見出し画像

gooブログはじめました!

赤い暴君

関連記事:風の征するモレア

http://web.archive.org/web/20170502073744/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/96.html

c0139575_0535912.jpg

ヒットラーについては記事にしましたがウイーンのソロモン・ロスチャイルドが家政婦に産ませた非嫡出子のアロイスを父に持つ1/4がユダヤ人でありスターリン,ヒットラーがロスチャイルド家直系であったからこそ全てがつながってくる。最近ではプーチンもその血流だとの話もある。

フラムの子らによる共産主義の樹立

http://oo3.o.oo7.jp/index22.html


クリックすると元のサイズで表示します
CHEKA...創始者はFelix Dzerzhinsky

クリックすると元のサイズで表示します
レーニンがエージェントにより暗殺された後CHEKAの創始者をパージにより処刑台に送るスターリン。

CHEKAの拷問

クリックすると元のサイズで表示します
 CHEKAの拷問部屋に書かれた「ブルジョワジーに死を」の文字。右にメンデスの山羊が見える。

キシンジャーは旧ソ連の代理人~記事の後半

http://web.archive.org/web/20170502023506/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/222.html

「伏見宮─もうひとつの天皇家」既刊・関連作品一覧

伏見宮─もうひとつの天皇家

「旧皇族」とはいかなる存在か。「戦後皇籍離脱した11宮家」というのは正解の半分でしかありません。より重要な半分は「彼らはすべて伏見宮系皇族である」です。南北朝時代に成立した伏見宮家は近代天皇制国家の成立後、徐々に数と重みを増してゆきます。彼らと明治・大正・昭和天皇との関係は? 維新の元勲、重臣たちは宮さまたちをどう見ていたのか。本書は、皇族・華族研究に打ち込んできた著者の、研究の集大成です。


 昨今、皇位継承問題でさかんに言及される「旧皇族」とはいったいいかなる存在か?
「昭和22年10月に臣籍降下(皇籍離脱)した11宮家」というのでは正解の半分でしかありません。正解のもう半分(より重要な半分)は「大正天皇の皇子である秩父、高松、三笠の三宮家(直宮)以外の宮家であり、それらはすべて伏見宮系皇族である」です。こうした初歩的な事柄を押えないままに、あれこれ論ずる向きもあるようですが、すべては「事実」を知ることからはじめるべきです。
 伏見宮家と天皇家との血縁は、実はきわめて遠く、その分岐は南北朝時代までさかのぼらなければなりません。世襲親王家として中世から近世まで独自の位置を占めた伏見宮系皇族。その存在は、幕末の動乱を経て近代天皇制国家の成立後、徐々に数と重みを増し、変質してゆきます……。彼らと明治・大正・昭和天皇との関係はどのようなものだったのか、維新の元勲、重臣たちは宮さまたちの行状をどう見ていたのか……。
 本書は、皇族・華族研究に打ち込んできた著者の、研究の集大成として世に問う企画です。皇室問題に関心のある方ならば必読の書といえましょう

伏見の宮コネクション

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&fr=wsr_gs&p=%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E3%81%AE%E5%AE%AE%E3%82%B3%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 

https://kdentou.com/archives/4293

【十一宮家物語〈第二回〉】皇統断絶の危機を救った伏見宮(ふしみのみや)家 ―南北朝時代に創設―

 

 

【十一宮家物語〈第二回〉】皇統断絶の危機を救った伏見宮(ふしみのみや)家 ―南北朝時代に創設―

宮田修一(ジャーナリスト)GHQの圧力によって昭和22年(1947)に皇籍離脱に追い込まれた11宮家は、南北朝時代に始まった伏見宮家から分かれて創設されました。その伏見...

皇室の伝統を守る国民の会【公式】

 

 

2020年5月23日に日本でレビュー済み

 
 浅見氏はこれまで近代皇族に関する著作を多数出していますが、今回は伏見宮の成立から幕末までの記述が半分以上を占めています。その個性的な生涯が描かれている山階宮晃親王や中川宮(久邇宮)朝彦親王などは、今日ではもう忘れられた皇族といっても良いのではないのでしょうか。
 明治以降については過去の著作の補足的な内容もありますが、維新後に伏見宮の系統から多数創設された宮家の継承問題に叙述の重きが置かれています。明治天皇が、旧皇室典範が制定された頃には皇位継承の候補者がまだ少なかったために永世皇族制にこだわったのに対し、皇孫の誕生や伏見宮からのさらなる宮家の創設がなされると、皇族の臣籍降下制にも賛同するようになった、というのはなかなか興味深い分析だと感じました。
 本書からうかがえる天皇や宮家の人々の在り様から言えるのは、月並みですが皇族といえどもやはり人の子なんだなということだと思います。筆者は昨今の皇室をめぐる議論が往々にして歴史的事実を無視して嘆いていると冒頭でも述べていますが、確かに「日本の伝統」といったような観念論だけでは割り切れませんね。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
 
役に立った
レポート
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事