遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

原発政策の議論が尽くされぬまますべての原発が自動的に停止してしまう無策な日本でいいのか!

2012-03-31 23:03:06 | 新エネルギー
 日本のエネルギー、特に原発政策について議論が尽くされぬまま、自動的にすべての原発が停止してしまうと言う、無策で成り行き任せの日本国。原発廃止を決めた数少ない国の代表格のドイツでも、10年計画で停止しますし、他国から購入可能というバッファも持っています。日本の場合は、止まった後の確たる検証も対策もなく、ただワイワイ言っているうちに約一年で自動的に止まってしまうのです。なんという将来設計の無いのんきな国なのでしょう。
 「夏も冬も足りないと言いながら乗り切れた。だから原発は無くても大丈夫。」という声がまかり通るのも、諸々の情報がつまびらかに公開されていないからです。
 いくら民主党が政権能力が無いからと言っても、優秀な官僚がどこかでエネルギー政策、原子力政策の検討の仕掛けをしているのではとそれとなく気にしていたら、資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会(委員長・三村明夫新日鉄会長)」で、「エネルギーベストミックスの選択肢」と題して、話し合われているという記事に出会いました。
 さすが日本国、やることはやっていると思ったのですが...。
 
このまま原発政策の核心が決まっていいのか?:日経ビジネスオンライン

<前略>
 野田佳彦首相は、遮眼帯をつけた競走馬のように「消費税増税」へと突き進む。東電の経営問題、発送電分離、核燃料サイクルなどはどこまで、その視野に入っているのだろう。すでに原子力規制庁の発足は遅れ、電力改革の行方は混迷の度を深めている。
 政局いかんで「電力改革の見取り図」に示した8月の天王山「革新的エネルギー・環境戦略」の発表がずれ込む可能性すら出てきた。またぞろ政局が政策を左右し、重要な電力改革が後手に回ってしまうのだろうか……。

電力改革の「本筋」は何か

 このような混戦、乱戦模様だからこそ、電力改革の「本筋」を、しっかりとおさえておきたい。混乱のなかで本筋を見失っては、「あとの祭り」となりかねない。本筋とは、いうまでもなく「原子力発電をゼロにするのか、一定程度維持していくのか。電力源の組み合わせをどうするのか」である。

 これら電力改革の根幹、新たなエネルギー政策の核心は、資源エネルギー庁「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会(委員長・三村明夫新日鉄会長)」で、「エネルギーベストミックスの選択肢」と題して、話し合われている。

 その基本問題委員会の論議が、先日、大きく動いた。

 3月27日の基本問題委員会で、各委員が2030年時点の総電力量に占める「原子力発電」「再生可能エネルギー(水力含む)」「火力発電」「コジェネ・自家発電」の割合を示したものを、事務局が「エネルギーベストミックスの選択肢に関する整理(案)」としてまとめたのだ。各委員の「考え方」を述べあう「定性的」な議論から、数値を介した「定量的」な議論へ一気に転換した。

 各委員が数値を示すに当たって、「原子力発電への依存度のできる限りの低減」「再生可能エネルギーの開発・利用の最大限加速化」などは「望ましいエネルギーミックス」の要件として、委員間で合意されている。

 ちなみに2010年度は、原子力26.4%、再生可能エネルギー10.5%、火力56.9%、コジェネ・自家発電6.2%となっていた。このバランスをどう変えていくのか。

原子力比率は0~35%で意見分かれる

 では、以下、各委員が提示したA~Fのベストミックス選択肢を並べてみよう。「コジェネ・自家発電」は一律15%とされている。


<以下解説部分は省略し数値のみをピックアップしています。解説部分はリンク元記事か、「エネルギーベストミックスの選択肢に関する整理(案)」を参照ください。>

A案―数値を示さない
B案―原子力 0%、再生可能エネ 35%、火力 50%、コジェネ・自家発15%
C案―原子力 5%、再生可能エネ 25%、火力 55%、コジェネ・自家発15%
D案―原子力20%、再生可能エネ25~30%、火力35~40%、コジェネ・自家発15%
E案―原子力25%、再生可能エネ20~25%、火力35~40%、コジェネ・自家発15%
F案―原子力35%、再生可能エネ 20%、火力 30%、コジェネ・自家発15%
(⇒25%へ訂正)          (⇒10%へ訂正)


定性的政策論か定量的政策論か

 事務局は、すでに「今後の進め方」で「2010年代の実質成長率を1.1%、2020年代を0.8%とする慎重シナリオ」に基づいて、選択肢ごとに「経済分析モデル」を活用して定量評価をする、と示していた。

<中略>

 こうした前提で始まった27日の会議では、いくつもの論点が明らかになった。
 まず数値を出して経済モデルで分析、
定量評価する手法自体がおかしいとの声があがる。飯田氏、高橋氏、伴氏、阿南氏ら8名の委員は、連名で「事務局作成のエネルギーミックスの選択肢に対する意見」を提出。
 
原発0%の選択肢がひとつだけで、20%以上の選択肢が三つもあって偏っている。%の数字とは異なる、国民が選択すべき価値観や社会像、政策の方向性が分からない。原発20%以上の選択肢には、エネルギー安全保障や国際貢献などさまざまな目的が明記されているが、0%の選択肢(B案)には明記されず、安全性のみを目的とするかの表現になっている、と問題点を指摘した。
 そして「エネルギー需給から見た新たな社会像、それを実現する政策の基本方針を軸とした『定性的・戦略的なエネルギー政策』こそが選択肢」と主張する。
 これに対して、三村委員長は、
定量的、定性的政策論はひとつのパッケージであり、並行的に進める、と応じる。他の委員も委員長を支持する。北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科教授は、定性―哲学か、定量―技術か、という議論であれば、技術的な可能性を優先して議論するほうが理に適っていると述べた。
<中略>
 (河野氏は)自身のC案を撤回し、数値を示さないA案にくら替えする。選択肢はA、B、D、E、Fの5案となった。

福島原発事故を招いた原子力界の合成の誤謬

 2030年のピンポイントで選択肢を示すことにも疑問が投げかけられる。
 高橋氏は、2030年だけではなく、その前後をそれぞれの委員がどう考えているかが重要だと言った。これを受ける形で、橘川氏は、じぶんは
原発20%のD案に含まれているが、将来的にゼロにする過程での数字。より現実的に原発を減らすための数値だ、と強調する。同じD案でも、原発維持を唱える寺島氏らとは一線を画しているようだ。

 議論の方向性や、手法、数字の読み方などのテクニカルな議論がつづくなかで、誰もが、「何でだろう」と感じる素朴な疑問を、阿南氏が投げかけた。
 「A~Dまでは原発への依存度の低減になっているけれど、E、Fは、そうではない。
国民が納得するとは考えられない。なぜ、こんな選択肢が示されたのか。答えてほしい」
 F案の山地氏は、現行のエネルギー基本計画では2030年の原発発電量は「45.4%」になっており、「35%」はそれより減っている、と応じた。
 すると阿南氏は、「いま原発依存度の低減といえば、2010年、震災前の状態からどう減らすかが国民の常識だと思う。増えていいのでしょうか。国民が、そのことを、はたして理解するでしょうか」と切り返す。
 山地氏は、福島原発事故前とほぼ同規模の水準を想定しており、じぶんの頭のなかの計算では可能だ、としたうえで、次のように語った。
 「国民はそれを理解するだろうかということですが、いま、確かにアンケートをとって、民意をとれば、(賛成は)非常に少ないだろうと思っています。ただ過去の歴史をみると、じぶんの経験から考えても、
民意というのは動いていきますよね。とくに今回のような大災害があって、非常に不安のあるときに聞いて、それでエネルギーのような長期間の政策を決めるのは、少なくとも直接的に民意を聞いて、そのまま反映するのは、賢明ではない
 さらに、こう続けた。
 「われわれが、ここにいるということ。代議制の民主主義というものは、そういうことを経験したうえでの知恵だと思って、申し上げています」

 原子力専門家の、この発言を、不安を抱えている国民のひとりとして、私は、しっかりと胸に刻んでおく。「衆愚政治」に警鐘を鳴らしているつもりだろうが、とりようでは、ものすごいことを言っている。大手メディアは、この発言にまったく触れていないけれど、はたして福島で、同じことを口にできるだろうか。

 三村委員長は、「Fも案として活かしておきます。違いがわかる」と、原発「35%」案を残して、この日の議論を終えた。

 「合成の誤謬」という言葉がある。ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では逆の結果が現れることを指す。福島第一原発事故は、日本の原子力界の合成の誤謬の最たるものではないだろうか。一人ひとりの技術者や研究者は、これが正しいと信じて仕事をしていたことだろう。しかし、それが蓄積した状態では、大事故を防げなかった。
 この合成の誤謬を正すには、もはや閉じた世界の議論では不可能だ。
 「公共善」とか「共通善」という、自立した市民が社会に参加する基盤となるような価値観に沿って議論をしなくては、ベストミックスは見つからないのではないだろうか。

 電力改革に向けての論議は、まだまだひと山もふた山もある。折々に状況をみて、記事を掲載していきたい。

 総合資源エネルギー調査会基本問題委員会のメンバーは、日本を代表する企業経営者の方々、メディアでおなじみの大学の先生やシンクタンクの方々など、錚々たるメンバーがいらっしゃいます。
 でも、定量化しようと言っているのに、定量化に反対している「A案」は、大学の先生と、途中から意見を替えたシンクタンク。理屈をこねて議論の為の議論をして前へ進めないいわゆる学者さんと見受けられます。北岡教授が、定性―哲学か、定量―技術か、という議論であれば、技術的な可能性を優先して議論するほうが理に適っているとズバリ一刀両断。
 原子力0%のB案は、NPO法人、消費者団体など。阿南久・全国消費者団体連絡会事務局長は、原子力が25%以上となっているE, F案を、「国民が納得するとは考えられない。なぜ、こんな選択肢が示されたのか」と非難、詰め寄っています。こういうのを、ポピュリズムと言うか、我田引水というのでしょうか。定量的議論をと言う主旨に反し、感情が先に出ています。
 山地地球環境産業技術研究機構理事の、一時の感情に流されない長い目で見ると言うご意見には一理あり、委員長も採用しておられます。筆者・山岡氏のお気に召さない様ですが。委員長が英断される様に、予断なくいろいろな意見を出し国民に問いかけるのが主旨でしょう。
 D案に、将来は「0」を目指すが、過程として「20%」と言う人と、「20%」で継続と言う人がいるのは当然でしょう。
 つまり、原発0%と言う人にも、ドイツの様に10年単位で計画を建てて実行すると言う人、原発に代わるクリーンで再生可能なエネルギーを開発するまでは原発やむなしとする人、CO2が増えようが、電気料金が上がろうが、節電が強まろうが、製造業業が逃げ出そうが、貿易赤字国に転落しギリシャの様になろうが即時停止せよと言う人まで様々なのですね。

 この記事を見た範囲での感想ですが、日本の将来を左右するエネルギー政策を、こんな形式論や感情論の議論が綿々とされている会議に任せていいのでしょうかと疑問が湧いてくるのは遊爺だけでしょうか。
 委員長や、北村教授は定量的=科学的に議論をしようとされていますが、他人の意見の非難で時間を費やしている様な。
 
 筆者がつけられたタイトル「このまま原発政策の核心が決まっていいのか?」は、「電力改革に向けての論議は、まだまだひと山もふた山もある。」と結んでおられ、定量論議に反対する先送り体質の学者さん(議論が続くほど商売になる)と似た匂いがします。
 委員長や、北村先生が目指しておられるように、科学的に練られたいくつかの選択肢をまとめ、広く国民の議論に供することが急がれます。関連する専門家の方々ですから、十分な知見は長い研究を経てお持ちのはずですから、一から研究を始めるのとは違い、複数の提言のまとめには時間は多くは必要ないはずです。

 国内で議論がつめられることなく、だだなんとなく全ての原発が止まる。止まった後のことは、だ~れもな~んにも考えたり、対策の実行をしていない。そんな国は滅んでしまいます。日本がそんな国であっていいはずはありません。



 # 冒頭の画像は、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員長の、三村明夫 新日本製鐵(株)代表取締役会長



  この花は、ブロッコリーの花

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