オッサン、こないだ、つべで、BOWWOWが日本人アーティストとして初めて、レディング・フェスティバルに出場した時の映像を観てたんやわ
1982年の事やから、今から33年前の映像だわな
今みたいに、レディング&リーズ・フェスティバルになる前の時代や
BOWWOWがデビューしたのは1976年やったわ
当時、日本には、ハードロックバンドと呼べるバンドは、幾つかあったけど、メタルバンドは、殆ど居らんかったからな、珍しい存在やったわ
アルバム「吼えろBOWWOW」でデビューし、KISSやエアロスミスの日本ツアーに、前座で同行したりしたわな
当時のロック雑誌の、人気投票では、バンドもメンバーも、国内部門で、ランキング1位やったし
ギターの山本恭司は、驚異的な速弾きで、天才ギタリストと呼ばれ、ギター少年達の憧れの的だったわ
当時、「ROCKおもしロック」ちゅーテレビ番組があって、山本は、ちょくちょく出てたわ
ギター少年達がプロのギタリストに質問するコーナーとかあって、「ライトハンド奏法をやってください」とか言われてな
当時、ヴァンヘイレンがデビューしたばかりで、ライトハンド奏法のやり方を理解しとる人が殆ど居らん時やったけどな、山本は難なく実演して見せてたわ
ギター少年達は、「おお!!」ちゅー感じで羨望の眼差しやったわ
ライトハンド奏法は、ヴァンヘイレンのギタリスト、エドワード・ヴァンヘイレンが編み出した奏法やから、それ以前は、無かった奏法やったからな
オッサンは、一度、BOWWOWのLIVEを観に行った事があるんやけど、山本のギターソロは圧巻やったな
78年に、BOWWOWは、新しいアルバム制作の為にアメリカに渡るんやけど、そこが分岐点やったなぁ
アメリカから帰ってきたBOWWOWは、メタルから普通のロックに変わってしまってたんや
その後、出したシングル盤「さびしい遊戯」は、ロックちゅーよりフォークっぽい曲やったしな
アルバム「ギャランティー」では、当時は、新しかった、ギターシンセサイザーやドラムシンセサイザーを使用しとったけど、全体的に歌謡POPみたいな感じやったし、フォークギター一本での弾き語りの曲もあったしな
ファンは、ん?何か違うぞ?ちゅー感じやったわ
アメリカに行って牙を抜かれた狼になって帰ってきた、ちゅー感じかな
メタルは売れないから、音楽を変えないと、いけなくなった、ちゅーのが本当のとこなんやないかな
当時は、ロックのレコードは、10万枚売れれば、大ヒット、と言われとった時代やったし
メタルなんて更に、売れなかったからな
売れなければ、クビになるだけやもんな
そんなんで暫く、POP路線の曲作りをしとったわ
でも、再びメタルに方向転換した後のレディング出場やったんや
しかし、映像を観ると、やっとる曲は、メタルちゅー感じは、あまりしないし、ギターの斉藤光浩やベースの佐野賢二の出で立ちは、メタルやなくロック、ちゅー感じだわ
メタルの聖地で、これは、無いやろ~
ちゅー感じやねん
「ハーツ・オン・ファイヤー」とか「ザ・クラウン」とか、イギリスの観衆が聴いたら、歓声を揚げるような曲があるのに、何で、やらんの?
ちゅー感じやわ
レディングは、メタルフェスやなくロックフェスやから、メタルをやる必要も無いんやけどな
当時は、BOWWOWがレディングフェスに出場、ちゅーニュースがあったものの、今みたいに情報が溢れとる時代やなかったから、どんな内容やったのかは、全く解らんまんまやったんだわ
最近になって、つべに当時の映像がアップされて、オッサン、初めて観たんやけど、こんな感じやったんか、ちゅー感じやねん
観客は、所々、盛り上がっとったけど、最後は歓声に包まれて、メンバーは、一旦引き上げたものの、観客のコールに、山本が再びステージに上がり、観客に挨拶して終わっとるんやけどな
このセトリで(映像に上がっとる曲で)ステージに立ったのは勿体なかったわな
その後、BOWWOWは、VOWWOWと、名前を変え、ボーカルとキーボードを加えて、87年に、再びレディングフェスに出場したんやけど、のっけからペットボトル攻撃を受けたそうな
でも、最後は歓声に包まれたらしいけどな
そんな歴史がある、レディングフェスやけど、先日、イギリスのレディング運営のサイトで、来年レディングフェスに出場してほしいバンド投票をやったら、BABYMETALがダントツの1位だったみたいやわ
来年もBABYMETALは、レディングに呼ばれるんやろな
オッサン世代には、レディングフェスちゅーと、特別な思い入れがあるねん
そんなステージに、来年もBABYMETALが立つ(まだ決定しとらんけど)なんて、時代の流れ、ちゅーのは、想像も出来んわな
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