中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

同世代

2005年08月09日 | 日常
知人の紹介で、ある会社へ営業訪問をした。手広く事業展開しているようだが、原則はデザイン事務所。センスの良いオフィス、広さもたっぷりであり羨ましい限り。

先方の社長さんとしばらく歓談する。こういう機会では大体そうだけれど、歓談自体が目的というか、お互いに相手を見極める場、でもあるので、顔では微笑みつつも内心非常に気を使う。

初対面の先方、見た目は若く感じたのだけれど、話を進めていくと二人は同い年、ということが判明。自分自身も大抵、実年齢より若くみられる方。お互い、相手は自分よりは歳下だろうと思いながら話を進めていたようだ。

不思議なもので「同い年」という事実がわかった瞬間、双方の緊張感が一気に緩み、ここから本当の意味での「気軽な」話し合い、という感じになってきた。たかだか、同じ年に生まれた、という事実にはそれ以上のなにもないはずなのだが。

大きな戦争(経験したくはないが)や、60年代安保闘争のようなものを若い頃に経験していれば、いやがおうにも「同世代」という事実への思いも一入だろうが、幸か不幸か平穏無事な時代に生まれ育った世代。あえて世代として括る場合には「バブル世代」という実に不名誉な呼称を頂いているくらい。

思えば、若い頃には他人の年齢など、殆ど気にしなかった。お互い歳をとった、ということなのだろうか…

同世代を懐かしむ話題となると、同い年の芸能人、スポーツ選手が誰であるとか、あとはテレビのアニメや流行った音楽といったところ。こうして見えるとあらためて「平和な」世代に育ったのだと実感する。以前、私の親(戦争を経験した世代)が幼馴染と昔話に花を咲かせる場に付き合わされたことがあるが、当然ながら懐かしむべき話題が豊富で、その内容の波乱に富んでいたこと…

乱暴な言い方だが、昔話、という観点だけで捉えるなら、親の世代のほうが「後から見れば」面白い時代であったのかもしれない。比較してしまうと、ポップカルチャーくらいしか共有すべきことのない世代、というのは、なんだか少し寂しくも見える。
でも、冷静に考えれば、そういう時代に育ったことというのは、やはり人として幸せなことなのだ。