2007年5月19日現在の書き込み

2007-05-19 10:39:07 | Weblog
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マリアナ沖海戦へ書き込みました。

803 :名無し三等兵 :2007/05/16(水) 22:45:16 ID:5wQX+ekx
マリアナ沖海戦の通説への疑問。

「戦艦部隊指揮官の栗田提督が、夜戦を挑もうとした。ところが豊田連合艦隊指令長官の命令で撤退した」という、通説があるそうです。私は疑問に思います。
指揮命令系統と通信方法に関してです。

今までの、霞ヶ浦霞の住人の理解では、第2艦隊(戦艦部隊)は栗田提督指揮。第3艦隊(空母部隊)は小沢提督指揮。
第1機動艦隊(第2艦隊と第3艦隊を合わせたもの)は、小沢提督指揮。連合艦隊司令部と第1機動艦隊や第2艦隊司令部は、どのようにして「豊田長官の命令で撤退した」を連絡したのでしょうか?

その上にある、連合艦隊は、豊田提督指揮(大淀に乗って、東京湾内に在り)。
その上の海軍軍令部(大本営海軍部)は嶋田提督で、東京の海軍省の建物内にありました。

豊田連合艦隊司令長官が、小沢第1機動艦隊長官抜いて、その下の栗田第2艦隊長官に直接命令したのでしょうか?


804 :霞ヶ浦の住人:2007/05/16(水) 22:46:30 ID:5wQX+ekx
マリアナ沖海戦のときの、軍令部の様子を書いた本を読んだことがあります。
軍令部では心配して無線を傍受していたのですだが、戦況は分かりません。
小沢第1機動艦隊長官が上級司令部への戦況報告をしなかったからです。
かろうじて、部下へ出す命令の通信電波を傍受して、戦況を想像するより方法が無かったそうです。

東京湾にあった連合艦隊司令部にしても、状況は同じであったろうと、霞ヶ浦の住人は想像していました。


805 :霞ヶ浦の住人:2007/05/16(水) 22:47:34 ID:5wQX+ekx
戦闘中の通信は困難。

第二次世界大戦中の戦闘中の通信は、非常に困難でした。
後世の素人である私たちが考えるほど、楽では無かったのです。

マリアナ沖海戦の際に、海軍軍令部は、非常に重大な関心を寄せました。
しかし、状況が分からないのです。大事な戦いをしている最中に、上級司令部へ報告をする余裕はありません。
小沢提督が発する、第1機動艦隊の命令の無線通信と、隷下部隊からの無線通信を傍受しました。
それでも、勝敗は分からなかったそうです。海軍軍令部が敗北を知ったのは、第1機動艦隊が沖縄へ戻ってからのことだったと思います。


806 :霞ヶ浦の住人:2007/05/16(水) 22:48:17 ID:5wQX+ekx
アメリカ軍の無線通信も傍受しました。その中に平文で「○○(空母)号の乗組員を救助した」との一文がありました。
これは、アメリカ軍の空母乗組員を救助した。つまり、空母が撃沈されたと理解しました。
ところが後日判明したのは、「○○(空母)号所属の飛行機の乗組員を救助した」との意味でした。
マリアナ沖海戦の後半に、出撃したアメリカの飛行機が、燃料切れで、たくさん不時着水しました。
そのときの、無線通信だったのです。

小沢提督も戦況が分からなかった。
戦況が分からないのは、現場の総指揮官である小沢提督にしても、同じことです。
出撃した攻撃隊からの無線通信がありません。例の「マリアナの七面鳥打ち」で撃墜されていました。
しかし、小沢提督は付近の島の飛行場に着陸して、健在であろうと考えていました。

807 :霞ヶ浦の住人:2007/05/16(水) 22:49:41 ID:5wQX+ekx
無線通信には軍艦より陸上が便利

質問者の方は「豊田長官の命令で撤退した」と言われます。
私は、それに関する資料を読んだことがありません。
従って確信を持って言うことは、できませんが、類推すれば、それは不可能であろうと考えます。
理由は、豊田司令長官が、戦況も分からないのに、命令を下せないからです。

先にも述べたように、軍令部では、マリアナ沖海戦に、非常に重大な関心を寄せて注目していました。
具体的に言えば、無線傍受に聞き耳を立てていたのです。軍令部は陸上にあります。そのため、隷下の通信部隊を自由に使えます。
それに引き換え、豊田長官の連合艦隊司令部は、東京湾に停泊した軍艦内にありました。その艦の無線装置や、乗り組んでいる人員しか使えません。
これが、結構人手を使います。

私はマリアナ沖海戦時の、連合艦隊司令部の様子を書いた本を読んだことはありません。
しかし、陸上にあった軍令部より、詳しく戦況が分かったということはあり得ない
想像します。もし、詳しい戦況が分かったとしたら、やきもきしている軍令部へ、直ぐに報告していたでしょう。
戦況が分からないでは、命令を下すことはできません。

「夜戦を挑もうとしてたところを○○長官の命令で撤退したのだが?」が、事実であるとするなら、その命令は、豊田連合艦隊司令長官ではなく、
小沢第1機動艦隊長官から発せられたのであろうと、私は推測します。


837 :霞ヶ浦の住人:2007/05/17(木) 19:37:37 ID:V4UgUPQa
豊田連合艦隊司令長官は、マリアナ沖海戦の戦況を知っていたのですか?

「819霞ヶ浦は「小沢が全部自分の判断で夜戦を挑もうとし、また断念して撤退した」と思ってるの。 GFの命令が発せられた史実を知らないの」。

霞ヶ浦の住人が知りたいのは上記が本当かどうかです。
豊田連合艦隊司令長官は、マリアナ沖海戦の戦況を同時刻に知り、「命令が発せられた」のでしょうか?

東京の陸上にあった、海軍軍令部では、最後まで戦況が分かりませんでした。それを、東京湾内の軍艦にいた、豊田連合艦隊司令長官が、戦況が分かり、かつ、命令を発することができたのでしょうか?

848 :霞ヶ浦の住人:2007/05/18(金) 23:47:18 ID:fCdlQk+8
「732源田はT部隊を編成したけど、航空戦自体にはその時期は343航空隊を練成してたから直接は関わってないんジャマイカ?」

回答
源田實は台湾沖航空戦当時、海軍軍令部第1部(作戦部)第1課(作戦・編成)作戦班に所属していました。
台湾沖航空戦は、1944年10月に起きました。343海軍航空隊の開設は1944年12月です。
参考図書『幻の大戦果大本営発表の真相』辻泰明・NHK取材班著の中の、大本営組織図(台湾沖航空戦当時)

ウィキペディア第343海軍航空隊
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/第343浕軍航空隊

851 :霞ヶ浦の住人:2007/05/19(土) 08:09:43 ID:zOdEAs5x
>>849「坂井三郎にすら特攻命令を出すとは」。

上記疑問です。
ウィキペディア坂井三郎にはそのような記述はありません。
http://ime.nu/ja.wikipedia.org/wiki/坂井三郎

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 371へ書き込みました。

796 :霞ヶ浦の住人:2007/05/18(金) 22:46:57 ID:pBr54bI5
355 の質問
「日中戦争においてどうしてアメリカは蒋介石を支援したのでしょうか?」。

回答
1 中国がアメリカ世論を味方にする工作をして成功した。
2 アメリカとイギリスには、弱い国に味方して勝たせる伝統的政策があった。

中国人は、夫婦喧嘩をしても、大きな声で相手の非を周囲に訴えるそうです。
国家規模でも同じことをします。自国を正当化して、他国の非を訴えます。
日中戦争当時、アメリカのマスコミへ多額の金品をばら撒いて、中国寄りの記事を書かせました。
タイムに掲載された、有名な、爆撃後の上海駅で泣き叫ぶ赤ん坊も、やらせ写真です。
赤ん坊は、撮影者が連れてきたそうです。

イギリスには、弱い国に味方して、勝たせる。それによって、自国の優位を不動の
ものとする伝統的政策があります。
フランスが強大になると、ドイツやロシアと組んで潰す。
ドイツが強大になると、フランスやロシアと組んで潰す。
日露戦争は、そうした政策の一環でした。
アジアに進出しようとしていたロシアを、日本に味方して潰しました。
その次は、強大になった日本を、中国と組んで潰したのです。


814 :霞ヶ浦の住人:2007/05/19(土) 00:21:32 ID:hKIHo6cK

「746海軍乙事件がなかったら、マリアナ沖海戦は、少しは日本側にましな結果になったの?」

回答
仮定の話しは分かりません。
しかし、アメリカ軍は、作戦計画が手に入ったことを、直隠ししました。
それから推測するに、海軍乙事件はリアナ沖海戦に重大な影響を与えたと、霞ヶ浦の住人は考えます。

取られたZ作戦計画は、基本的に、基地航空隊と第1航空艦隊の兵力を集中して、アメリカ艦隊に当たるというものでした。
それに対するアメリカ艦隊の作戦の基本は、基地航空隊と第1航空艦隊を各個撃破するというものです。
フィリピン侵攻の前に、台湾の航空戦力を撃破したように、作戦計画が漏れていなくても、当然実施する至極まともな戦術です。
従って、海軍乙事件の影響は無かったと主張することもできます。

しかし、アメリカはZ作戦計画が手に入ったことを、直隠ししました。
わざわざ潜水艦にZ作戦計画書を積んで、二式大艇の着水した場所で海に投棄しました。
このことから逆に、Z作戦計画の取得が非常に役に立ったと考えられます。
アメリカ側に渡ったことを悟られて、作戦計画を変更されることを恐れたのでしょう。

マリアナ沖海戦の532から591にかけて、このことが論じられています。参照なさってください。
855 :霞ヶ浦の住人:2007/05/19(土) 01:51:45 ID:/RAimYNZ
「795 WW2時の地雷なんか膨大に埋まってたが、今のヨーロッパでカンボジアみたいに農夫が吹っ飛んだりなんてのは殆ど聞かない」。

回答
第二次世界大戦時のヨーロッパの地雷が、現在程問題とならなかった理由。

1 小型対人地雷が開発されていなかった。
2 戦後、ドイツ兵捕虜が撤去した。

簡単にばら撒けて、被害者の手足を破壊する程度の、低威力の小型の対人地雷は、第二次世界大戦後、ソ連が開発しました。
第二次世界大戦当時の対人地雷は、被害者を殺すのが目的でした。
そのため、大きくて、設置に手間もかかります。
従って、現在のように、大量にばら撒かれることはありませんでした。

第二次世界大戦後、ドイツ兵捕虜が、地雷の撤去作業をやらされました。
工兵隊員だけでなくて、地雷撤去の訓練を受けていない、他の兵科も動員されました。
撤去が終わった後は、確認にために、歩かされたそうです。
当然に、被害も生じます。「農夫が吹っ飛んだりなんてのは殆ど聞かない」とは、そのような犠牲の上に成り立ったことなのです。
866 :霞ヶ浦の住人:2007/05/19(土) 02:36:53 ID:EmKzmcL0
「761 大本営は真実を国民に隠していたのに、なんで山本五十六の戦死は隠さなかったんですか?」

回答
隠せなかったのです。

山本五十六の戦死は、1943年4月18日です。発表は5月21日です。1カ月の間隠していました。
しかし、連合艦隊司令長官の重責を空席にするわけにはいきません。直ぐに、古賀峯一が後任に発令されました。
旗艦武蔵に赴任したのですが、山本五十六の戦死の発表前でしたので、一般兵員には何の説明もありませんでした。
武蔵では見られないように生活していました。

死んだ人間を、生存しているかのようにして、連合艦隊司令長官の職に就かせることは不可能です

872 :霞ヶ浦の住人:2007/05/19(土) 03:34:24 ID:etYMMQOx
「604レイテ海戦の栗田艦隊と連合艦隊司令部、第38任務部隊と太平洋艦隊司令部との連絡は暗号に変更してモールス符号でトンツーなんですか?」

回答
1 電信の方が、遠くまで正確に伝わるから。
2 暗号にしないと、敵に分かってしまうから。

質問者は、無線電話をなぜ使わないのかとの疑問だと推察します。
電信の方が、電話より、遠くまで正確に伝わります。インターネットで文字を送る場合と、画像を送る場合の情報量を比べると、簡単に理解できます。
文字や電信(0と1の二進法)の方が、画像や音声より少ない情報量で送れます。従って正確です。

軍事通信は敵に解読されると、困ります。従って暗号に組みます。
しかし、暗号に組むより、緊急に知らせた方が重要だと判断した通信には、暗号を使わずに、平文で送ったこともあります。
特に、アメリカ海軍は日本海軍と比べると、平文を多用しました。マリアナ海戦後の、不時着水機の乗員を救助したときの報告などです。
霞ヶ浦の住人は、日本海軍の索敵機の敵発見の報告など、平文で良かったと考えています。

太平洋艦隊と第38任務部隊との間に、直接の指揮命令系統はありません。
太平洋艦隊(ニミッツ提督)の下に、第3艦隊(ハルゼー提督)、その下に第38任務部隊(ミッチャー提督)がありました。
有名な「世界はそれを知らんと欲す」電報は、太平洋艦隊(ニミッツ提督)から、第3艦隊(ハルゼー提督)宛に発信したものです。
ですから、ハルゼー提督が怒ったのです