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世界の仲間

世界の仲間たちの手紙です。日本語教育通信もあります。

渭南便り No.34 (春から夏へ8――最終回)

2008-08-02 11:48:52 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 7月中に終わらせようと思っていたのですが、8月に入ってしまいました。最終回として、送別会や帰国について書きます。少々細かいですが。

<アメリカ人の先生との別れ>
 6/25(水)午前、赴任以来たいへんお世話になったアメリカ人の先生夫妻が一足先に帰省しました。来学期は陝西省内の別の都市の大学に移るそうです。いずれにしろ私はこれでお別れです。夫妻は宿舎の前から大勢の学生や先生に見送られて、車で空港に向かいました。奥さんの先生は泣いていました。私はその前々日に、荷物整理で雑然としているお宅に伺って挨拶をし、メールのやり取りを約束したのですが、英語でうまく感謝の気持ちが表せないのが、もどかしかったです。

<送別会・挨拶など>
 6/24(火)~25(水)、二年生の会話の面接試験のとき、2年間ありがとうございましたと私にお礼を言う学生がたくさんいました。むしろ私のほうがお世話になったのですが。泣き出してしまった学生もいます。私も胸がいっぱいでした。

 6/25(水)、会話の試験が終わった夕方、二年生の一つのクラスの学生が私を呼びに来ました。連れられて教室に行ってみたら、クラスの全員が私を待っていてくれたのです。みんなが紙で作った金平糖みたいな星が521個と小さな手紙がたくさん入ったきれいな瓶を一つくれました。521は発音の類似から「我愛你」を意味するそうです。それから一人ひとりと一緒に写真をとり、今度は校庭へ出て、全員で写真を撮りました。

 6/26(木)の夕方、二年生のもう一つのクラスの全員が宿舎の近くまで来て、キャンパス内の道路で私の送別会をしてくれました。大きな花束とクラスのアルバム(一人ひとりの自己紹介や手紙が書いてある)をもらいました。そして全員で「蛍の光」を歌ってくれました。日本人が歌うのと少し違うところもありましたが、感無量です。それから全員と、また一人ひとりと写真をとりました。

 6/28(土)の午後、同僚の先生や学生たち計12名が私の宿舎に材料持参で来て、同僚の先生を中心にみんなでにぎやかに料理を作ってくれました。送別夕食会です。鯉の煮物(勧められてスープをご飯にかけて食べたらとても旨かった)、豚肉の料理、野菜の料理などたくさん並びました。食器洗い等、あと片付けはみんなでしてくれたのですが、それでもみんなが帰ったあと、掃除、整理等けっこう時間がかかりました。にぎやかな時間のあとは、一層寂しく感じます。

 7/3(木)夜、親しい三年生二人が生の餃子などを買ってきて、夕食を作ってくれました。送別会のつもりです。食後、前日買ってきてくれて冷やしておいたスイカを食べながら、ゆっくり話をしました。彼女たち(一人は私の中国語の先生)は自由会話やオフィスアワーには必ず来てくれましたし、学食でお昼を一緒に食べることも多かったので、もっとも親しいと言えるでしょう。帰国して家に着いたらすぐ電話をすると約束しました。

 7/6(日)夜、円形運動場のそばで臨時の、そして最後の太極拳の練習です。私の先生である二年生の男子学生ともう一人の親しい男子学生の3人で練習しました。というか、二人で教えてくれました。これは私の送別会のつもりなのです。散歩の人たちが我々の練習を眺めながら通り過ぎます。終わってからふたりは、いつものように自習のために教室へ、私は宿舎へ帰りました。

 7/7(月) の夕方、突然でしたが、学部や外事部門の先生方による送別会が近くの聚龍酒店でありました。出席者は私を入れて計15人です。私の送別会のほかに、3人の先生が西安の大学院に入るので、激励会を兼ねていました。3人(内2人は日本語の先生)は休職的な、あるいは派遣的な扱いになるようです。きっと補充のための増員があるのでしょう。例によって何回もにぎやかに乾杯がありました。私も今回は一人ひとり乾杯して回りました。当地ではゲストが挨拶のスピーチをするという習慣はないようなので助かります。大学からすごく重い記念品をいただきました。

 7/8(火)の朝、学院長(学長)に英語プラス中国語で挨拶をしました。赴任したときにはしなかったので、今回が最初で最後です。これまた重い記念品をいただきました。

 7/8(火)の昼、今度は私が招待して何人かの三年生と開発区の華都酒店で食事をしました。ずいぶんお世話になったのに、一緒に食事をしたことがなかった人たちへのお礼のつもりです。

 さて、またあまり内容に関係のない写真を載せます。左は当学院の北キャンパスの校舎です。社会人教育をやっていますが、中心街に近い便利なところにあります。私の好きな渭南の建物の一つです。右は、私が帰省するときに前泊する美倫酒店(MELODY HOTEL)の部屋から見た西安(西大街)の夜景です。美倫酒店の前から空港行きのリムジンバスが出るので、ここに宿泊するのはとても便利なのです(狭いですが、シングルで@198元)。
   

<帰国>
 7/8(火)は、敷布団を干したり、シーツを洗濯したりし、また荷物の整理をしました。その晩は渭南の祥龍賓館(外事部門の先生に交渉してもらって@120元)に泊まりました。

 7/9(水)の朝、宿舎にもどり、まだ終わっていなかった荷物の詰め込みを行いました。先生や学生たちからいろいろお餞別をいただいてしまったので、収納しきれません。とりあえず手提げ袋に詰めて出発することにしました。後任の人が使える物は残して行くことにして、後片付けはざっと行ったのですが、恥ずかしいことに掃除がほとんどできませんでした。
 数人の親しい学生や学部の先生たちが見送りに来てくれました。宿舎の前で、みんなで何回も写真を撮りました。11時過ぎに大学の車(ワンボックス)で出発したのですが、先生が二人、学生が一人西安まで一緒に行ってくれました。途中渭南の郵便局によって一箱発送を依頼し、それから西安に行きました。美倫酒店でチェックインしてから、みんなで昼食に、鐘楼のそばの同盛祥で陝西省名物のヤンロウパオモー(どんぶり一杯の羊肉のスープに細かくちぎったモーが入っている)を食べました。この店ではモー(固いパン)を自分たちで細かくちぎって、それにスープを掛けてもらうのです。細かくちぎるほどいいそうです。私は、ヤンロウパオモーはあまり好きではありませんが、この店のは別です。旨かったのですが、冷房が効いているのに汗だくになりました。食後にみんなと別れました。
 私はホテルの部屋で荷物を整理し、スーツケースに入らないものを持って鐘楼の前の郵便局に行き、ダンボールに詰めてもらって、無事に発送することができました。それから東大街の新華書店に行き、CDを何枚か買い込みました。夕食として、鼓楼の後ろの回民街(イスラム街)で牛串をたくさん食べ「青島純生」を飲んで、西安最後の夜を満喫しました(店によってはアルコールを置いていないので、入る前に確認する必要がある)。

 7/10(木)は、6時のリムジンで空港へ行きました。国内線で北京まで行き、国際線に乗りかえるのです。フライト予定は、西安咸陽空港CA1206 8:55 → 10:40首都空港(北京)CA167 13:30 → 17:50 成田です。切符は大学で買ってくれたからいいものの、片道で総額9428元(14万円)もしました。倍以上になっています。オリンピックの影響で荷物検査等厳しいのではないかと心配したのですが、全然手間取りませんでした。初めて行った北京首都空港は、上海浦東空港より表示がわかりやすいので助かりました。ただ、やはりかなり歩きました(シャトルもかなり長かった)。北京で飛行機を下りるときだったか、乗るときだったか、バス利用だったので屋外に出たのですが、太陽がぼんやり見える白い空で、非常に暑かったです。去年の4月に北京に行ったときは、爽やかな青空だったのですが。成田(中国国際航空は第一ターミナル)に着いたら、ずいぶん緑が多いと感じました。少し遅れたのか、家に着いたのは9時ごろ(日本時間)です。さっそく先生や約束した学生二人に電話しました。学生は話しながら泣いていました。

 私は、貴重な機会を与えてくれた渭南師範学院に感謝します。また、親切な先生方に、そして、子どもや孫のように可愛い学生たちに感謝します。

 これで、「渭南便り」はおしまいです。読みにくい文章を読んでくださった方にお礼申し上げます。

渭南便り No.33 (春から夏へ7)

2008-08-01 09:16:05 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 今回は、肝心な授業や試験のことなどを書いておこうと思います。最後の学期は、二年生の会話が週2回、三年生の作文(第二学期のみ実施)が週1回でした(いずれも2クラス)。会話の授業の1回は普通の教室(画面が見せられない)で、もう1回はLL教室でした。授業以外に、二年生の自由会話をクラスごとに週1回、一年生と三年生を想定したオフィス・アワーをそれぞれ週1回設けました。

<会話>
 最後の学期の会話の授業は、だいたい次のように組み立てました。①二分間スピーチ(週1回、2名、事後原稿提出)、②文型音読・文型練習、③会話音読・練習問題、④重要単語練習、が基本です。そして、⑤必要に応じて単語等の文化的意味説明や、⑥ときどき日本文化紹介を、また、⑦たまにロールプレーを加えました。⑧時間が余ったときはテレフォン・コーナーも行いました。以前は討論会もやったことがあるのですが、今学期は行いませんでした。なお、授業を始める前に、季節の話題やきょうは何の日かというような話を毎回しました(http://www.ffortune.net/calen/nannohi/index.htmを参照しました)。
 ②と④の練習では、ランダムに指名して、その文型あるいは単語を使って自由に文を作らせるのです。これを授業の中心にしました。なお、重要さに応じて指名する人数を変えました。学生に質問することにより、その文型や単語を使った発話を導き出すということは、私にはごく初歩的な段階でしかできなかったので、この方法にしたのです。
 ⑤は、例えば教科書に地名や料理の名前が出てきたら、インターネットで集めた写真を見せて、説明するなどです。学生たちは料理の写真を見るのが大好きです。⑥では、俳句や短歌あるいは日常生活を紹介したり、CDをかけたり、映画・テレビドラマ・バラエティー番組などを見せたりしました。歌舞伎を見せたこともあります。ドラマなどは単語リストを配ったり、ときどき止めて解説したりしました。
 ⑦のロールプレーは、2人(3人も許容)一組で練習し、ランダムに指名して5組ぐらい発表してもらいました。自由度が高いほうが学生にとっては面白いようなので、使用する文型以外の条件は付けないこともありました。ロールプレーの反省ですが、練習時間をたっぷり取るべきだったと思います。また、全員に発表してもらったほうがよかったのかもしれません。それに一組一組もっと丁寧にコメントすべきでした。
 ⑧のテレフォン・コーナーは、学生が私に電話を掛けるという練習で、時間が余ったときに、名簿順に4~5人行いました。でたらめな用件を考えてもらうのですが、けっこう盛り上がりました。
 しかし私は、会話の授業そのものは、習得にはそれほど貢献していないのではないか、授業はしょせんペースメーカーに過ぎないのではないか、という気が最近しています。結局学習者の努力あるのみだと思うのです。

 今回も内容に関係がない写真を載せます。いずれも西安で撮ったものですが、左は西大街から入った路地にある旗の店です。この辺は看板屋などが軒を連ねています。演劇舞踏用品の店もありました。右は木陰で麻雀を楽しむ人たちです。渭南でもこのように男女を問わず木陰でよく麻雀をやっています。地面に升目の紙を敷き、人々に取り囲まれて、大きな丸い駒の将棋のようなものをやっている人(みな男性)もよくいます。
   

<自由会話>
 会話の授業では、1クラス30人余りのため、一人ひとりが話す時間が少ないので、自由会話の時間を設けたのです。自由会話は、他学部の、机を動かせる教室を借りて実施しました。自由会話に出席したのは、初めのころは2/3ぐらい、終わりごろは1/3ぐらいでした。それで2~3グループに分け、各グループでその場でテーマを決めて、日本語だけで会話をすることにしました。私は、初めは討論できそうなテーマを提案したのですが、どうも気楽なテーマのほうがいいようなので、結局皆の自由に任せました。私は各グループを順に回りましたが、私が教室にいるだけで、日本語で話す気になるようです(最近、二三年生とも、友達同士で日本語で話すということを、よくやっているようです)。なお、最後に各グループから一人ずつまとめを発表してもらいました。
 自由会話は、私に余裕がないため工夫が足らず、そんなに人気がありませんでしたが、よく出席した学生には、特にコミュニケーション能力の進歩の目覚しい人が多いように感じます。私でなければもっと上手にできたでしょうが、まあこれでも効果があったかなと思います。

<作文>
 作文の授業は次のように進めました。①1分間スピーチ(3名)。②添削済みの先週の作文を返し、清書済みの作文を集める(チェックして返すため)。③添削結果説明のプリントを配って説明する。④教科書の要点説明。⑤それから作文実習です。もちろん、授業を始める前に少し話しをしました。なお、④の時間は短くし、⑤の作文実習の時間をできるだけ長くとりました。また、休憩時間は取らずに、その分早く終わるようにしました。作文実習中は自由に抜け出していいことにしたのです。
 作文の添削(2クラス計で40名余り)はたいへんだと思ってはいたのですが、毎週三連休(金~日)のうち2日がそれでつぶれてしまうのは予想外でした。おもに小論文を書かせたのですが、共通の問題点は次のとおりです。①ひらがなが正しくない。②日本の漢字と異なる簡体字を使う。③漢字を使うべきところで仮名書きにする。④普通体と丁寧体が混じっている。⑤話しことば(けれど、でもetc)や俗語を使う。⑥日本語にはない(あるいは日本語とは意味の異なる)中国語を使う。⑦「が」と「は」の間違い。⑧文頭と文末が一致していない。⑨主語が分からない。⑩主語が適切でない。
 私は作文の授業において、日本語では英語と同じくらい主語は重要であり、明示するしないに関わらず、主語を決めないと、自動詞・他動詞、能動態・受け身・使役、授受(補助)動詞においてどれを使うか決まらないし、格助詞が決まらない、と説明したのです。また、並列する節の場合(対比を除く)、なるべく主語を統一したほうがよいとも説明しました。これについては、私自身もっと勉強が必要ですが。

<最後の試験――作文>
 作文の試験は、添削に時間がかかるため、早めの6/19にいつもの授業と同じように実施しました。小論文ですが、知識を必要としない、誰でも書ける(はずの)テーマにしました。授業時の実習で各学生の実力は分かっていたつもりですが、試験の結果は普段の成績と必ずしも一致しませんでした。翌週、添削ずみ作文を説明プリントとともに返しました。判定基準は、 文法・語彙(50%)、 内容・構成(50%)としました。
 授業時に作文実習を11回行いましたが、全体としては回を重ねるにつれて上達しているとなんとか言えそうです。当試験においてもおおむね実習の成果が現れていると考えますが、実習時にはそれほど好成績でないものや授業にほとんど出席していないものが最高レベルの成績を修めるという例外もありますし、実習時より成績の悪いものも少数ながらいますので、授業の成果については、会話と同様あまり自信がありません。

<最後の試験――会話>
 会話の試験は6/24、25に実施しました。一人5分の個人面接ですが、順番による不公平をなくすため、質問事項はあらかじめ知らせておきました。判定基準は、 発音・流暢さ・聴解力(40%)、 文法・語彙(30%)、 内容(30%)としました。内容は準備できるので(準備してほしかった)、実力以上に高い点になったかもしれません。前回に比べて上達の著しい者が多いと感じました。ごく少数の男子学生は退化していました。

 振り返れば、会話も作文もあまりうまくできなかったというのが実感です。特に会話の授業は、ベテランの人であればもっと上手にできるでしょうし、若い人であればもっとてきぱきと密度高くできるでしょう。授業は、私自身には楽しかったのですが、学生には退屈だったでしょう。申し訳なかったと思います。さて、この「渭南便り」も次回で最終回とするつもりです。

渭南便り No.32 (春から夏へ6)

2008-07-31 18:31:24 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
<帰国準備>
 4月末に学生と一緒に郵便局へ行って、日本へ荷物を送る方法について調査しました。最初、渭南の本局に行ったのですが、忙しかったせいか非常に不親切で、詳しいことが分からないため、別の小さな局にも行ってみました。分かったことは次のとおりです。

1.荷物を家まで取りに来てくれるサービスは郵便局にはない。
2.航空便・SAL便(空運水陸路)・船便(水陸路)があり、いずれも小さな局でも扱う。
3.郵便局で販売するダンボール(2種類見かけたが、数種類あるらしい)しか使えない(大箱@11元)。
4.梱包は、①局に荷物を持って行って詰めてもらうか、②あらかじめ箱を買って家で詰め、局に持って行ってチェックを受けた上で蓋をとじるか、のどちらか。
5.衣類は、本局では領収書のある新品以外は不可とのことだったが、小さいほうの局ではOKとのこと。
6.営業時間は8:00~18:00(昼休みなし)。営業日は平日とのことだが、土曜日は平日なのかどうか聞き忘れた。
7.料金は
種類 1kgまで あと1kgごと 重さ制限
航空便 124.2元 29.6元 30kg
SAL便(空運水陸路) 110.9元 16.3元
船便(水陸路) 108.0元 13.4元

 なお、渭南には国際業務をしている運送会社はありませんでした。それから、不親切だった本局ですが、すいている時間に行ったら案外親切でした。

 内容に関係ありませんが西安の写真を載せます。左が大雁塔(三蔵法師がインドから持ち帰った経典などを保存するために建立された)で、右が碑林博物館の碑亭です。西安には何十回か行きましたが、いつも買い物か用事で、あまり観光はしませんでした。
   

 さて、郵便局でダンボールを買ってきたものの、忙しくてなかなか詰め込みができませんでしたが、ようやく7/1(火)の朝、小さいほうの郵便局にダンボール(大箱)を5箱持ち込み、船便で出しました。学校が車を出してくれると言っていたのですが、連絡がつかず、代わりに学生が手配してくれた運送屋の小型トラックで運びました。積み込むのもすべて学生たちがやってくれました。郵便局では中身を一つ一つ徹底的に調べられ、杭州みやげにもらったレンコンの澱粉(くず湯)はだめとのことでした。オリンピックに備え特別厳しくなっているそうです。通達が貼ってあり、確かに粉はだめでした。局の人は、陶器(飾り物類)は割れるから送らないほうがいいというのですが、ほかに方法がないのでやむをえないと答えました。私がせっかくきれいに詰め込んだ物も雑に入れなおされました。しきりに航空便を進められましたが、船便にしました。船便は、郵便局で受け付けるが、それから民間会社に引き渡されると聞いていたからです。民間会社のほうが扱いが丁寧かもしれないと期待したのです。局で1時間ぐらいかかりました。送料は5箱で約1,500元です。出し終わって一安心で、学生たちとレストランで大いにビールを飲み、昼食を食べました。店では従業員たちが朝礼みたいなものをやっていて、そのうちに歌を歌いだしました。共産党設立記念日なのだそうです(1921年、上海で結成)。歌は八路軍だか人民解放軍だかの歌とのことでした。
 なお、まだ履ける靴など捨てて荷物を減らしたのに、まだスーツケースに収まらず、結局帰国の前日、渭南の局でもう一箱出しました(約300元)。今度は、CDはだめだとはじかれました。まったく不可解です。その日は西安に前泊したのですが、まだ手荷物が多かったので、さらに西安の郵便局(鐘楼の前)に荷物を持ち込みました。これは小さい箱(二番目の大きさ)に詰めてくれましたが、中身はまったくチェックせず、CDを渡してもそのまま詰め込んでくれました(約200元)。局によってずいぶん違うものです。送料は全部合計して約2,000元(3万円、物価換算で20万円)です。日本から発送するのと同じくらいですから、ずいぶん高いです。

 ところで、最初の荷物は18日間で、後から送った荷物は22日かかって我が家に着きました。郵便局のダンボールは厚いし、非常にしっかりしているので、これなら大丈夫と思ったのですが、家に着いたダンボールはみなつぶれていて、哀れな姿でした。ダンボールが破れて、中国郵政のセロテープで補修してある箱がいくつかありました。よく中身が無事に届いたものです。陶器やガラス製品のいくつかは粉々に欠けていました。日本の宅急便などではこんなことは一度もありませんが、中国では荷物を投げるのでしょう。どんなに厳重に梱包しても、衣類以外は安心して送ることはできません。それでも大半は無傷で届きました。西安で出した一箱は、後で中身を検査したようです(たぶんX線で見て怪しい物を)。プレゼントの小箱の包装紙が、丁寧に上からセロテープで貼りなおされていました。また、私は、伝票にはきちんと書いたものの、段ボール箱には届け先だけしか書かなかったのですが、送り主欄に書き加えてくれてありました。

 さあ、これですっかり日本に帰ってきてしまいました。

渭南便り No.31 (春から夏へ5)

2008-07-29 15:19:29 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 中国はどこに行ってみても急速に発展しているということが分かります。渭南も例外ではありません。町がどんどん発展しているのを実感しました。今回は渭南の町の変化と、書き残した渭南の自然環境とについて書きます。

<渭南の町の変化>
 この2年間に町がだいぶ整備されてきました。工事中だった道路や建物が完成してきたからです。新しいショッピングモールや飲食店街などができました。左の写真は新しくできたスーパーです。一方では、右の写真の建物(飲食店などになっていた)のように最近取り壊されてしまったものもあります。渭南で唯一由緒ありそうな建物でしたのに。渭南の建築ラッシュは続いています。多くはマンションで、それも一棟単位ではなく団地として大規模に建設されています。町にはまだ黄土の露出した空き地がたくさんあります。宿舎の近く(キャンパスの隣)でも団地が建築中です。当学院の教職員はほとんど新旧キャンパスの宿舎に住んでいるようですが、不動産の値上がりを見越して(恐れて)、今のうちにマンションを購入する先生もいます(ある先生が買ったマンションは約130平米)。たしかに、来年西安との間の高速鉄道が開通すれば渭南は大幅に発展し、不動産も値上がりするでしょう。高速鉄道といえば、西安への高速道路から、建設中の高架の線路が見えます。予定どおり進んでいるのかどうかは分かりませんが。
   
 ところで、赴任当初はたくさん走っていた、軽自動車のように小さなオンボロのタクシーは、いつの間にか姿を消し、普通のタクシーばかりになりました。脱線しますが、渭南は乗り物のカンブリア時代だなと思います。日本では絶滅した、あるいは存在しなかった車両がいろいろ走っているからです。例えば、日本では今は見られないオート三輪がたくさん走っていますし、下の写真のように、日本にはもともと存在しなかった(?)物もあります。これは耕運機ではなく、レンガ*運び用の車両です。リヤカーを引いた自転車、と思ったらエンジンが付いているなど、手作りではないかと思われる車両もいろいろあります。

* -- 渭南では、レンガは今でも主要な建築材料なのです。壁や塀を作るのに使われますが、工期が短く、突然立派な塀ができていてびっくりすることもあります。

<渭南の自然環境>
 渭南は、特に緑が多いとは思えませんが、旧キャンパスのあたりにはカッコーやコノハズクなどがいます。新キャンパスでもホオジロなどいろいろな鳥がさえずっています。蝿や蚊など虫が多いからでしょう、ツバメ(昼)やコウモリ(夜)が群れを成して飛んでいます。夜、太極拳の練習をしていると、ぶつかりそうにコウモリが飛んできます。ある日夜中に書斎の窓を開けたら、近くの木から白っぽい大きな鳥が逃げて行きました。ひょっとしたらフクロウではないかと思うのですが、フクロウがいても不思議ではありません。渭南は雨の少ない自然環境の割には生物相が豊かだと思います。ところで、渭南や西安ではカラスを見たことがありません。
   
 私は授業のとき、ときどき教室の窓からユアン(土偏に原)と呼ばれる黄土丘陵を眺めるのですが、菜の花のときなどとてもきれいです。ユアンに登ってみると、道端の草はほとんどは日本と同じ人里植物ですが、めずらしい野草もいろいろあります(写真2枚—野草だと思いますが自信はありません)。私は陝西省の黄土丘陵の端正な景色が好きです。

 これは以上でアップし、あと一二回で終わりにします。

渭南便り No.30 (春から夏へ4)

2008-07-27 15:18:13 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 「渭南便り」はまだ続きます。中国で日本語教師をするに当たって、仕事以外の目的が三つありました。それは、①旅行、②中国語、③太極拳です。まず、旅行については、一番行きたかったシルクロード、つまり新疆へ行くことができなかったのが心残りです。渭南の駅で何回かウルムチ行きの列車を見て、ぜひ行ってみようと思っていたのですが。それを除けば、これまで「渭南便り」で報告したようにいろいろ行けたので、特別に旅行好きというわけではない私には、これで十分だと思っています。

<習い事1――中国語>
 次の中国語ですが、2年間中国にいて、結局ほとんど進歩しませんでした。いまだに聞くのも話すのもだめです。当初、留学生用の中国語の授業を当てにしていたのですが、留学生がいない当大学ではそれは不可能でした。今度留学生が来るのでそういう授業が始まる、と何回も聞いたのですが、今までのところまだ留学生は来ていません。学生に教えてもらう手もあったのですが、気が進みませんでした。しかし、昨年暮れ、親しい学生(三年生)が毎晩教室掃除のアルバイトをしていると聞いたので、それだったら、その代わりのアルバイトとして私に日本語を教えてくれない?と頼んだのです。彼女は喜んで引き受けてくれました。冬休み中にわざわざ西安まで行って、私のために教科書(写真)を探しておいてくれたのです。3月から6月まで彼女のレッスンを受けました。毎週1回(1コマ)です。
 1回目で、これは効果があると実感しました。独学するのと違って、①まず、いろいろ質問に答えてもらえる。②次に、チェックをしてもらえる(発音、文法、表現など、自分で正しいと思っていても間違っていることがたくさんある)。③それにいろいろ応用練習ができるからです。彼女は厳しい先生で、密度の高いレッスンでした。

 発音の例ですが、私は「安」「飯」「晩」の発音がおかしいと指摘されました。私は、anのaは日本語のアと同じだと思っていて、anとangの違いは、nとngの違いだけだと思っていたのです。注意されてからよくCDを聞いてみると、anのaはややエに近いということがわかりました。あと直されたのが、例えばsha、cha、zhaです。私の発音ではそれぞれxia、qia、jiaと聞こえると言うのです。それからz、zh、jは破擦音ですが、摩擦音になってしまっていることも指摘されました。また、応用練習のおかげで、多少会話力がアップした感じがします。ほとんど進歩しなかったと書きましたが、わずかな進歩はあったのです。それで、なんとか電話も掛けられるようになりました。もっとも電話の相手が私に慣れたということもあるのですが。
 レッスンの時間は、彼女の日本語学習にとっても、けっして無駄ではなかったようです。教える立場に立ってみて分かったこともあるのでしょう。私はもっと早く始めればよかったと後悔しました。

<習い事2――太極拳>
 そして、三つ目の目的の太極拳です。子どものときから練習しているという二年生の男子学生に、昨年11月末から教えてもらいました。初めは間欠的だったのですが、今年の3月からは毎週土曜日の19:30から1時間ぐらい定期的に練習するようになりました。二年生たちが体育の授業で習った「24式太極拳」というのを教わりました。太極拳は、ラジオ体操と違って左右対称ではありませんので、初めはなかなか覚えられませんでした。やっているのを見ると簡単そうですが、見るのとやるのは大違いです。それでも、何とか最初の部分を覚えてからは、順調に覚えられるようになりました。注意は、①まず、姿勢をよくし、リラックスして動作すること。②非常にゆっくり動作すること、③呼吸を動作に合わせること、④動作は円(球)を描くようにソフトにすること、です。まだ「先生」のようにかっこよくはできませんが、何とか「24式」を最後まで覚えました。専門家の映像データもあるので、今後もだんだん洗練させていくつもりです。

<習い事3――二胡>

 5月末、渭南の楽器屋に行き、おみやげにと思って、一番安い二胡を買いました(写真)。私は「CCTV音楽」(テレビチャンネル)が好きで、ときどき見ていたのですが、民族楽器の演奏をよくやっています。それで二胡に興味を持っていたのです。演奏法のDVDでも買って帰り、練習する気になったら、それで練習すればいいやと思っていたのですが、店の人が、最初は先生について練習したほうがいい、すぐ近くに先生がいるからとしきりに勧めるのです。彼女は私をすぐ近くの音楽教室まで連れて行ってくれました。私は二三回しか来られないがと説明して、レッスンを受けることにしました。1回1時間で50元です。毎週1回(日曜日の午後)で、結局5回受けました。先生の話では開放弦の練習(左指を使わない練習)だけでも普通は2か月かかるそうですが、特別に速成のプログラムで進めてもらいました。たしかに、弓で音を出すだけでもたいへんです。2本の弦のうち高音弦はまだいいのですが、低音弦は今でもなかなかうまく弾けません。それでもドレミファを習い、最後は「さくらさくら」の練習をしました。さあ、日本に持って帰ってきたものの、どこで練習するかが問題です。けっこう音が大きいので。

 今回はこれだけでアップします。

渭南便り No.29 (春から夏へ3)

2008-07-26 17:03:35 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 日本に帰ってきてから半月が経ち、こうして我が家でパソコンに向かっていると、渭南にいたことが夢のように感じられます。さて、「回想」を続けます。

<学生たちの料理>
 4月初めの金曜日(私は授業がない)の昼、二年生(女性)3人が材料を持ってきて、それぞれの故郷(内蒙古、黒竜江省、福建省)の料理を作ってくれました。みな家ではほとんど料理をしたことがないというのに、どれもなかなか旨かったです。私はご飯を炊いただけですが、みなご飯がおいしいと喜んでくれました。たしかに学食のご飯はひどいですし、レストランのご飯もそれほどおいしくないですから、私が東北米(または福建米)を日本式に研いで炊いたご飯は、日本のご飯ほどではありませんが、いいほうかもしれません。愛用の炊飯器は、赴任時に渭南で買ったシンプルなものですが(@85元ぐらい)、20分ぐらいで炊けるのがとりえです。

 また、4月末の日曜日の午前、同僚から電話があり、学生たちが先生のところで料理を作りたいと言っているのですが、11時ごろいいですか、というのです。いやも応もありません、もう材料を買ったというので、やむを得ずOKし、大急ぎで部屋を掃除しました。同僚と学生たち(計7名)がやって来て、キッチンでみな大騒ぎをしながら(写真)料理を10種類ほど作ってくれました。どこの料理かわかりませんが、「団体料理」です。学生たちは私のために青島ビールも買ってきてくれました。私はお米を研いだだけです。休日といえども私は授業の準備や作文の添削などで忙しいのですが、学生たちが来てくれるのは嬉しいです。食後、学生たちは食器を洗い、掃除をしてくれてから帰りました。

<長恨歌>
 5月初旬、大学のある幹部が私と同僚を、華清池(西安市臨潼区所在)で上演されている「長恨歌」(舞劇)を見に連れて行ってくれました。夜8時開演のため7時ごろ同先生の車(日産TIIDA)で出発しました。華清池は驪山(りざん)のふもとで、玄宗皇帝と楊貴妃の離宮のあった所です(写真左は華清池の入り口)。着いたら、陝西省の省長など要人も来ていたようで、警察の警戒もありました。もらった入場券を見たら、なんと258元もします。
     
 池の上に広い舞台が作ってあり、舞台の床は液晶画面になっていて、舞台の後ろに大きなスクリーンもあります。池の周りの建物や、うしろの驪山全体にイルミネーションが施されており(月や滝まで作ってある)、実にスケールが大きいのです。
 内容は、楊貴妃と玄宗皇帝を中心に、大勢が踊るもので(上の写真右)、少数民族の踊りなども入るのですが、ナレーション以外の言葉は入りません。すべてダンスです。衣装はきれいですし、この公演のために1億元もかかっているそうで、ともかくすごい仕掛けです。楊貴妃の湯浴みのときは、観客席にいい匂いまで流れてきます。噴水にシルエットを映したり、死んだ楊貴妃が空中を飛んで去って行ったり、天女が我々の頭上を飛んで行き、紙ふぶきかなにかを撒き散らしたりもします。真っ白なハトもたくさん放されました。安禄山の乱のときは、火炎が上がりロケット花火も飛び交うのです(下の写真左)。たぶん1時間半ぐらいの公演だったと思いますが、十分楽しめました。
   
 それから渭南に帰り、比較的最近にできた飲み屋街(歩道にテーブルを並べてある)でご馳走になりました。背中にアンプ&スピーカーをしょって、回って歩いている流しのギター(カラオケ屋)もいます。客が頼むとスピーカーを地面においてマイクを客に渡し、伴奏を弾くのです。夜遅くてもにぎやかです。牛肉串(ニュウロウチュワン、写真右)をたくさん食べて、ビールを飲みました。

<スピーチコンテストのために>
 たしか5月10日に蘭州で開催された「第三回中華全国日本語スピーチコンテスト西北地区予選大会」のために、4月初めに学内選抜(出場枠1名)がありました。何人かの学生に原稿の添削を頼まれましたが、私は日本語以前の材料の問題として、①印象に残ること、②できれば感動的であること、③説得力があること、④独創的であること、が必要であると説明しました。抽象的なことを述べても、以上のどの条件も満たさないので、具体的でなければだめだ。なにか印象的な、できれば感動的なエピソードがほしい。特別な事柄でなくても、自分なりの発見があればいい。それから、スピーチでなにかを主張するわけだから、その論拠を整理して、説得できるようにしなくてはいけない、と説明したのです。応募したのは女子だけです。選抜の結果、一番熱心だった学生(二年生)が選ばれました。当日は三位(5番目)に入賞したそうです。

<後任決定>
 5月上旬、ようやく私の後任が決定しました。嬉しいことに今度は2名です。一人は私と同年代の男性、もう一人は若い女性です。当初、西安の大学経由で募集していて、ある程度話が進んでいたようですが、どうも他所へ行ってしまったらしく、改めて募集したのです。私も心当たりがないか頼まれましたが、結局紹介することができず、私とは関係なく話が決まりました。ともかく安心しました。今学期、中国人の先生も増強されましたし、これで日本語科も発展していくでしょう。

<四川大地震>
 5月12日(月)2時半頃、5階の研究室で一人の学生と中国語のレッスン(次回説明)を始めたとたん、テーブルが揺れ始めました。当地には地震はないと聞いていたので、地震と判断するのに数秒かかりました。渭南は赴任以来、マンションや店舗ビルの建築ラッシュなのですが、見たところ、比較的高層のビルでも鉄骨をまったく使っていないようです。日本並みの地震が来たらもたないでしょう。当地では鉄筋コンクリートで柱を作り、煉瓦で壁を作るのが一般的なようです。私は落ち着いていましたが、校舎がどのような構造なのか、どのくらいの地震に耐えられるのか分からなかったので、本当は怖かったのです。被害が発生したら写真を撮ろうと、たまたま持ってきたカメラを取り出しました。何人かの学生が「先生、怖い!」と研究室に飛び込んで来ました。震度3ぐらいの感じで、1分ぐらい揺れたでしょうか。教室では大騒ぎでした。ほとんどの学生はこれまで地震を経験したことがないからです。揺れが収まってから、みんなで外に出ました。大勢外に出ています。日は強いのですが、空気は涼しく、非常に爽やかな日でした。学生と円形運動場の周りを散歩し、コウシンバラを背景に写真を撮ったりしました。校庭にいる人が多くなりました。校舎や寮に立ち入り禁止との指示が出たそうです。しばらく学生たちと木陰で雑談したあと、荷物をとりに研究室に戻りました。(あとで気がついたのですが、研究室の壁には5か所ほどひびが入っていました。)それから皆と別れて私は宿舎にもどり、テレビを付けました。14:28発生、震源地は四川省の汶川(ぶんせん、ウェンチョワン)とのことです。当地から700kmぐらい離れています。夜、学生たちが来て一緒にテレビを見ましたが、8時になっても被害状況の報道がありません。震源地は、省都の成都から90キロしか離れていないのにです。学生が帰ってから、風呂に入ろうと思いましたが、水道が泥水になっていて、いくら水を出していてもきれいになりません。風呂はあきらめました。昨日も時間がなくて入っていないのに。

 日本語科の学生にも四川省出身の学生が4人ほどいますが、後日確認したところ、家族が大きな被害にあった学生は幸いいませんでした。しかし、他の学部の学生の中には肉親を亡くした人もいるそうです。被害報道が始まってからは、連日悲惨な状況が映し出されるので、気の毒でテレビを見ることができませんでした。温家宝総理は真っ先に現地に行き、ひどい状況の中で陣頭指揮していたようです。彼が映し出される画面からは、人々の泣き声が聞こえました。

 1週間後の5月19日(月)は、2:28に全員校庭で3分間黙祷しました。義捐金を募っているので、私もカンパしました。その夜遅く、風呂のお湯を入れていたら、学生から電話があり、今晩地震があるそうですので、先生も校庭に避難してくださいといいます。私は、それはうその情報ですよというと、テレビでやっていたらしいです、寮のみんなは避難を始めていますとのこと。それから同僚の先生からも避難するようにとの電話がありました。テレビを付けてみましたが、CCTV新聞も渭南のテレビ局もまったくそのような報道はしていません。やはりデマだと思い、ゆっくり風呂に入りました。同僚からまた電話があり、デマではなく、中国移動(China Mobile)自身からのメールで、今晩余震があるから避難するようにとの地震局の正規の連絡だというのです。中国移動に電話して確認したそうです。(私のケータイにはたまたまそのメールが届いていませんでした。)学院長の指示だとのことで、避難するように一生懸命私を説得するのですが、私は、心配してくれることには感謝するが、避難するつもりはない、自分の判断で行動すると答えました。同僚は、もう知りませんよ、と怒って電話を切りました。ドアがたたかれたので、私がパジャマのままドアを開けたら、お隣の中国人の英語の先生がすぐ避難したほうがいいといいます。私はThank you very much. But I won’t.と答えました。なんだかんだでだいぶ時間をロスしましたが、ようやく寝ることができました。

 後日学生に問題のメールを見せてもらいました。「中国地震局専門家の協議によると、19-20日汶川震区では比較的強い余震の発生する可能性が比較的大きい。我が省でも比較的強く感じる可能性がある(特に漢中、宝鶏などの地方)。どうぞ用心してください。パニックになってはいけません。」という内容が電報みたいに圧縮して書かれているのです。「今晩地震が起きる」という内容ではなく、別にデマメールでもなさそうでしたが、「19-20日」はどういう根拠でしょう。

 授業のとき私は学生に説明しました。「今晩地震が起きる」と言ったら、それはデマである。まだそのような予報はできない。しかし、地震後1か月ぐらい、特に1~2週間は余震の可能性は十分ある。余震は最初の地震よりも小さい。仮に同じ程度の地震が発生しても、校舎も寮も十分耐えられるだろう。1か月間校庭に避難しているわけには行かない。私はまったく平気だから通常通り生活する。と話したのです。学生たちはここのところよく寝ていないそうで、授業や自由会話も中止になったりしました。予報はまったく当たらず、強い余震があったのは5/25(日)の午後です。私は宿舎(2階)の書斎にいましたが、街灯が揺れるのが見えました。震度2ぐらいの感じでした。


<学生と日本料理を>
 5月上旬の金曜日、買ってきたスイカがおいしいので、一人の学生に、寮の同室の人とともに夕食を食べに来ないかと誘いました。手巻き寿司を作るつもりです。三年生3人(女性)が来ました。ご飯は私が炊きましたが、あとは私の指示でみんなに作業してもらいました。ネットで調べたレシピでまず寿司飯を作り、それから日本から持ってきたツナ缶などと当地の材料で具を作り、さらにサラダ(日本からのイタリアンドレッシング使用)とおみおつけ(日本からの味噌で)も作りました。海苔は当地でも売っているようですが、日本からのを使いました。8時にようやく食べることができましたが、作るのは楽しかったとみな喜んでくれました。なお、渭南はスイカの名産地です。特に大きなスイカがおいしく、ほとんど外れがありません。
 6月中旬の金曜日の夕、三年生2人(女性)と一緒にカレーライスとサラダなどを作りました。ところで、カレールーさえ日本から持っていけば、カレーライスは当地の材料で問題なくできます。中国の人にとってもおいしい料理ですので、日本のカレールーは、特に子どものいる家庭には喜ばれると思います。

 書きたいことがもう少しありますが、長くなったので次回にします。

渭南便り No.28 (春から夏へ2)

2008-07-23 00:06:25 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 渭南にいるうちに残りを書くことができないまま、あたふたと日本に帰ってきてしまいました。これではまったくブログではなく回想録ですが、急いで残りを書いてしまおうと思います。

<四川旅行>
 地震の起きる前の4月、成都等へ旅行(まる5日、あしかけ6日)に行ってきました。昨年と同様、運動会をサボって行ったのです。同僚とそのお母さんが同行し、現地では同僚の友人(学生)が案内してくれました。

 4/15(火)22:18西安発-(列車K165、軟臥、@274)→4/16(水)14:48成都着。16時間半の汽車の旅で、朝起きた頃に四川省に入りました。車窓には、白っぽい緑色の草の畑がえんえんと続くのですが、それが花の終わったアブラナであることは、すぐには分かりませんでした。地震報道でよく出てきた、綿陽や徳陽の駅に途中停車したのを覚えています。その晩は成都の繁華街をぶらつき、いい日本料理店があるというのでそこに入りました。料理はひどくまずかったのですが、「きりん一番搾り」が実にうまく感じました。イトーヨーカドー(写真左)と伊勢丹がありました。キャノン(佳能)やオリンパスなど日本メーカーの看板も目立ちます。また、華やかな店もありますし(写真右)、懐かしい毛主席の立像もありました。脱線しますが、毛沢東は中国の人々にとっては神様のような存在である(あった)ようです。彼の写真の入ったペンダントが、交通安全のお守りのごとくバスの運転席の前にぶら下がっているのを見たことがあります。
  

 4/17(木)は、バスで2時間ほどかかって成都の南150kmぐらいの楽山まで行きました。この辺いったいは臙脂色の土や泥岩(次の上段左の写真の階段はこの泥岩でできている)の丘陵で、陝西省の黄土丘陵に比べるとずいぶん暗い感じがします。街路樹など、ある種の木の枝からヒモのようなものがたくさん垂れています。あとでそれが気根だと気がつきました。きっと霧が多いのでしょう。女性ガイドが30元で案内するというので依頼しました。ガイドの中国語を同僚が翻訳してくれます。崖の壁面や洞窟内などにたくさんの彫像やレリーフがあります。上段右の写真のようなインド的な彫像は中国ではめずらしいのだそうです。下段左も有名な仏像だと思います。熱帯的な、棕櫚のような大きいシダ類も生えています。小山を登り、途中の茶店で緑茶をのんびり飲みました。鳥がいろいろさえずっていて実にのどかです。お茶代を払うとき、ガイドを入れて5人分で100元だというので驚きました。ずいぶん高いですが、もう飲んでしまったのでしょうがありません。お目当ての楽山大仏(下段右)は雄大ですばらしいのですが、暗い色の泥岩でできているため、テレビで見たほど見栄えがしません。風化しやすいそうで、何回か補修しているとのことです。大仏は絶壁に造られた階段を下りながら眺めるのですが、ここが混んでいてゴールデンウィークには3時間待ちとのことです。この写真は船から撮ったものです。
 
   
 ところで、大仏の彫られている台地の上にはお寺があるのですが、灯明(下の写真上段2枚)や線香(下段左)をあげるとかなり高い料金を取られます。いい商売をしていますが、儲けるのだけ一生懸命で、お堂の手入れなどを怠っているようです。屋根の上には落ち葉が積もり、草が生えていました(下段右)。灯明もお線香もこのようにたくさん上がっています。敬虔な人の多いのが意外でした。
 
   

 それから車で峨眉山に向い、ふもとの安いホテルにチェックインして、夕食をホテルの前の小吃街(屋根がある露店)で食べ、あたりを散歩しました。入らなかったのですが、温泉がありました。

 4/18(金) 朝、バスターミナルで高い入山料とバス代を払い、バスで峨眉山に向かいました。バスは1時間半ほどかかってかなり上まで登りました。そこから少し歩いて登ったのですが、霧がかかっていて、寒く、かすかに雨も降っていました。山道(次の写真上段左)は幅2メートルぐらいあり、石段になっているので、雨でも登ることができます。去年登った華山もそうでした。日本とはずいぶん違います。それから日本製のロープウェーで一挙に頂上近くまで上りました。大きなロープウェーで、みな満員電車のようにつり革につかまるのです。外は霧(雲)でほとんど見えず、上に着いたら雲の上で、気持ちのよい青空でした。頂上は3,100メートルくらいですが、別に苦しくはなりませんでした。まあ、チベットで5,000メートルを経験していますから。もみの木のような端正な木の林があり、あと少し歩いて登ると、頂上はびっくり仰天です。広大な階段や広場(石畳)があり、そこに金色の象に乗った、金色の観音様の巨大な像が立っているのです(上段右)。11面観音でしょうか。大きなお寺の建物(下段2枚)も何棟かあります。よくまあこんな高いところに、こんな巨大な建造物を作ったものです。石畳の石一つでも大変でしょうに、いったいどうやって資材を運んだのでしょう。これでは入山料は高いわけです。やはり中国はスケールが違います。
 
   
 下りもまたほとんどロープウェーとバスです。下界へ下りてから成都へ戻るために乗ったバスが、たまたまびっくりするほどおんぼろで、道路がまた中国の中でも珍しいほどひどいでこぼこの舗装道路でした。そのうちバンという音がしてバスはエンコしてしまったのです。しばらく待って、ほかのバスに乗り換えたのですが、そのバスもでこぼこ道を行くので、乗客たちが怒って、「高速、高速」と叫びだしました。だいぶ遅れているのだから、高速道路で行って、遅れを取り戻せというのです。運転手はバスを止めて、決まった道以外は勝手に走れない、と言い返します。乗客が納得しないので、運転手は会社に長々と電話していましたが、やがてどこへやら出て行きました。しばらくして運転手が戻ってきて、黙ってまた同じ道を走るのですが、今度は、乗客は文句を言いません。一度文句を言ったら気がすんだのでしょうか。結果として遅れがひどくなっただけでしたが。その晩は成都の有名な四川料理の店で夕食を食べました。すてきな店でしたが名前は忘れました。マオタイ酒のメーカーの「茅台啤酒」を飲みましたが、なかなかうまいビールでした。

 4/19(土)は、朝早く市内のパンダ基地へ行きました。案内の学生は都江堰へ行く計画を立ててくれていたのですが、市内を見る時間が少ないのと、疲れたのとで、パンダ基地に変更したのです。パンダは朝食が済むと寝てしまうと聞いていたので、早く出発し、7:40頃現地に着きました。パンダはたくさんいて、みな可愛かったのですが、特に子どものパンダはほんとうに可愛かったです(写真上段左)。私はスチール写真しか撮らなかったのですが、同僚はデジカメでムービーを撮りました。まったくパンダはムービー向きです。レッサーパンダもたくさんいて、これはこれで可愛く、何回か立ったのを見ました。園内に「野生動物不是食物。 Wildlife is not food.」という掲示がありました(上段右)。係員のユーモアを感じました。
 
       
 それから、「文殊院」近辺のみやげもの屋街(下段左)で買い物をし、「杜甫草堂」(下段右)を見物しました。夜は、「順興老茶館」で夕食を食べ、私だけそこに残り、20:00からの演芸を見ました。開演を待っていると、口のやや長いやかん(急須)でお茶を入れてくれます。外国人観光客が多かったです。出し物は、民族舞踊のようなもの、手品、操り人形の変面、口の長い急須でのお茶入れの芸当、本物の変面(これが見たかった)などいろいろあり、おもしろかったです。

 4/20(日) 午前中は1人で市内をぶらつき、午後、15:40成都双流空港発-(MU2348、サーチャージ等込み:@380) →17:00西安咸陽空港着の便で、西安まで戻り、即日帰宅しました。なお、今回の宿泊は、①車中泊、②成都泊、③峨眉山泊、④成都泊、⑤成都泊で、成都ではある大学のホテルに、学生の家族であることにして宿泊しました(@235)。

 成都は緑の多い、非常にきれいな町だと聞いていたのですが、意外とほこりっぽいのには少しがっかりしました。植物相は東京に近い感じがします。しかし、まだ4月だというのに蒸し暑く、あまり動き回る気にはなりませんでした。きっと冬のほうがいいのでしょう。同僚は、陝西省との風土の違いに目が行っていましたが、私はむしろ漢民族文化の共通性に目が行きました。料理も、私から見れば、陝西省の料理との違いは大きくはありません。
 今回行かなかった都江堰は地震の被害がひどかったようですが、二千年前に作られ、現在も使われている都江堰そのものは、びくともしなかったそうです。この旅行に行ったせいか、5/12の地震がひと事に思えません。一日も早い復興を祈るばかりです。


渭南便り No.27 (春から夏へ1)

2008-06-07 14:13:15 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 早春の便りを書こうと思っているうちに夏になってしまい、その間に地震も経験しました。最後の学期だというのに、なぜかまったく時間的余裕がなくなってしまったのです。しかし、書いておきたいことはいろいろあるので、メモを見ながら順に書いていこうと思います。

<キャンパスの花>
 3月中旬に黄色いレンギョウやピンクの桃が咲いた(写真左)と思ったら、ボケやハナズオウ、八重桜、ライラックなど次々にいろいろな花が咲き、1か月ほどでほとんど咲ききってしまいました。早春の花と晩秋の花がほとんど同時に咲いてしまうのです。昨年はそれほど気がつかなかったのですが、この新キャンパスに住んでみて、いろいろな花を楽しむことができるのが分かりました。そして5月に入ると「月季」(ユエチー)と呼ばれるバラ(コウシンバラ)が咲き始めました(写真右)。普通のバラ(薔薇)と違って、一つの茎にたくさんの花がつきます。色も形も大きさも多彩で、ほんとうにきれいです。真夏を除いて冬になるまで咲きつづけます。「月季」とは毎月が季節であるという意味のようです。
   

<鯉料理>
 3月下旬、学生が釣堀でつったという大きな鯉(写真)を持ってきて、家で料理をしてくれました。江西省出身の男子学生ですが、体が弱かったお母さんの代わりによく料理をしたことがあるそうで、非常に上手なのです。これまでにも何回か来て作ってくれました。今回は彼女と二人での作業で、2種類の料理を作ってくれました。一つは身を油で炒めたもので、もう一つは、子持ちの鯉だったのでその卵を頭などと煮たものです(これはあとで冷蔵庫に入れたら煮凝りになりました)。陝西料理とは違って辛くはなく、どちらもたいへん旨かったです。

 ところで、私は日本では川魚はあまり食べることがないのですが、こちらに来てからは、陝西料理や湖南料理、チベット料理の店で、鯉かナマズの鍋料理をよく食べます。辣椒(とうがらし)and/or花椒(山椒)がたっぷりですごく辛いのですが、なかなか旨いのです。とくにナマズは絶品です。汗をふきふき食べています(一年半で辛さにはかなり慣れましたが、あいかわらず辛いものを食べるとひどく汗をかきます)。

<菜の花>
   
 3月末の日曜日の朝、前記の料理の上手な学生からメールが入り、天気がいいのでピクニックに行かないかというのです。急ぎ牛乳とパンで朝食をすませ、もう一人の男子学生と3人でタクシーに乗り、7キロほど離れた渭南の郊外の貯水池に行きました。予想外に大きくきれいな湖でした。これなら渭南の水道は心配ないでしょう。まず、この湖を見下ろす丘陵にある観世音寺を見物しました。大きな階段を登り、中国風の鳥居(写真左)をくぐると墓地になっていて、日本の最近のお墓に似ているのですが、墓石に写真の貼ってあるところが違いました。しゃれたお堂(写真右)があり、桃や八重桜、ハナズオウなどいろいろ咲いていてきれいでした。爆竹とにぎやかな楽隊の音が聞こえるので行ってみたら、なんと法事だったのです。次にその裏山に登りました。これら中国西北地区の黄土丘陵は「ユアン」(土偏に原)というそうですが、水平の地層で、段々畑になっています。行ったときは菜の花の盛りで実にきれいでした(下の写真2枚)。学生が菜の花の茎(まだ咲いていない太い茎)を1本折って、食べてみるようにと私にくれました。それで、皮をむいて食べたらなかなか旨いのです。マヨネーズをつけたらもっとうまいでしょう。
   
 今度は下って、湖のそばの釣堀に行きました。私は見ていただけですが、二人がだいぶかかって鯉を2匹釣り上げました。それを店の人に渡すと、さばいて、香辛料(下の写真左、①唐辛子の粉、②名前を思い出せないが知っている香辛料の粉)をかけて焼いてくれるのです(下の写真右)。かなりワイルドな料理ですが、ビールを飲みながら食べ、まあ、わりと旨かったです。食後は湖畔の道を散歩しました。この道は湖面を見下ろす絶壁にほとんど手すりがないのが怖いです。中国はどこでもまったく自己責任の世界です。キジバトのような、もう少し細い鳥がいましたが、学生が斑鳩(パンジョウ)だと教えてくれました。日本では見たことがなかったのですが、ああこれが「いかるが」の鳥なのかと思いました。帰りはタクシーがつかまらないのではないかと私は心配したのですが、白タクで途中まで帰ることができ、それからバスで帰宅しました。男ばかりの色気のないピクニックでしたが、なかなか楽しかったです。
   

 とりあえずこれでアップします。

渭南便り No.26 (初めて作文を担当することに)

2008-02-24 14:11:39 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 2/21(木)、冬休みもまもなく終わる元宵(げんしょう:旧暦1月15日)の晩に、渭南に戻ってきました。西安からタクシーで帰る途中で日が暮れ、あちこちで花火を打ち上げ始めましたので、それを車窓から眺めながら帰ってきました。

 あくる日、職場へ行ってみたのですが、まだだれも来ていません。月曜日から授業が始まるというのに時間割が分からないので困りました。アメリカ人の先生のお宅でお茶をごちそうになりながら冬休み中のことなど話をしましたが、やはり時間割のことが話題になりました。アメリカだったら休みに入る前に決まっているのにといって(日本でもそうでしょうが)。そのとき興味あることを聞きました。「授業のとき学生の中国名は発音しにくいので、英語名で呼ぶことにしている。英語名は、発音が似ている名前、意味が似ている名前、有名人の名前などから学生が自分で選ぶのだが、チャーリーなど同じ名前が何人もいて困る」というのです。以前HRMさんが、中国の人はなぜ英語名を持っているのだろう、といっていましたが、(少なくとも英語科の学生については)その答の一つがこれではないかと思います。我々も日本語式に呼んでいますので、同じようなことなのです。もっとも他の大学でもそうなのかどうか未確認ですが。

 脱線しますが、私は次のように呼ばれています。まず、学生や同僚の日本語の先生たちからは、「庄山先生」または「先生」と日本語で呼ばれます。アメリカ人の先生たちからは「ミスター・ショーヤマ」と呼ばれます。上司の一人からは「庄山」(チョワンシャン)または「ショーヤマ」と呼ばれます。他の先生たちからはたぶん「庄山老師」(チョワンシャン・ラオシー)でしょう。なお、中国では敬称を付けずにフルネームで呼ぶのが一般的かつ正式のようで、アナウンサーも、たとえば胡錦涛主席のことをただ「胡錦涛」と言います。同僚のお父さんが同僚のことをフルネームで呼んだので、私はお父さんだとは気がつかなかった、ということもありました。私は、学生を中国語発音で呼ぶ場合(ふだんは日本語式で呼びますが)、○○○同学と呼びます。学生は「同学」をつけるのはおかしいというのですが、あえて変えません。問題はアメリカ人の先生を呼ぶときです。ミスター・ショーヤマと呼ばれているのに私がファーストネームだけで呼ぶことはできないし、ファミリーネームはまったく使う人がいないので使いにくいし、たとえばミスター+ファーストネームもおかしいからです。しょうがないのでファーストネーム+老師(ラオシー)で呼んでいます。

 さて、今回も話題に関係のない写真を載せます。学生たちからもらった民芸品で、リビングの壁にぶら下げてあるのです。左は「中国結」(チョンクオジエ)、右下もそれの小さいもの、右上は虎の顔(目の穴がないのでお面ではありません)です。


 きのう土曜日にようやく時間割をもらいました。次のとおりです。

月: (1-2節)2年 会話、(3-4節)2年 会話
火: なし
水: (5-6節)2年 会話、(7-8節)2年 会話
木: (1-2節)3年 作文、(3-4節)3年 作文
金: なし

(注)1-2節:8:00~9:40、3-4節:10:10~11:00&11:10~12:00、5-6節:14:00~15:40、7-8節:16:10~17:00&17:10~18:00。 1コマは100分ですが、2時間とカウントされます。また、作文は添削にかなり時間がかかるため、時間数は2倍にカウントされますので、以上で16時間(契約の上限)となります。

 1年生の会話は担当から外れ、3年生(昨年度は会話を担当していた)の作文を新たに担当します。そのため知人であるベテランの作文の先生(在西安)に助力を乞い、いろいろ資料をもらいました。それを頼りに準備を進めるつもりです。

 きょうは日曜日。あした2/25(月)から授業が始まります。渭南に戻ってからは春のように暖かかったのですが、今朝からまた雪が降り出しました。校庭が真っ白です。さて、しばらくは慣れないので忙しくなりそうです。

渭南便り No.25 (会話の試験について)

2008-02-12 10:58:11 | 庄山さん(中国・陝西省渭南市)
 私はこの一年半、1年生と2年生の会話の授業を担当してきましたが、授業と同様、試験も試行錯誤して実施してきましたので、これまでに行った期末試験の方法および結果について整理しておきたいと思います。

 なお、内容に関係ない写真ですが一枚掲載します。これは冬化粧したキャンパス前の並木です。幹の高さ1メートルぐらいのところに赤ペンキで一周しるしをつけ、その高さまで何か白く塗ってあるのです。害虫対策だそうで、渭南や西安以外でも見かけました。中国中の街路樹で実施しているのかもしれません。ちょっと風情があります。

<試験方法>
 会話の期末試験はすべて口頭試験であり、5分ごとに実施時間を設定し、くじ引きで順番を決めました。2人1組(会話暗唱、ロールプレー)の場合は通常の授業と同じ時間内に実施できましたが、個人面接の場合は2倍時間が必要なため、さらに空き時間を利用しました。なお、2年生については、理解度確認のため期中に筆記試験も少し行いました。

昨年度(1学期)――学習期間:3か月/1年3か月
 (a) 1年生: ペアで教科書の会話を暗唱
 (b) 2年生: ペアでロールプレー(授業時に実施済みの問題8件のうち一つを試験時にくじ引きで選択)

昨年度(2学期)――学習期間:9か月/1年9か月
 (c) 1年生: ペアでロールプレー(予め問題1件を提示)
 (d) 2年生:           〃
本年度(1学期)――学習期間:3か月/1年3か月
 (e) 1年生: ペアで教科書の会話を暗唱
 (f) 2年生: 個人面接(予め提示した事項についてインタビュー)

<評価方法>
 評価は、会話暗唱の場合は、①発音、②文の正確さ、③流暢さ、その他の場合は、①発音、②文法・文型・語彙、③内容、④流暢さ(含聴解力)、に分けて行いました。「発音」は、母音、子音、清音・濁音、長音・短音、促音、撥音、アクセント、リズム、イントネーションです。

<実施結果>
会話暗唱(a)(e)――1年生の最初の期末試験なので発音確認を重視し、模範発音のある教科書の会話を暗唱してもらったのですが、発音上の問題点がよく把握できましたので、(e)では各人に試験成績と問題点をフィードバックしました。なお、熱心な学生にとっては物足りなかったようですが、最初からロールプレーのほうが良かったかどうかは未検討です。

ペアでロールプレー(b)――試験時にくじ引きで1つを選ぶ(7つを捨てる)という方式は、学生の負荷が大きく、かつ努力が報われにくいので、好ましくなかったと反省しています。

ペアでロールプレー(c)(d)――予め新しい問題を一つだけ提示したため、事前に十分準備することができ、日常および試験前の努力を反映することができるので、妥当な方法と考えます。ただ、共同作業となるため、個人別に正確に評価しにくいのが難点です。

個人面接(f)――順番による不公平をなくすため、また、事前準備を可能にするため、予め次の質問事項を提示しました。①出身地、②日本語を専攻した理由(付帯して卒業後の進路も質問)、③日本語学習上の問題点および授業に対する要望、④趣味、⑤社会問題等で関心のあること。結果としては、実施時間はロールプレーの2倍かかるものの、採点はむしろロールプレーよりやり易く、質問の仕方によりリアルタイムの発話(準備していない発話)を引き出すこともできたので、ロールプレーより試験方法として優れていると考えます。また、③については参考となるデータを得られましたので、今後の授業に生かしていきたいと思います。

<今後の方針>
 以上を整理して、今後の試験はとりあえず次のような方法が実際的かなと考えています。

1年生(1学期): ペアで教科書の会話を暗唱
 〃 (2学期): ペアでロールプレー(予め問題1件を提示)
2年生(1学期): 個人面接(予め質問事項を提示)
 〃 (2学期):        〃

 帰省していても学生たちからメールが入ってきます。みな楽しいお正月を過ごしているようです。さて、私は今年度で契約を終了し、帰国する予定です。残りはあと半年ですが、心残りのない授業をしたいと考えています。また、もっとまめに「渭南便り」を書こうと思うのですが。