AMATEUR  PHOTOGRAPHER

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2017-09-09 | 



桜新町駅前通りにて(旧ジャリ玉電通り、西に進みますと、旧大山通りとまじ会い、坂を下れば用賀の旧大山道方面に至ります)

なお桜新町は日本初の分譲住宅地で、また義務教育を終了した、金の卵の、集団就職ブ-ム発祥の地だそうです、風呂敷包を一ッ持ち希望と不安をかかえ故郷を後に、桜咲くでした、



私事ですが、数十年前に、青森港 海上ねぶた&花火大会を観に行った事があります、当時は青森-函館間の青函連絡船が運行されていました、また廃止になる最終便にも乗船した事もあります、15歳の春の若人はどんな気持ちだったのかな~です、

余談ですが、友人が、青函トンネル工事で、青森県の竜飛吉岡工区を受け持った建設会社の経理、安全管理者をしていました、逐次、手紙、写真などを送ってきました、映画、報道などでは報道されていませんが、大出水で埋没寸前になり、排水ポンプが足りず、清水トンネル工事のを、パトカ-先導で難を逃れたこともあったそうです、

なお友人は公務員を辞めて、経理専門短大を出て(同級生の中には東大卒業者が再度勉強でいたそうです)工事中、途中採用され、社命で安全管理者 国家資格者になりました、その後は殉職者の話は聞いていません、なお労働省(厚生労働省)の試験会場は千葉県市原の山の中に在り、ボイラ-技師などの試験なども行われています


余談の余談ですが津軽海峡は最大水深は450mだそうです、JNRの青函船舶で、津軽海峡冬景色、小説 飢餓海峡の 一番狭い海峡を、岩礁すれすれに通過しました岩に真っ白な水飛沫が砕け散っていました、甲板から身を載り出していますと身震いがしました、

また国際海峡ですので、中央部は公海ですが、青函トンネルは日本国の領土です、
海峡は国際情勢に乗り遅れた沿岸3海里までが領海設定のままだそうです、
日本不思議発見、日本の領土の真上を、日本に核の照準を合わせている、原潜が深く静かに潜行せよです、茶番劇の非核三原則とはなんぞやです、

大蔵省の主計官から、昭和三大馬鹿査定とゆいされましたが、竜飛岬に34名の殉職者の碑が建っています、青森港の花火を観た時、供養のようで涙でした、




余談ですが桜新町 ニイヨンロクを跨いで深沢界隈は、けっこう坂道が在ります、お聞した話ですが、代は代っているかもですが、15才の春の若人が、山あり坂ありで裸一貫から、商店主になられた方もおいでとの事です、