映写室 インタビュー33初雪の恋(バージンスノー)
―日韓合作 お互いに隣の国の人に見せたい美しい場所―
「王の男」で一気にブレイクし、今や韓国一美しい男と言われるイ・ジュンギと、映画出演も多く、NHKの「純情きらり」で国民的女優になった宮崎あおいが共演する、ピュアな恋の物語「初雪の恋」がいよいよ公開です。
この映画は日韓合作。監督は韓国の若手ハン・サンヒで、録音や編集は韓国スタッフ、撮影は日本側、双方から参加した部署もあります。舞台は主に京都とソウル。拠点になった松竹京都映画撮影所のスタッフに、撮影秘話や裏話を伺いました。
その前に「初雪の恋」はこんな物語。
日本の大学で教える陶芸家の父の都合で、ソウルから転校して来たミン(イ・ジュンギ)は、自転車で転んだ肘を巫女姿の少女に手当てされ、一目惚れ。登校してみるとその少女七重(宮崎あおい)も同じ高校でした。習慣も違えば言葉も通じず最初は戸惑うのですが、あるきっかけから七重と親しくなると、お互いに相手の言葉を覚え片言で話し始めます。
清水焼は形を造る人と絵を描く人が違う、いつかミンの造った形に七重が絵を描くと約束しました。でも家の事情で七重は引っ越すことに。突然いなくなった七重に腹を立て、ミンはソウルに帰ってしまいます。
スタッフインタビュー
撮影:石原興さん
<顔が似ているのに民族性に違いがあって>、日本と韓国二つの国のスタッフが一緒に仕事をするのは、やっぱり大変でした。言葉の壁がありますからコミュニケーションも取りにくくて。でもお互いに相手に負けじと頑張ったのが、結果として良かったと思います。
僕としてはシステムの違いに戸惑いました。日本だとカメラのフレームに入ったエキストラはカメラマンが絵的に指図して動かすのですが、韓国では彼らのリーダーの言う事しか聞かない。そのリーダーは監督の言う事しか聞かないんです。韓国の映画界はアメリカ的なシステムで動いているのに、そんな所がアジア的なんですね。僕が言っても動いてくれず、困りました。でも宮崎あおいが感性豊かで上手いんです。自分で役を作り込める。イ・ジュンギも好青年で上手い。主演二人の演技力に助けられたと思います。
<又僕はほとんど京都ですから>映像では玄人の好む京都を見せたかった。代表的な名所も入っていますし、京都の裏も写しています。京都の良さを見て欲しいですね。こっちの撮影はスムーズだったんですが、ソウルは大変でした。許可が取れてて大丈夫だと言っていたのに、行ってみると駄目。撮影時間が決まらず、時間のロスが多い。向こうのスタッフはちょっとアバウトなんです。別の良さもあるので民族性の違いですね。
それと神社のシーンではこのところの問題もあって、お参りとか菊の御紋を写さないようにと、民族的な対立をまねく物に韓国スタッフが神経質でした。そんな事もありましたが、合作が成功したケースではないでしょうか。
韓国スタッフは目上の人を大事にします。きちんと挨拶をし気を使ってくれ、感じがいい。それには本当に感心しました。
助監督 井上昌典さん
<映画作りは日本人同士でも喧嘩がしょっちゅう>。まして文化の違う国の人と一緒にやるのですから、言葉とかではない根本的な何かが違って、微妙なニュアンスや気持ちが伝わりません。僕は立場上嫌われ役を買って出るしかなく、仕事を進める為に、韓国スタッフに日本的なやり方を押し付けてばかり、毎日大変でした。もちろん韓国スタッフも、知らない所に来ての仕事で大変だったと思います。それでも日本では仲を取り持ってくれる人達がいたのですが、ソウルに行ってからはそうはいかず、そうじゃない、そうじゃないと思うことばかり。「大丈夫!」と言う言葉のいい加減さに振り回されました。
でもそう言いながらも最後の打ち上げでは、抱き合って完成を喜び合えたんです。こんな機会はそんなにないので、いい経験になりました。こんな作品が増え、一作ごとに双方が歩み寄り、お互いに相手に近付いて行けるのでは。それが本当の交流だと思います。
<考えてみると、僕らは>システム化された中で時間や予算を気にしながら映画を作りますが、彼らの時間を気にしないゆっくりした作り方が本来の芸術性、創造性に向かうものだろうとも思いました。向こうは一人一人が大将なんですよ。
そんな訳でこの映画が完成した影の功労者は、日本に住んで、日本語が話せ、日本と韓国の両方が好きな、韓国人のサポートスタッフや通訳の人達です。助けてくださったそんな皆さんに感謝しています、お世話になりました。上手く事を進めようと、通訳で好意的に伝えてくれるのと、わざと投げ遣りなニュアンスを混ぜるのでは大違い。これから合作をやるんだったら両国間に立つ、どちらに対しても中立な、平和的な人が重要だと思いました。
<そんな意味でも>この映画で描く、過去にこだわりのない新しい世代の交流を、日本にいる韓国人、逆に韓国に行っている日本人に見て欲しいと思います。韓国では皆さんに良くしていただきました。対立とかはマスコミが煽っているのも多いのかもしれません。
美術助手 佐藤絵梨子さん
<韓国スタッフと一緒にやって>、やり方が色々違うのが新鮮でした。皆お酒が強いんですよ。録音部は向こうスタッフで、橋渡しに日本スタッフが一人入ったんですが、その人は「お父さん」と呼ばれて一緒に盛り上がっていました。
イ・ジュンギさんはとっても綺麗でしたよ。日本の若い俳優さんは皆細く、それを見慣れていると、向こうでは普通なんでしょうが、がっしりしてて驚きました。それとこの映画ではイ・ジュンギさんは役柄上相当自転車が上手くないといけないのに、いままで乗ったことがなかったらしいんです。夜所内の駐車場でもくもくと練習していました。映画の中の凄い走りはその賜物です。皆さんご期待ください。
<美術的にはミンのお父さんの工房>のセット作りが大きな作業でした。嵯峨美の先生や生徒さんの作品をお借りして、飾り付けをしています。轆轤を回したり土をこねる、ミンやお父さんの後ろに写っているので観てくださいね。その二人に陶芸の技術指導をした佐藤巧先生は映画の完成を楽しみにしてたのに、昨秋突然亡くなられて、御見せ出来ないのが残念です。
製作担当 阿曽芳則さん
<一番苦労したのはロケ地探し>です。撮影の石原さんに力が入っていたので、色々探してもらえましたが、それでも神社は難航しました。最初考えていた所にM.Gが出て、結局松尾大社に。でも綺麗に写っていて良かったです。
食事は2か国のスタッフなので、それぞれに不満があったと思います。日本では日本式のお弁当を韓国スタッフも食べてくれました。物足りない分をコチジャンを買ったり、キムチを持ってきたりして、自分たちで付け加えていましたね。ソウルのロケは逆に韓国式です。最初は良かったんですが、辛い物が苦手なスタッフが何人かいて、滞在が長くなると辛かったようですね。若い監督が、彼らにはできるだけ辛くない物を選んでくれたりと、気を使ってくれました。
<けっさくなのは韓国の田舎での宿泊>です。一般のホテルがなくて、ラブホテル3軒に分宿したのですが、男同士でダブルベットなんですよ。僕はちょっと嫌だから床に布団を敷いたら、床暖房が入っていて熱くて寝れず参りました。日本での韓国スタッフの宿泊所は、インターネットが出来る所と言うのが条件でしたね。向こうはとにかくネット社会、こっちは遅れていると笑われましたよ。日本に来てからもしょっちゅうメールで、韓国に残ったスタッフに指示を出していました。映画の中にもネットの話が出てきます。お楽しみに。
ミンの実家は日本にもよく来る韓国の陶芸家の自宅をそのままお借りしたんですが、調度とか豪華です。待ち時間に韓国スタッフは、中庭でバトミントンをしたりする。日本側スタッフは周りで体を休めてるんですが、大らかなんですよ。(おいおい待てよ人の家で)とハラハラしました。
<イ・ジュンギはかなり自転車に>乗れないといけない役なので、日本に来るまでに乗れるようになっていてと伝えておきました。ところが彼は今凄い人気で、時間がないのと見つかると人が集まるから外で乗れないらしく、最初はふらふら。どうしようかと思いましたね。ところが上手くなると、今度は撮影中とかも自転車でその辺りをうろうろするんで、何かあったらとハラハラ。色々心配させられましたが、彼は真面目で一生懸命です。宮崎あおいは監督が「目がいいね。可愛いね」を連発していました。
<インタビュー後記:犬塚>
ストーリーからお解りの様に、ここではたまたま好きになった相手が日本人であったり韓国人であったりするだけのこと。二人を隔てるのは家の事情と誤解という、とてもプライベートな物です。隣国どおしで同じ言葉があったり、音は同じでも言葉の意味が違ったり、習慣が似ていたり違っていたりを、二人の会話で面白おかしく紹介していきます。そしてミンが自転車で走る京都の町が、二人で歩く観光地が、私たちが知る以上に京都らしく写り、韓国の方たちの旅心を誘うでしょう。又ソウルの近代的な施設や石畳も美しく、私たちも行きたくなりました。それぞれの街の紹介にもなっています。
皆さんの感想からも伺えるように、映画作りはプロ集団の集まりですから、良い物を作ろうと思えば思うほど、お互いを主張しあい、ぶつかり合い、現場は大変。まして通訳の入った共同作業は、意志の疎通が難しかったと思います。でもこうして素敵な作品が完成しました。苦労の後だけに喜びもひとしおのようです。日韓合同のこんな機会が増え、こんなミンと七重の物語が増えますように。
―日韓合作 お互いに隣の国の人に見せたい美しい場所―
「王の男」で一気にブレイクし、今や韓国一美しい男と言われるイ・ジュンギと、映画出演も多く、NHKの「純情きらり」で国民的女優になった宮崎あおいが共演する、ピュアな恋の物語「初雪の恋」がいよいよ公開です。
この映画は日韓合作。監督は韓国の若手ハン・サンヒで、録音や編集は韓国スタッフ、撮影は日本側、双方から参加した部署もあります。舞台は主に京都とソウル。拠点になった松竹京都映画撮影所のスタッフに、撮影秘話や裏話を伺いました。
その前に「初雪の恋」はこんな物語。
日本の大学で教える陶芸家の父の都合で、ソウルから転校して来たミン(イ・ジュンギ)は、自転車で転んだ肘を巫女姿の少女に手当てされ、一目惚れ。登校してみるとその少女七重(宮崎あおい)も同じ高校でした。習慣も違えば言葉も通じず最初は戸惑うのですが、あるきっかけから七重と親しくなると、お互いに相手の言葉を覚え片言で話し始めます。
清水焼は形を造る人と絵を描く人が違う、いつかミンの造った形に七重が絵を描くと約束しました。でも家の事情で七重は引っ越すことに。突然いなくなった七重に腹を立て、ミンはソウルに帰ってしまいます。
スタッフインタビュー
撮影:石原興さん
<顔が似ているのに民族性に違いがあって>、日本と韓国二つの国のスタッフが一緒に仕事をするのは、やっぱり大変でした。言葉の壁がありますからコミュニケーションも取りにくくて。でもお互いに相手に負けじと頑張ったのが、結果として良かったと思います。
僕としてはシステムの違いに戸惑いました。日本だとカメラのフレームに入ったエキストラはカメラマンが絵的に指図して動かすのですが、韓国では彼らのリーダーの言う事しか聞かない。そのリーダーは監督の言う事しか聞かないんです。韓国の映画界はアメリカ的なシステムで動いているのに、そんな所がアジア的なんですね。僕が言っても動いてくれず、困りました。でも宮崎あおいが感性豊かで上手いんです。自分で役を作り込める。イ・ジュンギも好青年で上手い。主演二人の演技力に助けられたと思います。
<又僕はほとんど京都ですから>映像では玄人の好む京都を見せたかった。代表的な名所も入っていますし、京都の裏も写しています。京都の良さを見て欲しいですね。こっちの撮影はスムーズだったんですが、ソウルは大変でした。許可が取れてて大丈夫だと言っていたのに、行ってみると駄目。撮影時間が決まらず、時間のロスが多い。向こうのスタッフはちょっとアバウトなんです。別の良さもあるので民族性の違いですね。
それと神社のシーンではこのところの問題もあって、お参りとか菊の御紋を写さないようにと、民族的な対立をまねく物に韓国スタッフが神経質でした。そんな事もありましたが、合作が成功したケースではないでしょうか。
韓国スタッフは目上の人を大事にします。きちんと挨拶をし気を使ってくれ、感じがいい。それには本当に感心しました。
助監督 井上昌典さん
<映画作りは日本人同士でも喧嘩がしょっちゅう>。まして文化の違う国の人と一緒にやるのですから、言葉とかではない根本的な何かが違って、微妙なニュアンスや気持ちが伝わりません。僕は立場上嫌われ役を買って出るしかなく、仕事を進める為に、韓国スタッフに日本的なやり方を押し付けてばかり、毎日大変でした。もちろん韓国スタッフも、知らない所に来ての仕事で大変だったと思います。それでも日本では仲を取り持ってくれる人達がいたのですが、ソウルに行ってからはそうはいかず、そうじゃない、そうじゃないと思うことばかり。「大丈夫!」と言う言葉のいい加減さに振り回されました。
でもそう言いながらも最後の打ち上げでは、抱き合って完成を喜び合えたんです。こんな機会はそんなにないので、いい経験になりました。こんな作品が増え、一作ごとに双方が歩み寄り、お互いに相手に近付いて行けるのでは。それが本当の交流だと思います。
<考えてみると、僕らは>システム化された中で時間や予算を気にしながら映画を作りますが、彼らの時間を気にしないゆっくりした作り方が本来の芸術性、創造性に向かうものだろうとも思いました。向こうは一人一人が大将なんですよ。
そんな訳でこの映画が完成した影の功労者は、日本に住んで、日本語が話せ、日本と韓国の両方が好きな、韓国人のサポートスタッフや通訳の人達です。助けてくださったそんな皆さんに感謝しています、お世話になりました。上手く事を進めようと、通訳で好意的に伝えてくれるのと、わざと投げ遣りなニュアンスを混ぜるのでは大違い。これから合作をやるんだったら両国間に立つ、どちらに対しても中立な、平和的な人が重要だと思いました。
<そんな意味でも>この映画で描く、過去にこだわりのない新しい世代の交流を、日本にいる韓国人、逆に韓国に行っている日本人に見て欲しいと思います。韓国では皆さんに良くしていただきました。対立とかはマスコミが煽っているのも多いのかもしれません。
美術助手 佐藤絵梨子さん
<韓国スタッフと一緒にやって>、やり方が色々違うのが新鮮でした。皆お酒が強いんですよ。録音部は向こうスタッフで、橋渡しに日本スタッフが一人入ったんですが、その人は「お父さん」と呼ばれて一緒に盛り上がっていました。
イ・ジュンギさんはとっても綺麗でしたよ。日本の若い俳優さんは皆細く、それを見慣れていると、向こうでは普通なんでしょうが、がっしりしてて驚きました。それとこの映画ではイ・ジュンギさんは役柄上相当自転車が上手くないといけないのに、いままで乗ったことがなかったらしいんです。夜所内の駐車場でもくもくと練習していました。映画の中の凄い走りはその賜物です。皆さんご期待ください。
<美術的にはミンのお父さんの工房>のセット作りが大きな作業でした。嵯峨美の先生や生徒さんの作品をお借りして、飾り付けをしています。轆轤を回したり土をこねる、ミンやお父さんの後ろに写っているので観てくださいね。その二人に陶芸の技術指導をした佐藤巧先生は映画の完成を楽しみにしてたのに、昨秋突然亡くなられて、御見せ出来ないのが残念です。
製作担当 阿曽芳則さん
<一番苦労したのはロケ地探し>です。撮影の石原さんに力が入っていたので、色々探してもらえましたが、それでも神社は難航しました。最初考えていた所にM.Gが出て、結局松尾大社に。でも綺麗に写っていて良かったです。
食事は2か国のスタッフなので、それぞれに不満があったと思います。日本では日本式のお弁当を韓国スタッフも食べてくれました。物足りない分をコチジャンを買ったり、キムチを持ってきたりして、自分たちで付け加えていましたね。ソウルのロケは逆に韓国式です。最初は良かったんですが、辛い物が苦手なスタッフが何人かいて、滞在が長くなると辛かったようですね。若い監督が、彼らにはできるだけ辛くない物を選んでくれたりと、気を使ってくれました。
<けっさくなのは韓国の田舎での宿泊>です。一般のホテルがなくて、ラブホテル3軒に分宿したのですが、男同士でダブルベットなんですよ。僕はちょっと嫌だから床に布団を敷いたら、床暖房が入っていて熱くて寝れず参りました。日本での韓国スタッフの宿泊所は、インターネットが出来る所と言うのが条件でしたね。向こうはとにかくネット社会、こっちは遅れていると笑われましたよ。日本に来てからもしょっちゅうメールで、韓国に残ったスタッフに指示を出していました。映画の中にもネットの話が出てきます。お楽しみに。
ミンの実家は日本にもよく来る韓国の陶芸家の自宅をそのままお借りしたんですが、調度とか豪華です。待ち時間に韓国スタッフは、中庭でバトミントンをしたりする。日本側スタッフは周りで体を休めてるんですが、大らかなんですよ。(おいおい待てよ人の家で)とハラハラしました。
<イ・ジュンギはかなり自転車に>乗れないといけない役なので、日本に来るまでに乗れるようになっていてと伝えておきました。ところが彼は今凄い人気で、時間がないのと見つかると人が集まるから外で乗れないらしく、最初はふらふら。どうしようかと思いましたね。ところが上手くなると、今度は撮影中とかも自転車でその辺りをうろうろするんで、何かあったらとハラハラ。色々心配させられましたが、彼は真面目で一生懸命です。宮崎あおいは監督が「目がいいね。可愛いね」を連発していました。
<インタビュー後記:犬塚>
ストーリーからお解りの様に、ここではたまたま好きになった相手が日本人であったり韓国人であったりするだけのこと。二人を隔てるのは家の事情と誤解という、とてもプライベートな物です。隣国どおしで同じ言葉があったり、音は同じでも言葉の意味が違ったり、習慣が似ていたり違っていたりを、二人の会話で面白おかしく紹介していきます。そしてミンが自転車で走る京都の町が、二人で歩く観光地が、私たちが知る以上に京都らしく写り、韓国の方たちの旅心を誘うでしょう。又ソウルの近代的な施設や石畳も美しく、私たちも行きたくなりました。それぞれの街の紹介にもなっています。
皆さんの感想からも伺えるように、映画作りはプロ集団の集まりですから、良い物を作ろうと思えば思うほど、お互いを主張しあい、ぶつかり合い、現場は大変。まして通訳の入った共同作業は、意志の疎通が難しかったと思います。でもこうして素敵な作品が完成しました。苦労の後だけに喜びもひとしおのようです。日韓合同のこんな機会が増え、こんなミンと七重の物語が増えますように。