主イエス・キリストの復活を信じる皆さん、イースターおめでとうございます。
年度初めの仕事で大変な思いをされている方も多いかと思いますが、
今日は主イエスの復活されたことの喜びを思い起こして、心の平安がありますようにお祈りいたします。
さて、このブログもイースターを迎えた本日で最後になります。
今日はヨハネによる福音書第20章および第21章になりますが、主イエスが葬られて次の週の初めの日の朝早く、マグダラのマリアが墓を見行くところから始まります。
このマグダラのマリアが墓石が取りのけているのを見て弟子たちの所に行き、続いてシモン・ペトロともう一人の弟子も墓へ見に行きます。遺体に巻きつけてあった亜麻布だけがあり、もぬけの殻。その亜麻布は安置場所ではなく、
少し離れた所に丸めてあったとあります。この時点で「主イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」という聖書の言葉をまだ理解していなかったので、特にマグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。
この他にも多くの弟子たちの前に主イエスは現れたのですが、第20章の最後に本書の目的が記されています。
その目的は読者向けに書かれているかのようです。
「イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」という2つの目的が記されています。
その後で主イエスとシモン・ペトロの対話の様子が記されていますが、アガペーということが言えなかったシモン・ペトロはアガペーを知らなくて主イエスのことを「愛する」と言えなかったのではなく、これまでの裏切りのことなどを考えた時、言えなかったのだと思います。そして、主イエスはシモン・ペトロに「わたしの羊を飼いなさい」ということと「わたしに従いなさい
」という言葉を残されています。
主イエスは復活されて、そして「わたしに従いなさい」という言葉を残されました。
この世で主イエスに従うということは具体的にはどのようなことなのでしょうか。
私たちの人生は、どんな人であれ順風満帆というわけにはいきません。
為政者の不当な弾圧に抗して、切ない思いをしながら過ごすときもあります。
非正規労働・有期雇用契約労働の中で本当に苦しんでいる人たちも沢山います。
そのような世の中にある矛盾を自分の問題としてしっかり受け止めながら、
隣人を愛するということの実践をたゆまず行いたいものです。
しかし、権力者は様々な分断策を講じて、その力を奪って消耗させてきます。
孤独に感じる時にも、「神様はわたしの力です」そう告白できる勇気を与えてください。
年度初めの仕事で大変な思いをされている方も多いかと思いますが、
今日は主イエスの復活されたことの喜びを思い起こして、心の平安がありますようにお祈りいたします。
さて、このブログもイースターを迎えた本日で最後になります。
今日はヨハネによる福音書第20章および第21章になりますが、主イエスが葬られて次の週の初めの日の朝早く、マグダラのマリアが墓を見行くところから始まります。
このマグダラのマリアが墓石が取りのけているのを見て弟子たちの所に行き、続いてシモン・ペトロともう一人の弟子も墓へ見に行きます。遺体に巻きつけてあった亜麻布だけがあり、もぬけの殻。その亜麻布は安置場所ではなく、
少し離れた所に丸めてあったとあります。この時点で「主イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」という聖書の言葉をまだ理解していなかったので、特にマグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。
この他にも多くの弟子たちの前に主イエスは現れたのですが、第20章の最後に本書の目的が記されています。
その目的は読者向けに書かれているかのようです。
「イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」という2つの目的が記されています。
その後で主イエスとシモン・ペトロの対話の様子が記されていますが、アガペーということが言えなかったシモン・ペトロはアガペーを知らなくて主イエスのことを「愛する」と言えなかったのではなく、これまでの裏切りのことなどを考えた時、言えなかったのだと思います。そして、主イエスはシモン・ペトロに「わたしの羊を飼いなさい」ということと「わたしに従いなさい
」という言葉を残されています。
主イエスは復活されて、そして「わたしに従いなさい」という言葉を残されました。
この世で主イエスに従うということは具体的にはどのようなことなのでしょうか。
私たちの人生は、どんな人であれ順風満帆というわけにはいきません。
為政者の不当な弾圧に抗して、切ない思いをしながら過ごすときもあります。
非正規労働・有期雇用契約労働の中で本当に苦しんでいる人たちも沢山います。
そのような世の中にある矛盾を自分の問題としてしっかり受け止めながら、
隣人を愛するということの実践をたゆまず行いたいものです。
しかし、権力者は様々な分断策を講じて、その力を奪って消耗させてきます。
孤独に感じる時にも、「神様はわたしの力です」そう告白できる勇気を与えてください。