いわき民話さんぽ

福島県いわき市に古くから伝えられてきた昔話や伝説を取り上げ、紹介し、あれやこれやと考えを巡らせてみたいと思います。

子ども好きの地蔵様  いわき市平北神谷 

2008年03月31日 | Weblog
いわき市平の北神谷には、
子どもと遊ぶのが大好きな地蔵様があるという。
その地蔵様にまつわるエピソードを
高木誠一(明治20年生まれ~昭和30年没)は
『石城北神谷誌』という本のなかで
次のように紹介している。

子好き地蔵
これは村の観音堂にある地蔵様で、
子供等が負うたり抱いたり、
子供と一緒に遊ぶことの好きな地蔵様である。
ある夏の日のこと、
子供等がこの地蔵さんを例の如く御堂から出して、
下の小川にいれて共に水遊びをして居つた。
こゝを通りかゝつた庄屋殿は之を見、
この餓鬼めら悪戯をして罰が当るからと怒つた。
後で庄屋殿の方が病気をして
罰が当つたという話がある。

         
地蔵様を御堂から運び出し、
水遊びをしていた子どもたちを咎めた庄屋さんに
地蔵様の罰が当たったという。


龍燈伝説 鮫川篇   いわき市田人町

2008年03月28日 | Weblog
前々回、前回と閼伽井嶽の龍燈伝説を紹介したが、
龍燈にまつわる伝説なら、
いわき市の南部を流れる鮫川にもあって、
次のような話が伝えられている。

真赤な龍燈
これもまた昔々の話なんだぁー。
昔は今みてえに、1時、2時なんて言わえぇで、
子の刻とか、丑の刻とかって、
十二支で時間をきめていたんだない。
丑の刻ってゆうのは、今の夜中の2時で、
丑三つ時ってゆうと、夜中の2時から3時ごろで、
よく幽霊の出る時刻なんだない。
草木も眠る丑三つ時とか、丑の刻参りとか、
まんず、丑三つ時なんて聞くと
あんまり気持ちよくねぇもんない。
どっちかってゆえば、ゾーッとするもんない。
1日のうちで、一番静かな時なんだって
誰かから聞いたことあんない。
ところが、丑三つ時になると、
毎晩、龍が海から真赤な龍燈を口にくわえて、
鮫川をどんどんのぼり、
それから荷路夫をどんどんのぼって、
明神山に向かって行ったんだと。
そして、口にくわえてきた龍燈を
神社の拝殿の前に捧げたんだと。
なんだかゾーッとする話だなあ。
           『たびとの民話』

『たびとの民話』に紹介されている「真赤な龍燈」の話は、
「まぁ、昔話のひとつだろう・・・」と、
歯牙にもかけず、捨て置くことも出来るかも知れないが、
先に紹介した江戸時代の地理学者、長久保赤水の実体験に基づく
閼伽井嶽の龍燈の方は、そうはいかないような気がする。
科学的な説明がなされると面白いのだが・・・。



閼伽井嶽の龍燈伝説  その2  いわき市

2008年03月27日 | Weblog
いわき市平の閼伽井嶽の龍燈については、
江戸時代の地理学者、長久保赤水(1717年~1801年)も、
「余嘗親観之(余、嘗て親しく之を観る)」、
つまり、自らの体験談として、
次のような記述を残している。
漢文で書かれているので、
読み進むのに骨が折れますが、あしからず・・・。

龍燈文
府城西二十里、有閼伽井嶽、
毎夜有如燈者来、俗謂之龍燈、
余嘗親観之、初昏戴星時、四倉海上火光浮出、
泝鎌田川及渓水、至此山麓、
飛懸大杉梢、又、飛入森中不見、
又續来者亦然、自海至杉、
火點累々相追、自昏至暁、不知其数幾許、
凡、月夜則光微、暗夜則如螢、或如炬蓋陰火也、
但、此火在此山峰燕石上坐而観之、
從他所観之、無一點光影亦影亦奇也、
如夫時珍所載蕭丘澤中寒炎肇淛、
所謂沮海陰火、或、蜀川廬山神燈、
其事雖相類、至於毎夜不變、
猶星辰運行知果同不可、
謂陰火中之尤奇者。

書かれている内容は、
前回、紹介した大須賀筠軒のものと大同小異である。

閼伽井嶽の龍燈伝説  その1   いわき市   

2008年03月13日 | Weblog
いわき市平の霊峰、閼伽井嶽には、
世にも不思議な龍燈にまつわる伝説が残されている。
それを大須賀筠軒(1841年~1912年)は、
『磐城誌料歳時民俗記』に、次のように記している。

晦日 晦日ナケレバ二十九日
城乾位二里餘、閼伽井嶽薬師縁日。
貴賎群集ス。堂ハ赤井村ト好間村ト彊界、
犬牙ノ山上ニアリ。
赤井ヨリ登ル、太ダ險ナラズ。
是ヲ表坂仁王門通リトス。
好間ヨリ登ルヲ七曲リト唱ヘ、最モ急峻ナリ。
別當水精山常福寺、真言宗薬王寺末ナリ。
大同中、一大師ノ草創ニシテ、岩城三薬師ノ一ナリ。
山ニ老杉多シ。
堂ノ入口、大ナルモノ二株、俗ニ祖父杉、祖母杉トイフ。
圍ミ五丈五尺アリ(今ヤ朽ツル、既ニ久シ)。
毎夜、隂火アリ。東海上ニ發シ、
大キ螢火ノ如ク、点々累々、乍明カニ乍滅シ、
渓流ニ溯リ、此山ニ朝ス。之ヲ龍燈トイフ。
凡、月夜ハ火光奪ハレテ、殆ド認メ難シ。
暗夜ノ空晴レ、気澄ムトキハ極テ明朗ナリ。
是火、惟、此山上ヨリ之ヲ觀ル。
他ヨリ之ヲ望ム、一点ノ光影ナキナリ。
實ニ當國ノ一奇観ナリ。
            『磐城誌料歳時民俗記』

紹介した文章の後半、龍燈に関する部分のみを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

毎晩、龍燈が現われる。その火は閼伽井嶽の東、太平洋上で発生し、
大きな螢の光のように明滅しながら、
次々と川を遡り、山を登り、閼伽井嶽まで延々と続く。
月の出ている夜は、火の光が月の光に掻き消され、よく見えないが、
月のない闇夜で、天気の良い時には極めてはっきりと見ることができる。
また、龍燈は閼伽井嶽からしか見ることができず、
他の場所からは一切見ることができない。
我が国を代表する奇観のひとつである。

龍燈って、本当の話なのだろうか。

馬と鰐の格闘 その2  いわき市勿来町九面

2008年03月08日 | Weblog
実は、前回取り上げたものと同じ事件を伝える話が、
いわきの勿来町九面(ここづら)にも残されている。

昔、九面の松川礒に、
背中に海苔を生やした一匹の大鮫が棲んでいて、
波打ち際までやってきて泳ぎを止めると、
黒々として、まるで礒石のようだった。
土地の漁師たちは、この大鮫を松川様と呼び、
姿を現わした時には、渚に酒を捧げ、敬い、
沖合いに無事戻るよう願っていた。
そんなある日、供を随え、
参勤交代で国に帰る途上の相馬藩の殿様が、
ここの景色を馬上から楽しみながら進んでいたら、
波打ち際にいた大鮫を見つけ、
漁師たちが崇める松川様とは知らず、
弓を取り、矢を放ったところ、
大鮫は波間に姿を隠してしまった。
その後、幾年かが過ぎ、
殿様の一行が再びここを通り過ぎ、
鮫川を渡ろうとした時、
川下から頭に深く矢を突き立てた大鮫が
波を逆立てて現われた。
その時は難を逃れたが、殿様の一行が
次に夏井川に差しかかると、
大鮫は先回りをして待ち受け、
物凄い形相で殿様に襲いかかってきた。
殿様は馬に鞭を打って、
ようやくのことで川を渡り切ったが、
殿様が可愛がっていた名馬は疲れきって、
この場で斃れてしまった。
平塩にある馬頭観世音は、この名馬を祀ったものだ。
          『写真で綴るいわきの伝説』

前回、取り上げた話と今回の話、これらふたつの話は、
同一の出来事を素材にしたものだが、
話の趣きに違いを見せている。
一方の話は、鮫から殿様を守り、そのために命を落とした馬、
つまり、馬頭観音として祀られることになった馬にスポットライトが
当てられているが、
もう一方の九面の話では、
土地の漁師たちから敬われている松川様という鮫の雄々しい行為に
スポットライトが当てられている。
伝承の担い手の立場によって、
話の内容や筋が作りかえられることの好事例
といえるものではないだろうか。

馬と鰐の格闘  その1  いわき市平・塩

2008年03月03日 | Weblog
いわき市平の塩の虚空蔵様の北、国道6号の路傍に
馬頭観音を祀る御堂がある。
この観音様には、
馬と鰐をめぐる次のような昔話が伝えられている。

相馬藩の殿様が江戸から帰る際、
磐城の関田の浜を大きな鮫が泳いでいるのを見つけた。
殿様はその鮫を射殺すようにと家来に命じた。
家来が矢を放つと、大鮫は海中に身を隠した。
その後、鮫川に差しかかった殿様が川を渡ろうとすると、
川下の方から頭に矢を立てた大鮫が白波を立てて突進してくると、
殿様に襲いかかった。
殿様は馬を走らせ、寸でのところで、それをかわし、事なきを得た。
しかし、次に夏井川に差しかかり、また、川を渡っていると、
やはり、川下から大鮫が襲いかかってきた。
馬は必死で駆け、ようやくのことで川を渡り切ったが、
痛手を蒙り、川岸で命を落としてしまった。
相馬藩の殿様は愛馬の霊を弔うため、
塩の虚空蔵様の北側に馬頭観世音の塔を建て、供養をした。
以来、その馬頭観世音には草鞋が奉納されるようになったという。
                 『神谷村誌』より抄出