ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

反陰謀論 vs 陰謀論 = SIマイナス vs SIプラス、 何のこっちゃ?

2023-01-01 11:23:35 | ワクチン、医療

反陰謀論 vs 陰謀論  =  SIマイナス vs SIプラス、何のこっちゃ?

 

 

本記事では、以下の水色の円部分について解説する。

 

 

以下の図では、グレーとピンクの均等スペースの対照表になっているが、むしろ上のグリーンとピンクの不釣り合いなスペースの面積比の方が人口比に近い。グリーンのスペースは実際はもっと横に長いはずだが、デザイン上妥協したレイアウトになっている点をご容赦願いたい。

左側の集団では生存力指数が低く、マイナス(SI-)である。右側の集団ではプラス(SI+)である。別の言い方をすると、左側(SI-)は生存本能に欠けているので、不適者として淘汰される対象である。右側(SI+)は生存本能があるので適者として生存する可能性がある。

SISurvivability Index 生存力指標 の意味であるが、もっと平たく、Survival Instinct 生存本能 と取ってもいい。

以下、両集団の特徴を便宜上4つの項目に分けてある。これらについて上から順に区切って解説する。以下の対照表では左右均等スペースであるが、人口比的には左側の SIマイナス派 が圧倒的多数派であることは言うまでもない。SIプラス派   は逆転不可能な、不可逆的少数派である。(^-^)

 

 

権威主義 vs 反権威主義

政府とマスコミは権威である。政府は権力とも言えるだろう。マスコミとはテレビであり、新聞である。

権威主義的な人間 は基本的に政府の方針・政策を尊重し、従う傾向がある。彼らはまた学歴や肩書や知名度やブランドを尊重し、重視する。

そして、テレビ・新聞の報道や、ワイドショーなどに登場する 体制派の知的権威者 の言うことを尊重して従う傾向が強い。もちろん、アカデミズムの世界にも権威主義的、反体制的な研究者はいるが、彼らは通例テレビ・新聞からは締め出されている。日本に限らず、どこの国でも大衆というものは権威主義的であるが、日本では特にその傾向が強い。

通常、権威主義的人間 は非常に少ない。本来千人に一人もおらず、コロナワクチン騒動以前はほとんど表面化しなかった。しかし、「間引きワクチン」の時代 に入り、権力・権威の目に余る勝手放題を目の当たりにして、元々権威主義的だったひとが反権威主義的になった例もある。

 

楽観論・軽信派 vs 慎重論・懐疑派

楽観・軽信 は、権威主義から出てくる態度である。権威(お上)に依存することによって 虚妄の安心感 を得ているのである。政府やマスコミが国民に吹き込む楽観論 を真に受ける傾向が強く、それらを根底から疑うということをしない。つまり、政府や体制派の知的権威者を基本的に信頼して、国策・政策を任せて良しとする傾向である。

そこに 危機管理上の無防備性 が発生する。原発がそうだった。5Gがそうである。そして今リアルタイムに 「間引きワクチン」 がそうである。しかし、今回の人口削減ワクチン政策の場合、 SIマイナス派 にとっては致命的なほどに不可逆的に裏目に出たと言える。

 

裏目に出た、という表現は穏やかに過ぎるかもしれない。彼らにとっては「裏切られた」というのが最も適切な表現であろう。国民の中で最も国を信頼していた人たちが国に最も裏切られたのである。政府を信頼していた人間ほどたくさん間引きワクチンを打ったのだ。これは「考え得る限りの最大規模の裏切り」と言えないだろうか?

 

慎重・懐疑 は、或る意味で動物としての人間の自然な態度であり、反応である。もちろん常にあらゆることに不信を抱いたり、懐疑的である必要はない。毎日の生活で常に警戒心を抱いている必要はない。しかし、自分や家族の健康と生命が危険にさらされる可能性のある注射液 を体内に入れることは、おそらく 生き物として最も警戒すべき問題 であろう。

反ワクチン派の危機意識 は地球に暮らす生き物としてごく自然な反応である。また、何かあってもお上が責任を取ってくれるわけではない、という 自己責任意識 の強いひとたちも「間引きワクチン」を回避するだろう。

SIマイナス派 は漠然とした政府・マスコミへの信頼から実に無防備に体内に「遺伝学的に未知の異物」を注入しているわけだが、SIプラス派 からすると、信じられないほどの「アタオカ行為」「自損行為」「自殺行為」なのだ。(^-^)

 

 

接種受容 vs 接種回避

接種受容

権威主義と大勢順応主義からの必然的な行動 として、政府の推奨するワクチン接種を疑うことなく受容してしまうのが SIマイナス派 なのだ。接種券が届けば、まるで戦争中に赤紙が届いたかのように「国難」?に立ち向かってしまうのだ。この「赤紙効果」で決起してしまう人間の目からすると、接種を回避する人間は、自動的に「非国民」ということになる。ワクチンに多少懐疑的だった多くの人たちも、そうした視線を恐れて「同調圧力」から接種会場に足を運ぶことになる。このように、SIマイナス派 の中でも濃淡(グラデーション)がある。

 

接種回避

一方、SIプラス派 にも濃淡がある。前項目でも言及したが、ウイルスがどうのこうの、mRNAワクチンがどうのこうのといった理屈を抜きにして、自分や家族の健康と生命が危険にさらされる可能性のある注射液を体内に入れることに 本能的な忌避反応 を示す人々は当然いる。政府が推奨していても、いや、推奨しているからこそ、警戒心が高まる。それこそが SIプラス派 の全員が持っている   生き物としての健全な反応 なのだ。これこそが生存本能が機能していることであり、生存力指標が正常に +(プラス)であることなのだ。

さらに、ワクチンやその背景についてリサーチして自分の頭の中で理論化しているひともいる。また、そうした理論をネット上で展開してさまざまな局面で戦っているひとたちもいる。

 

 

 

陰謀、陰謀論について

 

 

反陰謀論 vs 陰謀論

 

「陰謀論 conspiracy theory」はザウルスが耽読してきた Karl Popper の著書の一つである「歴史主義の貧困 Poverty of Historicism 」で使われた用語であるが、その後さまざまな文脈で使われてきた。1960年代にはケネディ暗殺'63 とアポロ月面着陸'69 についての公式発表を疑う陰謀説を退けるために、米国政府とCIA によってすでに「根拠のない妄想」の意味で使われた。そして真相の曝露を封印するのにそこそこの成果を収めた。

公式発表の裏に潜む「欺瞞工作」を指摘する説に対して「それは陰謀論だ!」という烙印 は非常に効果的である。これは、詐欺師が自分の正体をバラそうとする人のことを「あなたは詐欺師だ」と言うのに似ている。

たとえその陰謀説が根拠や証拠によって十分裏付けられていても、その主張者を「陰謀によって何でも説明する妄想家」として笑い者にし、孤立させることができた。

 

しかし、このトリックには、「世の中や歴史には陰謀というものはそもそも存在しない」という暗黙の前提がある。そのような非現実的な世界観、歴史観が国民の常識であれば、為政者にとっては非常に都合がいいかもしれない。昔から、何も疑わない国民が為政者にとって理想の国民である。「大統領や首相や国王が国民を騙すわけがないではないか」(^-^)

 

しかし、子供はいざ知らず、まともな大人には世の中や歴史が「ウラとウソ」に満ちていることは当たり前のことだ。この「ウラとウソ」こそがすなわち「陰謀」というものなのだ。違うだろうか?ということは、「陰謀」は現実にいくらでも存在しており、珍しいことではないということだ。

 

「陰謀とは、騙す意図をもった演出作戦である」 ザウルスの定義

 

ケネディ暗殺、アポロ月面着陸、9.11、ボストンマラソン爆破事件、ニース暴走トラック事件、間引きワクチン

陰謀には規模の大小いろいろあるが、「間引きワクチン」は人類史上最大のものである。「空前絶後の大陰謀」なのだ。おそらく、人類の歴史において今後数百年経ってもこれを超えるほどの陰謀はないだろう。それほどの大陰謀が我々の生きている2020年代に起きたのだ!世界の人々のほとんどは「そんなことあるわけがない」と思った。しかし、それが事実だと理解した少数派がいたのだ。

 

 

「陰謀論者」の意味

1)人間の善意を信じない、ひねくれた性悪説論者、異常性格者(通俗的意味)

2)世の中が悪意を持った陰謀組織によって操作されていると考える被害妄想家(デビッド・アイク型)これがほぼ正常な反応であって妄想ではないことが、「間引きワクチン時代」になって明らかになった。実際、人類の大多数は妄想の世界ではなく現実世界の被害者なのだ。これを「被害妄想」で片づけることはできない。

3)存在がはっきりしない陰謀組織、の邪悪な陰謀から人類を救う役回りを果たしているという英雄気取りの自己愛型妄想家(フラットアース型)。2)に便乗して信者を増やしている寄生虫的カルトと言える。

 

「あのひと、陰謀論者だからね」と言って、ニヤッと笑うのは、1)の意味である。「何でも物事をネガティブに見る病的な被害妄想家」という意味だ。これがいちばんわかりやすく、過去60年、主にアメリカで使い古されてきた用法である。しかし、日本では「陰謀論」「陰謀論者」という言葉が一般に使われるようになったのは、ここ数年、特にコロナ茶番・間引きワクチンの時代に入ってからである。

 

 

ザウルスの理解では、政治というものじたいが「陰謀」である。

繰り返す。「陰謀とは、騙す意図をもった演出作戦である」 ザウルスの定義  演出作戦のかわりに演出工作と言ってもいい。

 

さて、政治 というものが 「芝居」 であるというのは何ら新しい見方ではない。政治家は役者である。たしかにそうだ。連載小説を舞台裏で書いているゴーストライターが舞台俳優である大統領や首相の台詞もそばから書いているということだ。そんなものだろう。こんな見立ては昔からあったし、たしかに一面の真理だ。

 

ザウルスが今日つけ加えるのは、その大衆のための芝居が、現実を近似的に反映しているようなものではなく、むしろ積極的に大衆を騙すために演じられているということだ。

たしかに、政治は舞台劇だ。そして、難解な長編小説を「舞台劇」にして大衆にわかりやすくしているのが政治である、かのように われわれは何となく思わされてきた。しかし、元の長編小説は、実は大衆が見ている「舞台劇」とは全く違う筋書きなのだ。

本当の長編小説を隠蔽するために、目くらましのために、油断させるために、上演されているのが「政治という舞台劇」だったのだ。

一般大衆は騙されていたのだ。誤誘導されていたのだ。政治という舞台劇は、せいぜい大衆に現実世界をわかりやすく象徴化して表現しているものと思わされてきた。しかし、実際は、本当のシナリオを隠蔽し、そちらを陰で進めるための 時間稼ぎの田舎芝居 だったのだ。

 

それにいつまでも気づかないのが反陰謀論SIマイナス派 である。薄々と、もしくは、はっきりと気づいたのが陰謀論SIプラス派 だったのだ。何となくヘンだ、どうも怪しい、と思うその違和感、疑念、が当人と家族の健康と生命を救ったのだ。これが危機的な状況に置かれた正常な生き物の反応なのだ。違和感から陰謀があるに違いないと正しく推論したのである。

 

SIマイナス派「反陰謀論」とは、「陰謀なんかあるわけがない」という立場である。陰謀なんていうものはそもそもあるわけがないという、のっけから純粋に論理的に破綻した立場である。しかし、性善説のひとが多い日本人にはふつうの感覚なのだ。違うだろうか?

なぜそんな非論理的な前提で物事を見てしまうのか?

 

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性善説と性悪説: ザウルスの立場

ザウルスの立場は非常に明快である。

個人については、ザウルスは基本的に性善説である。しかし、集団、組織については、ザウルスは原則的に性悪説である。

私人としての個人は信じられるが、集団や組織は必然的に非人間的な原理で動くので、性悪説で捉えるべきなのだ。個人ではあっても、或る会社で営業部長として勤務中の場合は、組織の歯車なのであって、性善説は通用しない。ましてや一国の首相のスピーチやWHO の事務局長の声明を性善説で受け止めようとするのは、建設作業員がヘルメット無しで現場をウロウロするようなものである。溶接工が防護マスク無しで溶接作業をするようなものである。それほどまでに 集団や組織の論理は非人間的なものなのだ。

要は、性善説と性悪説を場面に応じて切り替えることが大事なのだ。私人としての部長とカラオケに行ったら、性悪説で接しては酷だ。ワクチンについての政府の広報を性善説で受け止めるのはこの上なく危険なのだ。

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あまりにもナイーブなSIマイナス派「反陰謀論」に対して、 SIプラス派 「陰謀論」とは、「陰謀というものはあり得る」という立場である。「可能性」としてでも存在するのなら、それなりに警戒する必要があるという、合理的で健全な立場である。違うだろうか?

 

SIマイナス派 は、「ワクチン接種」というWHO と日本政府の方針は当然国民の為であると ナイーブにも(=世間知らずにも)思って接種をした。「陰謀」という観念すらなかったのだ。さらに、「ワクチンというものはいいものだ」という戦後から徐々に垂らし込まれてきた「ワクチン信仰」にどっぷり漬け込まれてきた面もあるだろう。これも非常に長期的で地道な染脳工作だったのだ。

 

SIプラス派 は WHOや日本政府のコロナ対策の不自然さや非科学性から疑念を抱き、自分でリサーチを始めた。調べるにつれて彼ら自身も知らなかった「ワクチン陰謀」の輪郭が浮かび上がってきて、おぞけをふるったのだ。「まさか!」と思いながらも、疑い得ない事実。その「非人道的な間引きワクチン」 が、この平和な日常の中で当たり前のように進行している事実に打ちのめされる。そして、それではどうすればいいのか、と考えあぐねる。

本能的な違和感、何かがまるで「陰謀のように」進行している、という恐怖感。これが「陰謀論」の感覚なのだ。

そして、SIプラス派 のその本能的な違和感こそが、何万年も人類を絶滅から救ってきた感覚なのだ。

 

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2 コメント

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Unknown (アガサ、シオラン)
2023-01-03 00:42:58
当然です…!ワクチンモドキと認識!
避接種です。生誕の災厄。
Unknown (アガサ、シオラン)
2023-01-03 00:48:53
ジュディー ミコビィツ 博士も警鐘…!最終戦争に突入…!

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