今回は1938(昭和13)年1月分をみてみる。
〈一月四日〉
上海税関及諸税収入(145頁)
↓
上海税関及塩税収入(152頁)
↓
上海税関及塩税収入(152頁)
〈一月七日〉
今後或は北浙江に対し(147頁)
↓
今後或ハ江北、浙江ニ対シ(154頁)
↓
今後或ハ江北、浙江ニ対シ(154頁)
〈一月十日〉
此日各国の主要なる通信員と記者会見す(148頁)
↓
原本である『陣中日記』にはこのような記述はない。
↓
原本である『陣中日記』にはこのような記述はない。
(解説)ここも悪質な書き加えである。田中は「編者注」として「この記者会見でも南京虐殺事件は問題にされていない」(148頁)と書いているが、田中の書き加えとそれに対する注は、明らかに南京事件を否定するために創作したものを書き加えている。
〈一月十一日〉
此夜谷第六師団長(149頁)
↓
此夜谷元第六師長(155頁)
↓
此夜谷元第六師長(155頁)
〈一月十三日〉
南京自治機関(150頁)
↓
南市自治機関(156頁)
↓
南市自治機関(156頁)
〈一月十四日〉
大道政府の巡査なども遠望せられ(151頁)
↓
大道政府ノ巡査ナトモ配置セラレ(157頁)
↓
大道政府ノ巡査ナトモ配置セラレ(157頁)
〈一月十五日〉
殊に独乙大使仲介運動今後尚憩まず(151頁)
↓
殊ニ独乙大使仲介運動今尚不熄(157頁)
↓
殊ニ独乙大使仲介運動今尚不熄(157頁)
〈一月十九日〉
原田、塚田、武藤を集め(152頁)
↓
原田、塚田、武藤、公平ヲ集メ(158頁)
↓
原田、塚田、武藤、公平ヲ集メ(158頁)
〈一月二十一日〉
只沿線守備の設備(153頁)
↓
只沿線守備ノ後備(159頁)
↓
只沿線守備ノ後備(159頁)
〈一月二十三日〉
朝十時飛行機にて出発、平望市を上空より視察しつつ(154頁)
↓
朝十時飛行機ニテ出発湖州、平望等ヲ上空ヨリ視察シツツ(160頁)
↓
朝十時飛行機ニテ出発湖州、平望等ヲ上空ヨリ視察シツツ(160頁)
〈一月二十四日〉
第十師団の(155頁)
↓
第十一師団ノ(160頁)
↓
第十一師団ノ(160頁)
福州の現状を覆し(155頁)
↓
福州ノ現状ニ処シ(161頁)
↓
福州ノ現状ニ処シ(161頁)
第十六師団長北支に転進の為め着滬す。其云ふ所、言動面白からず。由て厳に命じて転送荷物を再検査せしめ、鹵獲、奪掠品の輸送を禁ずることに取計ふ(欄外)(155頁)
↓
第十六師団長北支ニ転進ノ為メ着滬ス其云フ所言動例ニ依リ面白カラス殊ニ奪掠品ノコトニ関シ甚タ平気ノ言アルハ遺憾トスル所由テ厳ニ命シテ転送荷物ヲ再検査セシメ鹵獲、奪掠品ノ輸送ヲ禁スルコトニ取計フ(欄外)(161頁)
↓
第十六師団長北支ニ転進ノ為メ着滬ス其云フ所言動例ニ依リ面白カラス殊ニ奪掠品ノコトニ関シ甚タ平気ノ言アルハ遺憾トスル所由テ厳ニ命シテ転送荷物ヲ再検査セシメ鹵獲、奪掠品ノ輸送ヲ禁スルコトニ取計フ(欄外)(161頁)
(解説)脱落。中島今朝吾第十六師団長が奪掠行為を平気で行い、それで確保した品物を内地へ転送しようとしている点が抜けている。これだけの文章を見落とすことはありえないので、田中による故意の脱落であろう。
〈一月二十六日〉
幕僚にも研究を命ず。然るに幕僚共も一般に(156頁)
↓
幕僚ニモ研究ヲ命スルモ幕僚共モ一般ニ(161頁)
↓
幕僚ニモ研究ヲ命スルモ幕僚共モ一般ニ(161頁)
〈一月二十八日〉
殊に陸軍者側が(158頁)
↓
殊ニ陸軍省側カ(163頁)
↓
殊ニ陸軍省側カ(163頁)