六本木ヒルズのゴミ集積場にガラス瓶に入った胎児遺体 (読売新聞) - goo ニュース
このニュース、本当に悲しい。
なぜ? どうして?? と、思わざるを得ない。
なんて言えばいいのか分からない。
うまい言葉が見つからない。
ひとつ言えることがあるとすれば、本当に悲しいということ。
150グラムの胎児ってことは、中絶できる期間を過ぎていて、産まれる寸前て訳でもない妊娠数ヶ月の赤ちゃんだったんだろなぁ。
早産なのか、流産なのか、理由はまだ分からないけど、母親の体から出てしまい、ガラス瓶に入れられて六本木ヒルズ・・・・・・・・・
なんつー展開だよ?!
誰と誰が親で、自分の名前が何なのかも分からない赤ちゃんを、無残に捨てるだなんて・・・・・理由はどうあれ許せないですね。
もしかしたら、そうせざるを得ない理由があったのかもしれないけど、そうなる前に何か出来なかったのか。
もし早産などで身体から出てしまったとしても、そういう処理の仕方はねぇだろう。
あぁ、本当に悲しいね。
この赤ちゃんを身ごもった女性がどんな人か分からないけれど、いつかその人にも再び新しい命が宿る日が来るかもしれない。
そのとき絶対、今回のことを思い出してしまうんだろうな。
その新しい赤ちゃんが産まれたとしても、心のどこかでは六本木に葬られた赤ちゃんの姿が重なって見えるんだろうな。
それはそれで、辛すぎる。
いつかその新しい子供が今回のことを知る日が来るかもしれない。
それはそれで、辛すぎる。
どういう経緯でヒルズに葬られたかは分からないけれど、これは当事者だけの問題じゃないよ。
事実こうして、このブログを書いている俺は心を傷めているし、このニュースを知った人やこのブログを読んだいる人も心を痛めているだろう。
どうしたらいいんだろう??
最近、こういう事件が多いせいもあるのか、この手の話に対して心がとても敏感になっている。
昔は何も感じなかったなんてわけじゃない。
「あぁ、かわいそうだなぁ」と思ってはいたけれど、最近は本気で悲しい気持ちになってしまう。
きっと、それなりの月日をかけて俺自身も成長し、「結婚」とか「子供」といったことが決して遠い未来の話ではなくなったからなのかもしれない。
同級生の中には、結婚したり子供を持ったりしている人もいる。
兄弟も最近では結婚し、姉の子供を見てすごく嬉しい気持ちになったりもしている。
「家族」というものの見え方が徐々に変化してきていて、以前とは違った感覚で家族と接している。
昔よりも「親」とか「兄弟」というものを大切に思うようになった。
そして家族以外の大切な人も、以前よりも大切に思うようになった。
反抗期や思春期を越えて数年たち、心の状態が新しいステージに移行しつつあることを実感している。
幸いにして、俺の家族は仲良しだ。
最近は離れて暮らすようにもなったけれど、一緒にいるとやっぱり楽しい。
俺もいつかはお嫁さんをもらって結婚し、子供を作って親になり、「家庭」というものを作るようになるだろう。
いつになるかっていう見通しはないけれど、そこまでは進めることが出来ると思う。
笑われるかもしれないが、運命の赤い糸は密かに健気に信じている。
妊娠数ヶ月の胎児をヒルズに葬るようなことは、絶対にしない。
が、子供が20歳くらいになったとき、俺の家庭はどうなっているんだろう?
笑顔の絶えない家庭を作り、維持していくことは出来るだろうか。
大人として、親として、子供たちの手本として真っ当な人間になっているだろうか。
桜井和寿の詞を借りよう。
子供らを 被害者に 加害者にもせずに
この街で 暮らすため まず 何をすべきだろう
でも もしも被害者に 加害者になったとき
できることといえば 涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかに無いのか
『タガタメ』より
この歌詞がすごく衝撃的で、印象的で、よく思い出すことがあります。
大事なことは、守る強さじゃないかなって思います。
とても抽象的な話ですが、「攻める強さ」と「守る強さ」があると思うんです。
前者はつまり、仕事をバリバリやるとか、給料をたくさん貰うとか、目標に向かって突き進むようなプラス回転の強さ。
これはもちろん必要だと思います。
そして後者は、妻や、子供や、家族や、そのほかの大切な人や大切なものを守っていくこと。
世の中いろんなしがらみがあって、安定というものはなかなか存在しないけれど、そんな中でも健全な家庭生活を維持していくこととかって、とても難しいことだと思う。
それを維持していくこと自体、とても強いことだと思うのです。
「攻める強さ」は努力すればある程度身につくと思います。
誰だってそれなりに頑張れば東大には入れなくとも偏差値60くらいにはなって大学に合格したり、社長にはなれなくともある程度のポストまでは昇進できたりすると思います。
(運も必要かもしれませんが。とりあえずそれは無視!)
だけど、「守る強さ」は努力をするだけでは身につけることが出来ないように思う。
まだ家庭を持ったりしているわけではないから予想でしかないけれど、そんな風に思うのです。
そして自分が、健全で幸せな家庭を築き、維持していけるか、自信があったり無かったり。
「守る強さ」を持ったジェントルマンになりたいですね。
あ、長々と話したわりには、最初と話がだいぶずれてしまった。
だけど繋がっていないわけでもない。
「守る強さ」を持っていれば、六本木に胎児を葬ったりはしないでしょう。
立派な「守る強さ」を持っていなくとも、普通の思考回路を持った人なら絶対そんなことしないでしょ。
「普通の子」が奇行を起こしてしまう世の中で、「普通」を維持していくこと。
それこそ、「守る強さ」なのかもしれません。
最後は、木村綾子の日記と同じ締め方をしましょう。
世の中悲しいことが多いけれど、笑っている瞬間は誰しも幸せ。
だから
明日も笑顔で。
このニュース、本当に悲しい。
なぜ? どうして?? と、思わざるを得ない。
なんて言えばいいのか分からない。
うまい言葉が見つからない。
ひとつ言えることがあるとすれば、本当に悲しいということ。
150グラムの胎児ってことは、中絶できる期間を過ぎていて、産まれる寸前て訳でもない妊娠数ヶ月の赤ちゃんだったんだろなぁ。
早産なのか、流産なのか、理由はまだ分からないけど、母親の体から出てしまい、ガラス瓶に入れられて六本木ヒルズ・・・・・・・・・
なんつー展開だよ?!
誰と誰が親で、自分の名前が何なのかも分からない赤ちゃんを、無残に捨てるだなんて・・・・・理由はどうあれ許せないですね。
もしかしたら、そうせざるを得ない理由があったのかもしれないけど、そうなる前に何か出来なかったのか。
もし早産などで身体から出てしまったとしても、そういう処理の仕方はねぇだろう。
あぁ、本当に悲しいね。
この赤ちゃんを身ごもった女性がどんな人か分からないけれど、いつかその人にも再び新しい命が宿る日が来るかもしれない。
そのとき絶対、今回のことを思い出してしまうんだろうな。
その新しい赤ちゃんが産まれたとしても、心のどこかでは六本木に葬られた赤ちゃんの姿が重なって見えるんだろうな。
それはそれで、辛すぎる。
いつかその新しい子供が今回のことを知る日が来るかもしれない。
それはそれで、辛すぎる。
どういう経緯でヒルズに葬られたかは分からないけれど、これは当事者だけの問題じゃないよ。
事実こうして、このブログを書いている俺は心を傷めているし、このニュースを知った人やこのブログを読んだいる人も心を痛めているだろう。
どうしたらいいんだろう??
最近、こういう事件が多いせいもあるのか、この手の話に対して心がとても敏感になっている。
昔は何も感じなかったなんてわけじゃない。
「あぁ、かわいそうだなぁ」と思ってはいたけれど、最近は本気で悲しい気持ちになってしまう。
きっと、それなりの月日をかけて俺自身も成長し、「結婚」とか「子供」といったことが決して遠い未来の話ではなくなったからなのかもしれない。
同級生の中には、結婚したり子供を持ったりしている人もいる。
兄弟も最近では結婚し、姉の子供を見てすごく嬉しい気持ちになったりもしている。
「家族」というものの見え方が徐々に変化してきていて、以前とは違った感覚で家族と接している。
昔よりも「親」とか「兄弟」というものを大切に思うようになった。
そして家族以外の大切な人も、以前よりも大切に思うようになった。
反抗期や思春期を越えて数年たち、心の状態が新しいステージに移行しつつあることを実感している。
幸いにして、俺の家族は仲良しだ。
最近は離れて暮らすようにもなったけれど、一緒にいるとやっぱり楽しい。
俺もいつかはお嫁さんをもらって結婚し、子供を作って親になり、「家庭」というものを作るようになるだろう。
いつになるかっていう見通しはないけれど、そこまでは進めることが出来ると思う。
笑われるかもしれないが、運命の赤い糸は密かに健気に信じている。
妊娠数ヶ月の胎児をヒルズに葬るようなことは、絶対にしない。
が、子供が20歳くらいになったとき、俺の家庭はどうなっているんだろう?
笑顔の絶えない家庭を作り、維持していくことは出来るだろうか。
大人として、親として、子供たちの手本として真っ当な人間になっているだろうか。
桜井和寿の詞を借りよう。
子供らを 被害者に 加害者にもせずに
この街で 暮らすため まず 何をすべきだろう
でも もしも被害者に 加害者になったとき
できることといえば 涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかに無いのか
『タガタメ』より
この歌詞がすごく衝撃的で、印象的で、よく思い出すことがあります。
大事なことは、守る強さじゃないかなって思います。
とても抽象的な話ですが、「攻める強さ」と「守る強さ」があると思うんです。
前者はつまり、仕事をバリバリやるとか、給料をたくさん貰うとか、目標に向かって突き進むようなプラス回転の強さ。
これはもちろん必要だと思います。
そして後者は、妻や、子供や、家族や、そのほかの大切な人や大切なものを守っていくこと。
世の中いろんなしがらみがあって、安定というものはなかなか存在しないけれど、そんな中でも健全な家庭生活を維持していくこととかって、とても難しいことだと思う。
それを維持していくこと自体、とても強いことだと思うのです。
「攻める強さ」は努力すればある程度身につくと思います。
誰だってそれなりに頑張れば東大には入れなくとも偏差値60くらいにはなって大学に合格したり、社長にはなれなくともある程度のポストまでは昇進できたりすると思います。
(運も必要かもしれませんが。とりあえずそれは無視!)
だけど、「守る強さ」は努力をするだけでは身につけることが出来ないように思う。
まだ家庭を持ったりしているわけではないから予想でしかないけれど、そんな風に思うのです。
そして自分が、健全で幸せな家庭を築き、維持していけるか、自信があったり無かったり。
「守る強さ」を持ったジェントルマンになりたいですね。
あ、長々と話したわりには、最初と話がだいぶずれてしまった。
だけど繋がっていないわけでもない。
「守る強さ」を持っていれば、六本木に胎児を葬ったりはしないでしょう。
立派な「守る強さ」を持っていなくとも、普通の思考回路を持った人なら絶対そんなことしないでしょ。
「普通の子」が奇行を起こしてしまう世の中で、「普通」を維持していくこと。
それこそ、「守る強さ」なのかもしれません。
最後は、木村綾子の日記と同じ締め方をしましょう。
世の中悲しいことが多いけれど、笑っている瞬間は誰しも幸せ。
だから
明日も笑顔で。