因果応報のむくい☆どのオタクだって戯言を喋る(仮)

オタクの戯言かつ社会批評を少しはやってみたいのにいつの間にやらダラダラしてしまったブログらしい

『AIR』な話

2006-12-16 | 作品なお話
 胸が熱くなる瞬間というものは、かけがえのないモノです。


 今回の『AIR』に関する話で、今年の定期更新は終える予定です。
 一応書きたいことがあったら書き込む予定ではありますが、基本的にこのブログを自分で見るような事も少ないので、もしかしたら今年最後の更新になるかもしれません。


 さて、今あまり時間がありません。やるべき事とやりたい事が立て込んでいるので、今この時間が少し惜しかったりしてます。
 だから今回はエッセイ風でいこうかな、と。

 というか今まで気負い過ぎていて、難しい事を書こうとしたあまりに変な文章を書いていたような気がします。
 だから今回は慣れている適当な文章を垂れ流す方式で語っていこうかな、と。時間もあまりありませんし。


 さてと、本題へ。
『AIR』というのは2000年に発売された美少女ゲームです。
 美少女ゲームはいくつかパターンがありますが、近年大きく話題を集める典型的なパターンとしては「ストーリーが面白い」という事が挙げられます。
 このゲームはその典型例で、『KANON』という前作を上回る話題作となり、今でも話題作で、今年はアニメ化、昨年辺りは映画化もしていました。確か映画の話はここでも書いたような気がします。


 その『AIR』と僕との出会いは、2002年の1月でした。
 2001年にドリームキャストでエロを抜いた代わりに新規CGを追加してコンシューマ化されましたが、その時はフーンくらいにしか思っていませんでした。話題になっているのは、全く関係ない雑誌のコラム欄にも書かれるくらいなので知ってはいたのですが、絵が……絵が……
 今でこそ愛着が湧いている絵ですが、話を知らないと中々魅力と思えないんですよね……

 しかし話題を重ねるゲームでしたから、それなりに気になっていたのですよ。
 しかし機会がない。その前にそういったジャンルのゲームをひとつプレイしていましたが、まだまだその手のゲームには初心でしたので、中々。

 そして1月。
 そういったジャンルのゲームを当時唯一プレイしたゲームの会社から、そういったジャンルではないゲームが発売されたので買いに走ったところ、無名といわれてもしょうがない会社でしたのでゲーム屋に置いてなかったのです。
 しかしゲームはしたい。
 その代わりに買ったのが『AIR』でした。
 前からその店に置いてある事を知っていたため、売ってなかったら買おうと思っていたのです。
 酷い話ですが、前述から察せられるとおり癖が強い絵柄だったので、どうも手が出なかったのです。


 意気揚々と始めたところ、面白いのです。
 といってもキャラクターの掛け合いが、ですが。
 この手のゲームは中盤辺りになるまでは大して話が動かないので、しょうがない事ですが。

 そして3日位(当時は1日2時間という中途半端ないい子ちゃんでした)でゲームのメインヒロインのエンディングまで到達。
 ……はい?
 意味がわかりませんでした。そのヒロインの問題が何も解決してないのです。解決したのは主人公の気持ちくらい。
 その不満は次のヒロインのエンディングへ到達しても中々消えず、高校のネット(当時はまだ電話回線だったので)で調べたところ、その後の話があるらしく、とにかく進めるしか道はありませんでした。
 もうひとりのヒロインを涙を流しながら進め(夕焼けが美しかった)、説明書のヒロインを全て攻略すると、new gameの後に新しい選択が。

 そして主人公も、ヒロインも、時代も違う物語の幕開け。
 ここからはただひたすら読み進めるしかありません。

 本編の前話といえる物語が幕を閉じると、また新しい選択肢が。
 そして始まった新しい視点は……攻略サイトでもここからは多くは触れてませんので避けます。
 ひとつ語るなら、意味がわからなかったメインヒロイン――観鈴の話のようでいて、まるで違う話でした。少なくとも美少女ゲームありきたりの恋物語ではありません。それ故に幅広く受け入れられたのでしょう。

 そして全てが終った後は、大きな虚無感が。
 今、想い出してちょっと涙が、そして胸が熱くなっています。
 最後までちゃんとプレイしたのは、少なくとも今年ではありませんが(何度か起動させましたが、全てを読むまでには至ってません)、今でもこうして泣けるのだな、と感慨深いです。


 今、こうしているのは、この『AIR』のおかげなんだな、と強く思います。
 今でも時々考えますもの、彼女達のその後を。他にもいくつかプレイしましたが、中々そこまではいきません。面白い事は面白いんですけどね……

 後年、その観鈴の話を書いた麻枝准さんはこの『AIR』を趣味で書いた様な事を語っています。
 だからこそあの結末になったのでしょうが、それでも充分に素晴らしい物語で、今後も僕にとって大きな存在であり続けるのでしょう。


 本当、今でも色々引きずっているのだなぁ……

『Kanon』な話

2006-12-09 | 作品なお話
 冬に起きた奇跡の物語。

 なんて少し大袈裟な話ですが、その奇跡の物語に幾人もの人間が熱を上げた事も事実でして。
 それなりに想い出深い作品なので少し真面目に取り組んでみようかなと。


 その作品は『Kanon』という美少女ゲーム。
 作品が発売されてのは1999年、約7年前の事ですが、今でも同人誌が作られるくらい、そして現在アニメが放送されるくらいに影響はあります。アニメ化は2回目なんですけどね。
 1回目は色々な理由で黒歴史扱いされていますが、結構好きなんですけどね……まあ、あの頃はアニメについて今ほどの知識はありませんでしたが。むしろ深夜アニメを見始めた時期なのでアニメについてそんなに知らなかったためか、新鮮に映ったのでしょう。

 それはともかく、現在のアニメはかなり良いです。
 どう良いかというと、原作に忠実な上、しっかりとその他表現に手を抜いていない、そして原作にはないぶっちゃけどうでもいい話までも丁寧に作りこんでいる点は素直に楽しんで観てしまいます。
 おかげで原作を思い出して、思わず涙ぐむ場面も。いや、Kanonはやっぱり良いです。


 詳しく概要説明。
 美少女ゲームであるのは上に書いた通り、そして今でも影響力があるというも上に書いた通りですが、どう影響力があるかといいますと、このゲームから「ゲームで泣く」という概念が確率されました。いや、その前からちょくちょくゲームで泣くような事もありましたが、泣きゲーでかならず上位に上がるのはこの作品でしょう。
 読ませるゲームはそれ以前にもありましたが、泣かせるゲームは少なかったのです。

 しかし物語的に「奇跡」を使う展開は、奇跡の大安売りなんて言われてしまい、業界的にかなりの数売れたために強いアンチを生むことも。

 しかし物語の世界観が魅力的なため、そしてヒロインが良い為に現在でも支持されているのです。


―――ここから核心要素が強くあります―――


 さて美少女ゲームといえば、ビジュアル重視のAVD。文章と表情で世界を感じさせてくれます。
 Kanonの世界の中心は月宮あゆという人物ですが、今回は簡単に。

 本田透著の『萌える男』でもうぐぅ(月宮あゆ)がトラウマの全てを癒すようなことを書いていますが、主人公が過去に起こしたものを全て許す(あれはあれで主人公の責任とはいえませんけど)どころか応援?するような語りまで入っていて、あゆを除いた4人のうち2人のヒロインを祝福します。
 だから女神としてあゆの商品(フィギュアや同人誌)を買い漁るオタクが現れ、『萌える男』で救われたと書かれたり、勝手に改蔵でネタにされたりされたらしいわけですが。


 今回のメインはあゆに関係しなかった後のふたり。
 何故あゆに関係しなかったかというと、ライターさんの関係でしょうね。書く人が違います。
 その辺りの細かいことは打ち合わせすればなんとかなるんじゃないか、なんて素人ながら思うのですが、個人で書いていった方が良い個性がでるのでしょうね。


 そのライターさんは麻枝准さんといわれています。
 彼の作品の特徴は『家族』
 狭義、広義どちらの意味でも『家族』というキーワードがぶつかってきますが、今回は『Kanon』を取り上げているので、広義の意味合いで使います。

 広義は血縁がない者同士が家族になること。
 といっても結婚という意味ではなく、居候の身や、友達同士で家族になるようなことを指しています。

 様々な過程を経て家庭を得る、なんて思わず書きたくなってしまいましたが、現代薄くなっているといわれている絆は、こういった物語で埋めたくなるのも心理のひとつなのではないのでしょうか。
 家族というのは、ひとつの理想系です。もっとも強固な絆でしょう。何だか書いていて空しいのは、近頃の離婚問題や少子化のためでしょうか。自分の家は極めて普通ですよ。
 それはともかく、恋愛の先にあるものとして形にあるものを形にしたルートでした。

 得体の知れない何かと戦い、現実とも戦う構造を持つ舞ルート。
 感情を失われていく側と、感情を入れていく側を描いた真琴ルート。

 舞はありふれた日常と、過去の約束を。
 真琴はただ近くにあって欲しい家族を。

 このふたつのキャラクターは物語だけでも人気があり、それぞれのその後の解釈で揉めているのを読んでいたことが懐かしく感じます。

―――

 というわけで『Kanon』でした。
 とりあえず来週で今年の定期更新は終えようかな、と思っています。理由は書くことがあまりないことと、オフラインで書かなければならないものが貯まってきたからです。
 しかも書く時間をあまり取ってないので、最近はやっつけ感がいっぱいで何とも不甲斐ない想いも。今回も麻枝准さんの話を掘り下げたかったのですが、ルートの意味を紹介するだけで終わって、何だかなぁ……ていう気分です。

 さて今年最後の定期更新となる来週は『Kanon』の後に作られた『AIR』かなぁ、と。掘り下げられたら麻枝准について書こうかと思っています。
 何か書くことが出来次第変えるつもりですが、最近の傾向からいってこのままでしょう。

 では来週。

『銀盤カレイドスコープ』な話

2006-12-02 | 作品なお話
 氷上で舞う姿は、心底心奪われる美しさがあります。


 そういえば今年の流行語大賞は「イナバウワー」のようで。
 オリンピックで金メダルを取り、旋風を巻き起こした結果ですから、胸を張って自慢してよい結果なのではないのでしょうか。

 フィギュアスケートは次世代も確実に育っているようで。
 浅田真央舞姉妹や、安藤美姫、男子も織田信成や高橋大輔など、期待できる先取が確実に育っています。


 とはいえ普通に暮らしている人達にとってまだまだその世界への理解は浅いに過ぎず。
 そんなフィギュアスケートの世界を垣間見れる小説があります。

 それは『銀盤カレイドスコープ』(著:海原零)といい、先月ようやく完結した全9巻のライトノベル。
 出版され始めたのは2003年のこと。賞を経て出版される運びになったのですが、長い投稿作だったために上下巻を同時に発行する珍しいスタイル。
 出版先は集英社とはいえ、まだまだ歴史の浅いレーベルでの出版でしたが、気持ちよく読み進められる文体とヒロインのタズサによる毒舌一人称が話題を呼び、人気を得、確実に巻数を重ね、そして今年完結するという運びとなりました。
 去年はアニメ化やマンガ化を行い、フィギュアブームの先頭を走ろうとしましたが……少なくとも一般には話題になっていないので、なんとも。
 とはいえ帯に浅田舞選手が登場したりなど、その手の世界では読まれていたりするのかな、なんて考えられる一面も。珍しいですからね、小説ではスポーツですら珍しいのに、フィギュアを選択するなんて。


 内容は何度も触れているとおりフィギュアスケートを扱った作品ですが、フィギュアスケートだけをしている作品ではありません。
 選手やコーチとのやり取りは、物語を盛り上げる重要な要素です。
 心憎きライバルや、先輩選手、尊敬する人など、様々に関わって、気持ちを高め、そして彼女達が演じる演技はとても美しく、息が詰まります。
 そばで支えるコーチも深い心情を見せて、良い流れを作り出してくれます。

 またマスコミ批判ともいうべき描写も面白いところです。
 主人公の桜野タズサは、思わずマスコミに毒づいてしまう故に嫌われており、どんなに好成績を挙げようと新聞やテレビなどで叩かれています。現在だと中日の落合監督なんかがわかりやすい例だといえましょうか。
 落合監督は成績を上げるために必要ないとしてマスコミ関係にリップサービスをしません。それは何かネタが欲しい記者にとって価値がない監督といえるでしょう。また同様の理由でファンサービスもしませんから、観客数が伸びずフロントにも嫌われていますから、来年以降成績を出せなかったらどうなることやら。
 そのようなことがタズサにも垣間見れて、演技を完成させるために集中しているにもかかわらずオリンピックの結団式に欠席したからといって槍玉に挙げるマスコミの姿に、どうしようもない呆れを感じてしまいました。

 あとはルールを合わせていった努力はすごいなと思わせてくれます。
 出版された当時(2003年)と今とでは、全くルールが違うのですが、勉強してルールを合わせています。
 またフィギュアスケートの採点は厳しいので、その辺りを考慮しないと遠いフィクションになってしまいます。当然演技構成も現代のレベルにある程度あわせて構成されるのですが、上辺の上辺しか知らない自分でも複雑に感じるルールにきちんと合わせる作者の努力は見事。
 また巻の初めにはルールの解説があり、知らない人でも少しはルールについてわかる内容となっています。


 小説ですので、1巻毎に一応の完成を見せてくれます。
 ということで順に簡単な解説を。

・1巻
 国内の話。伸び悩むタズサに幽霊がついて、成長していく。

・2巻
 国外(トリノオリンピック)の話。1巻とセット。親友として同じ選手として今後も鍵を握り続けるリアとの邂逅あり。

・3巻
 ペアでのスケートの話。タズサがアメリカで修行中に、アメリカで親友となった人の代わりにペアで出場を誓う。それまでのシングルとは違う難しさを見せる巻。

・4巻
 タズサの妹の話。ジュニアとしての悩みと、恋の悩みが混ざり合う、シリーズ随一のラブコメ巻。

・5巻
 イギリスで人気のあるフィギュアスケートと女優をこなすキャンディとタズサの視点が混ざり合った巻。スポーツは厳しい世界です。

・6巻
 ライバル役として立場が違ってくる憎まれ役のドミニクと先輩役の至藤響子の視点が混ざり合った話。ドミニクは現在から過去へ、響子は過去から現在へ、重なり合う運命とそれぞれの結末は、構図がユニークということもあり興味深い話でした。

・7巻
 最終段階まで繋がってくる巻。オリンピックへ向けて様々な人物の思惑が重なり合う。

・8巻
 それまでとても仲が良かったタズサとリアの決別の話。最終場面へと繋がっていく――

・9巻
 最終巻。オリンピックとその後。これに関しては内容に関して語ること全てがネタバレ。


 自分でもわかるように簡単にまとめましたが、実に色々な視点があるのだな、っと。
 そして1巻1巻、とても面白く読めたことを思い出しました。

 丁寧で読みやすく、それでいてフィギュアシーンは美しく、読んでいて何度も震えました。特に最終巻はもう、読み終わった瞬間から胸が一杯。
 好きな作品とはいえ、大した意識もせず、8巻9巻同時に発売したことも知らず、本屋でたまたま発売しているのを知った程度の距離感だったのですが、それを反省してしまうくらい、買って良かったと思える作品でした。


 もう少し概要について思うところを。

 最終巻のあとがきで、作者はスポ根ものとして意識をしていないといったような内容を書いていますが、スポ根モノです。

 根性パートは十分に練習風景を描いていたこともそう思う理由ですが、一番の理由は努力する理由をきちんと描いていたからです。
 いつも何らかの意識を持って演技をしていました。それがモチベーションに繋がり、演技に反映していました。
 それに人と人との繋がりがあり、ライバルとの競い合いはスポ根もののそれといえるでしょう。


 お疲れ様でした、海原先生。
 今後の活躍も期待してます。