遊爺雑記帳

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「大国妄想」プーチンが忘れた「いつか来た道」 ロシア衰亡の前奏曲

2022-06-15 01:33:55 | ウクライナ全般
 6月9日、ロシアの「ピョートル大帝」生誕350年記念展を訪れたプーチン大統領は、「(ウクライナなどの)領土を取り戻し強化するのは、われわれの責務だ」と発言したのだそうです。
 危ない誇大妄想だと、作曲家で、東京大学ゲノムAI生命倫理コア研究統括でもある伊東乾氏。
 プーチンのロシアの展望を説いていただいています。
 
実はロシア衰亡の前奏曲、戦時景気とルーブル高 「大国妄想」プーチンが忘れた「いつか来た道」 | JBpress (ジェイビープレス) 2022.6.13(月) 伊東 乾

 またしてもプーチンの危ない誇大妄想が報じられました

 6月9日、ロシアの「ピョートル大帝」生誕350年記念展を訪れた際
「(ウクライナなどの)領土を取り戻し強化するのは、われわれの責務だ」と発言プーチン氏「領土奪還は責務」 ピョートル大帝で侵攻正当化:時事ドットコムしたというものです

「大北方戦争」の結果、ピョートル・アレクセイエヴィチ・ロマノフは、スウェーデン領だった「イングリア」を奪い取り、西欧先進圏への玄関口、悲願だったバルト海進出を果たします。

 わざわざ自分の名をドイツ語読みペーターに改めて都を「ぺテルスブルク」ペーターの町と名付けました。

 ところが
プーチンはぬけぬけと嘘っぱちの三百代言を並べます

「皆さんは彼(ピョートル)がスウェーデンとの戦争で何か奪ったという印象を抱いている。だが、何も取っていない。取り戻したのだ」

「欧州各国は当時(サンクトペテルブルクを)ロシア領ではなくスウェーデンの一部だと考えた。しかし、そこには太古の昔からスラブ人も住んでいた」

 
そもそもこのタイミングで「ピョートル大帝350年」なぞという官製イベントが、大戦中に「神武天皇」や「神功皇后」を祭り上げるのと同根のフェイクと言わざるを得ません

 ここでプーチンの言う「皆さん」とはロシア人で、
当のロシア民衆ですら「占領地」と常識的に判断している

 
それを「元来固有の領土」とプーチンはフィクションで強弁しているわけです。

 しかし、
実際は、現在ぺテルブルクの位置するエリアはイングリアと呼ばれる地域で、12世紀以前からアジア系ウゴル・フィン族のイジョラ人の居住地として知られていました。

 イングリアは、スウェーデン率いるバルト帝国に占領されるのですら1611年。たかだか徳川幕府開府の時期のことで、ごく最近の出来事に過ぎません。

 日本でいえば飛鳥奈良鎌倉室町戦国時代と、ずっとイジョラ人の国。ロシアなど関係ありません。

 それをロシアが奪い取るのは、7代将軍吉宗「暴れん坊将軍」が幕政改革を進めていた「享保6年(1721年)」です。

 
ついこの間盗んだだけのもので、さっさと西欧に返すのが本来の筋の可能性も高い

 というのもこの
1721年「大北方戦争」でスウェーデンに勝利したロシアが「ニスタット条約」で奪い取ったのは「カレリア」「イングリア」「エストニア」「リヴォニア(ラトヴィアの一部)」などだからです。

 すでに
「エストニア」や「ラトヴィア」は、スターリン時代以降、極く一時期ソ連に併合したとはいえ、とっくに西欧側に返還され、EUメンバーになっている

 
ロシアはどう頑張っても、たかだか700~800年ほどの歴史、日本で言えば平安後期以後しか史実確認できない浅い歴史の国が「太古」の昔から、とは、へそが茶を沸かすレベルの茶番です。

西側経済制裁は「失敗」したか?
 そんな
プーチンは、ウクライナ戦争開始から約2か月後の4月18日、「西側の経済封鎖が失敗」し、ロシアが「前例のない圧力に耐えている」との、実質的な「経済封鎖」勝利宣言を、オンラインの閣議で発表しています(経済制裁に屈しないプーチン氏、銀行制度崩壊の「試みは失敗した」…物価上昇は認める : 読売新聞オンライン)。

 
背景として、ウクライナ戦争勃発直後に暴落したルーブルのレートが4月中旬には戦前の水準まで回復した経緯が挙げられるでしょう。

 参考まで、2022年1月から6月上旬までのルーブル、ならびにウクライナ・フリヴニアの対ドルレートの推移を示しておきます。
 

 すでにご案内のように、ルーブルは5月以降も値を上げ続け、ロシア中銀は立て続けに金利を引き下げます。

 開戦直後の暴落時こそ、金利20%まで引き上げますが、6月10日には4度目の引き下げで9.5%の戦前水準に戻りました。

 ロシア中銀のナビウリナ総裁は「西側経済制裁の影響は懸念されたほど深刻ではない」との声明を発表しています。

 
西側の経済制裁は「失敗」したのでしょうか?

 実際、ここまでの推移はプーチン指導部も織り込み済みだったと思われます。

 
ルーブルの価値が上がったのは、端的に言って今回の戦争と経済制裁のために石油、天然ガスなど価格が上昇し、経常収支が黒字になったためでしょう。

 
ルーブル値の上昇でロシア国内の物価上昇圧も下がり、直ちにハイパーインフレーションなどは起こりそうにもありません

 かつてウラジーミル・プーチンがペテルブルク大学法学部を卒業しKGBに採用(1975年)される直前、第4次中東戦争を引き金に、アラブ産油国がイスラエル支援国への原油供給を制限しました、1973年、いわゆる「第1次オイルショック」です。

 日本を含む親イスラエル国家は物不足と物価高騰に見舞われ、当時の日本の主婦はトイレットペーパーなどを買い占めた。

 OPEC(石油輸出国機構)の国際経常黒字は70倍に膨れ上がった。そうしたアラブ産油国の背後にはソ連の影がありました。

 
こうした経緯を、新人KGBのプーチンは研修などで間違いなく指導されていたことでしょう

 当時はデタント(東西緊張緩和)ムードが強く、第4次中東戦争は継続不可能となり「省エネ」などの言葉が生まれたのもこの時期でした。

ソ連末期の失敗に学べなかったプーチン
 続く1978~79年、イスラム教シーア派が主導する革命による「イラン・イスラム共和国」建国が引き金になって
1979年には「第2次オイルショック」が発生します。

 イラン革命に際しては。米ソが協力して事態収拾にあたるまで、デタント・ムードは高まっていました。

 直前までパーレヴィ王朝期のイランは親欧米でしたが、
イランの指導者ホメイニ師は反米・反共を掲げ東西冷戦下の二大巨頭をものともせず、イスラム国家が現在まで40年以上続いています

「宗教はやばい」

「イスラムを放置するとまずい」

「文明の衝突」

 などと東西双方が警戒する端緒となったこの頃、日本では「インベーダーゲーム」が流行り始めていました。

 そこで代理戦争的にイランの敵として作り上げられたのが隣国イラクの「英雄」サダム・フセインであり、米ソ双方の軍事的支援のもとで事態の収束が図られます。

 
しかし第4次中東戦争の英雄から一転、古代メソポタミア以来のアラブ世界の栄光の盟主といった誇大妄想を抱くに至ったサダムの末路がどのようであったか、今さらここに記す必要もないでしょう

 1978年1月に勃発したイランのシーア派イスラム革命動乱を横目に、隣国で勃発したのが背後でKGBが動いた「アフガニスタン人民民主党」による共産党系の「4月革命」でした。

 イスラムを放っておいたらエライことになる、と「アツモノに懲りてナマスを吹いた」ソ連の焦りが引き起こした革命と言えるでしょう。

 これに対して西側が応援して作られたのが当時の先端武装で訓練された反共イスラム戦士「ムジャヒディン」でした。

 この「ムジャヒディン」を支えるべく、当初は経済支援から合流したのがウサマ・ビン・ラディンであり、のちに彼らが樹立した武装勢力「アル・カイ―ダ」が21世紀最初の10年までどのような経緯を辿ったかも、今さら記す必要はないでしょう。

「KGB支援」のアフガン共産勢力 VS 「西側武力」背景のムジャヒディンの死闘は武力に勝るイスラム戦士「ムジャヒディン」優勢となり、アフガニスタン人民民主党の支援要請でソ連軍が動いたのが「アフガニスタン侵攻」(1979-88)だった。

 結果、
西側は揃ってソ連に背を向け、1980年「モスクワ五輪」はボイコット

 結局
これ以降ソ連は滅亡することになるわけですが、どうしてプーチンはこの歴史に学ぶことができなかったのか

「デタント」ムードを代表するようであったジミー・カーター民主党政権はイラン・アメリカ大使館人質事件への対処失敗で降板、1981年1月にスタートしたロナルド・レーガン共和党政権は明確な反ソ政策を断行。

 続く1982年に成立した日本の中曽根康弘政権では「ロン・ヤス」という微妙にヤスっぽい呼び名が流布され、強い関係をアピール。

 米国に媚びを売るかの如き中曽根首相の「不沈空母」発言が新聞一面の見出しに記され、受験を控えた高校3年生、17歳だった私は、大学に願書か何かを取りに行った本郷三丁目駅のキヨスクでそれを目にし、暗澹たる気持ちになったのを、いまもありありと覚えています。

 前後して中曽根首相が発言した「フィンランドみたいな状況になったら終わり」みたいな表現も、多感なハイティーンでしたので鮮明に記憶しています。

 翌1983年、当時の西ドイツに留学すると
ベルリンの壁の前には無数の十字架が立っており、同世代の少年が機銃装備するソ連兵などを目に焼き付けざるを得ませんでした。

 それからたった6年であの壁が崩壊すると、誰が想像したでしょうか?

 そして
この当時、東ドイツで負け戦収拾の工作に当たっていた若いKGBの一人に、30代のプーチンがいたわけです。

元上司アンドロポフの二の舞踏むプーチン
 閑話休題

 
西側の経済封鎖は失敗したのでしょうか?

 今示した
ソ連滅亡の歴史が、そっくりそのままプーチン=ロシアの将来を予言しているでしょう。

 
レートだけ上がっても、ロシアは先進国の主要産品を輸入できません

 一般市民の食生活などを支える物品は供給できても、
パソコン程度の戦略物資にも事欠く状況が永続すれば、レーガン政権が描いたソ連滅亡シナリオの縮図が繰り返されるでしょう

 
ソ連のアフガン侵攻に舵を切ったのは、ブレジネフ書記長晩年経済停滞の中、KGB議長であったユーリ・アンドロポフでした。

 
のちにKGBからソ連トップに上り詰めたアンドロポフは、元部下であったプーチンがやたらと持ち上げ、それこそ「ペテルブルク」市内に銅像を建てたり、偶像崇拝が著しかったりもします

 KGBトップとしてモスクワ五輪ボイコットを招き、ブレジネフ一派を陰謀で抑え込んで権力の中枢に就きながら、1年3か月ほどで死んだユーリ・アンドロポフ。

 
彼の失敗の本質的な理由は何か?

 アンドロポフがソ連を立て直せなかったのは、一方では
軍事支出を強要するレーガノミクスの作戦勝ちですが、予算の7割近くまで軍事費を引き上げざるを得なかったことに起因しています。

 
プーチンはまさに同じ轍を踏んでいます

 
もう一つは、スターリン以来の領土外交、計画経済への固執が足かせになった。

 
ここもプーチンはソックリというより、さらに「ピョートル大帝」など振り回すあたりは、むしろサダム・フセインの「メソポタミアの栄光」に近い、やや狂気走ったものすら感ぜられます

 
遠い将来、プーチンの銅像を建てる人が出るかは、いまヒトラーの銅像が立っているかを想起するに留めましょう

 
プーチンはアンドロポフの失敗のみならず、いまやサダムの愚挙の二番煎じにまで陥っている。ピョートル350年祭そのものが「八紘一宇」にも似た末期症状かもしれません。

 
西側経済制裁は、中長期化することで、プーチンのロシアに「1980年代ソ連」が受けたのと同様の決定的な効果を上げることが予想されます

 一過性のレート浮上や戦時景気は長続きしません。

 
突出する軍事費、入ってこない主要産品、地盤沈下する国民生活。西側の経済制裁はボクシングのジャブのように確実にロシアの体力を奪い続けるでしょう。

 先に挙げた
グラフに示した、開戦後も一定のレートを堅持するウクライナの通貨フリヴニアの為替推移が、未来を控えめに示していると言えそうです。

 
つまりウクライナは安定、ロシアは乱高下の先に「変化」が到来することが予測されます。


 プーチンはぬけぬけと嘘っぱちの三百代言を並べます。
 そもそもこのタイミングで「ピョートル大帝350年」なぞという官製イベントが、フェイクと言わざるを得ませんと伊東氏。
 当のロシア民衆ですら「占領地」と常識的に判断している。それを「元来固有の領土」とプーチンはフィクションで強弁していると。
 
 そんなプーチンは、ウクライナ戦争開始から約2か月後の4月18日、「西側の経済封鎖が失敗」し、ロシアが「前例のない圧力に耐えている」との、実質的な「経済封鎖」勝利宣言を、オンラインの閣議で発表。

 西側の経済制裁は「失敗」したのか。
 ルーブルの価値が上がったのは、端的に言って今回の戦争と経済制裁のために石油、天然ガスなど価格が上昇し、経常収支が黒字になったため。
 
 「KGB支援」のアフガン共産勢力 VS 「西側武力」背景のムジャヒディンの死闘は武力に勝るイスラム戦士「ムジャヒディン」優勢となり、アフガニスタン人民民主党の支援要請でソ連軍が動いたのが「アフガニスタン侵攻」(1979-88)だった。
 結果、西側は揃ってソ連に背を向け、1980年「モスクワ五輪」はボイコット。
 これ以降ソ連は滅亡することになるわけですが、どうしてプーチンはこの歴史に学ぶことができなかったのかと、伊東氏。

 ベルリンの壁崩壊時、東ドイツで負け戦収拾の工作に当たっていた若いKGBの一人に、30代のプーチンがいた。
 
 ソ連滅亡の歴史が、そっくりそのままプーチン=ロシアの将来を予言しているでしょうと。

 ソ連のアフガン侵攻に舵を切ったのは、ブレジネフ書記長晩年経済停滞の中、KGB議長であったユーリ・アンドロポフ。
 のちにKGBからソ連トップに上り詰めたアンドロポフは、元部下であったプーチンがやたらと持ち上げ、それこそ「ペテルブルク」市内に銅像を建てたり、偶像崇拝が著しかったりもします。
 アンドロポフがソ連を立て直せなかったのは、一方では軍事支出を強要するレーガノミクスの作戦勝ちですが、予算の7割近くまで軍事費を引き上げざるを得なかったことに起因しています。
 プーチンはまさに同じ轍を踏んでいますと伊東氏。
 もう一つは、スターリン以来の領土外交、計画経済への固執が足かせになったとも。

 プーチンはアンドロポフの失敗のみならず、いまやサダムの愚挙の二番煎じにまで陥っている。ピョートル350年祭そのものが「八紘一宇」にも似た末期症状かもしれませんと伊東氏。
 
 突出する軍事費、入ってこない主要産品、地盤沈下する国民生活。西側の経済制裁はボクシングのジャブのように確実にロシアの体力を奪い続けるでしょう。
 グラフに示した、開戦後も一定のレートを堅持するウクライナの通貨フリヴニアの為替推移が、未来を控えめに示していると。



 # 冒頭の画像は、ピョートル大帝生誕350年展示会を視察するプーチン大統領




  この花の名前は、キンシバイ
 

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