対極論

正論・異論・極論…様々な角度から考察する思考実験ブログ

大極論80号 分断列島? その3

2017-10-15 05:20:31 | 時事・思考実験
【西日本新聞】「ネトウヨ」「ブサヨ」-安倍首相の言動も相まって分断先鋭化する民意(続き)

B:
では、こうした尖鋭化・対抗者への非寛容を解消し、社会分断を止めるにはどうすれば良いのでしょうか?


A:
自由な意見を言える社会では言論の極論化・尖鋭化も仕方がないのでは?
意見の対立しない自由な言論なんてあり得ないし、意見・見解が別れたら対立も鋭くなる。

C:
つまり、極端な言論・過激な言論を規制すれば尖鋭化・社会分断も起こらない訳ですね。


A:
そして「過激」の基準が恣意的に決められ、自由な発言は阻害される…ですか?
昔なら官憲の「弁士、中止!」で今らなしばき隊が恫喝しに押し寄せる?
川崎市市長の「がい然性」という恣意的判断でデモの許可は不許可を勝手に決められますしね。
自由な社会って何ですか?


D:
自由に人を差別したり、人を傷つけて良い訳でねぇだろ!
最低限、差別的言動を禁止する条項を法的に整備すべきだ。

E:
そして、社会的に「差別」されていると認識された集団・属性には、
社会一般レベルの批判すら差別認定され、批判すら出来ないアンタッチャブルが出来る訳ですか?


A:
話を戻すが、尖鋭化・社会の分断化にどうすれば良いかだが、
別にどうこうすべき事柄じゃないと思う。
自由な言論は尖鋭化も当然起きる事象の一つ。
もし規制するとしたら、ヘイトスピーチを取り締まるのではなく、
ヘイトクライムの罰則を強化すべきだろうね。

ヘイトスピーチでも直接的な暴力示唆や脅迫・扇動はヘイトクライム幇助として取り締まるのが妥当だろうが、
批判非難をヘイトスピーチだと取り締まる事は避けるべきじゃないかな?


C:
批判非難を口実にヘイトスピーチを公然と行う現状はどうなのよ?
個々人の非行行為をその属性の犯罪だと流布しヘイトを拡散させる現状ってどうなのよ?
属性への非難を口実ににしたヘイトスピーチは規制すべきでしょ?


D:
今は司法に人権蹂躙だと認定されるまでの時間がかかり、その係争自体がヘイトスピーチの口実ににされ人権蹂躙が重ねられている現状だな。
迅速な人権擁護が必要でやはり人権擁護法は必要であるな。

E:
くだらない、
じゃあその属性とやらが、非行行為そのものだったり、構造的な犯罪行為の温床だった場合どうするのよ?
人権擁護委員のメンバー自体が批判を浴びている属性の構成員や利害関係者だった場合、公正な人権判断が出来るのかよ?
人権とは悪事の告発の口を塞ぐ道具かよ!


B:
言論が今のように尖鋭化し社会の分断を起こす要因になる事は好ましくありませんね。
その一方で、人々が自由に発言しそれを拡散できるネットという空間を否定的に取り上げるだけのメディアのスタンスにも何かしらの利害関係や不都合の隠蔽が感じられる気もします。

そして、何を持ってして尖鋭化・ヘイトスピーチだと固定的な定義をしても、定義した瞬間には新たなヘイトスピーチの表現方法が出来て定義による規制は追い付かず人権侵害への有効な方策にはならない可能性もあります。
ですが、定義を「傷付いたから人権侵害」という曖昧な手法にし、客観的定義をせずに主観的判断で規制をする事が言論の自由に良いわけがありませんね。



※発行者の私見:
言論が尖鋭化してもそれは思想信条の自由だと思うし、ましてや主観的判断で人権侵害・ヘイトスピーチを判断する「機関」な存在を容認してはならないと思う。
その一方で社会の分断は少数者・マイノリティへの理不尽な偏見と差別となり、その擁護自体への言論攻撃が常態化するのも良くはない、多数派の論理を民意がとして差別の正当化に使われかねない。
言論自体も尖鋭化は結局は少数意見への殲滅的な攻撃になりかねなく、ネットという自由な言論空間が全体主義・ファシズムの温床になりかねないのもまた危惧している。

ここでは、上部の法的な言論規制や発信者の自主規制ではなく、下流の受信者・一般人側からも考えたい。(既に受信者が情報発信者であるネット社会でこうした言い方はナンセンスだが)

まず、発信をする側というのは何かしらの利害関係や極端な感情・思想信条の持ち主であり、
その発信は仮に事実だとしてもそれは事実の一面を極大的な扱いをしニュース化させている場合が多々ある。
メディアは当然として、ブロガー・ユーチューバー等のアフリエイトで稼ぐ側の人間も、「極端な言論をする」から注目を浴び利益にしている側面がある。

『PVの多いサイト・人気のある情報番組が正しい事を言っている訳ではない』

彼ら・それらは正しいから人が集まるのではなく、人が言いたい事や聞きたい事を極端に扇動してくれるから集まるに過ぎない…程度に考え、受け流すくらいの精神的余裕でそれらに触れるべきだろ?

次に、同調が同調を呼ぶエコーチェンバーなんて昔からあった…と理解すべきでしょ?
ただ違うのは媒体の権威で同調を作り、「読者欄」や街灯インタビュー等で人為的な同調サイクルを作っていたのが、ネットで自然発生的にエコーチェンバーが発生するかの違いに過ぎない。

最後に、個々が尖鋭化し社会の分断要素にならない為に…
まず、自分が考えている主張を一回疑ってみるべき。
あとは思考の時間の一割でも良い、自分の主張と葛藤する側の思考を試行してみると良い。

テレビ・メディア・ブロガー、そして政治団体や政治家など言葉を商売にする人たちは、
極端な言論をしないと商売にならない。
そうした人達にノセラレてないかチェックする事、受け流しながら聞く程度にする事も時には大事。

…って感じですわ。




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