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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

年輪を刻まない木

2009-01-30 | Weblog
木には年輪があって、木材といえば木目が美しい模様を描く。私は日本人として、これを当然のことと思っていたから、熱帯の木には年輪が無い、と聞いてびっくりする。奥地の森から切り出されてきた材木が、丸太のまま大型トレーラーに満載されて運ばれてくる。確かめに行ったら、たしかに切り口に年輪は入っていない。私の執務机は、こちらで調達した木製である。見ると、木地は滑らかで木目は全くない。部屋の壁の羽目板にも、木目はない。

木の生長は、夏には早くて組織は疎になり、冬には遅くて組織が密になる。その差が、一年一年の年輪を描く。ところが熱帯ではいつも夏だ。ここには季節がない。だから年輪が出来ない。コートジボワールで、木に年輪がないといって驚くのは、蛙に臍がないといって驚くようなものである。

この季節がないというのが曲者である、と気付いたのは最近のことである。こちらに着任して、4ヶ月余になる。ところが、もう4ヶ月経ったかとも、まだ4ヶ月しか経たないかとも思わない。2ヶ月くらいにも思えるし、半年くらい経ったようにも思える。月日の経過が実感できないのである。日本だと季節が一つは巡っている期間だ。しかしここでは、いつも夏。外はいつも緑。常に30度前後の気温と、強い日差し。庭に咲いている白い百合のような花は、次々蕾を付けて、私がここに来て以来ずっと咲きつづけている。トンボも蝶も、いつも同じように飛んでいる。

私が日本を離れる前の9月には、ツクツク法師が鳴いていた。先日、仕事で東京に戻ったら、零下2度であった。日本の方々は、9月から正月までのこの4ヶ月という月日を、季節の移り変わりとして感じておられるだろう。しかしコートジボワールに住んでいる私は、身の回りにそういう変化を見出せない。日本では、あの人と会ったのは桜の咲く頃だった、とか、あの出来事は雪の降る日だったとか、そういう歳時とともに、月日の経過を記憶している。四季があることは、時間の経過を認識するために、とても大きな助けになっている。

短絡の謗りを省みず言えば、だからコートジボワールの人々にとって、月日の感覚には、私たちのそれとはずいぶん違うものがあるのではないか。まず、月日に変化が乏しく、極めて平板に流れるから、時間が経っている、という感覚はなかなか得られない。あの頃は暑かったのに、もう肌寒いというような感慨はない。さらに過去と現在、現在と未来の区切りが曖昧である。今日あることは、昨日の続きである。明日も今日と同じようにあるだろう。

だから何かを、今日、今のうちにやらなければならない、という気持ちにはならない。浜辺に行けば、いつも海水浴ができるから、残り少ない夏を思い切り楽しもうとか、そういうことにならない。その延長で、未来のことを考える必要があまりない。今は良くても、厳しい冬がやがて必ず来るのだ、それに備えておかなければ、という心構えにはならない。だから、期限を付して物事を進めるということが苦手になる。

さて、昨年の11月末に設定されていた大統領選挙の日程が、新たな日程を明示することなく延期になっている。いつになれば政治が正常化するのか、先行き不透明になってしまっていることに、欧米諸国は苛立ちを感じている。でも、コートジボワールの人々の本音は、与野党相乗りで不自然とはいえ連立政権が一応の安定を保っているのだから、今の状態をそのまま維持していたいということではないか。選挙を急ぐあまり、再び混乱に戻ることは避けたいという気持ちもあるだろう。ましてや、ある時点で期限を切って、それを目指して物事を動かすというやり方には、そもそも乗り気がしない国民性がある。

今週(1月27日)、ニューヨークの国連(安全保障理事会)で、コートジボワール情勢に関する決議(決議1865)が採択された。決議案をつくる交渉で、大統領選挙を“2009年春までに”行いなさい、と書き込むべきだという議論があった。しかし、コートジボワール政府は、期限が明記されるのは困る、と反対した。結局決議では、大統領選挙を行うための現実的な日程を早く決めなさい、と求めるだけにとどまった。

米国大使が、私に言う。
「ソロ首相は、欧米諸国の大使たちに説明しつつ、“2009年春までに”なんて国連が決めるのは意味がない、と言う。みんながソロ首相に、何故と聞いたら、彼は何と答えたと思う。」
さあ、分からない。
「コートジボワールに春はないから、だって。」

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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年中夏 (Chie)
2009-01-31 13:27:39
「コートジボワールに春はないから。」
この言葉には笑いました。

しかし、そうですよね。
考え方も文化も違う方々との話し合いには譲り合う精神と寛大な心が不可欠なのでしょうか?
欧米諸国の気持ちなど、二の次でしょう。

また四季のある日本で暮らしてこられたなか、年中夏の暮らしは体にどのような変化をもたらしますか?

働く気力をもってもらいたいからとは言っても、四季を作ることはできません。
そんな異文化の中でお仕事をされて、すごいなぁとつくづく感じます。

これからも投稿を楽しみにしています。
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