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「理解に苦しむものはみんな化け物扱い」――闘い続ける“不死鳥”、美輪明宏の人生

Yahoo! JAPANがお届けする『RED Chair』シリーズ 記事はこちら👉https://yahoo.jp/I5AHbF RED Chair #4 美輪明宏 「死というものはないんです。ただ肉体がなくなるだけ」。美輪明宏は今年85歳を迎える。生い立ち、同性愛者であることを公表したときの思い、歴史的文化人との交流、原爆の記憶。闘い続けたその壮絶な半生を語った。 【RED Chair】 ひとりの人生を紐解く『RED Chair』。先駆者、挑戦者、変革者など、新しい価値を創造してきた人たちの生き方に迫ります。

「死というものはないんです。ただ肉体がなくなるだけ」。美輪明宏は今年85歳を迎える。昨年9月には脳梗塞を患い、わずか2カ月で仕事に復帰。これまでも病や怪我と向き合いながら、“不死鳥”のように蘇ってきた。不屈の姿勢を、美輪は「私の“責務”」だという。原爆の記憶、ジェンダーを超えた生き方、さまざまな文化のパイオニアとしての軌跡。闘い続けてきた人生を語る。(取材・文:内田正樹/撮影:御堂義乘/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部)

29歳の頃(写真提供:美輪明宏)

2歳の頃(右から2人目、写真提供:美輪明宏)

江戸川乱歩の小説を三島由紀夫が戯曲化した『黒蜥蜴』。美輪は1968年に初めて主演し、再演を重ねている。2015年の公演で(写真提供:御堂義乘)

22歳の頃。「メケ・メケ」を歌う様子(写真提供:美輪明宏)

同性愛者だと公言した理由は

『毛皮のマリー』、2019年。1967年に寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」で主演を務めて以来、繰り返し上演している(写真提供:御堂義乘)

日本は文化国家であるべき

2014年、定期的に開催している『ロマンティック音楽会』で(写真提供:御堂義乘)

撮影:御堂義乘

「愛の賛歌 ピアフの一生」  
 ベルエポックのパリ。一人の天才少女は, 神の命じるままパリのベルヴィルの歩道に生み落とされた。

少女の名はエディット・ピアフ。親戚の売春宿にあずけられたピアフはある日盲目になる。娼婦たちはノルマンディの修道院 聖女テレーズのところでピアフとともに,祈りを捧げた。奇跡は起こった。1921年8月25日 聖ルイの祝日,ピアフの視力は回復した。

しばらくするとピアフは父とともに毎日街でシャンソンを歌った。(ピアフ独特のOシルコンプレックスはこの街で生まれた) ピアフは詩人のジャンコクトウに巡り会い教養を身につける。

そして華々しくデビューする。すべては順調であった。イブモンタンやシャルルアズナブールも育てた。「バラ色の人生」から「愛の賛歌」への移行寸前,ニューヨークで恋人をまちわびるピアフに訃報が届いた。恋人のボクシングミドル級チャンピオン マルセル・セダンがニューヨークへむかう途中 機は墜落した。


ピアフは公演中観客を前にして倒れた。 パリへ帰ったピアフを待っていたのは,オランピア劇場での長期公演であった。オランピアで歌うピアフの「愛の賛歌」は神がその日を待ち望んでいたかのように残酷な試練を与え,かつてピアフが身ごもった子さえ殺してしまうという悲痛を与え そのかわり「情熱」というプレゼントをし愛の賛歌は完成した。観客は泣き慟哭し幕がおりてもしばらく立ち上がれなかったという。

自動車事故,自殺未遂,発狂,酒におぼれた日々,麻薬中毒,入院。 ピアフは死にもの狂いで「愛」を貫き歌った。マルセルの死後マルセルの長男を引き取り,我が子同然に可愛がった。

現在ピアフ博物館の館長をしている。ピアフは1963年10月 47歳で亡くなる一年前テオ・サラボと結婚し何曲か自宅で録音したが,死を目前にしたピアフの声はもう,あの時の声ではなかった。

パリの新聞が「ピアフの死」を伝えるとジャンコクトウは後を追うように逝った。
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     最愛の恋人マルセルを失った直後のピアフ

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   1962年テオ・サラボと結婚,一年後テオに見守られながら
      生涯を閉じた。        
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      ピアフはイブ・モンタンやアズナブールも育てた。 



 
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