乳がん体験ルポ

乳がんの発見から治療内容を自分の記録として保存し、それが誰かの役にたてたら嬉しい

還暦までに

2018-09-01 00:24:56 | Weblog
久しぶりの投稿です。
乳がんの方は、丸10年を過ぎたので、手術をした病院の乳腺外科と、子宮がん高リスクに備えての婦人科健診が終了しました。
再建手術の形成外科には引き続き通い、今年あたりシリコンの入れ替えになると思います。

私生活では、クラス会の計画をたてはじめました。
再来年、還暦を迎えるので、それをクラス会でみんなで祝いあおうと思います。
私は10クラスもある、私立女子高の出身です。
中学から短大まで8年間(4年生にいった方々は10年)女子ばかりで過ごし、高校2年3年でクラスメートだった友人が、25歳で御巣鷹山で亡くなりました。
その頃、日航のスチュワーデスとなった彼女は、いわば出世頭でしたが、誰よりも早く生涯を終えました。
58歳ともなると、他の同級生の死や、配偶者の死なども聞くようになりました。
還暦を迎えるという事は、おめでたく、ありがたいことなのだと、しみじみ思います。
そんな訳で、還暦クラス会開催にむけ、活動開始です。

もっと振り返る

2017-12-20 16:04:59 | Weblog
10年前に乳がんの手術をして、今は年相応に元気でおります。

コウノドリで泣いていた話をします。
観ていたのは『不育症』の回です。
32年前、結婚して1年が過ぎようとしていた頃に、妊娠がわかりました。
わかったと同時に医師に言われました。
『赤ちゃんの心拍が確認できません』
それはどういう事なのか、すぐに理解はできませんでした。
そんなことが起こるとは、1ミリも考えていなかった。
嬉しい知らせと悲しい知らせを同時に聞くのは、悲しい事だけを聞く2倍の衝撃です。
母体のためには、早く掻把しないといけないので、数日後に初めての子とお別れしました。
そして、翌年また妊娠がわかりました。
でも、またダメでした。
今度は『胞状奇胎』
受精卵が正常に分裂せず、ブドウのような、たくさんの粒のあつまりになってしまうのです。
これは普通の流産よりもやっかいで、1回の掻把手術で取りきれまい場合があるそうです。
そうなると、子宮は妊娠を継続するように、その細胞を育ててしまうそうです。
手術後の検査で、きれいにとることができたとわかりましたが、落ち込んだ心は簡単には治りません。
その時に医師に言われました。
『あなたは妊娠できるのだから、これからお母さんになる可能性は充分ありますよ。
子供が欲しくても、妊娠できなくて治療をしている人はたくさんいるのですよ。』
そして漢方薬を処方してもらいながら、3回目の妊娠で子供を持つ事ができました。
3度目の流産の後、もう一人授かり、二人の子供のお母さんになり、今はおばあちゃんです。
しかし、私の周りには1度も妊娠できなくて、子供がいない主婦が何人もいます。
もう50代、60代なので、夫婦だけの生活を当たり前のようにしていますが、彼女たちの20代30代の葛藤は、私には想像もできません。
結婚するかしないか。
子供をもつかもたないか。
人それぞれ違う人生なので、比べることはできません。
私に与えられた人生を、ただただ一生懸命生きる。
それだけです。

不育症
そんな言い方があるのですね。
いろいろ思い出して、泣いてしまったというお話しでした・・・。


振り返る

2017-12-20 09:49:28 | Weblog
乳がん手術から10年が過ぎ、11年目になりました。
乳腺外科及び、そのリスクのための婦人科健診が終了しました。
最後の内診、エコー、マンモ検査でなんの心配もいらないという事で、とりあえず大学病院通いを卒業です。
両先生方、本当にありがとうございました。
とは言え、再建手術をした形成には引き続き通います。
来年あたり、シリコンの入れ替え手術になるかもしれません。
10年ほどで劣化が始まるようです。
乳がん、子宮がんの健診は、一般の区の健診などを受けておくと安心ですということです。


話、かわります。
コウノドリ、観ながら泣いています。
なぜか?

出かける時間なので、また後で・・・

2017

2017-11-14 21:56:51 | Weblog
先日テレビで、三十三回忌を迎えた日航機事故の番組がありました。
客室乗務員、あの頃は『スチュワーデス』というのが一般的でした。
その一人が、中高の同級生で、何度かこのブログでも想いをつづりました。
何年経ってもこの記憶は強く残っています。
あの時に25歳だった友人の最期の活躍、たったの25歳です。
今の私からしたら、まだまだ大人になったばかりのお嬢さんです。
でも、すばらしいお嬢さんだったんだなと、あらためて思いました。
怖かったでしょう。
ご両親と妹さんの住む家に帰りたかったでしょう。
ご冥福を祈ります。
今、生きている自分の人生に感謝の心をわすれずに、生きていきましょう。

ご冥福を

2017-06-23 11:41:46 | Weblog
午後から海老蔵さんの会見があるそうですが、すでにネットニュースでも真央さんの訃報が流れています。
とてもよく頑張りましたね。
残されたご家族の心の痛みは、はかりしれないです。
私には3歳の孫がいますが、とにかくママが大好きで、たまに預かって思い切り遊んであげても、きゅうにママを恋しがります。
ちゃんと迎えにきてくれるとわかっているのにね。
ママが大好き、ママも大好き。
『美人薄命』『佳人薄命』
夏目雅子さんの時以来、久しぶりにこの言葉が浮かびました。
大きな悲しみを乗り越え、ますますご活躍することを・・・

丸9年の健診

2016-09-01 21:13:59 | Weblog
形成外科に、年に1回の診察を受けに行きました。
それほど暑い日ではなかったので、JR1駅分を歩きました。
筋力を今のうちにつけたいし、検索したらJRに乗ってもあまり時間が変わらなかったので(*^_^*)
でも、ちょっと後悔しました。
大汗をかいてしまいました。
シリコンが入った左胸の計測と触診をするのに、先生に悪かったなと思いました。
先生は、おそらくどの患者も患者としてしか見ないとは思いますが、56歳の女性が汗臭かったらいやですよね。
そんな感想を持てるのも、健康を感じる余裕があるからこそです。
今、まさに手術にむけて治療中の真央夫人は、とても辛いのに、よく決心してブログをはじめましたね。
芸能人であり、梨園の妻だから、ひっそりとはできないですね。
私が積極的に乳がんと向き合ったのも、子供が二人いたからです。
その時はすでに前の夫とは別居中で、経済的にもなんの援助もなかったし、別れた後もお金の無い人だとわかっていたから、私が病気を克服して、子供たちを社会に出すという、強い意志がありました。
生きるんだという決意が、病気をやっつける、一番のアイテムです。

みんなガンバロウぜ!!

桜の記憶

2016-06-09 11:28:40 | Weblog
録画してあった『海街Diary』を観終わりました。
生きる事、死ぬ事、そして残された人々の事
悲しい時も楽しい時も、その時間を止める事はできず、同じ長さで過ぎていく。
そんな話だと思いました。

だけど、時間が流れる感覚って、いつも違いますよね、速かったり遅かったりします。
産まれてからの20年間は、とても長いのに、大人になってからの35年のなんて短いことか。
2度の流産のあと、やっと授かった娘が、もう29歳になります。
その娘が産んだ孫が、もう3歳になります。
山も、深ーーい谷もあったけれど、おまけとして頂いた時間を、人生を、いま過ごしています。

映画に桜のトンネルを、中学生であるすずちゃんと、同級生の少年が、二人乗りの自転車で通るシーンがあります。
桜というのは、何故こんなにも印象に残るのでしょうか?
左胸の手術を6月に受け、ホルモン注射と薬による術後治療を受け、月に1回の通院をしていました。
翌年の4月の通院の時に、病院へ向かう道に桜が咲いていました。
お堀の土手の上の道なので、桜は頭のずっと上ではなく、すぐ横から斜め上まで、薄ピンクの花で私を覆っていました。
また桜を見れたことが、あんなに幸せだったのは、どうしてなのでしょうか。
他にも季節ごとの思い出はたくさんあるはずなのに、桜は深く心に染みわたりました。
日本人にとって、特別な花なのでしょうか。

ここ数年は、再婚した夫と桜を観ています。
飽きることなく、また来年も二人で桜を眺めて歩きたいと思います。
でも、人生で一番美しかった桜は、やはりあの時の桜なのでしょう。

8年過ぎて

2016-02-27 17:38:59 | Weblog
左乳房の手術から丸8年過ぎました。
術後は痩せたため、再建した左胸より、自前の右胸が小さく、アンバランスでした。
乳首の高さも大きくずれていました。
再婚後、食べる事が大好きな主人との暮らしで、妊娠中と同じくらいの体重になり、授乳時につぐ大きさに右胸もなりました。
乳首は左がだいぶ上になっているので、アンバランスのままですが、ブラジャーで左右の大きさをごまかす必要はなくなりました。
傷跡も赤くは無いですが、盛り上がったみみずばれの状態です。
旅行で宿の大浴場に行く時は、タオルで隠していますが、湯船につかる時はタオルをはずすので人目が気になります。
見た目に関しては、もうどいうでもいいやと、自分に言い聞かせています。
しかし、不調というか、時々ある胸の張った感じや、重くピリピリする感じには閉口します。
こうしてキーボードをたたく時も、違和感はあります。
10年がおおよその、シリコンの替え時です。
私の予想では、傷が厚くなり、違和感が増すと思います。
病気は治っても、まだまだ戦い中です。

かかとのガサガサ

2016-02-21 17:01:17 | Weblog
若い頃と違い、にきびもできず、脂取り紙もいらなくなりましたが、その代わりに水分油分が足りないのを日々感じています。
特にかかとは、一年中ガサガサで、冬になるとそれが深刻化します。
いろいろ試し、今までで一番良かったのは、日本酒の熱燗の飲み残しを、かかとに直接塗りこむことでしたが、ちょっとべたつくし、最近はお酒を飲む機会が無く、料理酒しか無いので、できませんでした。
熱燗の残りでないとだめなのです。

この前、池袋ルミネの地下入り口前で、米ぬかからできている『BranDrip』という物を買ってみました。
かかとのガサガサに効果ありとの事で、お試し用10mlで、540円でした。
ちょっとお高いなと思いましたが、効果有りです。
ネットで調べたら、100mlだと4320円らしいです。
ツルンツルンのしっとりにはなっていませんが、ひび割れは解消しつつあります。
冬の間は、ちびちび使ってみます。

夢枕

2015-12-28 11:59:30 | Weblog
夢枕に立つ
という言葉があります。

私の今の夫の前妻は、病気で亡くなりましたが、夫は誠心誠意看病をして、できる限りの治療もしてもらったから、亡くなった後も、もっとしてあげたかったという心残りは無いそうです。
しいて言えば、病気じたいになったことが悔しいということです。
それだけ心を尽くしたせいか、前妻が亡くなる前に夫に語ったのは、感謝の言葉ばかりだったそうです。
そのせいか、亡くなってから夢にも2回くらいしかでてこず、近くに気配を感じるようなことも無いと言っています。

私には、亡くなった人が夢枕に立つという経験があります。
何回か書いていますが、CAになって御巣鷹山で亡くなった友人です。
彼女は中高の同級生で、高校2年3年で同じクラスでした。
特に仲良く遊んだ友ではないのですが、中学の時に同じ委員で、1年間いろいろな苦労を共にしたという間柄です。
彼女が突然の事故で亡くなり、まだ25の歳だった私は、他のクラスメートと一緒にクラス会の計画をたて、1周忌の少し前にそれを実行しました。
担任教師と出席者で黙とうし、みんなで彼女の実家にお花を贈りました。
その計画を立てていた頃です。
私が眠っている、まさに枕元に彼女が現れました。
自分は布団に横になっている状態なのですが、確かに彼女がそこに居て、『ありがとう』と言いました。
私が何か言おうとすると、『みんなにお礼するの、もう行くね』と言って消えてしまいました。
怖いという気持ちはありませんでした。
本当に、ただの夢だったのかもしれません。
でも、翌朝になってもはっきりと覚えていて、シチュエーションも私が寝ていたそのままなのです。

主人はこの話を眉唾に聴いているようです。
私にも夢か本当の事か、真実はわかりません。

夢枕に立つ
きっとそんな経験をした人が、たくさんいるから、そういう言葉があるのでしょう。