今朝、起きたら左足外側脹ら脛の調子がよくありません。
痺れが強くなり、痛みに変わりそうになっています。
「まずい、今日は絶対、水中ウォーキングをするぞ!」と小さな決意。
9時前に中央体育館に到着しました。
コロナかの中、感染予防の手順がいろいろあって、時間は掛かりましたが、
それでも何とか、温水プールを50分、しっかり歩くことができました。
なんと、終わった後、痺れが少し弱くなっているのです。
よ~し、続けるぞ
さて、昨日は泥水の中で染まらず、綺麗に咲く蓮の花のことをアップしました。
実は泥水に染まらず綺麗に咲く花をもう一つ、知っております。
今日は、それをアップしたいと思います。
星野富弘さんをご存じでしょうか。
中学校の先生なって2ヶ月、生徒の前で鉄棒の模範演技に失敗して
首から下の自由を失いました。
長い時間のあと、
絵筆を口にくわえて書く花の絵はほんとうに素敵です。
何冊も本を出しておられますが、
その第Ⅰ詩画集「風の旅」に掲載されている一つの絵と言葉、胸に刺さります。
黒い土に根を張り
どぶ水を吸って
なぜきれいに咲けるのだろう
私は
大ぜいの人の愛の中にいて
なぜ みにくいことばかり
考えるのだろう
「風の旅」の前書きから一部をご紹介いたします。
………………。
昭和四十五年、勤務先の学校の体育館での一瞬の出来事でした。
宙返りに失敗して、倒れている私を、生徒たちは、いつものように
ふざけているのだと思ったそうです。
過去の苦しみが後になって楽しく思い出せるように、
人の心には仕掛けがしてあるようです。
九年間の病院生活を振り返ってみても、つらかったことより、
友人や看護婦さんたちの、励ましの言葉の方が、
淋しかったことより、生徒たちの大変明るい手紙の方が、
病院の天井より、窓辺で一生懸命咲いていた花の方が、
目に浮かぶのです。
死にたいと思ったことより、
「生きろ!」と教えてくれた
母や聖書の言葉の方が、強く残っているのです。
・・・・・・・・・・・・・
夜があるから朝がまぶしいように、失った時、初めてその価値に
気づくことがあります。何げなく動かしていた指、あたりまえのように歩いた足……。
しかし、目に見えるものよりも、もっともっと大切なものがありました。
もしかしたら、失うということと、与えられるということとは、
となり同士なのかも知れません。