最終更新 2020.09.01
南京戦での日本軍の蛮行として今も英語圏を中心に流通している《赤子を刺し殺す日本兵》の写真だが、やはりニセモノだった。
The source of the photograph of “Japanese soldiers slaughtering babies”, which circulates mainly in the English-speaking world as a Japanese army in Nanking, is on the cover of the magazine appearing in the 1984 Hong Kong movie “Hong Kong 1941”.
Don't be fooled.
《要点》
(1)南京戦での日本軍の蛮行として流布されている画像の出典は1984年の香港映画『等待黎明』の作中に登場する雑誌だった。
(2)『帽垂布』の採用は南京陥落翌年からなので南京戦で使われてるはずがない。
(3)さらに、よく観察すると『帽垂布』の構造が異なるのでそもそも日本兵ではなくニセモノと思われる。
《画像の出典》
問題の写真は、1984年制作の香港映画『等待黎明』(邦題:風の輝く朝に)の作中に登場する雑誌の表紙だった。映画制作は第一次教科書問題の頃であり、対日情報戦の一環と思われる。
原題:『等待黎明』
英語題:『Hong Kong 1941』
邦題:『風の輝く朝に』
1984年制作 チョウ・ユンファ主演の香港映画。問題のシーンは55分付近。
香港が日本軍に陥落し、主演の中国娘がふとこの雑誌の表紙を見て驚く場面に登場する。悪役日本軍の心象的象徴として使われている。また作品の終盤に日本軍将校と格闘になり、この娘が奮起する場面にも挿入されている。
英語題:『Hong Kong 1941』
邦題:『風の輝く朝に』
1984年制作 チョウ・ユンファ主演の香港映画。問題のシーンは55分付近。
香港が日本軍に陥落し、主演の中国娘がふとこの雑誌の表紙を見て驚く場面に登場する。悪役日本軍の心象的象徴として使われている。また作品の終盤に日本軍将校と格闘になり、この娘が奮起する場面にも挿入されている。
右側に雑誌を持つ娘の指が写っている。出回っている画像はこの場面を切り取ったと思われる。
娘が手に持つ雑誌の全景。
雑誌の上部の文字列拡大。
この「雑誌」の上部の文字は次のように読める。
天下亊
德國實力究如何 ★ 義大利會不會參戰
德國實力究如何 ★ 義大利會不會參戰
訳すと次のようになる。
世界
ドイツの強みを学ぶ方法 ★ イタリアは戦争に参加するか?
ドイツの強みを学ぶ方法 ★ イタリアは戦争に参加するか?
しかし、日本兵の蛮行らしき写真を前面に掲げながら、文字ではそれに触れずにドイツとイタリアだけを持ってくるのは雑誌の構成としては不自然。やはり映画撮影用に製作した小物と思われる。
但し、その下にある『Dorothy Thompson』と『Otto D. Tolischus』と読めそうな人名は、いずれも同時代(1941年頃)の実在するジャーナリストである。
なお、アマゾンでも日本語字幕版が視聴できる。
余談:
映画自体はぼちぼち面白かった。日本軍の侵攻による香港陥落と英軍撤退で街中が大混乱になり、暴徒が富裕層の屋敷に乱入して略奪、警官は娘を襲って強姦。そして一部の富裕層中国人は日本軍の到着を待ちわび(規律が戻ることを期待)、住民は日の丸を振って日本軍を歓迎。という場面もあった。伝えられてる南京陥落時の状況と同じ。無秩序の大混乱よりは、次なる権力者が来て秩序が戻ることを歓迎する気質が感じられる。
余談2:
上述の混乱については史実としてWikiにも説明があった。《日本軍による陥落直後にイギリス植民地政府の警察力が停止した香港市内は、それまで潜んでいた中国人の暴力団や犯罪組織が闊歩し、略奪や強奪などを行い、一時的に治安が悪化したが、日本軍による軍政が整備されるにつれて治安は回復した。》(Wiki:香港の戦い https://ja.wikipedia.org/?curid=745133)
映画自体はぼちぼち面白かった。日本軍の侵攻による香港陥落と英軍撤退で街中が大混乱になり、暴徒が富裕層の屋敷に乱入して略奪、警官は娘を襲って強姦。そして一部の富裕層中国人は日本軍の到着を待ちわび(規律が戻ることを期待)、住民は日の丸を振って日本軍を歓迎。という場面もあった。伝えられてる南京陥落時の状況と同じ。無秩序の大混乱よりは、次なる権力者が来て秩序が戻ることを歓迎する気質が感じられる。
余談2:
上述の混乱については史実としてWikiにも説明があった。《日本軍による陥落直後にイギリス植民地政府の警察力が停止した香港市内は、それまで潜んでいた中国人の暴力団や犯罪組織が闊歩し、略奪や強奪などを行い、一時的に治安が悪化したが、日本軍による軍政が整備されるにつれて治安は回復した。》(Wiki:香港の戦い https://ja.wikipedia.org/?curid=745133)
《採用は南京陥落翌年》
しかし、この『帽垂布』を日本陸軍が正式採用したのは昭和13年5月。つまり南京陥落翌年なので、南京戦ではまだ使われているはずがない。
陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件(アジア歴史資料センター)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C01001561600
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C01001561600
(参考)南京陥落1週間後に南京城内で撮影された写真。帽垂布は無い。
(昭和12年12月25日 朝日新聞/12月20日 林特派員撮影)
《本物とは異なる構造》
日本兵がかぶっていた帽子の日除けのひらひらは正式名称『帽垂布』というが、これは4枚の布から構成されている。ところが、問題の画像を見ると1枚ものにしか見えない。本物なら両脇の2枚が耳を覆うように垂れ下がってくるが、そうなっていない。従って、問題の画像のものは撮影用に用意したニセモノだと思われる。
なお、『支那事変でも非制式の部隊調達装備として帽垂が存在』したり、『制式化以前に試験運用として』形状の異なる帽垂布を使った部隊もあるので、形状からのみの断定は難しい場合があるとの指摘をいただきました。詳細はコメント欄の「旧軍マニア」さんからの投稿を参照ください。
また、『銃剣を持つ役者さんの顔も南方系(香港・広東あたり)やね…。』という指摘も。
《流布の事例》
事例的には、次のサイトのような形で《南京戦での日本軍の蛮行》として使われている。あるいは、ツイッター上の英語での南京論争で問題の画像が使われたりしている。
《定番の戦時プロパガンダ》
なお、《赤子を刺し殺す敵兵》というのは敵を悪魔化する戦時プロパガンダとして昔から定番らしい。
関連するキーワードの例を示す。
- Soldier bayonet a baby
- Anti German Propaganda
- Rape of Belgium
- Atrocity Propaganda
- Anti German Propaganda
- Rape of Belgium
- Atrocity Propaganda
その一例を示す。
Atrocity propaganda
https://en.wikipedia.org/wiki/Atrocity_propaganda
https://en.wikipedia.org/wiki/Atrocity_propaganda
画像は、1641年のアイルランド革命のもの。(上記Wikiより)
《研究論文》
また、こういった日本軍に対する戦時プロパガンダについての研究論文があったので紹介しておく。
The Nanking Atrocity: Still and Moving Images 1937-1944
https://www.academia.edu/33720988/The_Nanking_Atrocity_Still_and_Moving_Images_1937-1944
https://www.academia.edu/33720988/The_Nanking_Atrocity_Still_and_Moving_Images_1937-1944
《追記1 映画『南京!南京!』》
これも“南京大虐殺”の一場面としてネットで流布されることがある画像。映画『南京!南京!』(英題 City of Life and Death、2009年、中国)から切り取ったものである。
《追記2 台湾セクシー女優》
時々見かけるこれも実は捏造だった。
日本軍の蛮行とされるよく使用される写真は実は台湾エロビデオの合成写真だった
https://togetter.com/li/1483464
《追記3 関東大震災》
中国は関東大震災の写真まで悪用していた。
UHM Library Digital Image Collections
Hifuku-sho. Tokio
https://digital.library.manoa.hawaii.edu/items/show/27111
問題の China Xinhua News のツイート(アーカイブ)
http://archive.today/r77xv
Hifuku-sho. Tokio
https://digital.library.manoa.hawaii.edu/items/show/27111
問題の China Xinhua News のツイート(アーカイブ)
http://archive.today/r77xv
《追記4 台湾・第二霧社事件》
これも“南京大虐殺”として誤用(or 悪用)されることが多い写真。実際は、1931年に台湾で起きた第二霧社事件。
《追記5 その他画像》
「南京虐殺」ニセ画像・映像と、元ネタのソース - Togetter
https://togetter.com/li/1521376
「南京事件」映像・プロパガンダ Atrocity Propaganda - Togetter
https://togetter.com/li/1330535
【閲覧注意あり】日中戦争中の写真、写真帖、アルバム(海外のも) - Togetter
https://togetter.com/li/1318855
日本軍への冤罪・ニセ写真を中心に Fake photos of 'Japanese war crimes during WW2' - Togetter
https://togetter.com/li/1316165
「南京大屠杀」だとされる写真 、「日本軍の仕業」だとされる写真、又は「通州事件」だとして拡散される写真....だが - Togetter
https://togetter.com/li/1116855
https://togetter.com/li/1521376
「南京事件」映像・プロパガンダ Atrocity Propaganda - Togetter
https://togetter.com/li/1330535
【閲覧注意あり】日中戦争中の写真、写真帖、アルバム(海外のも) - Togetter
https://togetter.com/li/1318855
日本軍への冤罪・ニセ写真を中心に Fake photos of 'Japanese war crimes during WW2' - Togetter
https://togetter.com/li/1316165
「南京大屠杀」だとされる写真 、「日本軍の仕業」だとされる写真、又は「通州事件」だとして拡散される写真....だが - Togetter
https://togetter.com/li/1116855
《関連記事》
The Fake of “Nanking Massacre”
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/b9fce6b774ed768149eb86f4ddb29ad9
★南京大虐殺の真相(目次)
https://blog.goo.ne.jp/zf-phantom/e/9e454ced16e4e4aa30c4856d91fd2531
以上。
各国軍隊同様に旧軍も被服装備は制式化以前より、同様の被服装備を使用している場合があります。故にこの点を反論の論拠とするには確実性が不足する場合があります。
帽垂布は大抵帽垂と略されますが、古くは戦国より同様の装備があり、旧軍では日露戦争で非制式の装備として戦地で使用しています。この頃は大半は一枚、二枚の布で構成されていました。
支那事変でも非制式の部隊調達装備として帽垂が存在します。一枚、二枚、三枚など制式と違う形状のものが多種存在します。将校の私物の場合は六枚というものも存在します。各種装備の支給に制限が多い旧軍においては、帽垂のように比較的簡単に作成可能な被服装備は、制式化以前も以後も部隊調達の非制式品が使用されるケースが頻発しております。
また制式の被服装備も制式化以前に試験運用として、まとまった数を部隊に支給し、改良意見をまとめますから、帽垂も同様に制式化以前より装備した部隊が存在します。
試製被服装備の場合は形状が違うタイプを複数同時平行で試験運用している場合もあります。
被服装備を見て年を特定、偽物と断定するには難しい場合がある事を考慮して、対処していただいた方がより確実と思い、書かせていただいた次第です。
ありがとうございます。いただいたご指摘を踏まえて、本文に少し書き足しました。またお気付きの点がありましたら、今後ともよろしくお願いします。
URL等を付記する程度では不充分でしょうか…法的な問題もありそうですが。。