ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

ウォーナー伝説 (1) 目の前にある “歴史偽造”

2018-05-05 03:45:21 | 書評

ウォーナー伝説 (1)  目の前にある “歴史偽造”

 

日本の古都が空襲を免れたのは、日本の伝統的文化に造詣の深かったウォーナー博士の進言によるものという “ウォーナー恩人説” が、歴史学者吉田守男教授の論文によって、完膚なきまでに否定されてからすでに25年近くになる。その後吉田氏が以下の本を出版したのもどこ吹く風、“ウォーナー伝説” は日本人の頭脳にすっかり根をおろしてしまったかのようである。

“ウォーナー伝説”問題 は非常に重要である。なぜならば、これほどまでに真実と嘘とがはっきりしている歴史的事例は珍しいからである。目の前にある明白な “歴史偽造” のケースだからである。当ブログではこの問題を以下のように3つの記事に分けた。

 “ウォーナー伝説” (1) 目の前にある “歴史偽造”  < 当記事 >

 “ウォーナー伝説” (2) 「ウォーナーの謎のリスト」 というヘタレ映画

 “ウォーナー伝説” (3) 心地よいプロパガンダ

 

 では、そもそもこの “ウォーナー伝説” とは何なのか?

 

非常によくまとめられたすぐれた記事を見つけたので、以下にご紹介したい。

   ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~ 

歴史偽造の一例: ウォーナー伝説について

 https://naraala.exblog.jp/10929029/

 尾崎 義美

3月20日、ナラーラ総会で中塚明奈良女子大名誉教授の講演を聞いた。講演は、「韓国併合」についての話であったが、そのなかで、時の政府や支配者が歴史的事実を偽ったりウソをついたりして、国民に間違った歴史認識を植え付けてきた例(歴史の偽造といってもよい)をいくつか紹介された。


ウォーナー伝説とは

私はいま、法隆寺でボランティアガイドをしているが、法隆寺や奈良と関係の深い話として「さきの太平洋戦争中、アメリカ政府や軍はウォーナー博士の進言に基づいて、京都、奈良、鎌倉などを空襲せず、日本の貴重な文化財を守った」 というものがある。これがウォーナー伝説といわれるものである。
d0117895_19533619.jpg

 

この話は、敗戦(1945年)直後から1990年代まで日本全体に広く流布され、いまも信じている人は少なくない。法隆寺をはじめ全国6か所にウォーナー感謝記念碑が建てられている(法隆寺では境内西の端に「ウォーナー塔」という石塔がある(写真参照) (この写真以外はすべて引用者の挿入)

  

 私は2年ほど前、鎌倉の友人を訪ねた際、鎌倉駅西口にあるウォーナー記念碑の前で、現地の観光ガイドが 「ここに 『文化は戦争に優先する』と刻まれています。このウォーナー博士の努力で、アメリカは鎌倉に爆弾を投下せず、古都が戦禍からまぬがれたのです。鎌倉市民と文化財の恩人です」 と案内しているのを聞いて驚いたことがある

 

 歴史の真実はどうだったか

まず結論からいうと、この話は、アメリカ占領軍(GHQ)の対日政策のために作られたウソであり、当時の朝日新聞(1945年11月11日)などによって広められた 「つくられた美談」 であった。  

 
1994年になって、アメリカは戦争中の機密文書を公開したが(この点ではさすがアメリカだと思う)、その資料を吉田守男大阪樟蔭女子大教授が分析・研究した結果を論文にまとめて発表した。それによると、ウォーナー氏の功績とされてきたことは、事実でなかったことがはっきりした。


論文によると、古都が空襲に遭わなかったのは、京都は原爆投下目標都市であったから通常の空襲は禁止されており、奈良・鎌倉は小都市であり軍事施設が少ないため爆撃の順番が遅いほうにリストアップされ、実行前に日本が降伏したからである、と述べられている。この吉田氏の研究に対する有力な反論がないので、近年は、この説のほうが正しいとされている。

 

 

 

 吉田教授は研究の内容を 「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」 という文庫本(朝日文庫)に出している。このほか神奈川歴教協が編集した「神奈川の戦争遺跡」、鈴木良氏編の「奈良県の百年」という書物にもウォーナー関連の記述がある。


以下は、これらの書物を読んでの私(尾崎 義美氏 :引用者注)の概括的なまとめである。


(1) ウォーナー博士(ランドン・ウォーナー1881~1955)は、戦前、岡倉天心のもと日本美術を、奈良では仏教彫刻を学び、ハーバード大学付属美術館の東洋部長になった人。

太平洋戦争中に日本の文化財の一覧表(ウォーナーリスト)を作成したのは事実であるが、それは文化財保護の目的ではなく、戦争が終わったあと、日本が諸外国から略奪した文化財の返還が必要になった時、その損害に見合う等価値の文化財の基礎資料として、リストアップしたといわれている。

 

 

 (2) 米軍が京都を爆撃しなかったのは原爆の投下を予定していたからであるが、アメリカは原爆投下候補地として、広島、京都、横浜、小倉、長崎を指定していた(このうち広島と京都がAA級)。これらの都市には一般爆撃が禁止されていた。指定されるまでは京都でも空襲があったし、奈良でも1945年5月、2回の空襲があった(だから文化財を守るため空襲をさけたというのは事実でない)。横浜は、あとで候補地をはずされたので空襲が行われた。

  

(3) 原爆投下の実行段階になって、2番目の京都があとに回され、まず広島、ついで長崎に投下された。これは、当時のスチムソン陸軍長官が 京都には日本人のふるさと意識がり、原爆投下すれば戦後日本がソ連側につくことを懸念して、延期させたからである。いわば政治的理由であって、決して文化財保護ではなかった。もし戦争が長引いておれば、京都にも原爆が落とされていたと推測されている。



なぜこんな「美談」が広められたのか
(1) 第2次世界大戦直後の最大の国際問題は東西対立・米ソ冷戦であり、日本を米ソどちらの側にひきつけるかが大きな問題であった。日本を占領したアメリカが、日本の軍国主義を否定するとともに、親米的な感情をつくり出すために意図的に作り出されたのが 「ウォーナー伝説」 であったと考えられる

(2) 1955年にウォーナーが死去すると、政府は勲二等瑞宝章(外国人への最高の栄誉)を授与。地方では奈良県議会がいち早く弔問決議(55年)。鎌倉では吉田茂元首相らが発起人となって追悼法要。その他各地で追悼行事が行われた。

その結果、ウォーナー伝説は瞬く間に全国に広がっていった。ウォーナー顕彰碑も各地で作られた。製作順にあげると、法隆寺境内(1958)、安倍文殊院(59)、茨城大学五浦美術研究所敷地内(70)、京都霊山歴史館(70)、福島県湯川村(81)、鎌倉駅西口広場(1987)など。

(3) 最後に、ウォーナー博士自身どういう態度をとっていたか。博士は最初から「自分が政府に、古都を爆撃しないよう働きかけたことは一度もない」と言い続けてきた。すると、逆に謙遜していると思われ、ますますウォーナー恩人説が広がった。法隆寺のウォーナー塔の碑文にも「極めて謙虚な性格のため」 とか 「本人の否定にもかかわらず」 とか書かれている。

1974年に博士の孫娘が来日して、鎌倉の 「博士の遺徳をしのぶ会」 で挨拶したときも、祖父はずーと否定しつづけ、何の力にもなっていないと話していた、とのべている。(孫娘はこのことを言うために招待に応じてわざわざ来日したのであろう: 引用者)


 ちょっと長くなったが、ウォーナー伝説は歴史の偽造の身近な例である。情報公開が国民に正しい歴史認識を持ってもらう上で非常に重要であることを示している。

 ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~  ~ ~ ~ 

 

以上、尾崎義美氏の記事によって、ウォーナー伝説が “でっちあげ” であることはほぼご理解頂けたと思う。さて、ここからがザウルスの疑問である。

史実に反する “でっちあげ” であることが議論の余地の無いほどに明らかにされても、なぜウォーナー伝説は捨て去られないのか?

そして、事実でないことが証明されているにもかかわらず、なぜこの “都市伝説” をさらに強化しようとする試みがなされるのか?

  

 

ウォーナー伝説 (1) 目の前にある “歴史偽造”

ウォーナー伝説 (2) 「ウォーナーの謎のリスト」 というヘタレ映画

ウォーナー伝説 (3) 心地よいプロパガンダ

“歴史偽造”の現場: ウォーナー博士の法要 & 追記: 事後報告 

 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウォーナー伝説 (2) 「... | トップ | 【南海トラフ地震】 自称タイ... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (京女)
2018-05-10 23:07:45
京都に爆弾が全く落ちていないとされていますが、当時京都市内に住んでいた祖父が、生前、こんなことを言っていました。
「爆弾が落とされて、(失念)して紙が舞ったのを見た」と

雨のような焼夷弾ではありませんが、何かが落とされたようです。
京女 さま (ザウルス)
2018-05-11 06:38:51
「京都に爆弾が全く落ちていないとされていますが」  とのことですが、記事本文には以下のように書いてあります。
「指定されるまでは京都でも空襲があったし、奈良でも1945年5月、2回の空襲があった(だから文化財を守るため空襲をさけたというのは事実でない)。」

なお、鎌倉でもごくわずか爆撃はあったことが米軍の記録にはありますが、日本側には爆撃被害の報告はないそうです。
魔法の文化財バリア (りゃ)
2018-05-20 12:31:54
以前教師よりこの伝説を聞きました
京都が原爆投下の最優先候補地であったが日本に詳しい人物の進言により京都は原爆投下を免れた、代わりにヒロシマ、ナガサキに落ちた、アメリカにも日本を守るために頑張ってくれ人がいたと。
2000年ごろにインターネットで伝説は嘘だと目にしてたのですが詳しくはこのようなことだったんですね
仮に伝説が真実だとしてもじゃあヒロシマ、ナガサキはいったいどうなるんですかね、ウォーナーがキョウトからすれば恩人だとしても被爆地からするとトンデモナイ人物なんですけどね、、、原爆を寄越したわけですし

もしかしてキョウトの人たちって文化財バリアで今後も大丈夫って思ってる人もいるのでは?などなど、考えれば考えるほど恐ろしくなってきます
りゃ さま (ザウルス)
2018-05-20 13:47:32
「ウォーナー伝説 (3) 心地よいプロパガンダ」   で以下のように警告しています。 「“ウォーナー恩人説” をいまだに信じている日本人は、情けないことだが、いまだに “12歳の子供” ということなのだ。」
そうした京都人は日本人のカリカチュアであり、縮図ということです。そうした幼稚な “選民意識” はそのまま周囲に対する思い上がった “差別意識” なのです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

書評」カテゴリの最新記事