン・クック、出演:マイク・ケレン、キティー・ウィン、ジェラ・ジャコブソン
 このデモーニッシュさ、暗鬱かつ血塗られた惨劇、色と欲、不信、疑惑、権謀術数の果てに人間の哀れさが引き立つ。人は愛情や正義によって生き生きするのだろうが、憎悪やよこしまな計略によっても生き生きするものでもあるのか。人とは何たる不可解な存在か。登場する正義の者たちはすばらしいがついていけない。そこへいくと、こすっからした小人物の悪党どもに共感している自分がいた。

・ビデオ『シェイクスピア全集18,19,20 マクベスⅠ,Ⅱ,Ⅲ 』81年、演出:アーサー・アレン・サイデルマン、出演:ジェレミー・ブレット、パイパー・ローリー、アラン・オッペンハイアー
ホラー・サスペンス・ドラマにして権力闘争劇、欲望に取り付かれた血塗られた惨劇、日本では黒澤以後、「蜘蛛の巣城」とも呼ばれるジェレミー・ブレットの演技がよい。

・ビデオ『シェイクスピア全集21,22,23 アントニーとクレオパトラⅠ,Ⅱ,Ⅲ 』83年、演出:ロウレンス・カーラ、出演:ティモシー・ダルトン、リーン・レッドグレイプ、アントニー・ゲェリー
 主人公の二人を最終的には肯定しているが、他のシェイクスピア劇同様、変に美化していない。わがままや悩みのある人間像として描き最終的に悲劇となる。場面転換が多いので、舞台上演は大変だろうが、やりようでどうにかなろう。本上演では、シェイクスピア当時の古式を重んじ、舞台装置はそのままで、場面転換はもっぱら役者のせりふによってである。これは能や狂言の場面転換と同じで、それらに慣れていればさして苦にならない。これは言霊による場の設定であるようだ。原文英語は美しい詩として評価されている。だからせりふが人口に膾炙するのだろう。日本の俳句や短歌の一節みたいなものだろう。

・ビデオ〘シェイクスピア全集24,25 テンペストⅠ,Ⅱ』83年、演出:ウイリアム・ウードマン、出演:イクレム・ジンバリスト、ウィリアム・H・バセット、テッド・ソレル
 この1600年代初めの時代に、音楽付きというか歌唱付きの音楽劇があったのを知った。シェイクスピアの作品でも唯一で、彼の最後の作品である。これ以後彼は引退した。内容は、軽い喜劇で、人の欲望やら何やらを許す、救済するといったものだ。彼が悲劇や史劇で幾度となく描いてきた、人間のおどろおどろしさを、軽妙に明るく希望をもって描いているのが印象的だ。引退作で、彼は重荷が取れやれやれといった希望を感じる。私も早いとこ隠居したい。10代の頃から隠居爺さんにあこがれていたのでね。役者の歌唱は今ひとつうまくない。
ちなみに演出のウイリアム・ウードマンはこれまでもウォードマン、ウッドマンとカタカナ記載されていたので、それを尊重したが、アルファベット記載ではどれも同じスペルなので同一人物である。

・DVD「ヴェニスの商人」劇団四季、作:ウィリアム・シェイクスピア、訳:福田恒存、演出:浅利慶太、装置:金森馨、土屋茂昭、照明:沢田祐二、衣装:レッラ・ディアッツ、音楽:松村禎三、125分、04年10月自由劇場
 役者たちがマイクなしでもせりふが聞こえるように腹式呼吸で話すことを実感できる。聞きやすく見やすい演出だ。衣装や背景の舞台設定はオーソドックスだ。折り目正しくきっちり作られた正当劇で真っ向勝負だが、ユダヤ人・シャイロックの差別されるひがみ根性、わびしさ、悲しみ、孤独感が描かれる。日下武史の複雑な名演と若手役者の直球熱情の瑞々しさがよい。浅利慶太はシャイロックという人物像によく日を当てたものだ。シェイクスピアの悪役の描き方は単なる正義役のための道具ではなく、魅力的に厚みのある劇的効果を生みやすい人物像だとされる。だがこの割り切れないシャイロックというキャラクターは喜劇としてはすっきりしない人物ではないか。それでもあえてこういう人物像を設定したのはなぜか。何かやむにやまれぬ熱情があるのだろうか。シェイクスピア作で福田訳の原作をテンポよく歯切れよい台詞回しにして3分の1ほどカットしているようだ。散文台詞として見やすく締まった脚色だ。