Journalist-net 映写室 バックナンバー

ジャーナリスト・ネット映写室で記載して、データが消えた過去の記事を再度アップ。初期の記事が出ます。

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映写室 「TAJOMARU」小栗旬舞台挨拶レポート

2009-09-04 20:18:50 | 映写室インタビュー記事
―始めに小栗旬ありきの企画!―

 芥川龍之介の「藪の中」を新しい解釈で蘇らせた大型時代劇「TAJOMARU」がもうすぐ公開になる。時代劇だけれど、テンポ、テーマと時代劇の枠を超えたエンターテインメントの仕上がり。惚れ惚れするような男気溢れる人間の魅了をたっぷりと描く。主役は「クローズZERO」、「クローズZEROⅡ」で人気を不動にした小栗旬。世界をまたにかけて数々のヒットを飛ばす山本又一郎プロデューサーと一緒の、舞台挨拶のレポートです。
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映写室 新NO.15サブウェイ123 激突

2009-09-02 12:00:13 | 映写室NO記事
―1時23分発の地下鉄でNYをハイジャック―

 こんな作品を観た直後は、電車に乗るのさえ怖くなる。日本でも以前にバスジャックがあったけれど、地下鉄でハイジャックに巻き込まれるなんて災難でしかない。カメラが、事件現場・身代金の輸送・犯人の追走を追って、轟音の響くNYの地下鉄線路構内に潜り、カーチェイスを追っかけてハイウェイをぶっ飛ばし、ヘリコプターで摩天楼を俯瞰してと、縦横の視点が迫力の作品だ。
 <原作はジョン・ゴーディのベストセラー小説で>、1974年の初映画化作品「サブウェイ・パニック」を、トニー・スコット監督が時代に合わせて翻案したもの。デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタと言う演技派2人の息を詰める頭脳戦が見所だ。人間だけでなく、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下鉄路線という、内臓までさらした巨大なNYの街も片方の主役だと思う。
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映写室 新NO.14女の子ものがたり

2009-08-26 08:31:55 | 映写室NO記事
―旅立ちの時を振り返る―

 <夏の終わりが見え始めた> 季節の移ろいに人生を重ねて、1年のうちでも一番メランコリックになる頃だ。こんな時は昔を思い出す。元気一杯で、夏の太陽のようにぎらぎらしていた思春期。それは故郷の情景や幼なじみの思い出とも重なる。あの原風景がある限り、又明日から頑張れそうな気がするものだ。
 <この作品の主人公も>、故郷に帰って元気を取り戻す。元気をくれたのは、精一杯に生きていたあの頃の自分や友達、そして今も変わらない山や海だ。私のそんな場所は何処だろうと、思わず心の中を覗いてしまう。友達だけれどライバル、ライバルだけれど友達。複雑な女性心理を描いて、まさに「女の子ものがたり」。誰もの中の少女性を擽る作品です。
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映写室 新NO.12 南極料理人

2009-08-26 00:13:45 | 映写室NO記事
―究極の単身赴任地で!―

 毎日茹だる様な暑さ、せめて映像だけでも涼しげなものが見たい。今週はそんな要求にぴったりの作品を取り上げよう。舞台は白一色、雪、雪、氷。外を歩くと、口ひげの周りが息で凍ってきたりする。
 <原作は、1997年の南極ドームふじでの越冬隊に>、海上保安庁から派遣されて調理を担当した、西村淳さんの「面白南極料理人」。題名からも察せられるように、人間ドラマだけでなく、毎食並ぶ美味しそうな食事も見逃せない。
 <考えてみると極寒の地は究極の単身赴任地> 隊員だけでなく、送り出し待つ身の家族との間には複雑な物語がある。本当に寂しいのはどちらなのだろう。面白おかしい男たちの物語だけど、なんとも愛しい男と女の物語にもなっている。
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映写室 「サマーウォ-ズ」細田守監督ティーチインレポート

2009-08-24 20:22:29 | 映写室インタビュー記事
―主人公は大人しいのに頑張るキャラクター― 

 公開から4週目に突入した「サマーウォ-ズ」の勢いが止まりません。細田守監督による、満員御礼の舞台挨拶とティーチインが、関西でも22日にありました。以下は「又大阪に来れました」と言う監督の挨拶で始まったそのポートです。
 <アニメといっても子供は少なく>、会場は若い男女で一杯。私も何度も見たいけれど、「2回目の人は?」という司会者の問いに半数近くが手を挙げる。3回目、4回目の人も多く、最多は12回目の人だった。しかも会場のこの熱さ。「時をかける少女」等、監督の以前からのファンも多く、「2回目の今日は富山から来たけれど、3回目は地元で家族と一緒に見ます」という方とか、監督に会いたくて遠くから駆けつけた人もいる。「質問は?」の声に、勢いの良い若い手がたくさん上がった。そんな客席の様子に嬉しそうな細田監督、まるで皆のお兄さんのようで和やかなティーチインが時間一杯続く。
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映写室 新NO.10サマーウォーズ

2009-08-24 06:49:02 | 映写室NO記事
  ―大家族が挑む現実と仮想都市OZの危機―

 ネット社会はどんどん進化している。でもサイトの悪用や支配を目論むサイバーテロも、ますます巧妙になっていく。まるでいたちごっこだけれど、今や取り締まりにサイバーポリスが必要な段階に来たと、先日も専門家が言っていた。んん?、ネット音痴には何だか難しいが、そんな未知の領域を視覚化して、アニメーションならではの解り良さときれいな映像で体感させてくれるのがこの作品だ。
 <創ったのは「時をかける少女」の細田守監督>、前作に続いて今作も現実と仮想のミックスが見事。ネット社会とそのすぐ隣にある長閑な農村風景をリンクさせた、大家族の奮闘物語です。時代や状況は変わっても、危機を救うのはいつも助け合い、日ごろは疎ましい家族力がそんな時そこ生きてくる。現代はまさに「時をかける」ようなスピードの時代。一方でまだまだ残る昔ながらの日々の営み。この作品の持つ二つの世界感が、夏休みの子供たちと若者、好奇心旺盛な大人を虜にするでしょう。美しい映像はビジュアル系の方にも見逃せないと思う。

http://eiganotubo.blog31.fc2.com/
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映写室 監督からのメッセージ「エドワード・サイード OUT OF PLACE」 

2008-06-18 17:48:25 | 映写室インタビュー記事
映写室 監督からのメッセージ「エドワード・サイード OUT OF PLACE」 
  ―佐藤真監督が関西上映に当たって自作を語る―

 先に事務局からのお知らせもありましたが、昨年5月の「ジャーナリスト・ネット1周年記念シンポジウム」で本編の一部上映と講演をしていただいた佐藤真監督の「OUT OF PLACE」が、2月17日から関西でも一般公開です。イスラエルとレバノンの関係は一時好転かと期待しましたが、昨年後半にはイスラエルがレバノンに侵攻。サイードの思いはどうなるのかと胸を痛めました。そんな点にも言及された、監督のメッセージをお届けしましょう。

佐藤真監督からのメッセージ

 <拙作「エドワード・サイード OUT OF PLACE」は対話の映画です。>残念ながらサイード本人は亡くなりましたが、彼の残した膨大な著作を読みながら、私なりにサイードと対話を続けながら、「パレスチナ」と呼ばれた地の周縁を旅して廻って撮った映画です。  何しろ意気地ない私のことですから、ガザ地区やジェニンなどの最前線には到底怖しくて近づけませんでした。もっぱら「見えない境界」を描くなどと嘘ぶいて、あくまでも「紛争地域」の周縁ばかり歩いてきたのです。
 したがって、パレスチナ問題の最新情報をお求めの観客の皆様には、何とも思わせ振りな、及び腰の作品に映ることでしょう。しかし、エドワード・サイードの思想は、パレスチナ難民の側に立ちながらも、イスラエル政府の軍事行動の非を暴くだけにあるのではないと思います。

 <昨年の夏から続いたレバノン戦争の惨状>に対し、もしサイードが生きていたら何と発言していたのか。今となってはただ想像するしかありませんが、決してイスラエル軍の非道のみを非難することはなかったのではないかと思います。レバノンの市民ばかりでなくイスラエル側の市民も多くの犠牲者が出ています。勿論、レバノンの市民の死者に比べれば、ひと桁違う理不尽さはいかんともしがたく、そうした理不尽を国際世論も見過ごしたままなのはたしかに問題だと思います。
 しかし、どちらの国の市民にせよ、いづれも無辜の民がこの戦争の犠牲になっています。そうした、テロと報復の無限連鎖の首枷を断ち切ろうと孤軍奮闘を続ける“ペンによる戦い”の最中、白血病の病に倒れた知識人が、エドワード・サイードだったと私は信じてます。

 <サイードは対話の名手でした。>長く訳出の待たれた「権力、政治、文化(上・下巻)」(大橋洋一他訳、太田出版)を読むと、いかにサイードが対話を通して、他者や異物や敵対物をも決して切り捨てることなく、また強いて自分の土俵に引き摺り込むこともせず、いつも“中間領域”にたゆとうて、対立と敵意を解く達人であったかが分かります。この、どちらにも属さない《あるべきところから外れ、さ迷いつづける場》こそ、サイードが終生こだわり続けた「OUT OF PLACE」であると私は信じます。
 この言葉の中の「OUT」が意味するものは、本来あるべき場所から疎外されたり、難民となったことやその人々(パレスチナ難民や2000年来のディアスポラの歴史をもつユダヤ人)だけをさすものではありません。単一民族と思われかねない島国・日本に暮らす人々もまた「OUT OF PLACE」の民のひとつです。

 <それは、この日本という国が>在日韓国朝鮮人やフィリピン、イラン、イラクなど東南アジアや中東諸国の人々によってその社会の底辺が支えられている事実だけを意味するものではありません。たとえば、私の暮らす西東京市においても、100年前はこの地は雑木林に蔽われ狐狸の棲む里山だったはずですが、今やその面影すらないほど驚くべき変貌(本来ある場所から外れてしまった)を遂げてしまっているからです。《あるべきところから外れ、さ迷いつづけている》点においては、パレスチナ難民と日本国民と本質的には大差ないと言い切ってしまうと語弊がありすぎますでしょうか。
 しかし、毎年平均3万人もの自殺者が出て、100人余りの子供たちが実の親に殺され、100人余りの親が実の子に殺されるという日本社会の闇の深さは、パレスチナ難民の人々にはどうやっても想像も出来ないことだと思います。寡聞ながら、パレスチナ難民キャンプで自爆テロの犠牲者の話は聞いたことがあっても、自殺する人の話はとんと聞いたことがありません。

 <この映画「エドワード・サイード OUT OF PLACE」>はそうした《あるべきところから外れ、さ迷いつづける》人々との対話を望む観客に対して開こうと試みた、とても小さな映画です。もし、この映画に何らかの力があるとすれば、それは、エドワード・サイードの「OUT OF PLACE」の思想の力に依るものです。決して、私達映画スタッフの力に依るものではありません。
 特に監督の私は、ナジーブ・エルカシュ、屋山久美子、石田優子の三人の優秀な助監督・通訳と編集の秦岳志の力におんぶに抱っこで、最後の塩加減だけちょっと見たにすぎない、監督という名の《最終責任者》に過ぎません。しかしながら、もしこの作品がお気に召さないとしたら、それは最後の塩加減を調整した監督である私ひとりの責任です。
その場合は、ただ申し訳ないとお詫びするより他になく、この映画は、あくまで私の視点で対話の名手エドワード・サイードのある一面を切りとったに過ぎないと申し上げる他に、術を知りません。

                      2007年2月5日  佐藤真

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映写室 シネマエッセイ 佐藤真監督の思い出(小さな胸騒ぎ)

2008-06-16 21:58:53 | シネマエッセイ
佐藤真監督の思い出(小さな胸騒ぎ)
   ―カメラがあるならあの瞬間に写ったもの―

 昨秋からだという佐藤監督の不調を知ったのは、「エドワード・サイード OUT OF PLACE」の試写の時だった。昨年のこのサイトとのご縁もある。公開時には他のメディアを圧倒するインタビュー記事を書こうと意気込んでいたのに、監督の会見はないと言う。どの監督も興行は気にかかる。メディアに取り上げられるキャンペーンは大切な仕事なのに、しかも京都の大学に来られる佐藤監督が、大阪でのそれをしないのはどうしてだろうと戸惑った。余程きょとんとしてたのだろう。宣伝のMさんが「監督は体調を崩してドクターストップが出てる。今はまだ入院中」と教えて下さった。

 あまり立ち入った事はしない方だけれど、宣伝は皆が頑張るから安心してゆっくりお休みをと伝えたくて、お見舞いの葉書を出す。もちろん返事など思ってもいず、ドクターストップの件があるので、本人の手元に届くかどうかさえも不確かだった。
思いがけず数日後にゴトンという重さの茶封筒が届く。佐藤監督からで、青い太字のインクで書かれた長文の手紙と、サイン入りの著書が入っていた。昨年の講演時にこの映画評を書いたので、同じ事は出来ない。会見が無いなら今回は監督の新刊に絡めて映画の案内をしたいと書いた私の為に、近況報告と一緒に、本とそれについての色々なメディアの書評を送って下さったのだ。どれも評判が良く、監督は誉められ過ぎで少し恥ずかしいけれどと書き添えていた。すぐに坪内念典の「三月の甘納豆のうふふのふ」の句を書いて、お礼を出したのでその季節だったと思う。

 最後にお会いしたのは、監督が教鞭をとる大学のスタジオ開きの日の事。少し痩せていくらか肩を落としてらしたけれど、それでも充分に闊達だった。「お元気になられて良かったです」とお声をかけると、「ええ、何とかね」と苦笑いされる。彼方此方からのゲストの方々に気配りして、案内をされていた。
 壁際で公開実習を見ていた時、たまたま隣にいた監督に「“映画監督って何だ!”のメイキングを拝見しました」と言うと、思いがけず少し込み入った話が始まったのだ。チビで声のくぐもった私の為に、長身の体を大きく折ったあの時の監督の姿は、もしカメラが捕らえていたとしたら、ご自身のドキュメンタリー理論からすれば、日常を揺らすザラッとした何かが写った瞬間だったと思う。

 後々この瞬間が気がかりだった。監督はどんな表情で話され、私はどんな表情でそれを聞いていたのだろう。監督は繊細な方で、相手との微妙な距離を測りながらお話をされる。お互いに同じ匂いを感じながら(と言うのはあまりに厚かましいけれど)、まだそれほど親しくはない。この時の打明け話は、ご病気を知った私に親近感を持たれたとしても、少しだけ「親密すぎる打明け話」だった。話の内容ではなく、その距離感に少し戸惑いを覚えたのだ。気弱さとも違うその僅かな何かがいつまでも気になっていた。

 監督があれ程知的な方ではなったら、私はあれこれと立ち入っただろう。いやそれ以前に、同じ様な事を同じ時期にソウルで見聞きした夫達の話を披露して、深刻な話を下世話な笑い話へと転じる事も出来たのだ。そうしていたら少しは慰めにもなっただろうにと、あの日の躊躇を残念に思う。後悔は他にもある。今は無理だけれど何時か上映したいというその作品の話を、(その時は上映会をやろう)と思って聞きながら、言葉には出さなかった。実行する時にこそ言いたかったのだ。向かい合っていれば伝わるはずの表情の代わりに、あの時明るく、瞬時に「やりましょう!」と返していたら、少し位元気付けれたかもと悔まれる。

 それにしても思い出されるのは昨年の講演会だ。あの日監督は瞬時に総てを把握されたのだろう。ここは自分が引っ張る以外にないと覚悟を決めて、話の展開すらご自分の言葉をボールの様に遠くに投げて自分で拾うという一人舞台だった。そんな監督の驚異的な世界は、あの場にいた方々を唸らせ、又知的好奇心を刺激したらしい。後で何人もの方から監督への感謝の言葉を託された。言葉の豊かさとその可能性を示されて奮い立ったと告げる、誰もの熱っぽい声が忘れられない。その託されたものは、私の感謝の気持ちと感動も加えてお伝えできたと思う。
 この時の講演で、サイードを描きながら「実は僕は、矛盾を抱えて曖昧なイスラエルが嫌いじゃあない」と言われたのが印象に残っている。他の作品でも見られる、佐藤監督らしい、人が生きる事存在する事の罪深さと苦悩を、柔らかく受け止める言葉だと、今更ながらに気付く。

 この打ち合わせで、監督との間で何度かファックスが往復した。その時、初めての相手なのに、言葉に込めた思いがこれほど正確に伝わるものかと驚いたものだ。多分それは私に対してだけじゃあなく、誰に対してもそうなのだろう。あのドキュメンタリー論は、日常の観察眼でもあったのだ。そんな感性の鋭さと知性が、ご本人にとっても諸刃の剣だったかもと思う。

 ご自分がそんな風だから、監督のドキュメンタリーはある意味難しい。自身のドキュメンタリー論の通りに、総ての作為を排除して日常のかすかな揺らぎのみを捉えた物は、見る方にも作り手と同じ知性と感性を求める。ドキュメンタリーを見慣れない人がぼんやり見ていて解る物でもない。そんな所を、「監督は観客を信頼し過ぎる」と酔った勢いで絡んで、「観客を信頼しないでどうするんですか」と反論された事も思い出される。大勢の中だから、その時は中途半端に終わったけれど、何時かその続きをする予定だった。そんな風に、観客だけでなくこの世についても信頼されていたはずなのに、それがあの方の誠実さだったのにと、又もや押し寄せる無念さ。いずれにしてもご病気だったのだ。

 大切な方だから、同じ匂いを感じたから、時間をかけてゆっくり親しくなりたかった。なのにどうしてそうなる前にと、悔やまれてならない。


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映写室 合同会見35「ユゴ~大統領有故」イム・サンス監督(後編)

2008-06-16 21:56:00 | 映写室インタビュー記事
映写室 合同会見35「ユゴ~大統領有故」イム・サンス監督(後編)
      ―韓国近代史と日本との関係―

(昨日の続き)

―映画の中で日本語とか日本の歌が使われていますが。
監督:韓国は35年間日本の植民地で、その間は韓国語は全く使えなかった。だから朴大統領の年代の人々が、酒を飲みながら日本語を話したり日本の歌を歌うのは、とてもリアリティがあるのです。この映画の為に色々資料を調べましたが、その時に現場にいたシム・スボンは日本の演歌を歌う歌手として有名だった。だから、この席でも韓国の歌だけでなく演歌を歌っただろうと思いました。映画の裁判中にそれについて何も抗議が来なかったので、実際に歌ったのではと思います。

―韓国での日本のイメージはどうなのでしょう。
監督:こんな冗談があります。「世界中で韓国人ほど日本人を無視する国はない」。世界中が認める日本を、日本にまだまだ及ばない所の多い韓国が認めないのは、長い植民地政策もありますし、もう一つは日本と韓国、両国が必要があって作り出した意図的な軋轢もある。国内に大変な問題を抱えると、政治家が反日へと不満を向けることもありました。私は反日感情を持ってこれを作った訳ではありません。それ以前に真実を見るべきだと思う。これは韓国人と韓国の歴史を見る映画ですが、その中に日本の歴史が深く関わっているのです。両国は距離的に離れようにも離れられない近い国で、歴史的にも重なります。日本人にもこの映画の中に滲む自国の歴史を見る視点を持って欲しい。
―日本に来るのは何回目ですか。
監督:4,5回目です。本や映画を通して知る日本や日本の歴史に興味があるのですが、いつも今回のようにタイトな滞在で、ゆっくり楽しむ時間がありません。この映画はとても韓国的なので日本人には解りにくいと思う。でも韓国の歴史が解らなくても、物語としてみる事もできます。色々な視点で見ていただきたい。次にはもっと日本的な映画を持って来たいと思いますので、その時が来るまで皆さんに僕を覚えていて欲しいのです。

<この作品の感想と会見後記:犬塚> 
 <私が試写を見た段階では>まだフルバージョンが観れず、最初の約3分間が何も写らない黒いままでした。でも22日からの一般公開には、そこに朴大統領の葬儀のドキュメンタリーフィルムが入っています。そこに写る国民の号泣に対して、監督は当時から薄ら寒さや差異を感じていたとか。それがこの映画を作る大きな動機だったのではと思います。
 <詳しい内容は、それこそがこの作品の命>なので話せませんが、立ち上る濃密な空気感、美術とカメラワークが素晴らしい。豪華な宮井洞宴会場の廊下を天上の梁の上からゆっくり移動するシーンや、幾つもの取調室を壁やドアを透視するようにゆっくり部屋から部屋へと移動するシーンは、臨場感に溢れ、まるでその場にいるようにどきどきしました。監督がこの事件を俯瞰した様に、観客にも時と場所を越えて、この複雑な人間ドラマを俯瞰させます。これこそが映画の醍醐味というもの、ぜひご自身で体感して下さい。
 <極限状態を演じる俳優陣も見事>。確信的なキム部長に対し、不満はあったにしろ巻き込まれるように加担するチュ課長、彼から指名されて訳も解らず暗殺に加担した者等、誰もの心中が複雑な表情から滲み出ます。「二重スパイ」で魅せられたハン・ソッキュの存在感が一際光り、中途半端に終わったキム部長の(偽装)もなんとも哀れで、北朝鮮の脅威へ配慮した動きとか、真実かどうかはともかく、このショッキングな事件のスキャンダラスな側面が垣間見えました。

 <映画としてそれで充分素晴らしいけれど>、知識があればもっと見えるものがあるはずだと、観終えてすぐにパンフを熟読したのですが、指導者によって大きく変わる韓国近代史は、にわか勉強では頭に入ってきません。監督が何度も口にされた、日本占領下の影響や反日感情とかは、本当言って私には読み取れない。でも詳しい方ならそれも見えるはず。観る者の知識によって、解る範囲が大きく変わる作品だと思います。
 <ちなみに原題は>「その時、その人々」と言う、暗殺時に居合わせた歌手シム・スボンの歌「その時、その人」に掛けたもの。彼女も又、この後5年間歌手活動を禁止されたりと、この事件で大きく人生を狂わせられた1人です。監督の視点は、歴史の表舞台の人以上に、偶然巻き込まれて人生を狂わせた人々に注がれていると思いました。
 <その監督ですが>、経歴を拝見しますと、いつも映画の世界で問題を投げかける知的な暴れん坊。完成度の高い映画作りと、思わぬところを突いてくる急進性に惹かれました。なのに人柄は穏やかなのです。この会見で並外れた視野の広さ、バランス感覚の良さ、頭の良さを痛切に感じ、この後何処まで行くのだろうと目が離せない監督になりました。知性と創造的野望が素敵です。韓国通の方も単なる映画好きの方も、それぞれの視点で楽しめる本格的な作品。じっくり集中して御覧いただきたいと思います。

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映写室 合同会見34「ユゴ~大統領有故」イム・サンス監督(前編)

2008-06-16 21:54:11 | 映写室インタビュー記事
映写室 合同会見34「ユゴ~大統領有故」イム・サンス監督(前編)
    ―韓国近代史の暗部を描く―

 1979年10月26日午後7時40分頃、ソウルの宮井洞宴会場で、パク・チョンヒ(朴正熙)大統領が銃弾に倒れた。これが所謂「10.26大統領暗殺事件」で、18年に及ぶ韓国の軍事政権が終焉する。この作品は28年の時を経て、封印された暗殺前後の24時間を読み解き、「そこで何があったのか」と映画化した物。韓国近代史上最もショッキングな事件だけに、注目もされれば物議もかもす。今も韓国の法廷で、この作品が朴正熙大統領の名誉毀損に当るかどうかを争っています。脚本も手がけたイム・サンス監督にお話を伺いました。
                   
<その前に「ユゴ」とは>
 有故(ユゴ)とは韓国語で“事故にあう”という意味。首謀者の韓国中央情報部(KCIA)のキム・ジェギュ部長が、暗殺と言う事実を曖昧にする為に、事件直後に「大統領が有故にあった」と軍や政府に説明し、事件の翌日、韓国の新聞では「大統領有故(ユゴ)」と言う見出しが一面を飾った。

<イム・サンス監督インタビュー>
―この映画を撮ろうと思ったきっかけは。
イム・サンス監督(以下監督):韓国近代史の中で重要な事件ながら、捜査が慌ただしく行われ、結果が明らかになっていない。それを探りたかったし、映画監督として描きたいテーマがあったんです。それとノ・ムヒョン政権になったので、制作可能ではないかと思いました。個人的には前作の「浮気な家族」が興業的に成功し、僕が映画界の中でポジションが出来て、これを撮ることが出来ました。
―首謀者のキム部長にペク・ユンシク、キム部長に誘われて暗殺に参加するチュ課長にハン・ソッキュ、と言うキャスティングは。
監督:ペク・ユンシクは主にテレビで活躍しています。実際は保守的な方ですが、この役に惹かれると、政治的な事を排除して引き受けてくれました。ハン・ソッキュの演じる役はこの映画では主役の次で、彼のような大スターをその位置で起用するのは本来難しいのです。NO.2での出演と言うのは彼のキャリアの中でも珍しいのですが、本人が複雑な役どころを気に入り、引き受けてくれました。

―朴大統領の家族から訴えられていますが、今どうなっていますか。
監督:日本の歌を歌ったり、女好きだったりというシーンがあって、朴さんが前面に出るのが個人に対する名誉毀損という事です。この作品は韓国では2005年の11月30日に公開されましたが、判決はその2日前に出て、映画に入れたドキュメンタリーの前後をカットして上映するように言われました。だからそのシーンを削除したバージョンで、カンヌやニューヨークの映画祭では上映したのです。其処で私の方でフルバージョンの上映を訴える広告を出しました。その後O.Kとなり、去年の釜山映画祭ではフルバージョンで上映しました。フルバージョンの上映は映画祭ではありますが、一般公開では日本が初めてです。

―訴えられたのは何時ですか。撮影は終わっていたのですか。
監督:2005年の11月24日です。ノ・ムヒョン政権になりこんな作品を撮れるとは言っても、規制があるだろうと、撮影の事は報道記者たちに緘口令をしいていました。ところがセンセーショナルなメディアがシナリオを手に入れて、朴大統領は女好きで演歌を歌うシーンがあると報道して、撮影は終わっていたのですが、編集の最中に訴訟がありました。撮影しているのは知っていても、現政権なので圧力はなかった。このあたりは韓国の状況に敏感でないと解りにくいのすが、キム・デジュンは自由化に動いた偉大な大統領ではあったが、まだ朴政権の残党がいて、これを描くには時期尚早というか自由の歴史が浅かった。ノ・ムヒョンは戦後生まれの大統領なので、そんな束縛が無く出来たのです。

―それがどうして削除しなくて良い事に。
監督:判決を受け、公開する前にこちらもすぐに控訴を起こしたのです。その後で削除版で公開しました。次に、カットしなくていいが名誉毀損で大統領の遺族に1億ウォン払えと言われました。この金額は韓国では非常に大きいものです。この判決は、名誉毀損だとしても映画の内容にまでは司法が関与できないと、判断したのだと思います。最初の削除しろと言った判事は、今もって朴大統領の政治的影響を排除できないと言う政権の気持ちを汲んでの事でしょう。この判事は後で左遷されています。問題のドキュメンタリーシーンは朴大統領の葬式の模様で、民衆は全員が号泣しています。それを入れたのは、このシーンで観客を25年前に連れ戻したかったから。今の貴方ならどうするかと、観客に問いかけたかったのです。大統領が死んだ時、僕の親は家の中で喜んでいました。朴政権下で無実の人が投獄されるのを見てるので、弾圧や独裁が終わったのを喜んだのでしょう。

―この映画を撮ろうと思ったのは何時ですか。
監督:2003年の「浮気な家族」が公開されたのは丁度大統領選挙の頃です。ノ・ムヒョンが当選しないとこの映画は作れないので、仕事の合間を縫って彼に投票しに行きました。で、彼の政権が誕生し、2004年にこの映画を撮りたいと言ったら、前作の成功もあって製作会社がO.Kを出したのです。
―それまでは性的なタブーを描いてきたのに、この作品から急に政治的になりますが。
監督:僕が性的、政治的な両面を持っているのです。
―この映画はフィクションですか、それともノンフィクションですか。国内の受け止め方は如何でしょう。
監督:真実かどうかは哲学的な問題になるので、議論に踏み込まないようにしている。この事件の記事を読むと、映画が事実と重なると解るはずです。ただ記者が良心をもって真実を書くのと、映画監督が良心で真実を描くのは微妙に違う。直感で真実を貫くと言う事もある。今韓国では芸術的な真実と、記録的な真実を争っているのですが、フルバージョンで上映できればその争いももう意味がないかと思います。

―監督が次に撮りたいのは何ですか。
監督:この作品で描いた70年代の暗殺事件、「懐かしの庭」の80年代の光州事件、前作の「浮気な家族」は女性とセックスを主に取り上げていますが、一定の民主化と経済の発達した今の韓国社会の空しさを描きました。この3作で韓国の映画監督としてやるべき事はやったと思っています。韓国は小さい国なのでその中でばかりやっていては限界がある。今後は外に出て、もっとインターナショナルな作品を撮りたいと思っています。                     
                                                (続きは明日) 

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