7月中に終わらせようと思っていたのですが、8月に入ってしまいました。最終回として、送別会や帰国について書きます。少々細かいですが。
<アメリカ人の先生との別れ>
6/25(水)午前、赴任以来たいへんお世話になったアメリカ人の先生夫妻が一足先に帰省しました。来学期は陝西省内の別の都市の大学に移るそうです。いずれにしろ私はこれでお別れです。夫妻は宿舎の前から大勢の学生や先生に見送られて、車で空港に向かいました。奥さんの先生は泣いていました。私はその前々日に、荷物整理で雑然としているお宅に伺って挨拶をし、メールのやり取りを約束したのですが、英語でうまく感謝の気持ちが表せないのが、もどかしかったです。
<送別会・挨拶など>
6/24(火)~25(水)、二年生の会話の面接試験のとき、2年間ありがとうございましたと私にお礼を言う学生がたくさんいました。むしろ私のほうがお世話になったのですが。泣き出してしまった学生もいます。私も胸がいっぱいでした。
6/25(水)、会話の試験が終わった夕方、二年生の一つのクラスの学生が私を呼びに来ました。連れられて教室に行ってみたら、クラスの全員が私を待っていてくれたのです。みんなが紙で作った金平糖みたいな星が521個と小さな手紙がたくさん入ったきれいな瓶を一つくれました。521は発音の類似から「我愛你」を意味するそうです。それから一人ひとりと一緒に写真をとり、今度は校庭へ出て、全員で写真を撮りました。
6/26(木)の夕方、二年生のもう一つのクラスの全員が宿舎の近くまで来て、キャンパス内の道路で私の送別会をしてくれました。大きな花束とクラスのアルバム(一人ひとりの自己紹介や手紙が書いてある)をもらいました。そして全員で「蛍の光」を歌ってくれました。日本人が歌うのと少し違うところもありましたが、感無量です。それから全員と、また一人ひとりと写真をとりました。
6/28(土)の午後、同僚の先生や学生たち計12名が私の宿舎に材料持参で来て、同僚の先生を中心にみんなでにぎやかに料理を作ってくれました。送別夕食会です。鯉の煮物(勧められてスープをご飯にかけて食べたらとても旨かった)、豚肉の料理、野菜の料理などたくさん並びました。食器洗い等、あと片付けはみんなでしてくれたのですが、それでもみんなが帰ったあと、掃除、整理等けっこう時間がかかりました。にぎやかな時間のあとは、一層寂しく感じます。
7/3(木)夜、親しい三年生二人が生の餃子などを買ってきて、夕食を作ってくれました。送別会のつもりです。食後、前日買ってきてくれて冷やしておいたスイカを食べながら、ゆっくり話をしました。彼女たち(一人は私の中国語の先生)は自由会話やオフィスアワーには必ず来てくれましたし、学食でお昼を一緒に食べることも多かったので、もっとも親しいと言えるでしょう。帰国して家に着いたらすぐ電話をすると約束しました。
7/6(日)夜、円形運動場のそばで臨時の、そして最後の太極拳の練習です。私の先生である二年生の男子学生ともう一人の親しい男子学生の3人で練習しました。というか、二人で教えてくれました。これは私の送別会のつもりなのです。散歩の人たちが我々の練習を眺めながら通り過ぎます。終わってからふたりは、いつものように自習のために教室へ、私は宿舎へ帰りました。
7/7(月) の夕方、突然でしたが、学部や外事部門の先生方による送別会が近くの聚龍酒店でありました。出席者は私を入れて計15人です。私の送別会のほかに、3人の先生が西安の大学院に入るので、激励会を兼ねていました。3人(内2人は日本語の先生)は休職的な、あるいは派遣的な扱いになるようです。きっと補充のための増員があるのでしょう。例によって何回もにぎやかに乾杯がありました。私も今回は一人ひとり乾杯して回りました。当地ではゲストが挨拶のスピーチをするという習慣はないようなので助かります。大学からすごく重い記念品をいただきました。
7/8(火)の朝、学院長(学長)に英語プラス中国語で挨拶をしました。赴任したときにはしなかったので、今回が最初で最後です。これまた重い記念品をいただきました。
7/8(火)の昼、今度は私が招待して何人かの三年生と開発区の華都酒店で食事をしました。ずいぶんお世話になったのに、一緒に食事をしたことがなかった人たちへのお礼のつもりです。
さて、またあまり内容に関係のない写真を載せます。左は当学院の北キャンパスの校舎です。社会人教育をやっていますが、中心街に近い便利なところにあります。私の好きな渭南の建物の一つです。右は、私が帰省するときに前泊する美倫酒店(MELODY HOTEL)の部屋から見た西安(西大街)の夜景です。美倫酒店の前から空港行きのリムジンバスが出るので、ここに宿泊するのはとても便利なのです(狭いですが、シングルで@198元)。
<帰国>
7/8(火)は、敷布団を干したり、シーツを洗濯したりし、また荷物の整理をしました。その晩は渭南の祥龍賓館(外事部門の先生に交渉してもらって@120元)に泊まりました。
7/9(水)の朝、宿舎にもどり、まだ終わっていなかった荷物の詰め込みを行いました。先生や学生たちからいろいろお餞別をいただいてしまったので、収納しきれません。とりあえず手提げ袋に詰めて出発することにしました。後任の人が使える物は残して行くことにして、後片付けはざっと行ったのですが、恥ずかしいことに掃除がほとんどできませんでした。
数人の親しい学生や学部の先生たちが見送りに来てくれました。宿舎の前で、みんなで何回も写真を撮りました。11時過ぎに大学の車(ワンボックス)で出発したのですが、先生が二人、学生が一人西安まで一緒に行ってくれました。途中渭南の郵便局によって一箱発送を依頼し、それから西安に行きました。美倫酒店でチェックインしてから、みんなで昼食に、鐘楼のそばの同盛祥で陝西省名物のヤンロウパオモー(どんぶり一杯の羊肉のスープに細かくちぎったモーが入っている)を食べました。この店ではモー(固いパン)を自分たちで細かくちぎって、それにスープを掛けてもらうのです。細かくちぎるほどいいそうです。私は、ヤンロウパオモーはあまり好きではありませんが、この店のは別です。旨かったのですが、冷房が効いているのに汗だくになりました。食後にみんなと別れました。
私はホテルの部屋で荷物を整理し、スーツケースに入らないものを持って鐘楼の前の郵便局に行き、ダンボールに詰めてもらって、無事に発送することができました。それから東大街の新華書店に行き、CDを何枚か買い込みました。夕食として、鼓楼の後ろの回民街(イスラム街)で牛串をたくさん食べ「青島純生」を飲んで、西安最後の夜を満喫しました(店によってはアルコールを置いていないので、入る前に確認する必要がある)。
7/10(木)は、6時のリムジンで空港へ行きました。国内線で北京まで行き、国際線に乗りかえるのです。フライト予定は、西安咸陽空港CA1206 8:55 → 10:40首都空港(北京)CA167 13:30 → 17:50 成田です。切符は大学で買ってくれたからいいものの、片道で総額9428元(14万円)もしました。倍以上になっています。オリンピックの影響で荷物検査等厳しいのではないかと心配したのですが、全然手間取りませんでした。初めて行った北京首都空港は、上海浦東空港より表示がわかりやすいので助かりました。ただ、やはりかなり歩きました(シャトルもかなり長かった)。北京で飛行機を下りるときだったか、乗るときだったか、バス利用だったので屋外に出たのですが、太陽がぼんやり見える白い空で、非常に暑かったです。去年の4月に北京に行ったときは、爽やかな青空だったのですが。成田(中国国際航空は第一ターミナル)に着いたら、ずいぶん緑が多いと感じました。少し遅れたのか、家に着いたのは9時ごろ(日本時間)です。さっそく先生や約束した学生二人に電話しました。学生は話しながら泣いていました。
私は、貴重な機会を与えてくれた渭南師範学院に感謝します。また、親切な先生方に、そして、子どもや孫のように可愛い学生たちに感謝します。
これで、「渭南便り」はおしまいです。読みにくい文章を読んでくださった方にお礼申し上げます。
<アメリカ人の先生との別れ>
6/25(水)午前、赴任以来たいへんお世話になったアメリカ人の先生夫妻が一足先に帰省しました。来学期は陝西省内の別の都市の大学に移るそうです。いずれにしろ私はこれでお別れです。夫妻は宿舎の前から大勢の学生や先生に見送られて、車で空港に向かいました。奥さんの先生は泣いていました。私はその前々日に、荷物整理で雑然としているお宅に伺って挨拶をし、メールのやり取りを約束したのですが、英語でうまく感謝の気持ちが表せないのが、もどかしかったです。
<送別会・挨拶など>
6/24(火)~25(水)、二年生の会話の面接試験のとき、2年間ありがとうございましたと私にお礼を言う学生がたくさんいました。むしろ私のほうがお世話になったのですが。泣き出してしまった学生もいます。私も胸がいっぱいでした。
6/25(水)、会話の試験が終わった夕方、二年生の一つのクラスの学生が私を呼びに来ました。連れられて教室に行ってみたら、クラスの全員が私を待っていてくれたのです。みんなが紙で作った金平糖みたいな星が521個と小さな手紙がたくさん入ったきれいな瓶を一つくれました。521は発音の類似から「我愛你」を意味するそうです。それから一人ひとりと一緒に写真をとり、今度は校庭へ出て、全員で写真を撮りました。
6/26(木)の夕方、二年生のもう一つのクラスの全員が宿舎の近くまで来て、キャンパス内の道路で私の送別会をしてくれました。大きな花束とクラスのアルバム(一人ひとりの自己紹介や手紙が書いてある)をもらいました。そして全員で「蛍の光」を歌ってくれました。日本人が歌うのと少し違うところもありましたが、感無量です。それから全員と、また一人ひとりと写真をとりました。
6/28(土)の午後、同僚の先生や学生たち計12名が私の宿舎に材料持参で来て、同僚の先生を中心にみんなでにぎやかに料理を作ってくれました。送別夕食会です。鯉の煮物(勧められてスープをご飯にかけて食べたらとても旨かった)、豚肉の料理、野菜の料理などたくさん並びました。食器洗い等、あと片付けはみんなでしてくれたのですが、それでもみんなが帰ったあと、掃除、整理等けっこう時間がかかりました。にぎやかな時間のあとは、一層寂しく感じます。
7/3(木)夜、親しい三年生二人が生の餃子などを買ってきて、夕食を作ってくれました。送別会のつもりです。食後、前日買ってきてくれて冷やしておいたスイカを食べながら、ゆっくり話をしました。彼女たち(一人は私の中国語の先生)は自由会話やオフィスアワーには必ず来てくれましたし、学食でお昼を一緒に食べることも多かったので、もっとも親しいと言えるでしょう。帰国して家に着いたらすぐ電話をすると約束しました。
7/6(日)夜、円形運動場のそばで臨時の、そして最後の太極拳の練習です。私の先生である二年生の男子学生ともう一人の親しい男子学生の3人で練習しました。というか、二人で教えてくれました。これは私の送別会のつもりなのです。散歩の人たちが我々の練習を眺めながら通り過ぎます。終わってからふたりは、いつものように自習のために教室へ、私は宿舎へ帰りました。
7/7(月) の夕方、突然でしたが、学部や外事部門の先生方による送別会が近くの聚龍酒店でありました。出席者は私を入れて計15人です。私の送別会のほかに、3人の先生が西安の大学院に入るので、激励会を兼ねていました。3人(内2人は日本語の先生)は休職的な、あるいは派遣的な扱いになるようです。きっと補充のための増員があるのでしょう。例によって何回もにぎやかに乾杯がありました。私も今回は一人ひとり乾杯して回りました。当地ではゲストが挨拶のスピーチをするという習慣はないようなので助かります。大学からすごく重い記念品をいただきました。
7/8(火)の朝、学院長(学長)に英語プラス中国語で挨拶をしました。赴任したときにはしなかったので、今回が最初で最後です。これまた重い記念品をいただきました。
7/8(火)の昼、今度は私が招待して何人かの三年生と開発区の華都酒店で食事をしました。ずいぶんお世話になったのに、一緒に食事をしたことがなかった人たちへのお礼のつもりです。
さて、またあまり内容に関係のない写真を載せます。左は当学院の北キャンパスの校舎です。社会人教育をやっていますが、中心街に近い便利なところにあります。私の好きな渭南の建物の一つです。右は、私が帰省するときに前泊する美倫酒店(MELODY HOTEL)の部屋から見た西安(西大街)の夜景です。美倫酒店の前から空港行きのリムジンバスが出るので、ここに宿泊するのはとても便利なのです(狭いですが、シングルで@198元)。


<帰国>
7/8(火)は、敷布団を干したり、シーツを洗濯したりし、また荷物の整理をしました。その晩は渭南の祥龍賓館(外事部門の先生に交渉してもらって@120元)に泊まりました。
7/9(水)の朝、宿舎にもどり、まだ終わっていなかった荷物の詰め込みを行いました。先生や学生たちからいろいろお餞別をいただいてしまったので、収納しきれません。とりあえず手提げ袋に詰めて出発することにしました。後任の人が使える物は残して行くことにして、後片付けはざっと行ったのですが、恥ずかしいことに掃除がほとんどできませんでした。
数人の親しい学生や学部の先生たちが見送りに来てくれました。宿舎の前で、みんなで何回も写真を撮りました。11時過ぎに大学の車(ワンボックス)で出発したのですが、先生が二人、学生が一人西安まで一緒に行ってくれました。途中渭南の郵便局によって一箱発送を依頼し、それから西安に行きました。美倫酒店でチェックインしてから、みんなで昼食に、鐘楼のそばの同盛祥で陝西省名物のヤンロウパオモー(どんぶり一杯の羊肉のスープに細かくちぎったモーが入っている)を食べました。この店ではモー(固いパン)を自分たちで細かくちぎって、それにスープを掛けてもらうのです。細かくちぎるほどいいそうです。私は、ヤンロウパオモーはあまり好きではありませんが、この店のは別です。旨かったのですが、冷房が効いているのに汗だくになりました。食後にみんなと別れました。
私はホテルの部屋で荷物を整理し、スーツケースに入らないものを持って鐘楼の前の郵便局に行き、ダンボールに詰めてもらって、無事に発送することができました。それから東大街の新華書店に行き、CDを何枚か買い込みました。夕食として、鼓楼の後ろの回民街(イスラム街)で牛串をたくさん食べ「青島純生」を飲んで、西安最後の夜を満喫しました(店によってはアルコールを置いていないので、入る前に確認する必要がある)。
7/10(木)は、6時のリムジンで空港へ行きました。国内線で北京まで行き、国際線に乗りかえるのです。フライト予定は、西安咸陽空港CA1206 8:55 → 10:40首都空港(北京)CA167 13:30 → 17:50 成田です。切符は大学で買ってくれたからいいものの、片道で総額9428元(14万円)もしました。倍以上になっています。オリンピックの影響で荷物検査等厳しいのではないかと心配したのですが、全然手間取りませんでした。初めて行った北京首都空港は、上海浦東空港より表示がわかりやすいので助かりました。ただ、やはりかなり歩きました(シャトルもかなり長かった)。北京で飛行機を下りるときだったか、乗るときだったか、バス利用だったので屋外に出たのですが、太陽がぼんやり見える白い空で、非常に暑かったです。去年の4月に北京に行ったときは、爽やかな青空だったのですが。成田(中国国際航空は第一ターミナル)に着いたら、ずいぶん緑が多いと感じました。少し遅れたのか、家に着いたのは9時ごろ(日本時間)です。さっそく先生や約束した学生二人に電話しました。学生は話しながら泣いていました。
私は、貴重な機会を与えてくれた渭南師範学院に感謝します。また、親切な先生方に、そして、子どもや孫のように可愛い学生たちに感謝します。
これで、「渭南便り」はおしまいです。読みにくい文章を読んでくださった方にお礼申し上げます。