世界に中庸はあるのか?

多様な社会と言いますが、何でも良いのでは無い。

世界の自然を守る活動やニュースについて。

2017-09-07 13:37:37 | 日記

 自然を守る会議とか、世界自然遺産の認定とかのニュースをよく見聞きしますが、日本人の私には、今更何を言っているのか、と異様な感じがします。何が異様なのか、を調べてみました。

 1万年前に農耕・牧畜が始まります。人間は自然を改良し、自然から恵みを得ることを習得します。食料の量産が可能となり、人口が増えます。人が集中し都市ができ、市場が開かれます。このようにして文明が花開いていきます。

 西洋では多くの文明が起こりますが、そのほとんどが滅んでいきます。しかし、東洋では文明が滅びませんでした。
 それぞれの文明の発展過程に、西洋と東洋では大きな違いがありました。

 日本人は、火山列島の中で自然に畏敬を持って接し、自然の中に神の存在を感じ取り、自然を崇拝する日本の神道を産み出してきました。日本人は昔から自然から恵みを頂いていると考え、自然と共生してきました。

 西洋では、農耕・牧畜の生産活動で、自然を支配するものと考えました。世界最古の文明を築いた中近東や地中海では、宮殿やピラミッド作り、船、灌漑、ミイラ作り等により、特に5400年前からレバノン杉を長年にわたり伐採しています。4000年前には、地中海沿岸の森林はすでに荒廃が進んでいました。西洋での建物には石造りが多いのは森林破壊の結果なのです。

 西洋文明では、自然は生命がないものとして考えられ、人間が支配するものとされました。自然支配の考え方は、自然破壊をもたらしました。

 西洋文明の牧畜で家畜にされた動物も、人間が支配するものと考えられます。この動物の支配意識が、後の他民族の奴隷や生贄、植民地主義の考えと変っていきます。

 古代ギリシャでは、「自然は単なる物質」と見做されました。この考えに大きな間違いがありましたが、西洋哲学は、古代ギリシャのイデアを引き継ぎます。以後、西洋哲学は、自然的な発想を超えることに何世紀も追及してきました。だから、何の躊躇もなく、自然を破壊してきました。19世紀になって、ニーチェは「神は死んだ」と言いました。この神は人間と自然を造ったというキリスト教の基盤をなす世界観を言います。西洋哲学者は、人間の頭でいくら考えても、自然を超えられないという意味です。ニーチェはキリスト教のすべてを否定しました。

 ではどのような考えにたどり着いたのでしょうか。本来、自然は存在しないと信じていたことが間違えだった、と気づいたのでした。5400年掛かって、やっと自然には「生命」が宿っている、と考えるようになりました。

 西洋人が5400年掛かってたどり着いた考えは、日本人が神代の昔(縄文時代)から感じていた自然観に過ぎません。外国人が日本の観光に来て、日本の木々の緑や神社仏閣を見て、日本の自然の雄大さを感じ取っている姿は、日本人としては逆に驚きでもあります。

 西洋の考えの基本は、宗教も同じく、現実否定からきています。自然を好き勝手に破壊するだけで、自然と共に生きるという発想がないのです。ですから日本人には西洋哲学は理解しにくいのです。なぜなら、元々不自然で人間的な考えでは無いのです。21世紀は西洋文明からの決別で、この決別は20世紀から始まっています。もはや西洋哲学は人類にとっても自然にとっても不要なものとなりました。西洋の宗教も同じく自己否定で、日本の宗教自体をも否定します。もっての他であって、いい加減に西洋人も自分たちの歴史を見直して、5500年もの間、何をやってきたのかを反省すべきです。

 聖書を持って、宗教の勧誘に来る輩をたまに見かけますが、選挙にも行くなと強制されているとは思いませんでした。せっかく日本人に生を受けたのに、尊い魂を抜かれた人生になるとは、いたたまれなく可哀想でなりません。彼らは残念ながら、聖書の意味も答えられませんでした。また白人は皆キリスト教徒なんだと思っていたら、そうではなく神など信じないという人もいました。それもそのはず、自己否定・現実否定に矛盾を感じ取っている西洋人も沢山いるということです。西洋の宗教の本質は、他人に自己否定・現実否定を押し付けて、他人を支配することにあります。牧畜の家畜と同じ扱いです。聖書に出てくるヤギと同じ扱いです。

 キリストであろうが、今の1人の西洋人であろうが、全く同じなのだという意識がなぜ持てないのでしょうか? 不思議でなりません。だから、自然や他民族を尊重するという意識が持てないのだと思います。自分を認めることが出来ない人に、他人を認めることなど無理です。ましてや他民族を認めようなど、とてもとても出来るはずはありません。

 人間社会の諸悪の根源は、自己否定・現実否定に陥った人間にあります。自然破壊しかり、魔女狩りしかりです。地球の自然をダメにし、人間をどれだけ殺したいのか? いい加減に人間本来の姿に戻ることに努力すべきです。悪魔ごっこはもう止めるべきです。21世紀にもなって,いつまでもやるべきことではありません。

 21世紀の人類の危機を克服するには、自然との共存共栄しかありません。そして各国の民族と共存共栄を図ることができる国にしかできません。地球を守れない破壊者が宇宙に逃げても、何の解決にもなりません。同じことを繰り返すだけです。また覇権争いでは、破壊や殺戮はあっても、生まれるものは何もありません。

 これができる国は、神代の昔から自然と共生する意識を持ち続ける日本です。東南アジアやアフリカの人々も自然と共に生きる意識を持っています。日本は東南アジアやアフリカの人々とともに、人類の危機を克服して行けるようにしなければなりません。人類の危機を救える国々は、奇しくも白人から支配され植民地にされ搾取された国々なのです。

 結論は、自然を大事にする文明か、自然を破壊する文明か、にありました。

 原点は、人間として最も基本である生命を感じ取れる意識(感性)にありました。

 感性は、美しい自然を美しいと感じ取れる心にあります。

 自然は、ありのままの姿なのです。

 ありのままの姿は、この世で一番美しいのです。

 参照 ウッキペディア
   るいネット
   縄文と古代文明を探求しよう
   日本を守るのに右も左もない